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第90話 「ありがとう」を聞けなくて

 午前四時、まだ暗い青色に染まった空の下を、刹那CEは大剣を手にゆっくりと歩いていた。

 あと五㎞も進めば特高のある高崎市に入り、大勢の人々が暮らす前橋市が見えてくる。

 だが、その行く手を阻むように、六つの巨大なタイヤを持つ車が停まっていた。

 82式指揮通信車、かつて一人の少女を戦場に運んでいた車。

 その前で刹那CEを待っていたは、五年前と同じ二人の女。

 そして、五年前にはまだ幼い子供だった一人の槍使い。


『色鐘三佐』


 刹那の姿をした敵をこの目で見て、苦しそうに顔を歪めていた綾子の耳に、通信機から陸上幕僚長・岩塚哲也の低い声が届く。


『戦車隊はあと十分で布陣を完了するそうだ。無理をする必要はないのだぞ?』


 現在地の安中市を過ぎ、高崎市に出る直前の狭い道で、練馬駐屯地から駆けつけた第1戦車大隊と、先の戦闘から生き延びて弾薬の補給を終えた自走砲の中隊が、一斉攻撃を加える手筈となっている。

 それでも無傷で勝てるとは思えぬ化物であるため、勝算があると告げる槍使いに挑ませるという話は分かる。

 だからといって、戦う術を持たぬ彼女達が、戦場に身を晒す必要はない。

 純粋に心配から撤退を呼びかける岩塚に、綾子は感謝しながらも拒否を示す。


「申し訳ありませんが、ここを去る事は出来ません」

『色鐘君……』

「年甲斐もないワガママです、どうかお許し下さい」


 綾子はそう言って通信を切る。

 岩塚に告げた通り、これは個人的な感情から出た、非効率的で無意味な行動にすぎない。

 それでも見届けたいのだ。目に焼き付けねばならないのだ。

 かつて救えなかった少女を、彼女の姿をしたCEを、今度は自らの口で殺せと命じた、その罪深さを忘れぬために。

 それとも、本当は彼女自身の手で、この身を切り裂き断罪されたかったのかもしれない。


「先輩……」


 酷く思い詰めた顔を見て、心配して手を握ってくる京子に、綾子は安心しろと頷いた。


「見届けよう、私達に出来るのはそれだけだ」

「はい」


 京子も頷き返し、毅然と前を向く。

 ゆっくりと木の槍を振り、体を温めていた宗次は、彼女達の話が終わるのを待っていたように歩き出した。


「武装化」


 左右に一つずつ、計二個もコアの欠片を宿したベルト型幻想変換器から、光が迸り長い槍と化す。

 蜻蛉切を手に向かってくる彼に、青い透明の髪をなびかせる大剣使いのCEもまた、一歩、また一歩と静かに距離を詰めてきた。

 薄暗い空の下、胸で輝くコアと同じ、鮮やかな赤色の瞳と正面から向き合う。


 見惚れるほど整ってはいるが、人形のように無機質なその顔は、京子から話を聞いた少女と同じでありながら重ならない。

 むしろ、人々が作り上げた『剣の聖女』という幻想が、形を得たかのようである。

 だが、目の前に居る敵は幻想ではなく、確かな現実。 

 一陣の風が通り過ぎ、透明な髪が強くなびいた瞬間、宗次は大地を蹴って走り出す。

 ほぼ同じタイミングで、刹那CEも放たれた矢のように駆け出した。


(守りに入れば負ける)


 過去の戦闘記録を見て、多少は動きを覚えたとはいえ、天賦の才から繰り出される変幻自在の攻撃を、全て避け切れる自信はない。

 だが、天才であるが故に武術を知らぬ者は、攻めに反して守りは浅い。

 相手の手を読み、繰り出される攻撃を事前に予知して備えてこそ、鉄壁の守りは達成される。


 それは何万回という試合稽古の果てに蓄積された、『勘』という膨大な情報があってこそ可能な未来予知。

 いくら天才といえど――いや、対等な好敵手や己を超える師を持たない、強すぎた天才だからこそ、守りに入れば脆い。

 だから、宗次が勝つに攻めるしかない。


(攻めて、攻めて、攻め貫くっ!)


