パープルゴリラは音を愛する
空のずっとずっと上のほうにある世界で、カラーゴリラたちが仲良く暮らしていました。そこは、ほとんど音のない静かな静かな世界でした。
実はゴリラにはいろいろなカラーがあるのです。そして、カラーによって大好物が違います。例えば、ふつうの黒ゴリラはバナナ、レッドゴリラは夕焼け、ブルーゴリラは青空、イエローゴリラは花、ホワイトゴリラは雲というように。そしてパープルゴリラはというと『音』が大好き。でもこの世界にはゴリラたちの大好物は何一つありませんでした。だからときどき大好物パワーを蓄えるために旅に出かけます。
最近、パープルゴリラはすごく悩んでいました。お気に入りのパープルの毛がだんだん黒ずんできたからです。しばらく大好きな音を聞いていなかったからでしょうか。このままではふつうのゴリラになってしまいます。
(イヤだ! 絶対イヤだ! 黒はイヤだ! 黒だけはイヤだ!)
パープルゴリラは考えました。5週間ほど考えました。そして決心したのです。音を聞くために地上に降りることを……
「ウホッ! 気持ちいいぞーー」
パープルゴリラは夜空を飛んでいました。そうそう、カラーゴリラには羽があって、空を自由に飛ぶことが出来るのです。パープルゴリラは空を飛ぶのが大好きでした。ふつうのゴリラになってしまったら、空を飛ぶことは出来ないので地上で暮らすしかありません。でも残念なことにパープルゴリラの羽は、真っ黒でまるでコウモリみたいなのです。また、飛んで良いのは夜だけです。これは空の交通ルールで決められています。
まず聞こえてきたのは飛行機の音です。
ゴォーーーーーー
飛行機は赤色と緑色のライトを灯し、まるで夜空を破いてしまうかのような音を轟かせています。
ゴォーーーーーー
飛行機はたくさんの乗客や荷物をのせて、パープルゴリラの横をあっという間に通り過ぎて行きました。パープルゴリラは飛行機に向かって叫びました。
「頑張れよーー」
飛行機は遠くでピカッピカッと光りました。飛行機の音のパワーで少しだけパープルゴリラの毛は明るくなりました。
それから少しずつ下降しながら夜空を飛んでいると鳥たちの群れに出会いました。
「ウホッ! こんばんは!」
パープルゴリラが話しかけると、鳥の群れは一斉に鳴き始めました。
ギャアーギャアーギャアー
「わあぁぁ、ビックリしたぁ」
鳥たちの鳴き声は大音量でした。
「チームワーク、バッチリだね」
「ありがとうございます」
一羽の鳥が答えました。
「いやいや、君たちは何鳥?」
「ぼくたちはムクドリです。これから寝る場所に帰ります」
「そっかぁ、いやー、かわいい声だね」
「そうですか? そんなこと言われたの初めてです。いつも、うるさいって言われてるんで、何か照れますね」
ムクドリのオレンジ色のクチバシがもっと色濃くなりました。
「君たちの鳴き声は君たちしか出せないんだから、自信持って鳴いてくれよ」
ギュルギュル ギュルギュル
ムクドリたちは少し丸くなった鳴き声で駅の街路樹に向かって飛んで行きました。
(いいなー、仲間がいるって)
パープルゴリラは思いました。
しばらくそのまま飛び続けましたが、聞こえてくるのは風の音だけでした。
「うーん、風の音も良いんだけど、心地良くって眠くなるな」
夜は次第に深まっていきます。
「よし、そろそろ着地してみるか!」
パープルゴリラは目を閉じました。そして、思いっきり鼻息を鳴らしました。
フーンーフーンーフーンーフーンーフーンー
すると体の力が抜けてゆらゆらと地上に落ちていきました。
ドシッ!!
