第93話 残影
「やはり、また縮んでいる」
指揮所でパソコンと向き合っていた京子は、第12ヘリコプター隊が送ってきてくれた長野ピラーの最新映像を解析して、喜びの声を上げる。
中から刹那CEが現れた五十mを超える中型ピラー、それを生み出すのに力を使ったという事なのだろう。
前回の計測で十m、今回の計測でさらに十五mほど縮み、長野ピラーの全長が七百mを切っていた。
「これなら、倒せる……っ!」
声には自然と興奮が滲む。質量が減少した事による長野ピラーの強度低下、先の戦闘から計測された天道寺英人の振るう聖剣の威力。
これらを比較すると、ピラー破壊の確率は九〇%を越えていた。
「いけますよ、先輩っ!」
京子は笑顔で背後を振り返る。
だが、そこに立っていた綾子は、いつものように「色鐘三佐と呼べ」と訂正せず、曖昧に頷くだけだった。
「あぁ、そうだな」
「先輩……?」
京子が心配してもう一度声をかけると、綾子はハッと顔を上げて苦笑を浮かべた。
「すまん、風見が消えたのが嬉しくて、つい気が抜けていた」
動揺を誤魔化すための冗談だが、あながち嘘でもない。
新町駐屯地の司令官・風見正紀一佐はこの度、はれて司令官の任を解かれて、防衛省の方に呼び出されていたのだ。
刹那CEとの戦闘で壊滅した戦車中隊の代わりに、練馬駐屯地から派遣されてきた第1戦車大隊が新町駐屯地を守る事になったのだが、練馬と新町のどちらが指揮を握るか、有事に混乱を招いては良くないという理由で、風見の代わりに戦車大隊の隊長である二佐が臨時の司令官となったのだ。
もっとも、これは常々特高の邪魔をし、国の不利益になるような真似を繰り返していた、風見を引きずり下ろすための方便にすぎない。
後々判明する事だが、風見を駐屯地司令官にまで押し上げたのは野党の一派であり、そこはとある大国と深い繋がりを持っていた。
端的に言えば、大国の意思で特高の脚を引っ張るため、都合の良い操り人形として送り込まれたのが風見正紀という男だったのだ。
ひょっとすると、開戦当時から群馬を守ってくれた前司令官・宮田大介が退官する切っ掛けとなった、CE教にのめり込んで自殺した息子の件にも、その大国が関わっていたのかもしれない。
ともあれ、まさに売国奴だった風見だが、保護していた操り主の大国が、ピラーを破壊できる『英雄』の出現により方針を転換、特高に協力して聖剣使いを手に入れる方向に移ったため、無用となった風見は敢えなく捨てられた、という事情も今回の件に関わっていた。
「名前通り、風見鶏の如くクルクルと振り回されて、哀れな奴だよ」
吐き捨てる綾子の声に力が無いのは、本気で憐れんでいるからではない。
障害が消え失せ、そしてゴールに手が届いた事で、刹那の死から五年間も張り詰めていた緊張の糸が緩んでしまったのだ。
「……そうですね」
京子はかける言葉が見つからず、曖昧に頷く事しかできなかった。
彼女も同じ虚脱感を感じていたが、それでも今こうして立っていられるのは、槍使いの少年が伝えてくれた遺言のおかげ。
死んでも自分達の事を案じてくれた刹那の優しさに、泣いて泣いて、泣き腫らしてから、もう彼女が悲しまないように、涙を拭って進むと決めたのだ。
この戦争を一刻も終わらせるために、自分なりの全力を尽くすと。
けれど、そんな決意を固めた京子とは反対に、綾子は決意が揺らいでしまっている。
「すみません、ちょっと席を外します」
設定しておいたスマホのアラームが鳴り、京子は用事を思い出して、綾子の様子を心配しながらも指揮所を出る。
向かった地下一階の研究室には、既に約束の相手である槍使いの少年が待っていた。
「ごめんなさい、待たせてしまったかしら」
