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第94話 反乱

 二〇三一年七月二日・水曜日、それは後に『英雄の日』として日本の記念日に登録される歴史的な一日である。

 英雄・天道寺英人が晴れ渡る空の下、大勢の観衆が詰めかけた国会議事堂の前で、この手で必ずピラーを倒すと宣言したためだ。

 事実、この一週間後である七月九日の最終決戦において、天道寺英人は長野ピラーを見事に破壊し、六年も続いたCE戦争を終わらせて、日本に平和を取り戻すのであった。

 この日も『解放記念日(または新終戦記念日)』として祝日と定められ、日本中の人々が歓喜に沸き、そして世界中の七十億人が次は自分達が救われるのだと、希望と欲望を燃えたぎらせる事となる。

 だから、七月二日に起きたその重く苦しい事件を、英雄の光に目が眩んだ世間の人々は、全く知らず興味を抱く事さえなかったのである。





 午前四時、まだ多くの生徒や教師が眠っている頃、綾子は既に指揮所へ来ていた。

 今日の正午、大勢の人々が昼休憩でテレビを見ている時を見計らって、英雄・天道寺英人が国会前でスピーチを行い、総理大臣と握手する事になっており、それが不安で目が覚めてしまったのである。

 英雄本人は護衛の一年A組女子、そして特戦に警護されて前日の夜から既に東京入りしており、遅刻の心配はないものの、暗殺の可能性が皆無とはいえない。


 アメリカとロシアは協力を表明しており、工作員の件で失態を犯したためか、中国も珍しく声を潜めているため、そうそう大事が起きるとは思えないが、三ヵ国以外の小国が動かないという保証もなかった。

 特に、生きていた可能性が浮上してきた影山明彦が、身を寄せて技術提供まで行っていたらしい英国が。


「異常はないか?」

『はい、今は大人しく寝ていますし、特戦の方も不審者の姿はないと』


 負傷離脱してしまった千影沢音姫に替わり、A組のまとめ役を任された体育会系の少女・園城焔の報告を聞いて、綾子は安渡しながら通信を切る。


「あちら大丈夫だとして、問題はこちらか」


 目の前のディスプレイに映る、僅かに縮んだ長野ピラーを睨む。

 原子力発電所への侵攻、そして様々な意味で最悪の敵であった刹那CEを仕向けるなど、長野ピラーはこちらの弱点を読む確かな知能を見せていた。

 天敵である英雄が離れたこの機に乗じて、攻めてくる可能性は高いと警戒するのが当然である。


「既に九日も動きを見せていないしな」


 刹那CEの襲来後、長野ピラーは不気味なほど沈黙を守っていた。

 五日に一度の頻度で繰り返されていた襲撃も止め、まるで最後の時に向けて力を溜め込んでいるように。


「悪いが、死んで貰うぞ」


 他の職員に聞こえないよう小さく呟く。

 声をかけた先はピラーであり、その中で眠る二百万を超える人々の意思。

 槍使いの少年は隠そうとしていたようだが、刹那CEが形だけの偽物ではなく、刹那本人の意思が残っていた事で確信した。

 CEが光線を浴びせ奪ってきた人々の精神と記憶、それは全て何らかの手段で長野ピラーに送られて、今も変わらず結晶柱の中で眠っているのだと。


 そうでもなければ、五年前に死んだ刹那の人格を復元するなど不可能である。

 CEが人々を襲ってきたのは、エネルギー補給という食事ではなく、人の精神を収集する事こそが目的であったのだ。

 おそらくは、集めたモノを解析して、ピラーには理解不能の代物であった、人間という生物の精神や知能を知るために。


「貴様らに、この先は与えん」


 二百万人を超えるサンプルと、六年という歳月を費やした事で、長野ピラーは人間に迫る知能を獲得した。

 猿が火を手にして人となり、重力を振り切り宇宙へと飛び立てるまでに何十万年とかかった事を思えば、六年など瞬きのような時間でしかない。

 これ以上の時間を与えれば、人間を越えて神のごとき英知を手にしないとも限らないだろう。

 奇しくも、CE教徒達が湛えた言葉その通りに、全人類の精神を集合し、結晶の中という永遠の天国に保存する無機質な神へと。


「許されぬ大罪だとしても、人類が生き延びるにはピラーを破壊するしかない」


 長野ピラーの中に今まで犠牲となった二百万人の意識が眠っており、刹那CEのように分離する事も、廃人と化した者達に精神を返して目覚めさせるような真似も、ひょっとすれば可能なのかもしれない。

