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2 人をあやしくさせる方法

「さっさと出て行って、仕事を探さないと!

じゃないと路頭に迷ってしまうし…考えるだけでも一杯やらないといけないことがあるじゃない!」

実家からもってきた、ほんの少しの着替えと、差し押さえを免れた形見だけが入った小さなボストンバッグに、ほんのわずかの荷物を詰め終える。

不愉快な気分で昨日のイオニア夫妻との面会を終え、一日だけは泊らせてもらったが、

最早ここに用はない。

町に出て、職業案内所にいって、メイドのような仕事はないか、なければ、自分の腕で商売ができないかどうか訪ねなければならない。

そのうえで、いくらでもやることが頭に思いついていた。

「よし、これでいつでもでかけられるわね。

でも…いくらあんなこといったとはいえ、一日厄介になったんだもの、出立の挨拶はしないといけないわよね。」

与えられていた寝室を出て、イオニア夫妻の元に行くため、使用人を呼びとめる。

しかし、用向きを言うと、なぜか渋い顔をされた。

もしや、昨日のことをよく思ってなかったのか…と考えたが、そうではなかった。

「今主人は来客中です。申し訳ありませんが、暫くの間待っていていただけませんか?

来客の方との用が済み次第、御知らせいたしますので。」

「そうですか。わかりました。わざわざ御手間をかけます。」

そういって、再び部屋に戻ろうとした時、応接室あたりから、突然大きな声が廊下にまで響いた。

「なんだって!!マイア・ティスディル氏はすでに亡くなっている!?」

マイア・ティスディル。

疑うべくもなく、エイリの養母の名前だ。

思いがけないことにエイリは部屋に戻りかけた身体を反転させ、夫妻の応接室に向かう。

自然と足が小走りになるのを押えられなかった。

「エイリさん、お待ちください!」

使用人の呼びとめる声を振り切って応接室のドアを開けた。


「マイア・ティスディル氏を頼ってきたのにどうして…!!」

ちょうどドアを開けた瞬間、目に入ってきたのは、おろおろしている巨木のようにでかい男の体躯と、

そんな男に迫られて困惑気な表情をしている椅子にイオニア夫妻だった。

「エイリさん、勝手に開けてはいってはいけないよ。」

男の肩越しにイオニア伯爵がたしなめたが、エイリはすみませんと、一言だけ謝ってから、ウドのような男に言った。

「マイア・ティスディルは私の養母です。

養母に何か御用でもありましたか?差し支えなければ私がお聞きいたします。」

「マイア・ティスディル氏のお嬢さん、ですか?」

くるりとふりかえったウドの大木のような男は、明るい茶色の髪をして、おそらく普段は柔和な笑みをたたえる紳士なのだろうな、というような

優しげな容貌をしていたが、

このときばかりは焦りと、思いがけない展開とで表情がこわばっていた。

「たしか、マイア氏は若いころに夫君を亡くされて、長い間再婚することなく寡婦でいらっしゃったと聞いています。

お子さんもいなかった、と。

あなたのような立派なお嬢さんがいらっしゃるとは…」

「私は孤児で、養母に引き取られたんです。

つい先日他界した際にみとったのも私です。養母に用がおありなら、私がお聞きいたします。」

男は、他界、という言葉に一瞬表情を曇らせたが、仕方ないと思ったのか、口を開いた。

「私が仕えている主家の方が…マイア氏の技術を欲していらっしゃいます。

生前、マイア氏の技術は私がおります首都でも話題に上るほどのものでした。

今回、そうした評判を聞きつけていた主人の命を受けて、マイア氏が最後に働いていたこのイオニア家を頼りにきたのですが…亡くなっていらっしゃった。

もし、あなたが御存じであるなら、マイア氏の技術を受け継いだ方を紹介していただけないでしょうか?」

思いがけない頼みだった。

マイアが引退してからもう5年近くになる。なのに、未だにマイアの技術が欲する人がいるなんて。

エイリは、もしかしたら、という期待からはやる気持ちを押えつばを飲み込んだ。

「…もし、紹介したとして、その人をどうなさるのですか?」

「かなりの技術を持っていると見受けた場合は、私の主人は、専属にするつもりだ、と言っております。

待遇と給金は保証いたします。」

最後の、保証と言う一言で、エイリは心が決まった。

「…私が、マイア・ティスディルの最初で最後の弟子です。

養母が誇った、


『元の顔すらわからなくさせる』化粧師としての技術を、私は受け継ぎました。


御役に立てるのならば、是非、働かせて下さい!」

エイリの言葉に、男のみならず、イオニア夫妻もまた息を呑んだ。

「エイリさん…あなた、マイアと同じ技術を持っているの…?」

「はい。養母は、自分の老い先が短いから、私に早く手に職つけるため、といって指導してくれました。」

