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日向景明。『君に恋する』の男主人公。
平凡な容姿に人当たりのいい性格、誰とでも仲良くなれる驚異のコミュニケーション能力の持ち主。
それはどんな事件にも立ち向かえる勇気と機転。磨けば眩く輝くであろう才能の数々と変幻自在の究極の個性であり無個性。
それは無限の可能性を秘めた夢と希望。彼ら主人公を例えるならば、プレイヤーの憧れの偶像。理想の姿。あるいは一キャラクターとしての期待。
ハーレムだろうが友情であろうが、彼らにかかれば落ちないキャラクターはいない。一度接触すれば、いつに間にか次へのフラグを立てられ、いつの間にか相手の欲する言動を何気もなくやってみせて好感度を上げ、いつの間にか恋に落とされている。
魔性。それが彼と彼女に与えられた一物。この世界において彼と彼女は完全無欠を誇る無敵の地位を持っているのだ。
逃げられない。
目をつけられたら、終わりだ。
彼と彼女の興味を引けば、瞬く間に底なし沼にハマり蜘蛛の巣にて絡め取られてしまう。畏敬の念すら抱きそうになる。恐ろしいくらいに人として普通であり非凡。
恋愛シミュレーションゲームにおける主人公。そんな恐ろしい男が今まさに、目の前にいる。
──主人公としてではなく、サポートキャラクターとして。
「九道亜美のライバルルートをクリア出来たね。おめでとう」
「うん、ありがとう。それで次のターゲットの情報を聞きに来たんだけど」
私達がいるこの世界では、プレイヤーが主人公に、元々の主人公がサポートキャラクターとなっていた。
何がどうしてそうなったのかはわからないが、私がこの世界に来て混乱している時に最初に初めて接触したキャラクター。それが彼らだ。
この世界は『君に恋する』の世界観を持った別世界などではない。私達が別世界に転生したとか、トリップ──この場合、自分のいた世界から別世界へ世界を越えてやって来てしまうこと──したわけでもない。この世界は本当にゲームの世界なのだ。
例えるなら三次元化した仮想世界を自分自身で体験しプレイできるようにした、マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲームの恋愛シミュレーション版。この時点で既にオーバーテクノロジーすぎて頭が痛い。
私の知らないところでいつの間にか人類は二次元への扉を開いてしまったというのか。執念がハンパない。ゲーム以外にどう活用されているのか知りたいところだ。この技術がゲームのためだけに開発されたのだとしたらもう人類は手遅れだ。病院が素足で逃げ出す。
彼と彼女はサポートキャラクター故に、ゲームのシステム的なメタファーの通じるノンプレイヤーキャラクター達だった。当時の私はそのお陰で湧き上がる疑問を抑えきれずに次々と二人にぶつけ、更には原理不明のシステムを実際にこの目で見てようやく現状を理解したのだ。
ここはゲームの世界なのだと。
「次は誰のルートを狙うの?」
「多川涼」
彦島が声に出して選択すると、日向は「ポップアップ」と呟いた。
すると日向の目の前に薄青色の半透明な四角形が現れる。角が取れて丸みを帯び、柔らかい光を放つ平面の図形。何かが表示されているらしい、文字の羅列。ボタンの様な画像。
発光源もわからないのに自然と宙に現れた、サイエンスフィクションによくあるやつだ。実態のないはずの映像にタッチして画面を切り替えたりできる、あれ。
原理不明のシステムウィンドウ。またの名をメニュー画面。私がゲームの世界だと認識した理由の一つ。
「またライバルルートを辿るの?」
「然もあらん。ライバルキャラクターの情報も一緒にちょうだい」
私が催促すると、日向はメニュー画面に指を滑らせて情報を検索していく。
まるで人間のような仕草。芸が細かいことである。
彼らはゲーム内のノンプレイヤーキャラクターであり、人間ではない。動きをプログラムされたただのデータなのだ。攻略キャラクターも、周りのモブキャラクターも、皆全てデータであり人間ではない。この世界で人間は今のところ、私と彦島だけだ。他には会ったことがない。
日向達はこの世界の説明をプレイヤーにする、案内人でもあるので他にプレイヤーが来ればわかるようになっているそうだ。その日向にも聞いてみたことがあるが、彼らも他のプレイヤーには会ったことがないらしい。
つまり結局はこの世界にいる人間は私と彦島のみ。まあこの世界は仮想世界を使ったゲームなので、それをプレイしている私達の身体もデータ化された偽物なんだと思う。思考はちゃんと人間の、本人のものなんだけれども。だから厳密に言えば今の私達も人間ではないはずだ。
