デルタ・ブレイド
2010年8月17日6時、イラク上空
陽炎が揺らめき、雲一つなく、地上が見える空で、4基のプロペラを回転させたC130Jは目的地へと飛んでいた。
C130Jはアメリカ空軍が装備する輸送機の一つであるが、輸送しているのはデルタ・ブレイドに所属する6人の傭兵たちだった。このC130Jも実質的にはデルタ・ブレイドが空軍から買い取った資産だ。アメリカ合衆国に本社を置く傭兵派遣会社には、輸送ヘリを除く軍事用航空機の保有は認められていない。民間企業が兵器を保有することに安全保障上の問題があるからだ。そこで、抜け道としてデルタ・ブレイドは書類上でC130Jの貸与を受ける契約をアメリカ政府と結んでいる。貸与とは言ってもリース代は払っておらず、支出したのは購入費と維持費だけである。財政赤字に悩む政府には支出削減ができ、戦時には返還を求める権利があるので、都合のいい話だ。
傭兵たちを収容している太陽光の差し込む機内は改造されており、本来左右の窓側にある座席はない。代わりに2台のベンチがコックピット側とハッチ側に取り付けられてある。
コックピット側のベンチに座るユウナ・ブルックはハンドガンのベレッタの手入れをしていた。黒いタンクトップとショート・ジーンズを着ている彼女は兵士というよりストリッパーかポルノ女優に見える。タンクトップから露出している巨乳に作られた谷間もそのイメージを助長させている。女性の肌の露出に厳しいイスラム教徒がいない輸送機の中だからこそ出来る格好だ。
ブルックを向かい側のベンチから新人のマックス・ベルナーは、腰を曲げ、手を組みながら見つめていた。傭兵の世界に女性が居ることを珍しく思っていた。ベルナーはユウナから機内の中央で、自分の左腕を枕にして横になっているスコット・レングランに視線を移した。
レングランはデザート迷彩柄のズボンを吐き、上半身は裸だった。広く分厚い胸板、深く板チョコのような溝を作った腹筋、血管が浮き出ている太い丸太ような腕を見せて、自分の筋肉を自慢しているようだ。レングランは198cmと、6人の中で最も身長が高く、分厚い筋肉の装甲に包まれていた。
こんな化け物に犯された女には同情するな、と機内の左の窓側に腕を組みながら座っていたジン・ヨシノは思った。視線の先にいるレングランは、ブルックのセクシーな身体を見てニヤついていた。彼女の持っているベレッタがレングランの性欲に歯止めを掛けているように見え、ヨシノはフッと笑みを浮かべた。ベレッタはちゃんと持ち主を守っている。
ハッチの側の床に座りながらウィリアム・クロウドはイラクの新聞を読んでいた。内容はほとんどがテロ関連のものだった。米軍兵士がテロリストにより狙撃。自爆テロによって30人が死亡。ナジム一家惨殺事件。アルカイダの幹部を米軍が殺害。どれもイラクでは日常的な出来事で、よくあるような見出しばかりがクロウドの目に入る。イラクは変わらないな、とクロウドが思ったとき、「うぅ・・・」と悶える声が聞こえた。右側の窓辺に座るディヴァイド・ソーヤの声だった。
ソーヤは頭を手で押さえ、二日酔いによる頭痛に耐えていた。前日の友人の誕生パーティーで飲みすぎている時に、今回の仕事の話が来たのだ。タイミングとしては最悪だったが、作戦の実行に影響が出ることはない。デルタ・ブレイドはそう考えるほど、彼の腕の良さを信頼していた。並の傭兵なら任務から外されるほどのことだ。
「何見てんのさ?」
頭痛を我慢して、床を見つめていたソーヤは不機嫌な声が聞こえ、頭を上げた。ユウナの声だった。その視線はニヤついているレングランに向いていた。ソーヤと同じく、ベルナーやヨシノもユウナとレングランの様子に視線を向けていた。クロウドは気にせずに新聞を読み続けていた。
「相変わらずセクシーな女だと思ってな」とレングランが言った。
「そんな露出の多い格好してるんだから、ちゃんと見てやってんだよ。はっはっはっは!」
「暑いからさ。気持ち悪い視線を感じたいからじゃないよ」
そう言ったブルックの肌には汗が流れていた。暑いのは彼女だけじゃなかった。機内の冷房は経費カットのために切られており、レングランを除いた男たちは全員、黒い半袖のTシャツとデザート迷彩柄のズボンが、汗で肌に密着する気持ち悪さに耐えていた。
「それで?」とレングランが言った。
「俺様と同じ目でユウナをジロジロ見ていたそこの新人。マッド・マックスって名前だっけ?」
「俺の名はマックス・ベルナーだ」と呆れながらベルナーが答えた瞬間、ブルックと目が合った。冷ややかな目だ。レングランのせいで気まずさを感じたのか、ベルナーは慌てて言った。
