第92話 零落
先山麗華は『普通の人』であった。
上に二人の兄がいて、彼らと仲が良かったので『ボク』という一人称が板につき、成長期でで急激に背が伸びて、元から男性的な顔立ちと立ち振る舞いだったのが合わさり、中学では大勢の女子から告白を受けていたのが、普通の女子かと言われると疑問が残るが。
しかし、『普通の人』に分類される人生ではあったのだ。
父親は地方公務員のため、CE戦争の影響で失業する事もなく、母親は専業主婦でおおらかな善い人であった。
学校での生活も上手くいっており、概ね幸福だったその人生を『普通』と評するのは、様々な不幸を抱えた者達から見れば、贅沢で憎らしく感じたかもしれない。
だがそれでも、麗華は特殊な才能も運命も持たない、あくまで『普通の人』であり、人間ならば誰もが一度は抱く『特別』への憧れを持っていた。
そんな彼女であったから、エース隊員として勧誘された時、一秒の迷いもなく参加を決意した。
学生の間で噂になっていた、天道寺刹那の動画は彼女も当然見ており、後に親友となる神近愛璃ほどハマってはいなかったが、輝く大剣を手に戦う凛々しい少女の姿に、普通に羨望を抱いていたからだ。
そして、彼女をエース隊員として勧誘にきた役人の言葉が、何より心地よかったからである。
「娘さんは五千人に一人という稀有な才能の持ち主です。この才能を腐らせるなんて日本の損失です、是非とも人々を救うために使って頂きたいのです」
幻想兵器とそれを使うエース隊の構想が、ようやくテレビや新聞で公表され、様々な物議をかもしていた頃である。
当然ながら娘の身を案じて厳しい顔をする両親を、役人は必死に説得し続けた。
「こちらの動画をご覧ください。CG合成と思われるかもしれませんが、これは本当の事なのです」
彼女も良く知る天道寺刹那の動画を見せ始めた時は、「凄いでしょ?」と我が事のように誇らしくなったのを覚えている。
「才能ある娘さんなら、彼女と同じように幻想兵器を生み出して、CEと戦う事ができるのです。今もCEの侵攻に怯えている大勢の人々を救えるのです」
麗華の故郷・神奈川県はCEの直接被害こそ受けなかったものの、被害を受けた山梨県からの避難民が押し寄せていた。
市役所に務める麗華の父親は、受け入れ先の手配や、住民との間に起きたトラブル等、様々な事で避難民と関わっており、間接的にだがCEの恐ろしさを知っていたため、そう頼まれては断り切れない。
心配する母親や兄達を説得し、本人が望むならと選択権を任せてくれた。
当然、麗華の答えは決まっていた。
「はい、ボクはエース隊員になりますっ!」
選ばれた戦士として、伝説の武器を手に掲げ、結晶の怪物を打ち倒し、この世界を救う『英雄』となる。
もちろん、それが幼さの見せた儚い幻想だった事は、学友の死という残酷な現実によって直ぐに思い知らされたが。
それでも、麗華は自分がエース隊として戦える事を誇りに思っていた。
人々を守る立派な仕事だと、この世で唯一無二の存在ではなくとも、数少ない『勇士』なのだと。
だから、たった一人の『英雄』を輝かせるために集められた、有象無象の踏み台に過ぎないなんて、二年前の彼女は夢にも思わなかったのだ。
「I have never used a computer、これを日本語にすると――」
三年A組の担任・日森健也が粛々と進める英語の授業を、窓際の席に座った麗華はあまり良く聞いていなかった。
校庭で訓練を行っている槍使いの少年に見惚れていた、というのも一因ではあるが、教室全体に漂う無気力な空気が一番の原因である。
(皆、暗い顔をしているね)
刹那CEとの戦闘で、A組からも十名の重傷者が出ている。
二年も共に戦い続けた仲間が、ここに来て一気に減ったのだ。
なかには恋人が入院してしまった者も居る、落ち込むなという方が無理であろう。
ただ、最初期に三名もの戦死を経験してきた三年生だ。死ななくて良かったと安渡している気持ちの方が強く、これだけで無気力になった訳ではない。
(やはり、気付いてしまったのかな……)
自分達三年A組が、エース隊の中でもさらに選りすぐりのエースが、一方的に蹴散らされた刹那CEを、いったい誰が倒したのか。
第1戦車大隊が倒したという担任からの話を、麗華は聞いたその日の内に嘘だと気付いていた。
何故なら、食堂で見かけた彼女の思い人である槍使いが、とても悲しそうな影を背負っていたからだ。
それだけで分かった、彼が刹那CEを倒したのだと、あれはただの結晶体ではなかったのだろうと。
(話してくれなかったのは、ちょっと寂しかったな……)
何か深い理由があるのだろうけれど、自分にだけは打ち明けてくれれば良かったのにと、その日は拗ねたものである。
麗華ほど確信はしておらずとも、A組の仲間達は宗次が倒したのではないかと疑っているだろう。