 奥義・無ノ一を含めていくつかの技は既に通用しないが、その程度で尻尾を巻くほど空壱流の底は浅くない。

 突っ込んでくる刹那CEに向けて、宗次は蜻蛉切を浅く、だが素早く連続で繰り出した。


 空壱流槍術・春時雨


 急に止んだり晴れたりする時雨のごとく、不規則なリズムで突きを繰り出す。

 刹那CEは初めて見る動きにコンマ一秒ほど戸惑ったのか、足を止め大剣を盾にして防ぎ切る。

 そのまま突きを繰り返せば、数秒と経たず見切られてしまうだろう。

 だから、宗次は槍を天高く掲げ、真上から振り下ろした。


 空壱流槍術・全方撃


 払い、突きへと繋がる上段からの殴りつけ。

 既に見ている技のため、刹那CEは素早く反応し、前回と同じく大剣で受け流そうとする。

 しかし、そこまで計算の内。

 宗次は打ち下ろしの途中、密かに力を溜めていた左手で、槍の柄を横から思い切り殴りつける。


 空壱流槍術・寝水打


 本来は顔面への突きを避けたと思わせて、耳を殴打して怯ませる技。

 大剣で受け流そうとしていた最中のため、耳を打つには至らないが、不意の衝撃に刹那CEは僅かによろけた。

 その隙を逃さず、宗次は避けづらい太ももに向けて突きを放った。

 だが、相手は怪物にして天才。

 武術家の蓄積すら上回る天性の勘で、素早く上に跳躍して突きを避けると、そのまま硬い結晶の踵で蜻蛉切の穂先を踏みつけてきた。


「――っ!」


 無理に払おうと抗えば動きが止まり、その隙に大剣の一撃を受ける。

 だから、宗次は素早く蜻蛉切から手を放した。

 昨日までの彼ならば、ここで武器を失い一気に畳み込まれていたであろう。

 しかし、今の彼にはもう一本の槍がある。

 本来であれば彼女が使うはずであった、腰に巻いた幻想変換器の力が。


二重化(ダブル)


 宗次の声に応え、新たな槍が姿を現す。

 それは柄頭から穂先まで含めても、彼の肩まで届かない短い槍。

 名は無い、強いて言えば『無銘』の短槍。

 歴史上の英傑に振るわれなかったため、名を遺す事はなかったものの、確かに存在した『短槍』という概念の結晶。

 長い蜻蛉切では戦い辛い、近距離でも使える槍が欲しいと、宗次が常々望んでいた得物。


 フィオナ騎士団の一人、ディルムッドの持つ魔槍ゲイ・ボウが、長さ的にも能力的にも最適であったのだが、生憎と西洋槍とは相性が悪かったようで、呼び出せなかったための苦肉の策。

