第89話 遺志
「こうして、特高ができて今に至るの」
長い長い話を終えて、京子は疲れたように俯く。
生徒達はもちろん世間には決して知られてはならない、刹那が死んだ原因についても全て語ってしまった。
『機械仕掛けの英雄』計画に関してだけは濁したが、聡い槍使いの事だから、ほとんど裏を見抜いたであろう。
一人の少女を死なせ、その弟を生贄にし、大勢の子供達を踏み台にしてきた自分達を、いったいどれほど軽蔑した事だろうか。
どんな蔑みの目を向けられるのか、怖くて顔を上げられずにいた京子に向けて、宗次はただ深々と頭を下げた。
「話してくれて、ありがとうございます」
「えっ……?」
驚き顔を上げた京子を見詰める彼の目に、侮蔑や非難の色はない。
ただ、辛い思い出を話させてしまった事への詫びと、自分を信頼して明かしてくれた事への感謝だけがあった。
「何で、君はそこまで……っ!」
ただ重荷を誰かにも背負って欲しかっただけ、感謝したいのは自分の方なのに。
そんな優しい所まで、思い出の少女を彷彿とさせて、京子は宗次の胸に泣きつきたくなる衝動を必死で堪えた。
「刹那さんの形見とか、あれば見せて貰えませんか?」
「あっ、うん、ちょっと待ってね」
年甲斐もなく乙女心と葛藤していた京子は、宗次の言葉で我に返り、少し慌てた様子で机の引き出しに手を伸ばした。
「あの子、全然荷物を残さなかったから」
きっと、CEと戦うのを決意したその時から、戦場で果てる時を予想して、余計な荷物を残さないようにしていたのだろう。
お菓子のような無くなる物はよく買っていたが、寮の部屋に残っていたのは少しの衣類と勉強道具、そして――
「これくらいしかないのよ」
そう言って、京子は古びたスマホを差し出した。
刹那と出会った六年前ですら型遅れだった、今や骨董品と言ってもよい古い端末。
当然ながら回線は解約されており、電話やネットは使えないが、機械自体はまだ生きている。
「見せて貰ってもいいですか?」
「えぇ、でもあまり意味はないと思うわよ」
手渡された古いスマホに、宗次は操作方法が分からず戸惑うが、京子に教えられて電源ボタンを押す。
ワイヤレス充電機能がまだ生きていたようで、スマホは問題なく起動した。
しかし、パスワード画面が出てきて、それ以上の勝手な操作を拒んでくる。
「開けようと思えば、難しくもないのだけどね」
けれど、ずっと開けられずにいたのだと、京子は苦笑した。
パスワードは単純な四桁の数字入力式。
六年前でさえ指紋認証や顔認証の機能が普及していたのに、危機意識のない刹那は古臭いそのパスワードしかかけていなかったのだ。
この程度なら簡単なクラッキングツールで解除できるが、それは死者の墓を荒らすのに等しい行為。
かといって、刹那の唯一といってよい遺品を捨てる事もできず、ずっと保管していたのだ。
「そうでしたか、ありがとうございます」
宗次はスマホの電源を落として京子に返す。
丁度その時であった。
「京子、大丈夫かっ!?」
いきなり部屋の扉が開き、焦った様子の綾子が現れる。
京子の姿が一時間以上も見えず、刹那CEの事でショックを受け、五年前と同じように部屋に閉じこもり、まさか思い余って……と心配して駆けつけてきたのだ。
しかし、彼女の目に映ったのは、狭い部屋の中で男子生徒と見詰め合い手を繋いでいる(ように見えた)後輩の姿。
「……貴様、この非常時に男と戯れるとはよい度胸だな?」
心配した分だけ怒りを募らせ、綾子は指の骨をボキボキと鳴らし出す。
「先輩、違っ、これは……っ!?」
凄い誤解を受けてしまい、どう言い訳しようかと焦る京子の前で、宗次が静かに立ち上がる。
そして、怒れる綾子と正面から向き合い、隠さず真実を告げた。
「天道寺刹那さんの事を、話して貰っていました」
「何っ!?」
刹那の事は機密であると共に、安易に触れられたくない大切な宝物である。
綾子は公私両面で怒りをつのらせて京子をさらに睨むが、宗次はその視線を体で塞ぎり告げた。
「敵を倒すために、必要な事だったので」
その言葉に、綾子の顔から怒りが引いていく。
「倒せるのか?」
「はい」
「ほんの少し前に、手も足も出ずに敗れたのにか?」
「はい、勝てます」
宗次は迷わず答える。
己の槍術に驕っている訳ではない、敵を見下しているのでもない。
生前の戦闘記録を見せて貰い、情報の差を埋めたとはいえ、怪物の体に英雄の技を持ったあの敵は、間違いなく彼よりも強い。
それでも、宗次は勝てると確信していた。何故なら――
「彼女が、天道寺刹那だから」
馬鹿で弱虫で、けれど優しく気高かった少女の事を、京子に教えられた今だからこそ、迷わず断言できる。
「お前は、何を……」
困惑し、そして怒りを滲ませようとした綾子を遮るように、今度は宗次が問う。
「一つ確認させて下さい」
「何だ」
「死亡者は、一人も出ていませんね」
「――っ!?」
問いですらない断定に、綾子は驚愕のあまり言葉を失った。
宗次の言った通りであったからだ。刹那CEと戦った者達は、手足の骨折や全身の打撲といった酷い怪我を負ってはいたが、命にかかわる重体者は一人もいなかったのだ。