「いえ、さっき来たばかりです」
まるでデートの待ち合わせのような台詞に、京子はつい恥ずかしくなりつつ、用意していたアタッシュケースを手渡す。
中に入っていたのはベルト型幻想変換器、刹那CEとの戦いで破損したため、修理を依頼していたのだ。
「ごめんなさいね、時間が足りなくて左の変換器はまだ直せていないの」
京子は再び謝りながら該当箇所を指さす。
左右の重量バランスが崩れないよう、代わりに即席の重りが付けられているが、右側の変換器が一つしかないため、『二重化』で短槍を呼び出す事はできない。
「いえ、蜻蛉切を使えれば十分です」
宗次は気にした様子もなくベルト型を腰に巻くが、京子は申し訳なさそうに理由を説明した。
「これ一点物だから、予備パーツがないのよ」
エース隊員全員にいき渡るよう、量産化を前提とした腕輪型と違い、刹那専用として作られたベルト型は、ほぼ全て京子のハンドメイド製であった。
ケースやスイッチは高性能3Dプリンターによる削り出しだが、それに使う3DCGのモデル作成から、内部に使う電子回路のはんだ付けまで全て一人でやらされて、准教授を呪ったのも今や懐かしい。
「設計図に不要な機能が組み込まれていたせいで、配線やプログラムが無駄に複雑で面倒だし……」
「不要な機能ですか?」
当時を思い出してブツブツと文句を垂れていた京子は、宗次の問いに苦笑して答える。
「確か『二重連結機構』だったかしら、変換器の性能を上げる一環として研究していたのよ」
本来は一つで十分なコアの欠片を、二つ用意して共鳴させる。
そして、二つの欠片から二つの幻想兵器を生むのではなく、全く同じ幻想兵器を重ねるように生み出すと、その威力を二倍以上に引き上げる事が可能となる。
とあるロボットアニメから着想を得たという、実に不安しか浮かばないそのシステムは、刹那に試して貰うまでもなく廃案になっていた。
「計算の時点で使い手への負担が大きくなりすぎて、体や精神に悪影響が出ると判断されたの」
「なるほど」
「あっ、心配しなくても、そのベルト型では使えないようにしてあるから――」
言っている途中で、京子の顔が真っ青に血の気を失っていく。
「どうしました?」
「いや、まさか……でも、そうなら辻褄が……」
心配する宗次の声も聞こえない様子で、口元を手で覆って考え込む。
そうして一分も経ってから、京子は重々しく訊ねた。
「空知君、影山先生が生きているって言ったわよね」
「はい」
宗次は迷わず頷き返す。コアに触れて刹那の意識と繋がった時、遺言ほど明確なイメージではなかったが、確かにそう感じたのだ。
「それで、貴方のクラスに転入してきたクロムウェルさんが居るでしょ」
「シャロが何か?」
話が飛んで訝しむ宗次に、京子は躊躇いながらも告げる。
「彼女、幻子干渉能力はさして高くないの、B組の生徒と同じくらいよ。でも、幻想兵器の威力はA組以上で……」
そこまで言われれば、宗次も分かった。
「まさか、シャロの幻想変換器を作ったのが?」
「影山先生かも……」
それならば納得がいく。元は世界を征した大国とはいえ、今では米露中に後れをとっていたイギリスが、三ヵ国はおろか日本を超える幻想変換器を開発していた事に。
「けれど、どうしてイギリスに?」
本心は最後まで不明であったが、日本のために幻想変換器を作り、エース隊の設立などにも尽力した影山が、どうして英国に肩入れをするのか。それに何よりも――
「どうやって生き延びたの?」
影山が死んだと判断されたのは、彼の自動車が長野ピラーの手前に乗り捨てられ、その傍に彼と思われる遺体が転がっていたのが、監視衛星の写真で確認されたからだ。
