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レイナ・クレセントを連れて、謎の傭兵たちから逃げていたユウナ・ブルック、マックス・ベルナー、イーシャ・ルドウの三人はできるだけ路地を移動していた。通りを移動するのは敵に遭遇する可能性もあり危険だったうえ、装備している銃の弾薬は3人合わせても50発ほどしかなかった。四人の体にはヘリの墜落のときに負った傷が多かった。致命傷ではないが、ほっとけば感染症を引き起こす危険があった。
ブルックは路地の出口に来ると、壁に体を隠しながら通りの方を見た。民間人の姿は、家に隠れているのか全く見当たらなかった。謎の傭兵たちの姿もなかった。ディヴァイドたちはうまく足止めしてくれているようね、とブルックは思った。ただその割には街中のいたるところから銃声が聞こえていた。明らかに3人だけが引き出せるほどのものではなかった。この場にいても少なくとも10箇所の地区から銃声がしているように思えた。
「あそこに病院があるわ」ブルックの隣に来ていたレイナが言った。
ブルックはレイナの指が指している方を見た。無人の車が止まっている二車線の道路を渡って、歩道を右に少し歩いたところに小さな病院が見えた。周囲は灰色のコンクリートの建物ばかりだが、その病院だけ唯一白く塗装されていた。窓はカーテンが閉められているせいで内部を確認できなかった。
「病院とは言っても診療所だな」ベルナーが言った。「腕や脚を吹き飛ばされてもあそこじゃ治療できなさそうだ」
「医者はいるの?」ルドウが言った。
「あそこはケジキさんという先生がやっているんだけど、どうかしら。もしかしたら自宅に避難してるかもしれないわ」
「医者なんていない方が都合がいいわ」ブルックが言った。「銃を持った傭兵が来たら、医者もあまり喜ばないでしょ。薬と包帯だけあれば十分よ」
何かの音が4人に聞こえてきた。こちらに近づいているのか次第に大きくなっていた。ブルックが病院がある歩道の上空を見ると、建物と空の境界線から黒い卵にしっぽが生えたようなヘリが現れた。普通のヘリならば気にしなかったが、それはAH-6型のリトルバードと呼ばれる戦闘ヘリだった。両サイドには最大で一秒間に百発という発射速度を誇るミニガンが装着され、後部ではボディ・アーマを着た傭兵らしき男が地上を見下ろしていた。本来ならアメリカ陸軍が乗っているはずのヘリだ。
ブルックは傭兵たちに姿を見られないようにすぐに路地に身を隠した。頭上を見上げると、リトルバードが飛び去っていた。後ろ姿が見えたときには、地上に向けてミニガンを掃射していた。相手がソーヤたちでないことをブルックは祈るしかなかった。
「おい、今の見たか?」ベルナーが言った。「陸軍が助けに来てくれたぜ」
その発言にブルックは呆れるしかなかった。「いや、あれは傭兵よ。どうやら空から狙ってるのはプレデターだけじゃないようね」
「さあ行くわよ」ルドウが言った。「あれやプレデターに見つかる前に早く病院へ」
四人は小走りで通りへと出た。辺りを傭兵たちが周辺を警戒しながら車道を渡り始めた。正面衝突して炎に包まれていた二台の車を通り過ぎ、歩道へと着くと病院の方へと向かった。昼間なのに人気が全くない通りは、却って不気味な雰囲気が出ている。病院の前まで来ると、ブルックは他の三人に壁に張り付いているように指示した。銃を構えながら二つ開きのドアの片方に左肩を密着させながらもう片方のドアをゆっくりと引き始めた。かすかに開いた隙間からベンチが見え、人影は見えなかった。ブルックは開きかけたドアを足で広げようとすると、内側に血がついていた。誰かがいると思った瞬間、一発の銃声がして、閉まっているドアの方から弾が貫通してきた。
ブルックは歩道に倒れ込んだ。左肩に弾が当たり出血していた。肩の中には弾が残っている。そのせいで内部から広がるように痛みが神経を刺激していた。
「ユウナ!」ベルナーが駆け寄ってきた。彼がブルックに手を伸ばしかけると、更にドアから弾が貫通してきた。ベルナーはドアの横の壁に張り付いた。
