7 使用人の苦労、主人は知らず
そんなこんなで翌日。
エイリ初めての仕事日となった。
「朝はやることがそこそこ多いわよ。
お館様が出勤されるから、それに併せてやる必要があるの。
決してお館様に大して粗相をしてはならないわよ。」
と、先輩メイドのカレンに、朝ごはんの最中に注意される。
使用人の朝は早い。
だいたい日の出頃に起床し、身支度を行う。
使用人の中でも最も早く仕事をしはじめるのは、厨房のシーヴァである。
火を熾して、朝食の準備を始めるからだ。
そして身支度を終えたジョルジュやカレンら使用人も食堂にきて、シーヴァが作った簡単な朝食を口にして、
軽く連絡事項について言い合う。
かきこむような早さでジョルジュが食事を終えたのを見送ったあと、カレンはエイリに言った。
「これからする仕事は、ダイニングの準備と、洗面の準備、給仕の手伝いね。
基本的に、お館様に直接接するのは執事1人だけど、彼1人では全部こなせないから私たちも補助につくのよ。
で、私は今からダイニングの準備に行ってくるから、あんたは新聞にアイロンかけて皺を伸ばすのよ。
焦がさないでよ。」
そういいつけてさっさとカレンは出ていく。
皆早々と食事を終えている。
口いっぱいにもたもたと食事を詰め込んだエイリは、大急ぎで部屋を出て、玄関の新聞受けから新聞を拾って、早速小間使いの部屋にエイリは戻る。
新聞は朝露のせいで、すこししけっている。
インクがにじんでいるところもあるが、エイリは構わずアイロンをあてた。
アイロンの中身は厨房で火熾しに使われていた薪だ。
アイロンの使い方など、服のしわ伸ばし以外には初めてである。
丁寧に皺を伸ばしていると、ジョルジュがぬっと顔を出した。
「もうすぐお館様を起こします。洗面の用意はできてますか?」
洗面!?それって誰がやるの!
エイリはわたわたと
「い、今とってきます!」
といって階下へとりにいった。
ジョルジュの給仕の補助にはカレンがついていたが、
エイリはそのあいだに屋敷中の洗濯物をランドリーに持っていったり、慌ただしいどたばたが続いていたが、
男爵が無事出勤して、ようやく屋敷は静寂が訪れたようだった。
「まあこれで各々の細かい仕事につける、ってところね。あとは屋敷の掃除を昼休憩までにするわよ。」
「はい、わかりました。」
ウィルハイム男爵家は、貴族ではあるが、質素な人員である。
それなりの規模の家柄だと、使用人はそれぞれ専門に分けられている。
たとえば、掃除専門、料理専門、庭専門、洗濯専門、または、旦那様専門、奥様専門、などなど。
しかし、ウィルハイム家ではそうはいかない。
専任で雇っている専門職は、料理人のシーヴァぐらいである。
洗濯は、近所のおばちゃん達がやっている洗濯屋から派遣できてもらっている。
庭師も、シーヴァの夫であるルティーのが請け負っているが、専任ではなく、他の邸宅でもいくつかかけ持ちをしているらしい。
あとは、ジョルジュとカレンが手分けして残りの仕事を分担していた。
主にジョルジュが会計などの事務作業や渉外を担当して、カレンは掃除や備品管理を担当していた。
それでこの家は回っていたのである。
だが、男爵が帰還したことで、そこに「男爵当人の御世話」という非常に面倒くさい仕事が一つ増えてしまったのだ。
まず、シーヴァは使用人用の賄いに加えて、男爵用のきちんとした食事を作ることになった。
賄いだと、丼茶碗にドーン!と出しても構わなかったが、男爵相手にそれはかなわない。
フルコースまではいかなくとも、少なくとも前菜・スープ・メインを夕食に取り揃えなければならなくなった。
次に、ジョルジュは、男爵当人の世話をすることになった。
このため、それまでは四六時中事務作業などに専念できたのだが、男爵がいる時間は、呼びつけられればジョルジュが男爵の元に駆けつける羽目になった。
そしてカレンはジョルジュの補佐に入ることが増えた。
そういうわけで、たった一人男爵がやってきただけで、どどどっと増えた仕事を補う誰かが必要で、エイリはうってつけだったのである。
「お館様がいなかったから、埃が積もらない頻度で掃除をしていたのを、お館様のお部屋は基本的に毎日掃除しないとねえ~。