戦闘訓練を共に行う機会が多かった分、彼の突出した技量はよく知っている。
一度は敗れたとはいえ、刹那CEにもひょっとしたら……と期待を抱かせるモノが彼にはあったからだ。
事実、宗次は刹那CEを倒した。その事自体は喜ばしい。
だが同時に、皆の心に一つの闇が生まれていた。
(ボク達は不要なのかな……)
選ばれたエース隊の中でも最強の部隊、三年A組はその名に相応しい活躍をしてきたし、今もその実力が色あせたわけではない。
ただ、特別な彼らよりも、さらに強く特別な者が居た、それだけの事。
もっとも、宗次だけなら別に問題はなかったのだ。
特高には入学したばかりと言っても、彼は十年以上も槍を学んできた生粋の武術家である。
麗華達は二年も実戦と訓練を乗り越えてきたとはいえ、幻想兵器はそれぞれ種類が違ったり、軍事機密に関わるため、専門家を呼んで稽古をつけて貰った事が無く、度胸や体力はともかく技量は決して高くない。
優秀な師の元で、他にやる事もない田舎で、ただ一心不乱に槍を振るってきた彼の方が強いのは当然である。
才能以上に積み上げてきた努力の量が違うのだ。負けて悔しい気持ちはあるが、当然かと笑って諦めもつく。
(そう、問題は……)
麗華は視線を校庭の中央から端に移す。
綺麗に芝生が植えられた一角で、呑気にフットサルを楽しむ集団。
その中央で輝く笑顔を浮かべる、姉によく似た美形の少年。
刹那CEを倒し損ねたとはいえ、決して負けたわけではなく、聖剣の余波だけで後方のCE集団を壊滅させた英雄。
努力もせずに美少女達と戯れ、英雄の弟という運命に選ばれ、ただ才能だけで最強の力を手に入れた、今やテレビや雑誌で報道されない日はない、大人気の救世主。
(英雄か……)
誰もが憧れる存在、この世でただ一人の選ばれた人間。
それが天道寺英人だった。CE戦争というこの歴史の主役は彼であり、自分達ではなかった。
三年A組の誰もがそれに気付いてしまった、気付かされてしまった。
自分達が集団で戦ってようやく倒してきた数百のCEを、聖剣の一振りで倒すのを見せられた時か。
それとも、自分達がどんなに頑張っても映る事のなかった、テレビや雑誌で賞賛されているのを見た時か。
もっと前、入学式の日に天を貫くほど伸びた光の柱を、学生寮の窓から見た時か。
(ボク達は『英雄』になれない……)
麗華は分かっていた、クラスの皆だって心の底では理解していた。
けれど、頭で分かるからといって、心が納得できるとは限らない。
兵士としての冷静な現状認識と、青少年としての感傷がせめぎ合い、この無気力感を生んでいる。
そしてもう一つ、彼女らの心を騒めかせるのは、見えない未来への不安。
(ピラーは英雄が破壊するのだろうね……)
それは誰もが確信している。確信したからこそ力となり、力が確信を現実へと変える。
遠くない日に、遅くとも一ヶ月以内に天道寺英人は長野ピラーを破壊し、六年も続いたこの戦争を終わらせる。
永遠に続くような気さえしていた、敗北へと続く消耗戦が、まさかの大勝利で幕を閉じるのだ。
もう誰もCEに殺されない、戦わなくて済む。喜ばしい事だ、けれど――
(ボク達は、どうなるのだろう?)
担任の日森はまだ何も言ってこないが、おそらくエース隊は解散となり、特高は閉校するのだろう。
エース隊はそもそも『Anti Crystal Enemy』――CEと戦うために創設された部隊なのだから、敵であるCEが消えればその意義を失う。
ひょっとすると、再びピラーが出現した時への備えや、まだCE被害に苦しむ外国への派遣部隊として、残される可能性もある。
ただ、日本が救われたのだから、子供達をもう解放してやるべきだと、善人ぶった論調から解散となる可能性が高いだろうと麗華は踏んでいる。
なにより、大勢の人々はこう思っているはずなのだから。
――天道寺英人が居れば、エース隊なんて不要だろ、と。
最強で無敵の英雄が居れば、弱く無力な雑兵などいらない。
だからエース隊は解散する、彼女達の『特別』だった二年間は終わりを告げる。
その後に残るのは、戦闘経験という平和な世界では何の役にも立たないモノを持った、学力に劣る高校三年生だけ。
まともな大学に進学できず浪人するか、就職するにしても、CEが消えても不況は暫く続くであろう日本で、良い働き先など容易には見つからない。
今までの『特別』から、『普通以下』に落ちて惨めに過ごす日々。
実際にはエース隊として勤めた二年間で、多額の給料を貰ってきたため、三年くらいなら浪人や無職を続けても問題はないであろう。
自衛隊ならば戦後の機密保持目的もあって、喜んで引き受けてくれるから、就職先が皆無と焦る事もない。
ただ、輝かしい『特別』から落ちて暗く濁った眼では、明るい未来が見えてこないのだ。
(ボクは、どうなるのかな?)