私達がお互いに性格が合わずとも一緒に行動しているのは、もしかしたらこの漠然とした他に人間がいないという不安から逃れるためでもあったのかもしれない。彦島も、初めてお互いがプレイヤーだと気づいた時、形容のしようのない表情をしていたから。
日向はメニュー画面を見ながら情報を読み上げる。
「先ずは多川涼。二年三組。誰に対しても素直になれないぶっきらぼうな少年。周りに溶け込まず一匹狼のように過ごしている。身長は……」
「その辺のデータは飛ばして。所属してるとことか、よくいる場所をお願い」
日向達から与えられる情報は細かい。攻略に必要ない情報まで設定されていて、寧ろ設定した製作者に天晴れと言いたくなるくらいに細かい。前回の加塚、九道ペアの攻略時に学んだ。時には切り捨ても大事だと。必要のない情報は時にブラフとなり得るのだ。
「了解。所属している委員会や部活なし。よく出現する場所は学園内だと体育館と屋上。学園外なら公園。……現在はこれ以上の情報開示出来ないよ。ごめんね」
情報の開示が終わったようで、日向は定例文で締めくくった。
序盤なので殆ど前情報と変わらないものしか手に入らないのは仕方が無い。キャラクターは攻略する度に、徐々に情報が開示されていくためだ。最初から裏設定までわかっていてもつまらないし、ゲームとしては成り立たないしね。
「ありがとう。まあまあ予想通りの場所に出没するみたいだね。」
「攻略の難易度も低いって前情報にあったしな。そんなもんだろ」
彦島と頷きあって、この後早速情報の場所を回ってみようと決める。
多川が体育館に現れるというのは少し意外だった。一匹狼のように誰かと連れあえない彼のようなキャラクターは、大体が人気のない場所を好む。まあ、そこはまだ開示されていない情報に繋がっているのだろう。今は気にしないとこにする。
「じゃあ次、多川涼のライバルキャラクターの情報を話すよ」
日向は相変わらず無機質で温厚そうな笑みを浮かべて話し出す。
「森崎瞳。一年二組。快活で人懐っこく、素直な少女。運動が好きで勉強はちょっと苦手。陸上部と園芸委員会に所属。よく出現する場所は学園内だと中庭と校庭。学外だと商店街。……現在はこれ以上の情報開示出来ないよ。ごめんね」
どうやら日向の人工知能は学習して不要なところを省いてくれたらしい。凄い。
一通り聞いて多川との接点を考える。これらの情報から、コミュニケーション能力が高い人間と低い人間という組み合わせはわかった。割と良くある組み合わせだ。自分に無いものに惹かれる王道な恋愛パターン。
先輩と後輩というのもいい。ちょっと周りから浮いた不思議な先輩と子犬のように慕ってくる後輩。いい。すごく、いい。絆される多川と自分にだけに見せる多川の優しい顔にときめく瞳ちゃん。変わっていく多川と恋をしてちょっと大人になる瞳ちゃん。ほほう、堪りませんなぁ。微笑ましいですなぁ。
「日向、こいつの顔にモザイク加工をかけろ。出来れば解像度低めで」
「そんな権限持ってないよ」
……なんてことだ。また顔に出してしまったらしい。失敗した。妄想しているときの顔は得てしてヤバいものだと自覚しているので自重しなくてはならないのに。ここには人間が彦島しかいないから、ついやっちゃうんだ。足のサイズはハンバーガー四個分とか言ってられない。表情筋を衰えさせよう。
「じゃあぼかし加工でいいから」
「画像加工ソフトじゃないってば」
「……そこの海藻類、いい加減にしないと蝉爆弾をお見舞いするぞ」
「やめろ。儚い命をなんだと思ってんだ」
蝉に対して妙に優しい。その優しさを私にもよこせ。
「とにかく、先ずは多川ルートに入る必要がある。体育館と屋上、公園に入り浸るぞ」
そう方針を定めると、彦島は部屋を出て目当ての場所へ早速向かおうとしだす。慌てて私も追いかけようとした、その時。
「あ、ちょっとまって二人共。まだ伝えたいことがあるんだけど」
日向に引き留められた。
なんだろう。日向はノンプレイヤーキャラクターなだけあって決められた行動しかしない。情報を言い忘れるなんてことはしないし、今まで引き留められたこともなかったので彦島と怪訝な顔をして振り返る。
「何?」
「昨日、初めてキャラクター個別のエンディングまでいけたでしょ?」
「うん」
そうなのだ。実はまだ、クリア出来たエンディングは二つしかない。何もしないで卒業まで過ごすと迎えてしまうバットエンドの一つと、昨日の加塚のライバルエンド。
一昨日までこの世界のシステムを理解するのに精一杯で、本編は手付かずだったのだ。なので昨日はかなり幸せだった。久々の萌えに悶えられて興奮のあまり夜も眠れなかったくらい。
「バットエンド以外のエンドをクリアすると解放される機能があってさ。それを伝えたいんだ」