シーツだって毎日取り替えるし、水ぶきも毎日よ。
あーあの日よ帰って来いー」
廊下をモップでごしごししながらカレンは恨み節である。エイリも窓を磨きながら尋ねる。
「お館様ひとりでそんなに一変するんですね。」
「そうよ~。貴族ってのはね、面子が大事なのよ。
まあ伺ったわけじゃないけれど、もしかしたら本心では『こんな待遇してもらわなくても』とか、お館様は思ってるかもしれないわ。
一応あの方って爵位を継がれるまでは、軍人っていう肩書以外なにもない方だったわけだし。
でも、周りはそう思ってないのよ。
もし、お館様が誰も使用人を雇ってなければ、貴族らしい振る舞いができない人だって言う烙印を押されかねない。
で、使用人を雇ってたとしても、上下関係がきちんとしてない関係だと思われたら、それも威厳がない、っていう弱みにされるのよ。」
「…そういうのって、外の方からわかるものなんですか?!」
「貴族の情報網なめちゃだめよ。」
カレンはベテランらしいことをいう。
「貴族って、そういうどーーーーーでもいいことに血道をあげんのよ。
で、貴族らしいところがないと思われたら最後、あいつは相応しくない、領地をもってる資格がない、あんなに素晴らしい家に住むなんて言語道断だ!とか思われるのよ。
そうやって不用意に爵位をつけ狙わせたら、領民を不安に晒すことにもなるし、家族を持っている貴族なら、なにかと面倒なことにまきこむかもしれない。
面子って、ハッタリかもしれないけど、存外大事なもんなのよ。」
初めて知ることばかりである。
長いこと、自給自足のド田舎暮らしをしていたエイリからすれば、はったりだの面子だの、お金と手間暇だけがかかって、
なんの利益もなさそうなことに
自ら率先して投資をする必要がある貴族の社会は摩訶不思議である。
しかし、カレンは階段の手すりを雑巾で拭きながらため息をついて、不安げなことを口にした。
「でも、うちのお館様はそんなことをあんまり気にしないわ。
確かに私たち使用人に対しては上下関係をきっちりする方だけども、仕事がなってない!だとかあれやれこれやれとか全然言われないわ。
上下関係をきっちりなさるのも、ご自分が軍属だから、って感じがするもの。
どころか、地方で任務につかれていた際なんて、1人で全部身の回りのことなさってたようだし、
こっちへ帰ってきてからも、仕事が忙しいの一点張りで、パーティだとかの御誘いだとか全部蹴ってらっしゃる!
せっかくの爵位が錆つきまくってるようなもんよ。」
「そ、そうなんですか。」
しかし、あの一度対面した時に喰らった厳しげな視線が、きゃっきゃうふふの御花畑な社交界では浮いて浮いて浮きまくるのは
庶民のエイリからしても想像に難くない。
カレンは、やはり会って間もないエイリですらお館様の性質を見抜いていることに、やはりさらに深くため息をついた。
「お館様は元々は貴族ではなかった御方だから、そういう世界を遠慮なさってるんだろうってわかるし、
男爵家は領民がいないから、領民の心配も無用なの。
いくらか領地はあるけど、全部農地に転用させて、小作人を雇って経営してるだけだから。
でもお館様の評判があまりよろしくなくなると、ねえ…私たちもどういう待遇になるのやら…」
はぁ、とため息をつくカレンはしどけない風に見えるが、その実そろばんをはじいて『明日のパンを買うお金がない…』といっている
肝っ玉母ちゃんにも見えなくない。
どう反応すればいいんだろう、と思うエイリの戸惑いに向かって、カレンは
「ま、喋りすぎたわね。じゃ、こっから巻いて掃除をかたすわよ!」
といつも通りに戻った。
一通り掃除を終えて丁度お昼の時間帯になり、カレンと共に食堂に向かうと、
すでに美味しそうな香りが漂う中、しかめっ面で席に座るジョルジュの姿が見えた。
ジョルジュもまたこちらの姿に気づくと、ぎこちない笑みをうかべた。
「お疲れ様です、カレンさん、エイリさん。どうでしたか、なにか御不便なことはありませんでしたか?」
「執事の心配するようなことはなんにも起きなかったわよ。
というか、あんたの辛気臭い顔のほうがいろいろなんかあったんじゃない?って思う訳だけど。」
エイリも同感なのでうんうん、と頷くと、ジョルジュははぁーーーと盛大にため息をついた。