痛みに耐えながらブルックは仰向けのまま地面に落ちたベレッタを拾った。体の上を通り過ぎる銃弾が止むのを待ちながら、その数を数えていた。十五発目で銃声が消えた。ブルックは起き上がると、穴のあいたドアへ向けて右手でベレッタを発泡しながら近づいていった。五発撃ち、中の方へ入るとそこは待合室だった。入ってすぐに見える受付に上半身に包帯を巻いた男が左肘を付きながら、右手腹を押さえ、しゃがみこんでいた。ブルックは男に近づき目が合うと、相手の顔に向けてマガジンが空になるまでベレッタの引き金を引き続けた。穴だらけになった男の顔は血で染まり、上唇はなく、鼻の穴はつながっていた。
ベルナー、レイナ、ルドウが待合室へと入ってきた。ルドウはドアを閉めて鍵をかけた。レイナは無残な男の死体を見ると、すぐに目を背けた。あまりにグロテスクな光景に吐き気をもようしたのか、その場に膝から崩れた。
「大丈夫か?ユウナ」ベルナーが言った。ブルックは男の死体の前で立ったままだった。
ブルックは言った。「大丈夫よ」三人の方へと振り返ると右の前腕で頬についた返り血を拭ったが、完全に取り除くことはできず血は薄く残っていた。「このクソ野郎、私を撃ちやがった」左肩を手で押さえながらブルックは男の死体を蹴り倒した。原形を止めていない顔から床に血が流れ、ベルナーの足元まで達した。
ブルックはそのまま出入口を入って右側の壁に密着するように置かれていたベンチに座った。壁が背もたれになった。震える左手でマガジンを取った。痛みに耐えながらベレッタをリロードし終えると、ルドウが受付の棚に入っている薬をあさり始めていた。肩から流れていた血が左腕を染めていたので、ブルックは袖をめくって傷口を確認した。血のせいで傷口は見えにくかった。弾が貫通しなくてよかった、とブルックは思った。肩を横側から撃たれると、弾がしてそのまま心臓まで達していたかもしれなかったからだ。
膝に腕を乗せて体を丸めてブルックが床を見つめていると、「本当に大丈夫か?」と言われた。ベルナーの声だった。彼の左手が背中に触れるのがわかった。
「私に触れるな!」とブルックは大声で言って、ベルナーを突き飛ばした。尻餅をついた彼の後ろではルドウがレイナの擦り傷を消毒していた。こちらへ目を少しむけ、すぐに元に戻した。レイナはずっとこちらを見ていた。
「す、すまない」ベルナーが言った。驚きを隠せない表情をしている。
ブルックは無視して受付の中へと入り、棚から銃槍を消毒する薬を探した。肩の中にある弾もどうにかして抜かなければならなかった。そうしないと痛みが続くだけでなく、敗血症になる可能性があったからだ。消毒薬の探し方は荒かった。関係ない薬瓶や粉薬を床へと落としていった。
腹立たしい思いでブルックはいっぱいだった。この場にいる人間でレイナ以外は信用できなかった。ベルナーとルドウは敵の内通者かもしれず、そんな二人と一緒に行動していると考えると我慢ならなかった。こんなことならソーヤと一緒に行動してればよかったとさえ思った。チームで信用出来る者は彼しかいなかった。おそらく彼も自分を信用しているのだろう、とブルックは思った。だからレイナを安全な場所に連れて行くように頼んだのだろう、と。その時点でソーヤは完全にシロとなった。内通者がわざわざチームの中で疑心暗鬼となっている人間にレイナを託すわけはないからだ。
使えそうな消毒薬の瓶を見つけ、受付に置き、蓋を開けながらブルックは出入り口の近くの床に座っている三人を見た。レイナは疲れて眠っていた。数日前に拉致されて、今日救出され、その後に乗っていたヘリが墜落したのだから無理もない。その横でルドウが自分の怪我の手当をしていた。ベルナーは何故かシグ556を持っている手が震えていた。
今日初めて人を殺したからからショックでも受けているの?とブルックは思った。ならばこの男は内通者ではないのかとも考えたが、すぐに演技をしているのかもしれないと疑いを持った。ブルックは消毒薬を傷口にかけ、染みる痛みに耐えた。
「大丈夫?」ルドウが言った。「震えているわよ」ベルナーの方を向いていたので、ブルックでを心配した声ではなかった。
「ああ」ベルナーが答えた。「いや、やっぱり大丈夫じゃないかもしれない。実は今日初めて人を殺したんだ。その時は何とも思わなかったけど、今頃になって何か気分が悪くなってきた」
ブルックは二人の会話を黙って聞くことにした。そうしながら腰にあったコンバット・ナイフを取り出した。
「海兵隊にいたんでしょ?」
「ああ。でも二年で辞めたんだ」
「テロリストを拷問したんですってね。それなのに人を殺して震えてるの?」
「拷問って言っても、ただ殴っただけだよ。高校生でもできることだよ。人殺しとは違う」
「まあ、そのうち慣れるわよ。傭兵なんだから」
