【英雄という名の偶像・162ページより】
『聖剣使いの英雄伝説』を筆頭とした天道寺英人サーガと現実で、一番乖離している点は何と言っても『刹那CE』と呼ばれる、天道寺刹那の姿をしたCEの存在であろう。
読者諸氏の中には、本書にて初めてその名を聞いた、という方も居られるかもしれない。
それくらい、天道寺英人サーガでは刹那CEが話に出てこないのである。
まず最初に断言しておくが、刹那CEは確かに実在した。
残念ながら証拠写真の類は全く残っていないが、元エース隊員達というこれ以上ない目撃者の証言があるため、疑う余地はない。
黒髪が透き通った青髪となり、瞳がコアと同じ赤色に、そして四肢に結晶の鎧を身に着けていた点を除いて、全て天道寺英人の姉・天道寺刹那と瓜二つであったという。
その力は凄まじく、エース隊が大打撃を受け、天道寺英人も敵わず敗走、自衛隊・第1戦車大隊の手によってようやく撃破されたと伝えられている。
CEが天道寺英人の姉であり、『剣の聖女』として人々の希望でもあった天道寺刹那の姿を利用した事には、強い怒りを覚えるものの、同時に物語のネタとしては実に優秀だと思われる。
考えてみて欲しい、天道寺英人が姉の姿をした刹那CEと対峙し、その姿に怒り、また悲しみを覚えて戦ったとしたら、それは物語としては実に胸が熱くなる展開ではないだろうか。
念を押しておくが、そのような事は現実では起きなかった。
ただ、前述したように、天道寺英人サーガはフィクションだらけなのだ。
今更リアリティを追及するよりも、フィクションとしての完成度を追求して、刹那CEとの戦いを入れるべきであろう。
なのに、ほとんどの天道寺英人サーガで、刹那CEが登場しないのだ。
(著者が調べた34作品の内、近年に書かれた小説『CE戦記・AYATO』にのみ登場)
何故、刹那CEが数々の作品で描かれないのか。
それは『天道寺英人の神聖さを汚すから』に違いない。
例えCEであろうとも、実の姉の姿をしたモノを、人間の形をしたモノを倒せば、それは天道寺英人に姉殺し、人殺しの烙印を刻む事になるからである。
(サーガに登場する人間型CEが現実とはまるで違い、巨人やモンスターのように醜く描かれるのも、これが理由であろう)
天道寺英人はとにかく善人で穢れなく、誰からも好かれ、どんな困難にも負けない救世主である――というのが、一連のサーガが訴えようとしている事だからだ。
現実の天道寺英人がどんな人物だったのか、それはここでは言及しない。
結局、誰がどんな人物かなど、見る者の価値観によって変わってしまうからだ。
話は逸れたが、刹那CEがサーガに登場しないのは、天道寺英人の神聖さを守るためである。
では、リアリティやフィクションとしての面白さを捨ててまで、どうしてそこまで神聖さを守る必要があるのか。
それこそが本書で一番伝えたかった事、つまり『数々のサーガは天道寺英人を英雄という名の偶像として祭り上げるために書かれた、プロパガンダ作品にすぎない』という事なのである。