パープルゴリラは両足をつけてしっかりと地面に降り立ちました。
着地成功ーー
パープルゴリラは静かに目を開けました。そして羽をしまうためドラミングを始めました。ドンドンドンドンドン激しく胸をたたきます。すると羽は次第に消えていきました。
「はぁ…… この羽、好きじゃないんだよな、もっときれいな羽なら良かったのに!」
パープルゴリラが着地したのは広場のようなところでした。真っ暗でほとんど見えません。パープルゴリラはじっと目を凝らして辺りを見回しました。すると大きな建物がぼんやりと見えてきました。どうやらここは学校の校庭のようです。
「静かだな」
昼間は子どもたちの声があふれているけれど、夜、誰もいない学校はとても静かです。
ふと、パープルゴリラの目に映ったのは鉄棒でした。パープルゴリラは鉄棒にぶら下がってみました。
「ウホッ、ウホッ、ウホッ、ウホッ、ウホッ」
思わずパープルゴリラはケンスイを5回やってしまいました。そして、とても疲れて座りこんでしまいました。
「逆上がりは出来ない……」
パープルゴリラはそう言いながら眠ってしまいました。
どのくらいの時間がたったのでしょう。だんだん空が白く明るくなってきて太陽が昇り始めました。
「あーあー、あーあー、こんなところで寝ちゃってーー」
パープルゴリラはカラスの声で目を覚ましました。カラスが鉄棒につかまってこちらを見ていました。
「ウホッ! カラスくん、おはよう!」
パープルゴリラは起き上がり、体についた土をパンパンとはらいました。
「げほっ、げほっ」
カラスは土ぼこりにむせて咳込みました。パープルゴリラはそれを見て、すまなそうな顔であやまりました。
「カラスくん、ごめん、ごめん」
カラスはぷいと横を向いて飛び立ちました。
「カラスくーん、起こしてくれてありがとう!」
パープルゴリラは空に向かって叫びました。
かあー、かあー、ああー
カラスは鳴きながら見えなくなりました。
「うーん、ツヤのある良い声だな!」
パープルゴリラはなんだか良い気分になりました。
辺りはすっかり明るくなって空は澄んだ青色になり、ふわふわの白い雲がぽてんと浮かんでいました。パープルゴリラはブルーゴリラとホワイトゴリラに、この青空と雲を見せてあげたいと思いました。校舎が太陽の光を浴びてキラキラしています。そろそろ子どもたちが登校してきます。パープルゴリラは、のそのそと歩いて校門の前まで来ました。すると、ちょうど先生が門を開けるところでした。
「ウホッ! おはようございます!」
パープルゴリラは先生にあいさつをしました。しかし先生はパープルゴリラに気が付かないようです。まもなく、子どもたちがどんどん登校してきました。
「先生、おはようございます」
「おはよう」
「おはようございます」
「おはよう」
元気なあいさつが朝の風景に飛び交います。パープルゴリラは子どもたちに手を振りながら校門から外へ出ました。でも、子どもたちもパープルゴリラに気が付かないようなのです。そうです、パープルゴリラは人間には見えないのです。子どもたちの元気な声をたくさん聞けて、パープルゴリラの毛はますます明るくなっていきました。
パープルゴリラは口笛を吹きながら、学校の横を道なりに沿って歩きました。少し行くと道路工事をしていて行き止まりになっていました。作業員の人たちがせわしなく働いています。地面が揺れるような激しい機械の音が鳴り響きます。
「パワーのある音だな、カッコイイ!」
パープルゴリラには、どんな音でもすてきな音に聞こえます。
(きっと安全な道路が出来るね!)
パープルゴリラはウインクをしました。
パープルゴリラはまわれ右をして横道に入って行きました。そこは駅まで行く近道で住宅街でした。犬小屋から顔を出した犬がこちらを向いて吠えました。
わん、わん、わん
パープルゴリラは立ち止まって言いました。
「ウホッ! こんにちは!」
犬は不思議そうな顔でシッポをピーンと上に向けて言いました。
「ねえ、どこに行くの?」
パープルゴリラは犬に近寄り、しゃがみ込んで言いました。
「すてきな音を聞きに行くんだよ」
「ふーん、じゃあ、わたしの歌を聞いてみる?」
パープルゴリラはニヤリと笑ってうなずきました。犬はうれしそうに軽くジャンプしました。そして、ゆっくりと空を見上げました。
わおーん、わおーん、わおーん
犬は高らかに遠吠えをしました。少し悲しげな声に聞こえました。すると、いつのまにかパープルゴリラの声が重なって聞こえてきました。
ウホーン、ウホーン、ウホーン
犬とパープルゴリラの二重唱が町中に響きました。
ガチャ!!