チラリと再び校庭を窺い、刀を手にした元気な子猫ちゃんと試合をしている、愛しい槍使いを見詰める。
(彼が浚ってくれるなら、何も悩まずに済むのだけれどね)
それは進学や就職よりも、ずっと高い壁かもしれない。
けれど、麗華は諦めず挑むつもりだったのだ。
少なくとも、その日の夜までは。
午後十時、健全な高校三年生ならむしろ活発になる時間だが、明日の訓練や出撃に備えるエース隊員は、そろそろ眠りにつく時刻。
布団を敷き始めた麗華の耳に、スマホから奇妙な音が聞こえてきた。
「何だい?」
電話やメールの着信音とは全く違うが、誰もが聞いた事のある曲。
ベートーヴェン・交響曲第5番 『運命』
不審に思いながらスマホに触れると、一つの問いが表示されていた。
――現状に不満がありますか?
怪しい質問の下には、『はい』と『いいえ』の選択肢が示されている。
「これは……」
普通に考えれば悪質なウィルスに感染したのだろう。
今直ぐ電源を落として、機械に詳しい京子辺りに相談するべきである。
実際、この質問を受けた半数は、賢明な判断で触れずに放置した。
すると、五分程度で元の状態に戻り、ウィルスソフトで調べても異常が無かったため、不審に思いつつも直ぐに忘れる事となる。
心配性な一人の女子が翌日、担任に見せて調べて貰ったが、やはりスマホには何の異常も見つからず、悪戯の類いだと判断された。
また、眠って見逃した者達や、『いいえ』を選んだ者達のスマホからも、ウィルスらしき物は痕跡を残さず消えていた。
だから、事の重大さ知るのは『はい』を選択した者のみ。
「…………」
麗華は少し考え込んでから、『はい』を押す。
不満があったのは事実だが、それ以上にこれが何なのか追及しなければ拙いと、二年間でそれなりに鍛えられた勘が、警告を発していたからだ。
身構える彼女の前で、画面には新たな質問が現れる。
――未来に不安がありますか?
『はい』
――過去に悔いがありますか?
『はい』
――友達が大切ですか?
『はい』
――真実を知りたいですか?
「――っ!?」
いきなり雰囲気の変わった質問に、麗華は驚きつつも『はい』を押す。
だが、次の質問で真の驚愕と恐怖を味わった。
――天道寺英人が憎いですか?
「な、何でその事を聞くんだいっ!?」
思わず声に出して叫んでしまう。
まるでこちらの心を読んだように、奥深くの暗い所を抉ってくる問い。
質問者の正体を暴くためには『はい』を押さなければならない。
だが押した瞬間、彼女はその感情を認める事になる。
そんな醜い事を考えてはいけないと抑えていた、自分にはもっと大切な恋心があるからと目を背けてきた、泥のように暗く濁った感情を。
――どうしてボクじゃなく、あんな奴が『英雄』なんだろう。
それはきっと、問われなければ誰にも見せず、閉まっておけた幼い嫉妬。
時が経てばいずれ忘れ、あの頃は青かったと笑い飛ばせる小さな話。
けれど、一度でもその憎しみに身を委ねてしまえば――
「……っ!」
麗華は喉がカラカラに乾いていくのを感じながら、震える手でそっと画面に触れた。
翌日は土曜日で授業は休み、そのため生徒の多くが外出許可を得て出かけて行った。
麗華もその一人であり、バスで駅前まで向かうと、少し離れた所にある喫茶店に入って行く。
そこは小さな店だったが、二階に貸し切れる個室があり、学生や主婦の仲良しグループが利用する隠れた人気店。
全ての質問に『はい』と答えた者に送られてきた、地図の示していた場所。
麗華は今日、特高の制服を着て来ており、それを見ただけで店主は了解して二階に案内してくれる。
通りを見渡せる開放的なその個室には、彼女のよく知る顔が既に何人も揃っていた。
そして、あんな質問を寄こした張本人が、席の中央で笑っている。
「はじめまして、先山麗華君。好きな物を頼んで構わないから、全員が揃うまでもう少し待ってくれるかな」
彫りが深い顔をしたその男は、人の名前になど全く興味はないが、見ず知らずの人物に名前を呼ばれると、驚いて心に隙が出来るであろうという、そんな計算のためだけに覚えたといった、実に白々しい声でそう告げた。
その後、さらに二人が現れて、全員が揃った所で男はようやく語り出す。
「では、約束通り真実を教えようか」
男――影山明彦は宣言どおり嘘など吐かず、彼女達に全てを語った。
天道寺英人という唯一無二の『英雄』を生み出した、『機械仕掛けの英雄』計画の全てを。
そのために、彼女達が踏み台とされた事も包み隠さず。
ただし、立案者が自分だという事は口にしなかったが。
驚愕、戸惑い、怒り、憎しみ、様々な感情を吹き出す子供達に、影山は問いかける。
「真実を知って、君達はどうしたい?」
人の黒い欲望を煽り、破滅へと突き進ませる、まさに悪魔の笑みを浮かべて。