初耳である。いや、隠されていたのなら当たり前なんだけど。衝撃の真実。
「対した機能でもないんだけどね。いつでもどこでも僕を呼び出せるようになるだけっていう」
日向の自室に天使が通った。
なんとも言えない、微妙な機能を解放してくれたものだ。日向は自分の自室から動くことがないので、情報が欲しい時にはここまで聞きに行かなければならない。手間と言えば手間だったのだが。
「その機能、いるの?」
「それは製作者に聞いて欲しいなぁ。それに僕はワープ出来るから、僕がいれば君たちも移動が楽になるんじゃない?」
何だって。日向お前、自室から出られたのか。自宅警備員じゃなかったのか。何時もここにいるから、てっきりここから動かないようプログラムされてるのかと。
「私達も一緒にワープ出来るの?」
それが本当なら、大分攻略が楽になる。必死に早瀬川市を駆けずり回らなくてすむ。それならそうと最初から出して欲しかった。前回の加塚達の攻略でイベントの度に走っていたあの苦労はなんだったのか。
「うん。便利でしょう? で、僕を呼び出す機能を解放するためにはちょっと君達に目印をつける必要があるんだよね」
「目印?」
「呼び出しの度に君達の元に僕がワープする訳だから、精密な位置情報がいるんだよ」
どうやら日向を呼び出すというのは、本人をそのまま私達の傍まで来させるという意味らしい。ビデオチャットみたいなのを出すのかと想像してたけど違うのか。
そして新機能を解放するには、何かしら手順がいるらしい。こういうのは裏でパパッと「もう使えるよ」ぐらいに素早く処理して欲しいものだ。
この様子だとサポートキャラクターである彼にはプレイヤーである私達にそうやすやすと干渉出来ないのかもしれない。それならば何故彼に隠し新機能を託したんだ開発者……。私達の身体はデータ化されたものなんだから、それを管理しているシステムに託せば良かったんじゃないのか。謎である。
「つまりGPS発信機を俺達につけて、いつでも俺達の場所がわかるようにしないと日向は俺達の元へ飛んで来れないんだな」
じーぴーえす。グローバル・ポジショニング・システム。アメリカの衛星測位システムはまさかこんなところまで居場所を確定はしてくれないだろうが、まあそれはきっと『君に恋する』のシステムが代わりにやってくれるのだろう。
ちょっと考え込んでいた彦島が簡単にまとめる。表情はあまり良くない。プライベートにあまり踏み込まれたくないと言っていたので、機械が相手でも監視されているようで嫌なのだろう。
「うん、そうだね。だから付けさせて欲しいんだけど」
「それって強制か?」
「うん。せっかく新機能を解放したんだからグレードアップしなきゃ勿体無いよ。……そうしないと機能が一生日の目を見ない可能性もあるし」
製作者さん、ノンプレイヤーキャラクター、NPCに自分の本音を言わせないでください。
強制という言葉に彦島はますます嫌そうな顔をしていたが、仕方なさそうに了承した。
「じゃあ二人とも、片手貸して」
日向は片手ずつこちらに向けて差し出してくる。差し出された手の向きから握手すればいいのだろうと推測できたので、私達はそれぞれ伸ばされた手を握り、そのまま日向の作業終了を待った。
無言の時間が流れる。何分経ったのか、それともまだ数秒しか過ぎてないのか。沈黙は苦手だ。そわそわしてしまう。作業する日向に話しかけるのも躊躇われて、気まずさに耐えきれず彦島に声をかけた。
「彦島、しりとりしよう」
「うるさい奴だな。これくらいの沈黙も耐えられないのかよ」
「よく話しよく笑いより良い人間関係をがモットーだもんね」
「寝言は寝て言え。お前のどこにそんなコミュ能力がある」
「類は友を呼ぶ」
「ぶっ殺すぞ日向」
作業が終わったのか、日向も途中から入ってきた。そんな行動までプログラムされてるの?凄いね人工知能。なんだかんだ彦島もしりとりに付き合ってくれたので勝手に感じていた気まずさは消えている。ホッとした。今だけは感謝だ。後で私が過去に一番萌えた大和撫子設定キャラのモノマネでもしてやろう。
「もう終わったなら行っていいか?さっさと攻略に戻りたい」
互いに握っていた手を離して、彦島は退室の意志を表した。そう言えば結構ここで時間をくってしまったような気がする。早く次の攻略キャラにも会いたいし、もう日向にも要はないだろうからそろそろ出て行こう。
「うん。僕を呼び出したい時は名前呼んでくれればいいから」
「わかった。ありがとう」
「じゃあな」
入室した時と同じように簡素に挨拶して部屋を出る。扉を閉め切るまでに日向の声が僅かに聞こえた。
「頑張ってね。彦島文也君、佐上惟子さん」
ええ、全力で頑張ってきますとも。