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「何が……」
自分自身のあられもない姿を凝視しながら魔雪は混乱中である。それもそうだろう。なんせ、17年間、男として生きて来たのだから。
(と、とりあえず……落ち着こう)
そう自己暗示をかけながら色々と整理してみるようだ。
魔雪が幼女になる数時間前――。
「あっち……」
9月1日。世間では夏休みも終わり、地獄の2学期が始まる日である。
それは魔雪の学校も同じく、魔雪は久しぶりに制服を着て登校中だった。
(9月にも入ったのに何だよ……この暑さ)
地球温暖化の影響なのか残暑が酷く、学校に着くまでにYシャツが汗でスケスケになりそうだ。
「マユ、おっはよー!」
「……おう、美里。おはよ」
そんな暑い中でも元気な奴はいる。そう、白沢 美里である。
肩まで伸びた黒のストレートヘアー。身長は魔雪より(因みに魔雪は175cm)少し小さいほど。女子にしては高い方である。顔も女子の顔面平均値を軽々と超えており、学校で人気の高い人であった。
彼女は魔雪と中学校からの知り合いで、何かと同じクラスになることが多く、そのせいか魔雪は『美里』。美里は『マユ』と気軽に呼び合う仲になっていた。まぁ、魔雪からしたらそこまで仲良くなったつもりはないのだが、美里が絡んで来るのである。
このやり取りもいつも通りなので、魔雪は振り返らずに挨拶を返した。
「今日から学校だねー」
それもいつも通りなので美里も気にすることなく、魔雪の隣に並んだ。自然と二人の歩くスピードが一緒になる。
「ああ……そうだな……」
だるそうに返答した。この暑さで相当、まいっているらしい。
「どうしたの?」
「暑いんだよ……ったく、朝は涼しいんじゃないのか?」
「今日は特に暑いみたいだねー。朝の天気予報で熱中症には気を付けましょうって言ってたよ」
「何でこんな日に学校に行かなきゃならないんだよ……」
高校2年生にもなれば学校生活にも慣れ、面倒に思ってしまうだろう。それは魔雪も例外ではなかった。しかし、彼には一つだけ他の人とは違う物があった。
「でも、部活出来るじゃん」
「そうだな!! 部活!! 部活のために学校に行くと思えばいいんだ!!」
美里の言葉を聞いて元気になった。
そう、彼には部活があるのだ。それこそ、部活のためならば土日でさえ要らないと思えるほど、部活が好きなのである。
「本当に、部活が好きなんだねー」
突然、叫び出すという彼の奇行も美里にとっては慣れたもの。笑顔で同意する。
実は彼女が魔雪と仲良くしている理由はこの部活であった。いや、『部活に熱中する』、という魔雪の特性にあると言ってもいい。
魔雪は部活以外に興味がないのだ。勉強はもちろん、女にも興味がない。まぁ、女の体には興味はある。男の子だもん。
つまり、恋愛に興味がないのだ。
それはイコール女を異性として見ていないとも言えるのだ。女の体には興味はあるが。
中学の頃、美里はその美貌のせいでバカな男共から告白はもちろん、ストーカーまでされていたのだ。そのせいで若干、男嫌いになっていた。
そこで出会ったのが魔雪である。
出会った時に色々あったのだが、美里を見ても何の変化もなかった魔雪を見て彼女はこの男子なら仲良くなれると思ったのだ。
そして、現在の関係に至る、というわけだ。
「夏休みの宿題やった?」
「初日に」
「はやっ!?」
「夏休み中でも部活があったからな。集中したくて徹夜した」
「……本当にすごいね。マユ」
さすがにそれには呆れてしまったようだ。
「文化祭まで時間がないんだ。少しでも完璧にしておかないと……」
そう言いながら鞄のチャックを開けようとする魔雪だったが、それを美里が止めた。
「はい、ストップ。また電柱におでこ、ぶつけるよ」
「大丈夫だ。ぶつけても覚えた台詞は飛ばない」
「そう言う問題じゃないよ!」
彼女が彼と仲良くなった理由は『放っておけない』というものある。それほど彼は部活に夢中なのだ。
「そんなに楽しいの? 演劇部」
「もちろん!!」
彼の部活は『演劇部』である。将来の夢は役者。それだけを夢見て彼は今日まで生きて来たと言っても過言ではない。
それから台本を取り出そうとする魔雪を美里が全力で止める、というやり取りを何回も繰り返しながら登校していると――。
「――だから、台本は教室で……ん?」
「よいっしょっと! へへん! 美里、やっと諦めたか!」
美里が何かに気を取られた隙に台本を鞄から取り出した魔雪は嬉しそうに言う。
「……ねぇ、何あれ?」
「えっと、何ページだったかな……何が?」
台本を開きながら美里に聞く魔雪。
「あれだよ……何か、変じゃない? あそこ」
「変って何、が……」
やっと台本から顔を上げた彼が目にしたのは異常な通学路だった。
(何だ……あれ?)
通学路がぐにゃりと曲がっているのだ。いや、歪んでいた。
「何だと思う? あれ」
「さ、さぁ?」
演劇中毒者の魔雪でもさすがに台本を鞄に仕舞って通学路を観察し始める。
「この暑さで通学路が溶けたのか?」
「そういう規模じゃないでしょ……今度は電柱が……」
歪みはどんどん広がっていく。通学路、電柱、家までもどんどん歪んで行った。
「……いや、違う!! 物が歪んでるんじゃない!! 空間が歪んでるんだ!?」
そして、彼は叫びながら気付く。空間の歪みは広がっているのではなく――こちらに近づいて来ているのだ、と。
「逃げるぞ! 美里!」
「う、うん!!」
魔雪は美里の手を掴んで今まで来た道を走って戻る。それを追うように空間の歪みも彼らを追う。
(何なんだ!?)
後ろをチラリと見れば歪みが凄まじいスピードで迫っているのがわかる。魔雪たちの走るスピードよりも速いことも。
(このままじゃ……)
二人一緒にあの空間の歪みに飲み込まれる。彼は直感的にそう判断した。
「……美里」
「な、何!?」
「ゴメン」
息を切らしながら美里が魔雪の方を見た刹那――美里の体は前に強く押し出される。
「……え?」
転びそうになるのを何とか抑えて振り返るのと魔雪の体が空間の歪みに捕らわれるのはほぼ同時だった。
「ま、マユ!?」
その時、美里はすぐにわかった。彼が美里の背中を押して空間の歪みから逃がしてくれたのだと。
「行けッ!」
空間の歪みに飲み込まれた彼の下半身はすでになかった。それでも魔雪は美里にそう叫ぶ。救いを求めなかったのだ。
「で、でも……」
「美里!!」
空間の歪みは彼の体を吸収しようとしている。必死に抵抗している魔雪だったが、どうすることも出来ずに、少しずつではあるものの、体が歪みの向こうへと引きずられているのだ。彼女に引っ張って貰っても彼女ごと引きずられるのが目に見えている。だからこそ、彼は美里に向かって絶叫した。
「俺は大丈夫だから逃げろ!」
「マユ!」
「行けッ! 美里!!」
すでに彼の胸から下は歪みの向こうに消えていた。
「……わかった。誰か呼んで来るから待ってて!!」
そう言い残して美里は鞄を投げ捨てて走り出す。
「……はは」
美里が見えなくなった頃、魔雪は笑った。
「待ってろって……もう、間に合わねーよ」
それの台詞を最後に彼は空間の歪みに完全に飲み込まれ、歪みは消え去ってしまった。