ルドウは美しい外見からは想像できないようなことを言ってのけた。さすがはイランの革命防衛隊出身
の女だ。全く慰めになっていない、とブルックは思いながらポケットからライターを取り出し、コンバットナイフの刃を炎で熱した。
「おいユウナ!」ベルナーが言った。その声でレイナは目を覚ました。ベルナーは立ち上がって続けた「何をする気なんだ!?」
「決まってるでしょ、弾を抜くのよ」
「そのナイフでか?傷口をえぐったらダメだ!」
「そうよ!」レイナが言った。「ここは病院よ!何もそんなもので抜かなくてもいいわ!」
「私は医者じゃないのよ。医療器具よりもナイフの方が使いやすいわ。それにここは何だか外科の病院じゃなさそうだし」
ブルックはナイフを傷口に付けたところで、動きを止めた。何かが落ちる物音が、隣の部屋からしたからだ。受付を出て右側にあるドアの先を調べなかったことをブルックは後悔した。ここには先ほど殺した男しかいないと思っていたが、他にも誰かが隠れていたようだった。
ブルックはベレッタを構え、ドアの前に立った。ベルナーやルドウも銃を持って近づいた。ルドウが隣の壁に張り付きながら、ドアを開いた。すぐに男の姿が目に入ったので、ブルックは引き金を引こうとした。
「やめて!」レイナが言った。「この病院の先生よ!」
ブルックは発泡はしなかったが、銃は下ろさなかった。確かに前方で両手を上げている男は白衣を着ていた。だが、それだけでは銃を下ろす理由にはならなかった。一方ルドウとベルナーは銃をすでに下に向けていた。
「ユウナ、銃をおろせよ。医者だよ」ベルナーが言った。
とことん甘い男だ、とブルックは思った。「医者であることは信じるわ。この死体の仲間じゃないと保障できるの?」
医者はブルックが殺した男の死体を見て、アラブ語で何かを喚き散らしていた。
「通訳」ブルックが言った。
「『俺の病院で何てことを、お前ら誰だよ?』って言ってるわ」ルドウが訳した。
「私たちのことは気にしなくていい」ブルックは言った。「この男と関係あるの?」
ルドウはブルックが言ったことを医者にアラブ語で伝えた。この医者の話では、街で銃撃戦が始まったので診療室に隠れいていたということだった。すると負傷した男が病院に侵入して薬や包帯を盗み、自分で治療していたとのことだった。男が銃を持っていたので、医者は診療室にあるベッドに下にずっと潜んでいたという。
医者はレイナを確認すると少し安心した表情に変わった。「レイナ」
「お久しぶりです、ケジキ先生」レイナがアラブ語で言った。「すみません怖い思いをさせて」
その様子を見て、ブルックはベレッタを下ろした。ケジキはブルックの肩の傷を見た。
「先生、彼女の傷を治療できますか?」レイナが言った。
「お金。薬。治療。高い」どうやらケジキは片言の英語を話せるようだった。
「金なんてないわよ」ブルックが言った。ケジキへと再び銃口を向けた「あんたを殺せる弾ならあるけどね」
「おいユウナ、よすんだ」ベルナーが言った。ルドウは黙って壁に背を預けていた。
「そうよ!もう先生に銃を向けないで」レイナも続いた。
ケジキは両手を挙げたまま、ブルックの肩の傷を再び見始めた。身長が低いので、頭がブルックの肩と並んでいた。すると、ケジキはブルックの目を上目遣いで見た。
「さすがはアメリカ人だ。支払いを銃の脅しにするのは建国以来の伝統かな?」
ケジキが流暢な英語を話し始めたので、その場にいる全員が少し驚いた。レイナもケジキが英語を話せるとは知らなかった。
「レイナに免じて治療代は無料にしてやろう」
ブルックはベレッタを下ろした。「英語が話せるなら、元々話していなさいよ」
ケジキは診療室へと戻りながら言った。「英語が話せないふりをした方が、都合がいいときが多いからな」
ブルックはベレッタをホルスターに入れ、待合室のベンチに座った。肩を治療してもらえることには安心したが、これからどうすべきかわからなかった。このままレイナをアメリカに連れ戻すように尽力するべきか。そうする価値があるのか。仮に連れ戻すにしても、どうやって内通者を見つければいいのか。頭を悩ませていると、レイナがブルックを厳しい目つきで見ていた。
「何見てんのよ?」ブルックが言った。
「さっきのは何?」
「何が?」
「先生に銃を向けたことよ」
「レイナ、気にしなくていい」ケジキが間に入ってきた。手には弾を抜くための器具と縫合するための糸と針を持っていた。「アメリカ人はそうやって自分の威厳を保ちたがるからな」