「べ、別に俺はそこのボディビルダーみたいにあんたのことをイヤらしい目では見てないからな!ミス・ブルック」
ボディビルダー呼ばわりされたレングランは満更でもなさそうに見えた。
「どうだかね。あと、『ミス・ブルック』じゃなくて、『ユウナ』で結構よ。あんただって『ベルナー新兵』だなんて言われたくないでしょ?」
そう言ったブルックはベルナーに軽く笑みに浮かべた。
「わ、わかったよ、ユウナ」とベルナーも微笑み返した。ユウナ・ブルックか、笑うと可愛いな。って何考えてんだ俺は、とベルナーはすぐに心の中で浮かべた思いを消した。
「で、何でよ?」とレングランが言った。
「いい感じのとこ、悪いけどよ。何で新人君は傭兵になったんだ?」
「海兵隊の時にテロリストを拷問して、クビになったんだ。で、今に至るわけさ。俺には戦争以外に経験がないからな」
「新人らしいきっかけだな、はっはっはっは」と言ったレングランはポケットからガムを取り出し、くちゃくちゃと噛み始めた。
「さっきから『新人、新人』って言いやがって。その2人だって、俺と入った時期は変わらねぇだろ」と言ったベルナーはソーヤとクロウドに指を向けた。
クロウドは沈黙を守ったが、ソーヤは「確かにな」と言っておいた。
「はっはっはっはっ!」レングランが笑った。
「あのな、お前はただの新人だ。けどその2人は大型新人なんだよ」
「どういうことだよ?」
「ウィリアムは元シールズ、ディヴァイドは元デルタ・フォースだ」
「シールズに、デルタ!?すっ、すげぇな!」
「あんたもそれなりの部隊に居たんじゃないの?」ブルックが言った。「だからデルタ・ブレイドに雇われたんでしょ?」
「そりゃ、そうだな」レングランも彼女に続けた。「新人どこにいたんだよ?」
「フォ・・・フォース・リーコン」
フォース・リーコンーアメリカ海兵隊武装偵察部隊。
「すごいじゃない。私もスコットもジンも特殊部隊にはいなかったんだよ」
ブルックの褒め言葉がベルナーには痛かった。
「い、いや、フォース・リーコンの訓練過程の時に拷問のことがバレて除隊になった・・・」
少しの間ができた。
「それじゃ、ただの落ちこぼれじゃないか」
間を終わらせたのはヨシノだった。
「拷問なんて下士官のやることじゃない」沈黙していたクロウドが初めて口を開いた。低い声だ。「やるなら上手く情報を引き出せるプロにやらせるべきだったな。それなら証拠を残すこともない」
「俺、レクター・フォードに憧れてたんだ」ベルナーが言った。
「だから軍に入った。フォードみたいにヒーローになりたかったんだ!拷問したのも、彼の影響なんだ」
拷問はレクター・フォードの得意技だった。その成果が数々のテロ組織の壊滅につながった。だが、それが明るみになると、イラクやアフガニスタンでベルナーのように模倣する下士官が相次ぎ、国防総省は頭を抱えるようになっている。
「ヒーローか」頭痛が和らいで頭をあげていたソーヤが言った。「レクターは望んでヒーローになるような奴じゃなかったな。あいつはいつでも勝つことしか考えてなかった。そのためには手段を選ばなかった。まさに最高の兵士さ」
「あなたは彼のことを知っているのか?」
興味深いような表情を浮かべたベルナーが話を聞きこんだ。
「多少な」ソーヤが答えた。「デルタ・フォース時代に何度か任務を共にした」
「さすがだな」レングランが拍手を送りながら言った。「伝説の男と一緒だったなんて。俺らとは経歴が全然違うな」
「傭兵として重要なことは経歴じゃない。そんなもんあっても、なくても生き延びることには関係のないことだ」
そう言ったソーヤをブルックとレングランとヨシノは認めるような眼差しで見ていた。長く傭兵の世界にいる彼らにはソーヤの言葉は説得力があるように聞こえたのだろう。
「空港が見えてきたな」
地上の景色が大きくなっていくのをソーヤは窓から確かめた。
6時15分ラセナ空港
滑走路に降りた6人を、太陽とその熱を吸収したアスファルトの地面が出迎えた。離陸を待つ旅客機を背にして、6人は横一列に揃いながら歩き始めた。
列の中央をソーヤとクロウドが歩いていた。ソーヤの左には、ブルックとベルナー。クロウドの右にはヨシノとレングラン。
口をもごもごしたレングランはガムを吐き出した。
「おい、スコット汚ねえよ!」視界で横に通過するガムを捉えたヨシノが言った。
「イラクに来たって証を残したのさ!記念行事みたいなもんだ!はっはっはっはっ!」
レングランが吐き出したガムは象のような形をして地面に立っていた。