CE戦争が開始される以前から、高度なAIと精密なカーナビゲーション技術により、自動運転の車が普及していたため、無数のCEが蠢くピラーの根元とて、向かうだけなら不可能ではない。
監視衛星の写真もそこまで精密ではなく、俯けに倒れていた事もあって、背格好の似た偽物で騙すのも不可能ではない。
だが、遺体を車の外に出すのはどうするのか。
車の傍といっても五mは離れており、転げ落ちた程度で離れる距離ではない。
また、何らかの機械を使ったとしても、遺体を綺麗に仰向けに倒すのは難しいだろう。
人の手で遺体を動かさねば難しい状況。しかし、ピラーの根元まで行けばCEに攻撃されて自らも死ぬ。
よってトリックによる偽装工作は不可能と判断したから、誰もが影山明彦の死を信じて疑わなかった。
そして、死んだと思い込んでいたから、シャロの幻想変換器を見ても影山と結びつかなかったのだ。
「でも、先生なら何かとんでもないトリックを……野晒しで白骨化しているでしょうけど、遺体を回収して遺伝子検査をすれば……」
「京子先生」
「あっ、ごめんなさい、何かしら?」
また思考に没頭していた京子は、宗次の声で慌てて顔を上げた。
「シャロは、大丈夫なのですか?」
宗次にとっては、影山の偽装トリックなどよりも、クラスメートの身が大事であった。
先程告げた『二重連結機構』が、本当に英国製の幻想変換器に組み込まれているならば、シャロは強大な力を得た反動で、心身に負担を負っているのだから。
「見る限り、副作用が出ている様子はないけれど……」
あの影山ならば、自らの技術を不完全なまま披露するような真似はしない。
改良を加えてある程度の安全性を確保しているだろう。
だが、あの影山だからこそ、使用者の体など無視した、破滅の道具を与えそうだと疑ってしまう。
刹那が生きていた六年前ならともかく、彼女と共に最後の人間性すら失くした、二年前の准教授を思えば。
「この事、シャロには?」
「ごめんなさい、暫く秘密にして」
特高や幻想兵器の全てに関わり、『機械仕掛けの英雄』計画の生みの親が、死んでおらずイギリスに手を貸していた。
あまりにも重大すぎる案件のため、綾子や幕僚長、場合によっては防衛大臣まで話を通す必要があるだろう。
そして、本当に影山が生きているのだとしたら、彼の生存にこちらが気付いた事を、迂闊に知られれば厄介な事が起きるに違いない。
「クロムウェルさんは幻想変換器を多用しなければ問題ないはずよ。訓練の授業時間を減らすとか、こちらで対処しておくわ。だから、君は悟られぬように普段通りにしていて」
「分かりました」
宗次は素直に頷き返す。クラスの友人に隠し事をするのは気が咎めるが、真実を知ればあの純粋な少女が傷つくからだ。
まさか、あの純粋無垢な笑顔が、どこかの性格が悪い少女のような演技という事もあるまい。
彼女は自分が実験台のように、危険な幻想変換器を手渡されていた事を知らないのだろう。
ならば、影山の正体を含めて、最後まで知らない方がいい。
ただ、彼らの配慮も対応も、少しばかり遅すぎたのであった。
指揮所で椅子に深く腰かけていた綾子の元に、一本の電話が届く。
相手は陸上幕僚長・岩塚哲也陸将であった。
『単刀直入に聞こう、既にピラーを破壊できそうなのかね?』
「可能性は九割だそうです」
『そうか、低いな』
京子の分析結果を伝えると、岩塚は喜びもせず淡々とそう呟いた。
日本の全国民一億人以上の運命が掛かっており、しかもやり直しが効かない一度きりの賭けだ。
一〇〇%ですら足りない、二〇〇%を超える完全必勝が望まれる。
『しかし、いつまでも伸ばすわけにはいくまい』
既に五年も足踏みさせられてきたのだ、事情を知る彼ら自衛官や政治家達なら、もう一年くらい伸びようとも耐えてみせる。