 しかし、そんなお伽話のように都合の良い奇跡を期待して、今を生きる一億人の命を賭ける訳にはいかない。

 だから、このまま『意思も命もない無い有害な物体』として滅ぼすしかないのだ。

 市民や英雄が何も知らぬまま、気持ちよく勝利に酔えるように。


「いっそ、何も知らぬ道化でありたかったものだな……」


 知らないという事ほど幸福な事はない、とはどこの国の諺だったか、

 終わりが見えた気の緩みから、弱音を漏らす綾子の耳に、ふと荒々しい足音が響いてくる。

 不信に思って振り向けば、そこには表情を固く強張らせた十名の生徒が立っていた。

 しかも良く見れば、殆どが三年A組の生徒である。


「お前達、いったいどうしたんだ?」


 丁度この場に居た三年A組の担任・日森健也が驚きながら歩み寄る。

 特に隔壁などで区切っている訳ではないが、地下二階の指揮所は原則、生徒の立ち入りが禁止されている。

 叱って追い返そうとする担任に、第一分隊の隊長・藤原浩正(ふじわらひろまさ)が皆を代表して前に出た。


「先生、俺達が天道寺英人の踏み台って本当ですか?」

「なっ……!?」


 予想外すぎる問いに日森は絶句した、絶句してしまった。

 何を馬鹿な事を言っているのだと呆れるのでもなく、何の事だとシラを切るのでもなく。

 真実であるが故に驚愕して言葉を失うという、肯定の態度を返してしまった。

 その瞬間、生徒達の強張っていた顔がグニャリと歪む。

 怪しい男から聞かされた真実など嘘だと、泣きすがるのを我慢していた顔から、自分達を騙し裏でせせら笑っていた、裏切者に向ける憤怒へと。


「あっ……」


 憎悪の視線で貫かれ、日森は己の失態を悟ったがもう遅い。

 浩正は目尻に悔し涙を浮かべながら、拳を振りかぶった。


「ふざけんじゃねえっ!」


 怒声と共に繰り出された拳が、日森の頬に突き刺る。

 刹那や宗次のように意図して集中させる術を知らずとも、幻子装甲で覆われた拳は鋼並みに硬い。

 日森は血と折れた歯を吐いて吹き飛び、パソコンや机を薙ぎ倒して埋もれ、そのまま動かなくなった。


「くっ……!」


 同僚が殴り倒されたのを見て、情報操作担当の男職員が反射的に拳銃を取り出し浩正に向ける。


「よせっ!」

「……何だ、撃つのかよ」


 制止を叫ぶ綾子に反し、銃口を向けられた浩正は虚ろな目で職員を睨む。


「そうだよな、俺達なんてどうせ、天道寺英人の引き立て役だったんだ……もう用済みだから殺しても惜しくないよな……」

「来るな、止まれっ!」


 職員が叫んでも、呪詛を吐きながらにじり寄ってくる浩正の足は止まらない。

 そして、目前まで迫った所で、ついに引き金が引かれてしまう。


 パンッ!


 9mm弾の軽い発射音が響き渡る。

 しかし、指揮所の床が血で汚れる事はなかった。

 何故なら、CEの光線すら防ぐエース隊員の幻子装甲は、拳銃弾ごとき何百発でも耐えられたのだから。

 それでも、減衰しきれなかった微かな衝撃が、浩正の右肩を貫く。


「痛え……痛えよっ!」


 肉体よりも心が、共に日本を守るために戦ってきた、信じていた大人が撃ち殺そうとしてきた事こそが痛くて、浩正はまた涙を滲ませながら職員を殴り倒した。

 血反吐を吐いて吹き飛ぶ同僚に、注意が引き寄せられたのを利用し、足音を殺して浩正の背後に回る影があった。


 一年D組の担任にして、レスラー顔負けの筋肉を持つ男・大河原大馬である。

 いくら幻子装甲が強固でも、筋力が増大する訳ではない。

 組み伏せ関節技で動きを止められるのは、綾子が中国人転校生を相手に実証済みである。

 だが、死角からの不意打ちを狙った大馬の動きは、別の声によって遮られた。


「武装化」


 凛とした呼び声に応じて光が迸り、生み出された白い純潔の槍が、大馬の太い肩にそっと当てられる。


「大馬先生、動かないで下さい」


 聖槍ロンゴミアントを構え、先山麗華は静かな声でそう制した。


「先山……っ」


 大馬の顔に浮かぶのは、エース隊全体をまとめる現場指揮官の彼女までが、自分達に刃を向けた事への絶望。

 そして、幻想兵器が使われた事への驚きであった。


(何故、呼び出せるっ!?)