 無銘ゆえに何の特殊な能力も持たず、切れ味も蜻蛉切に遥かに及ばず、元より無理をしているため形を保てるのはおそらく三分程度。

 だが、こと接近戦に限れば、長槍よりも大剣よりも強い。


「はっ!」


 宗次は気合の声と共に懐へ踏み込み、短槍をさらに短く握って、まるで短剣のように突きを放つ。

 巨大で威力が高い分、取り回しの悪い大剣では、ほぼ密着状態からの連撃を捌き切れない。

 短槍が結晶の肩鎧を削り取り、半透明の青い前髪を一房切り裂く。

 だが、このまま容易く倒させてくれる相手なら、怪物とも天才とも呼ばれはしない。


「――――」


 刹那CEはコアめがけて放たれた短槍に対して、自ら左手を突き出して掌を貫かせる。

 そして穂先を握ると、槍を止められた宗次に向けて、残る右手で大剣を振りかぶった。

 極小ピラーを呼び出せば四肢など容易く再生できる、CE体だからこその荒業。


 しかし、対する宗次の動きも早かった。

 彼にはまだ第三の、そして最後の武器が残っている。

 彼女が最初に生み出し、それと知らず宗次も行き着いた先。

 大勢の人々が抱く幻想などという不確かなモノではない、己一人の生きたいという強い思いの結晶。


 我流・集中幻子拳


「おおおぉぉぉ―――っ!」


 宗次は雄叫びを上げ、幻子装甲を一点に集めた捨て身の一撃を放つ。


「――――」


 対する刹那CEも、無言で結晶の大剣を薙ぎ払う。


 それは一秒にも満たぬ一瞬の交差。

 もしも、止まった時の中で観測する事ができたなら、勝敗を明確に理解できたであろう。

 宗次の拳よりも、刹那CEの大剣が僅かに早かった。

 戦車すら切り裂く結晶の刃が、彼の腰に向かって薙ぎ払われ、ベルト型幻想変換器の左側に食い込み、コアの欠片を一つ砕き、服を切り裂き肌に触れ、そして止まった。

 幻子装甲を拳に集中している今、守りを失った宗次の体は容易く両断できるのに。


 だが、だからこそ、彼女は――刹那は大剣を止めたのだ。

 宗次はそれを知っていた、信じていた。

 武術という体系化された動きを集めたため、高度なプログラムのようなモノでしかなかった、あの人間型CEとは違う。

 プログラムでは決して実現できない、天才の才能を再現しようと思うなら、それは天才の人格を復元しなければ不可能。


 だから、止めると信じていたのだ。

 例えCEと同じ結晶の体となり、ピラーに操られ敵に回ろうとも、誰も殺したくないと抗い続けた彼女なら。

 優しさに付け込む卑劣さを今だけは噛み殺し、宗次は拳を振り下ろす。

 幻子装甲が何重にも重なり、光りを放つ拳が、少女の胸で赤く輝くコアに触れて――





 そこは、雲一つない空と、波一つない海だけが広がる、どこまでも青い世界だった。

 音もなく、時が停止したような空間で、彼女の長い黒髪だけが、風も無いのにそよいでいる。

 呆然と立ち尽くす彼に、彼女はゆっくりと歩み寄ってくる。

 そして、彼の右手を両手で優しく握りしめた。

 間近で見上げてきた黒い瞳に、再び迎える死への恐怖はない。

 傷つけてしまった事を悲しみ、迷惑をかけてしまった事を悔やみ、止めてくれた事を喜び。

 全ての想いをただ一言に込めて――





「ごめんね」


 七十五分の一秒(刹那)の間、現実から乖離していた宗次の意識は、その声で戻ってきた。

 彼の目に映ったのは、少女の胸を打ち貫いた己の拳。

 そして、口の端を上げ、目を細め、けれど眉を少し下げて。

 感謝と謝罪の混ざった複雑な、けれど確かな微笑みを浮かべた少女の顔。

 そう、彼女は最後まで笑って、そして粉々に砕け散った。

 白み始めた空の下、粉雪のように舞う結晶の欠片を前に、宗次は力なく膝をつく。


「謝るのは、俺の方だ」


 右手の中に残っていた、赤い欠片を見詰めて呟く。


「君を、救ってやれなかった」


 神でも英雄でもない、非力なただの槍使いには、こんな結末しか掴めなくて。

 悔しくて悲しくて、頬を熱い物が伝うのを感じながら、宗次は地面に倒れ込み、そして意識を失った。





 次に目覚めた時に見えたのは、覚えのある部屋と、その持ち主である保健医の顔。


「空知君、空知君っ!」

「……大丈夫です、心配かけてすみません」


 今にも泣きそうだった京子に、宗次はそう告げベッドから起き上がる。

 保健室は昨日の戦闘で負傷した生徒達で埋まっており、また彼が一人で戦った事は秘密であったため、仕方なく京子のベッドに寝かせていたという事であろう。

 部屋の中には綾子の姿もあり、静かな声で訊ねてくる。


「本当に問題ないのか?」

「はい、少し気を失っていただけだと思います」


 刹那のコアに触れた時、彼女の意識と共に流れ込んできたイメージ。

 波もなく静かで、だがどこまで深く不気味な、無数の思念が漂う混沌の海。

 その圧倒的な記憶の渦は、人の身で触れれば脳が処理能力を超えて焼き切れる。

 だから、体が身を守るために意識を遮断したのだろう。


(あれは、おそらく……)


 人類の敵、そして英雄が挑むべきモノ。

 そこに何が貯め込まれていようとも、『人』として救う方法がない以上、破壊する以外に人類が生き延びる術はない。

 だから、ただ迷いを生む情報は己の胸だけに仕舞い込み、宗次は託された想いを果たす。


「京子先生、彼女のスマホ、貸して貰えますか」

「えっ、いいけど……」


 置き上がった途端、何故そんな事を言い出したのか。

 京子は戸惑いつつも、彼の真剣な眼差しに負けて、机の引き出しから刹那のスマホを取り出した。

 宗次はそれを受け取り電源を入れると、現れたパスワード画面で、迷わず四桁の番号を入力してロックを解除する。


「どうして番号をっ!?」


 少しクラッキングの知識がある者なら、簡単に突破できるパスワードだ。

 しかし、三ヶ月前までスマホに触れた事もなく、今でもろくに使いこなせていない田舎者の槍使いには、決して不可能なロックを解除した。

 その事実が何を示すのか、信じられず目を見開く京子の前で、宗次は迷いのない手つきでフォルダの中から一つの画像を開く。

 それは六年前、三人でバンドデビューをしようとか、馬鹿な事を言いながら撮った写真。

 刹那を中心に、まだ学生気分だった京子と、新米三尉だった綾子が肩を組んで笑っている、幸せだった頃の思い出。


「それ……」


 息を呑む京子にスマホを返しながら、宗次は五年前に届けられなかった遺言を、彼女の代わりに告げる。


「死んじゃってごめんね、と」


 人の手で殺された事を恨むのではなく、結晶の怪物に成り果て、再び死んだ運命を呪うのでもなく。

 ただ、残された大切な人達が、自分のせいで悲しんでいたのが申し訳なくて。

 泣かないでと、彼女はそれだけを伝えたかったのだ。


「本当にバカ……死んでまで、人の事ばかり……」


 どこまでも馬鹿で優しい彼女らしい遺言に、京子は微笑み、そして声を上げて泣き崩れた。

 狭い部屋に響く慟哭を、宗次は黙って聞き続ける。

 そして、声が収まってくるのを待ってから、壁に顔を向けて涙を見られまいとしている三佐に声をかけた。


「綾子先生、もう一つ伝える事があります」

「……何だ」


 目元を拭い、普段の厳しい顔で振り返った彼女に、宗次は僅かな間を置いて告げる。

 受け取ったのは曖昧なイメージで、何の証拠も残っていない話だが、それでも伝えておかなければ、きっと恐ろしい事態が引き起こされるから。


「影山明彦は、生きています」



 その日、イギリスのとある研究所で、地下深くの部屋に軟禁されていた一人の研究者が、突如として姿を消した。

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