「見て下さいよ、この招待状の量…」
わさっとジョルジュが出してきた封筒の量は、ざっと見ただけで2,30はくだらない。
カレンは、うっ、と詰まった声を出した。
「いくらシーズンだからって、これは…なんのバブル?なんでここだけ景気がいいのかしら?」
「え?どういう意味ですか?」
カレンが衝撃を受けておののいている意味がわからないエイリは、素直に疑問を呈したが、
来る面倒くさいことにすでに億劫になっているジョルジュが丁寧に説明してくれた。
「シーズンといって、社交界には盛況な時期があるんです。
とくにこの春先は、冬の季節が過ぎて花の盛りですから、誰もかれもがそこかしらでパーティやら園遊会やらサロンやらを開きたがるんですよ。
そこに招かれて貴族の勤めとやらをするのが常識なのですが、お館様はこちらに帰ってきてからこの方殆ど出席なさってないんです。
それで、今は爵位を継いで3年にもなるのに、未だに誰もお目にかかったことのない曰くつきの人物になっていて、
どこのパーティに顔を出すのが初めてか、という賭けまでなされているようなんですよ。
それでこうやって週末に開かれるパーティの招待状の量が日増しに増えていると言う具合で…」
「で、増える量にもかまわずお館様は御断りなさるのよ。
で、御断りをする丁寧な礼状作りの仕事がこの執事の今の一番の重荷になってんのよ。
私も手伝ってるんだけど、ほんとめんどくさいったらありゃしないわよ。」
カレンもため息をついている。
よっぽどこの二人の仕事を圧迫する要因になっているらしい。
「どれかひとつでも行かれれば、もう少しましになると思うんですが…いかんせんお館様は
『時間の無駄だ』
といって憚らない御方なので…」
「断りの礼状を書くのだって私たちにとっては時間の無駄なんだけどねえ…
あ、そうだ、あんたも手伝ってくれない?便箋折ったり封印するぐらいならあんたもできるでしょ?」
「もし文字もお書きになるのなら、是非手伝っていただきたいです。」
縋るような二人の目線である。
食事がすめば休憩のはずなのに、おそらくこの手紙の処理だけで二人の休憩時間はパーになるのだろう。
エイリは逃れられない、と思って
「え、あ、はい、お手伝いします。」
と素直に答える。
そんな3人のやり取りを知ってか知らずか、昼食ができたらしいシーヴァが厨房からぬっ、と出てきて焼き立てのパンを食卓に乗せようとしている。
「あ、すみません、シーヴァさん。今どけますね」
こんもりと山になった招待状を急いでジョルジュがどかそうとすると、ぴら、っと一枚の封筒が床に落ちた。
シーヴァがそれを拾って、ジョルジュに渡そうとする。
「拾っていただいてありがとうございます。ほんとすいません、散らかしてしまって…」
「…これ、ニーゼット公爵から来てます。御断りするには、長大な御手紙が必要なのではないか、と思いますが。」
シーヴァはぼそっ、と呟いて、再び厨房の奥へと帰っていく。
が、それだけでジョルジュとカレンを震撼させるには十分だった。
「に、ニニニニニーゼット公爵家?!な、なんであんなとこから!?なんで!?」
「なななななんでじゃないわよ、執事!これは、もうお館様だってお好きにはできないわよ!!!」
二人が狂乱状態に陥っている理由がイマイチよくわからないエイリだったが、カレンは最早笑うしかない状態で教えてくれた。
「ニーゼット公爵家って、うちの国で5指に入る家柄なのよ。
前国王の側近中の側近で、権力者としても名高いのよ!
そんな雲の上のさらに上にいるような方の宴に、男爵なんて低い家柄の人間が呼ばれて、御断りなんて絶対有り得ないのよ!」
「も、もし断ってしまえば…?」
エイリはうっかり口を滑らせていた。
カレンはにっこりとした表情を浮かべている一方で、目から笑顔が絶えた。
「断る…?そんなことしたら、社交界から
追放よ。」
というわけでお久しぶりに投稿。
最近羞恥心復活してるらしいので(ぇ)、これ載せてもなーーーーとか思ってたんですが、
まあ頭の中ではもっとオカシイことを考えているので
まだマシですかね。
次からはよーやくご主人様ご活躍していただきたい気がするんですが、使用人たちの汗と涙の奮闘記になりそうな予感です。