それはエース隊員だけに限らない。少し前に全滅した戦車中隊の隊員も、一人たりとて死亡していなかった。
戦車は砲塔から機銃、エンジンまで入念に大剣で切り裂かれていたのに、中の乗員には一太刀すら掠っておらず、戦車の外に出て直接対面したある車長すら、拳で殴られて肩を骨折したものの、命は奪われず敵は去ったと報告があったばかりだ。
「何故、それを……?」
「俺が生きているからです」
震える声で問う綾子に、宗次は自らの身を答えとする。
顎を蹴り抜かれて倒れた彼を、刹那CEは殺す事ができたはずなのだ。
射撃隊の攻撃で邪魔されたといっても、三秒は時間があっただろう。
それだけあれば、硬い結晶の踵で頭を踏み砕くなど、あの強敵ならばこそ容易かったはずなのだ。
けれど、宗次は生きている。そして他の誰も死んでいない。つまり――
「そんな、まさか……っ!?」
槍使いの言わんとする事を理解して、綾子はよろめき壁に手をついた。
そんな彼女に、宗次は追い打つような真似はせず、壁の時計に目をやる。
「時間、どれくらい残っていますか?」
「……安中市の最終防衛線を過ぎるのが、明日の午前四時半と予測されている」
綾子は僅かに迷ってから答えた。
敵の歩みはかなり遅く、戦車中隊が時間を稼いでくれた事もあって、まだ何時間か余裕がある。
しかし、安中市を超えて特高のある高崎市、そして市民の居る前橋市にまで侵入されればそこで終わりだ。
戦車側が圧倒的に有利な軽井沢の草原で戦って、一個中隊十六両をたった一体で全滅させた化物である。
市民の安全を無視したとしても、遮蔽物の多い市街地戦となればどうなるか、考えるだに恐ろしい。
陸上幕僚長・岩塚哲也陸将に頼み準備を進めて貰っている、第1師団の力を総動員すれば流石に負けはしないだろうが、いったいどれだけの被害が出て、貴重な弾薬と車両が失われる事か。
そんな状況を把握した上で、宗次はまず休息を選択する。
「少し寝させて下さい、三時には特高を出ます」
勝算があるといっても、体調不良の状態で勝たせてくれる甘い相手ではない。
逸る気持ちを抑えて今は眠ると、宗次はベルト型変換器の入ったアタッシュケースを手に部屋を出る。
その背を、京子が呼び止めた。
「空知君っ! ……あの子を、お願い」
「はい」
深い苦悩の末に覚悟を決めた彼女に、宗次は頷いて歩き出した。
午前二時半、大半の生徒達が不安を抱えながらも眠っている頃、宗次は自室で目を覚ました。
服を着替え、ひび割れた腕輪型の幻想変換器に、礼と弔いを告げて腕から外し、新たなベルト型変換器を腰に巻く。
「ふー……」
一つ息を吐いて体の調子を確かめるが、蹴られた顎の痛みも消えており、眠気も無く全身が冴え渡っている。
それに満足すると、宗次は静かに部屋を出て、階段を降り寮の出口に向かい、そして驚き足を止めた。
「陽向さんっ!?」
クラスメートの元気な剣道少女・平坂陽向が通路に背を預け、彼が来るのを知っていたように立っていたのだ。
「やっぱり……」
驚く宗次に対して、陽向は納得と諦めの混じった溜息を吐く。
乙女の勘というやつか、ふと目が覚めて嫌な予感がしたので、寮の出口で待っていたら、予想通り槍使いが戦支度で現れたのである。
「一人で行くんでしょ」
「あぁ」
確信している問いに、宗次もいまさら誤魔化さず頷いてみせる。
すると、陽向は目に見えて肩を落とした。
「はぁ~、知ってたけどやっぱり悔しいな……」
あの英雄の姿をしたCEを前にしては、陽向に限らず誰が行っても足手まといになってしまうだろう。
時が経ち落ち着いたとはいえ、エース隊の大勢が憧れた聖女の姿に、躊躇いなく攻撃できる者は少ない。
そして数の力で押さえつけようにも、結晶の大剣で十人も吹き飛ばされれば、その恐怖が伝染して再び集団は崩壊してしまう。
傷つき倒れた味方ほど、仲間思いな槍使いの足を引っ張るものはない。
刹那CEを倒せるとしたら、味方が倒れても動揺せずに戦い続けられる強靭な兵士達の大軍か、ただ一人で何のしがらみもなく、故に最大の力を発揮した彼くらいなのだから。
ただ、本人はそんな計算よりも、もっと単純で純粋な思いから一人で赴くであろう。
「やっぱり、強敵とは一対一の決闘が良いとか思ってるでしょ?」
「バレバレか」
苦笑して頷く宗次に、陽向も同じ笑みを返す。
普段は大人びて冷静な彼だが、根っこは生粋の戦士であり、戦いにロマンを求める男の子なのだ。
だから、女の陽向にできる事は一つしかない。
「行ってらっしゃい、必ず帰ってきてね」
心配も悔しさも呑み込み、ただ信じて満面の笑顔で送り出す。
そんな彼女の思いに、宗次も笑顔で応えた。
「あぁ、絶対に帰ってくる」
何時かのように、保証がないから約束できないとは言わない。
今回だけは確かなモノがあったから。
「俺じゃなく、天道寺刹那を信じてくれ」
そう言い残し、宗次は胸を張って寮を出て行った。
彼の背中が視界から消えるまで見送ってから、陽向は深い深い溜息を吐いて蹲る。
「私、本当に格好悪いな……」
――こんな時まで他の女の名前を出すなんて、本当にロマンが無いんだから。
そんな風に故人にまで嫉妬を覚えてしまう、自分の恋心が情けなくも大切で。