ブルックはケジキに言い返そうとしたが、ベルナーが「何も言うな」と伝えるようにかぶりを振るのを見てやめた。代わりに治療について聞くことにした。どうやらケジキはここで弾を摘出しようとしているみたいだ。それではブルックがやろうとしていたことに近かった。
「レントゲンとか取らないの?」
「そんな高度なものはここにはない」
「ああ、そうねここはイラクだも―――」
ブルックがケジキに罵詈雑言を吐こうとしたので、レイナは「やめなさい」と言って遮った。
その様子を見ていたルドウは小声でベルナーに囁いた。「ユウナって性格が悪そうね」
「撃たれて、気が高ぶってるだけかもしれない。多分、そんなに悪い人間じゃないよ」
「お人好しな坊やね」
ブルックはケジキが特殊な形をしたピンセットを傷口に入れてきたので、肩に痛みが走った。肉を削られるようだった。弾を挟まれた感覚がすると、筋肉の間を移動し始めたのがわかった。ケジキが弾を抜き終えると、痛みは残っていたが少しは楽になった。
「こいつでペンダントでも作るか?」と言いながらケジキはピンセットで挟んだ弾をブルックに見せたが、無視させれた。
ケジキは傷口を縫合し終えると、包帯を巻き始めた。十分も経たないうちに終わったので、ブルックはケジキに感心した。腕は良い医者だった。
ケジキは傷に説明した。ブルックの方は弾が浅い部分にあったので重傷は免れ、神経も傷ついていないとのことだった。感染症の心配もなく安静にしていれば傷口が開くことはないようだった。ただし、安静にすることは無理でしょうね、とブルックは思った。すぐにでもアメリカに帰国したかったが、何故か命を狙う集団がそれを阻止しようとしているからだ。
ケジキは、何かあったら起こしてくれ、と言って診療室にあるベッドに横になりに待合室から去っていった。
「これからどうするの?」ルドウが言った。この場にいる誰も思っていたことだった。
「さあね」ブルックが言った。「ディバイドたちからの連絡を待ちましょう。向こうはさっきから銃撃戦で忙しそうだし」
ブルックとベルナーの耳の中にある通信機からはずっと銃声が流れていた。たまにソーヤだけ誰かと話している声が聞こえたが、クロウドとヨシノは通信を切ってるのか、二人の様子はわからなかった。
「さっきからマクドナーと連絡がつかない」ベルナーが言った。
「使えない男ね」ブルックが言った。
ほかに何もすることがないので、レイナとルドウは床に座り込んだ。ベルナーはカーテンの隙間から窓の外を眺めていた。銃撃戦は続いており、止む気配はなかった。しばらくの間待合室は沈黙が支配した。全員戦闘の中を逃げてきたせいで疲れていた。
そんな中ブルックは今日起きたことを頭の中で整理していた。テロリストにルドウと共に拉致されたこと。レイナを救出したあとにヘリを墜落したこと。そして、地上で待ち構えていたかのように攻撃してきた傭兵らしき謎の男たち。全て偶然で片付けられるようなことじゃなかった。ディバイドとの話から今日起きた出来事の裏にCIAが絡んでいること間違いなだろう、という結論を下した。そして、その息がかかった人間はデルタ・ブレイドの中にいるということも。クロウド、ヨシノ、ベルナー、ルドウ、マクドナーが内通者かもしれない。死んだハリスとレングランも除外するつもりはなかった。その場合は内通者の脅威は消え去ってしまう。内通者が一人とは限らないが。
ブルックはルドウと何かを話しているレイナを見た。レイナ・クレセント。このNGOの女は何者なの?と思った。何故CIAはレイナの命を狙うのか。ブルックは直接本人に問いただそうとしたが、すぐにやめた。ベルナーとルドウが近くにいたからだ。ふたりにみすみす情報を与える気にはならなかった。
「ところで」レイナが言った。その場にいる全員に目を向けながら続けた。「自己紹介していなかったわね」
ベルナーはそう聞いて振り返り、窓に背を向けた。
「そんなもの結構よ」ブルックが言った。「私たちはあんたのことを知っているわ。依頼人の娘なんだから」
「でも私はあなたたちのことを知らないわ」
ブルックは面倒に思い、自分の名前だけを教えたが、それ以外は教えなかった。ベルナーとルドウは暇を持て余すかのように名前だけでなく、この場にいないメンバーについても話し始めた。三人の会話からはブルックにとって興味を持つような話題は一切出なかった。