家のドアが開いて飼い主が顔を出しました。
「どうしたの?! お散歩はもう少し待っててね」
犬は遠吠えをやめました。そして、しっぽをたくさん振ってパープルゴリラに言いました。
「あなたも結構やるわね。じゃあっ」
パープルゴリラは歩きながら手を振りました。
「美しい声だったよ。ありがとう」
それから、パープルゴリラは駅に着いて、駅前にある噴水の水しぶきの音にわくわくしたり、ロータリーに止まっていたバスのクラクションに驚いたり、聞こえてくる電車の走る音に合わせて踊ったりしました。高架下のハンバーガーショップではカウンターの店員のお姉さんの元気な声が聞こえてきます。
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
お姉さんがパープルゴリラに向かって微笑みかけてくれたように見えて、パープルゴリラの顔は、ぽわっと赤くなりました。
隣りの花屋さんには色とりどりの花がたくさんありました。パープルゴリラは、花が大好きなイエローゴリラに届けてあげたいと思いました。いつのまにか、空は橙色とピンク色と水色、ほかにもたくさんの色が混ざり合って神秘的な色に変わっていました。まるで天使が舞い降りて来そうな空。レッドゴリラの大好きな夕焼け空。パープルゴリラは少し寂しくなりました。
「夜になったらみんなの所に帰ろう」
辺りが薄暗くなってきました。パープルゴリラは駅前の花壇の横のベンチに座って、行き来する人たちを眺めていました。
「わぁー、靴が鳴っているよ。高い音、低い音、早い音、ゆっくりな音、いろいろな音が聞こえる!」
すると、タッ、タッ、タッ、タッ
軽快な足音が聞こえてきました。パープルゴリラのすぐ前にギターを抱えたお兄さんがやって来て、何か準備を始めました。どうやらお兄さんは歌を歌ってくれるようです。準備が整うとお兄さんはギターを弾きながら歌い始めました。すると、早足で歩いていた人がゆっくり歩き出し、やがて足を止めました。いつのまにかお兄さんのまわりには人がたくさん集まっていました。パープルゴリラはうっとりと歌を聴いていました。そして体中の毛がピーンと立っているのに気付きました。涙を流している人もいました。とてもやさしいメロディでした。心がほかほか温まる歌でした。
辺りはすっかり暗くなってしまいました。夜空のうちに帰らなくてはならないので、パープルゴリラは歩き始めました。
「もっと聴きたかったな…… 素敵な歌をありがとう」
パープルゴリラは着地した学校の校庭目指して歩いて行きました。駅の街路樹にはムクドリがたくさん止まって眠る準備を始めています。細い通路に入ると街灯はなく、家からこぼれる明かりだけが夜道を照らしていました。学校が見えてきました。もうすぐこの世界ともお別れです。
その時、一軒の家から赤ちゃんの泣き声が、かすかに聞こえてきました。
「ふぎゃー、ふぎゃー、ふぎゃー」
パープルゴリラは立ち止まりました。その家の窓をのぞくとベビーベッドが見えました。赤ちゃんはベッドの中で泣いているようです。その横でお母さんが床に座り込んでいるのが見えました。窓に手をかけるとカギは閉まっていません。パープルゴリラは窓を開けて中に入りました。でもお母さんは座り込んだまま動きません。
「ふぎゃあー、ふぎゃあー、ふぎゃあー」
赤ちゃんは激しく泣いていました。パープルゴリラはベッドから赤ちゃんをゆっくりと抱き上げました。すると、赤ちゃんはパープルゴリラの顔をじっと見つめ、キョトンとした顔をして泣き止んだのです。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン
赤ちゃんの体からものすごく強い音が聞こえました。それは電気のようにパープルゴリラの中を駆け抜け、ピカッと光りました。パープルゴリラは赤ちゃんをお母さんの腕にそっとのせました。すると赤ちゃんはお母さんの顔を見てにこっと笑いました。お母さんはハッとしたように赤ちゃんを抱きしめ、頬ずりをしました。ぽたぽたと涙が床に落ちました。パープルゴリラは二人を抱きしめました。こわれないようにそっと抱きしめました。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン
「生きている音だよ。生きようとする音だよ。生きたいという音だよ」
夜の校庭にパープルゴリラは立っていました。校庭はそこだけスポットライトを浴びているかのように、薄むらさき色に光り輝いています。パープルゴリラは深呼吸をして目を閉じるとドラミングを始めました。ドンドンドンドンドン激しく胸をたたくと、羽がすっーと生えてきました。そしてゆっくりと羽ばたき始めたのです。やがてパープルゴリラの足は宙に浮きました。そしてどんどん上に昇っていきました。パープルゴリラは目を開けて、だんだん遠くなっていく街の灯りを見つめながら大きな声で言いました。
「また、ここに音を探しに来るよーー ウホッホッ!」
不思議なことにパープルゴリラの羽はもう黒色ではありませんでした。雪のように真っ白で月明かりに照らされてやわらかな光を放っていました。それはまるで…………
空のずっとずっと上のほうにある世界でカラーゴリラたちが仲良く暮らしていました。そこは、ほとんど音のない静かな静かな世界でした。パープルゴリラは仲間たちと一緒に過ごせるこの世界が大好きです。そして誰よりも音を愛しています。