 沈黙を守ったまま、綾子も驚愕に目を見開く。

 その真偽を問わず、伝説通りの能力を発揮する幻想兵器は、言うまでもなく危険な兵器である。

 そのため、実戦や訓練の時以外は呼び出せぬようロックが掛けられており、教員の許可が無ければ外せないようになっていた。


 そもそも、先程実証されたように、幻子装甲とて生身の人間相手には十分な凶器となるし、常時発動していては心身に無用な負荷が掛かるため、こちらも許可が無い時は封じられている。

 常に幻子装甲を展開し、教員の許可なしで幻想兵器を扱えるのは、暗殺を警戒する必要のある英雄と、彼を守る役目を負った一年A組の女子だけであった。

 なのに、指揮所に押しかけて来た十名の三年生は、全員が幻想の武器と鎧を自在に使っていたのだ。


(……一斉停止コードを使え)


 綾子は三年生達に気付かれぬよう、机の陰でハンドサインを送り、背後の女職員に指示を出す。

 女職員はそれを受け、悟られぬよう慎重にキーボードを操作して、停止コードを発動させた。

 姉の件もあって、天道寺英人の変換器だけは受け付けないが、それ以外は一年A組も含めて全エース隊員の変換器を停止させる最後の手段。

 しかし、麗華の手に握られた聖槍は、光となって消える事無く、大馬の動きを制し続けていた。


(何だ、どうして効かんっ!?)


 綾子は内心激しく動揺しながらも、三年生達の姿を凝視してようやく気付いた。

 幻想変換器には充電やメンテナンスのため、外側に小さなプラグの差込口があるのだが、そこにUSBメモリくらいの小さな装置が刺さっていたのだ。


(ジャミング装置か?)


 停止コードの電波を受け付けないよう妨害すれば、幻想変換器を止められる事もない。

 だがそれよりも、もっと確実かつ恐ろしい想像が綾子の頭をよぎる。


(まさか、停止コードを受け付けないよう、プログラムが書き換えられたっ!?)


 幻想変換器は仮にも軍事機密である、そう簡単に解析できるようには作られていない。

 普通の学生には不可能、独特のプログラムで構築されているため、クラッキングに長けた工作員とて困難を極める。

 だが、一人だけそれを容易く行える者が居るではないか。

 幻想変換器を生み出した張本人であり、生存説が急浮上していた准教授・影山明彦が。


(あの男が、生徒達を誑かしたのかっ!?)


 それならば特高やエース隊の真実を知り、こうして押しかけた事にも説明がつく。


(まさか、日本に来ていたとは……)


 京子からシャロの変換器について聞き、英国との関係性と生存の可能は聞かされていた。

 幕僚長や防衛大臣にもこの事を伝え、諜報機関に消息を探って貰えるよう頼んでもいる。

 だが、ピラー打倒を目前とした最も重要な時期のため、本当に生きているかも分からぬ影山のために、注意を向ける余裕は無かったのだ。


 それに、綾子を含め誰もが知っていた。影山は人の心が分からぬ狂科学者ではあっても、CEから日本を救おうとする気持ちだけは本物だと。

 それだけは刹那を失ってからも、何一つ変わっていなかったと。

 だから、『機械仕掛けの英雄』計画を生徒達に教えて、こんな反乱めいた真似を起こさせるなど、露ほども予想できなかったのだ。


(それとも、これすら計画通りだと言うのか……っ!?)


 今日、この場に天道寺英人は居ない。

 仮に怒り狂った生徒達の手で、綾子達が皆殺しにされたとしても、『機械仕掛けの英雄』計画は何一つ乱れず、正午のスピーチで最高潮に高まった力により、長野ピラーは数日の内に破壊されるだろう。

 そして、反乱を起こした三年生達も、自衛隊による飽和攻撃か、それとも英雄の聖剣によってか、立てこもった特高ごと磨り潰される未来しかない。


(どうする……どうすればいい……っ!)


 影山の真意は分からぬが、このままでは不幸な結末にしかならない。

 しかし、真実を知った三年生達は怒りと憎悪に染まり切っており、もはや彼女の言葉に耳を貸しはしないだろう。

 なにせ、『特別』に憧れて懸命に戦い続けてきた子供達を、『英雄』の餌にしてきた張本人の一人なのだから。


「綾子先生」


 仲間に指示を出し、自室で寝ていた職員達を集めさせていた浩正が、彼女をより強く睨みながら指で手招きした。


「来て貰おうか」

「……分かった」


 綾子は大人しく頷いて前に出る。

 このまま彼らの手で、怒りのはけ口として惨たらしく殺されるのだろうか。


(それでも、犯した罪には軽すぎるか……)


 なにせ、哀れな被害者でしかなかった子供達を、復讐者という加害者にしてしまった罪も加わるのだから。

 自分が死んでも日本は救われる、もうどうなっても構わないと、諦観に満ちていたため綾子は気付かない。

 指揮所に集められた職員の中に、学生時代からの親友が居ない事に。

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