だが、何も知らない国民はそうもいかない。
今は天道寺英人という希望の光を褒め称えているが、あと二ヶ月もすれば「どうしてピラーを破壊しないっ!」と不満の声を吐き出すだろう。
現在もネットの各所では、そんな不平不満が僅かながらも湧いており、露骨な工作がバレない範囲で、情報操作の担当者が火消しを行っていた。
「遅くとも四週間後にはピラー破壊作戦を実行します。ですが、出来るならもう少し……」
確実性を上げるために、『英雄』の認知度を稼いで力を底上げしたい。
そんな綾子の答えを予想していたように、岩塚は提案を口にする。
『時計の針を早めるためにも、一つ相談があるのだが』
「何でしょうか」
『天道寺英人を国会議事堂前に招き、全国生放送でスピーチさせようという案が上がっている』
「――っ!?」
綾子は驚きのあまり絶句してから、深いため息を吐いた。
「総理の人気稼ぎが目的ですか?」
『否定はせんよ。だが、効果的ではあるのだろう?』
「…………」
綾子は沈黙をもって肯定する。
雑誌やテレビでもその存在を広められながら、実際に姿を見た者はほとんど居ない神秘的な英雄。
それが生放送で全国民の前に姿を晒し、CEを倒して日本を救うと宣言する。
人々は狂喜乱舞して英雄を称え、その信仰とも言える思い込みがさらなる幻想の力となり、ピラー破壊を確実と化す。
これ以上ない最高の計画であろう、英雄の本性を知らなければ。
『ここで失敗すれば挽回の余地はない。だから防衛大臣が待ったをかけてくれたのだが、どうする?』
「……やりましょう」
僅かな思考の末に、綾子は頷いた。
『大丈夫なのかね?』
岩塚は天道寺英人を直接は知らないが、時折綾子の口から洩れる愚痴から、あまり褒められた性格でない事は察していた。
心配する幕僚長に、綾子は自分も納得させるように説明する。
「長々と話させなければメッキは剥がれないでしょう。それに、今のあれは『英雄』ですから」
人々の期待を一身に受けた、『英雄』という名の願望機。
だから、人々の望むままに、耳障りの良い言葉を口にするであろう。
それが、自分の意思だと信じ込んだままで。
『分かった、では大臣にそう伝えておこう』
岩塚はそう言って電話を切り、綾子は受話器を置いてまた深い溜息を吐く。
「最低だな、私は……」
――弟を、英人を安全な所に連れていって下さい。
そんな刹那の願いを踏みにじり、あの少年をまるで便利な兵器として扱っている。
分かっていた、これがただの八つ当たりだと。
あの弟がいなければ刹那はCEと戦う事もなく、人の手で無残に殺される事もなく、今も幸せに暮らしていたのだと。
それでも、天道寺英人が姉と同じように優しく気高い人格者であれば、こうもぞんざいに扱う事もなかったであろう。
しかし、現実はお調子者で思い込みの激しい馬鹿でしかなかった。
幻想兵器の力を最も引き出せるようにと、計画の首謀者である准教授が、養父母達に細かい指示を下してそう育てさせた結果なのだから、彼に非はなくむしろ被害者なのだが。
それでも、あの輝かしすぎた少女との落差で、少年の光が安っぽい偽物にしか見えず、好意を抱く事ができなかったのだ。
「ふっ、私は母親にはなれんな……」
力なく自嘲しながら、綾子は己の手をじっと見詰めた。
守ると誓った少女を取りこぼし、多数を救うためと非道に目を瞑り、青臭い若さと良心を捨て去って、ようやくここまで辿り着いた。
しかし、日本の平和と引き換えに、いったい何が彼女の掌に残ったのだろうか。
「もう直ぐだ、もう直ぐ……」
全てが終わる。この長かった戦いも、彼女がここに居る意味も。
綾子は掌を握りしめ、迫る終幕の足音に耳を澄ませるのだった。