マイアがそんなことをしていたなんて、という驚きの表情でイオニア夫妻が顔を向かい合わせる中、さしてエイリの告白に驚きを受けなかった男は言った。

「そちらのイオニアご夫妻が御存じでなかった、と言うことは、

あなたはその技術を使って商いをしていなかった、ということになる。

つまり、あなたの技術は、マイア氏と同じようなレベルにあるかは誰もわからない。

私の主人は、マイア氏の技術を求めています。

それに応えられるものでなければ、私はあなたを雇う訳には行きません。」

おおよそ、言われると思っていたことを言われてしまう。

実は、エイリは一度も、客を取ったことはない。

マイアは引退したと言っても、床に伏せるまでは細々と頼ってくる客相手には化粧を施していた。

そのときに手伝ったりする程度だった。

それ以外は専ら、人間に見立てた人形相手に練習する日々だった。

それを披露できる機会と言うのは、そうそうない。

またとないチャンスだ。

「…わかりました。だれか、化粧をしてもよいという方をここにつれてきてください。

道具はあります。ご要望にお応えして、腕を披露させていただきます。」


「さて、エイリさん、うちのメイドを連れてきたけれど、どうなさるの?」

「マイアの化粧もすごかったけれど君はどういう化粧をするのかな?」

イオニア夫妻が興味しんしんでエイリの化粧道具を覗き見している。

御湯で持ってきた粉を練りながら、エイリは答える。

「今からこのメイドの方の頬に傷を作ります。

それも、今まさにぱっくりと切れたような、生傷を。」

「「化粧で、生傷???」」

化粧と言えば、美しくないものを美しく、美しいものはさらに美しくする技術だ。

美しさと正反対の技術に夫妻は目を丸くしたが、その様子を見ていたウドのような男は言った。

「私の主人が求めている技術は、『元の顔がわからない』という技術です。

エイリさんが今やろうとしている化粧はまさにそれに当てはまります。

顔面に特徴をつけることは、元の顔から遠いイメージを植え付けることになります。

その分、その特徴がもっともらしいものに見えないといけない。

違和感を想起させれば、元の顔のイメージが混在する可能性があります。」

エイリは心の中で緊張を感じていた。

傷は生々しさがあってこそだ。

ひとたび『人造』っぽさがでれば、違和感が生まれてしまう。

いかに、らしく見せるかが最大のポイントだった。

「では、今から始めます。」

そういって、頬に手を伸ばした。


――それから、化粧を始めて1時間弱。

ようやくエイリは手を止めた。

「できました。」

その言葉に、イオニア夫妻と、男がエイリの手元を覗き込む。

メイドの顔には、生乾きの、今ににも血が滴ってきそうなぐらいぱっくりと切れて傷口が覗いている、

頬を縦断する生傷が出来あがっていた。

三人は息を呑んだ。

「すごい…触ったら、血がつきそうだわ。」

「見てるだけで痛々しい感じが伝わってくるね…これ、ゼラチンかなにかで固めたみたいだったけれど、

ちゃんと皮膚に見える。」

「血のりを使っているのも見えましたが、ここまで本物の血に見える血のりは初めてみました…エイリさん。」

突然男に名前を呼ばれたエイリは

「は、はい」

とどぎまぎしてしまう。男は真剣な顔をしてエイリの手を取ると言った。

「エイリさん…あなたは、

すごおおおおおおおおおおおいいいい!!!

採用です採用!!!!文句ないです!!がんばりましょうね!!ね!!!!ね!!!!」

「え、あ、は、はあ…」

ぶんぶんぶんぶん、と繋がれた手を振り回される。

ウドの大木のような男が、乙女のようなはしゃぎっぷりで喜んでいる。

「いやほんとエイリさんはすごいですよ!!!

本物じゃないとわかっていても生傷に見えるなんて、怖いぐらいですよもうっ!!!

これならうちの主人も大手を振って喜んでいただけます!!!」

なんだこの乙女っプリ。はしゃぎっぷり。

エイリは、男のギャップにかなり困惑してしまったが、はた、と気付いた。

「そ、それは嬉しいです…あ。そういえばまだ、あなたの御名前と、御主人のことについてお聞きしてませんでした。

教えてくださいませんか?」

「あ、申し遅れました。」

我に返った男は、さっと上着の内ポケットから名刺を一枚取り出した。

「私の名前は、ジョルジュ・ゴスリムと申します。

ウィルハイム男爵家で執事として勤めております。

あなたを専属の化粧師として雇いたいと言っているのは、男爵当人でございます。」

「え、男爵様が、ですか?

化粧師ですから、ご夫人ではなく?」

エイリの技術は確かに男女問わず応用できるものだが、こういった特殊なものを求める人は限られる。

なので、顧客の大抵は今の化粧に『ご不満』で、凄腕の化粧師が必要なご夫人方なのだ。

てっきり、化粧を欲しているのは男爵ではなく、その夫人か、と考えていたのだったが。

「いえ、我が主人に奥様はいらっしゃいません。

男爵当人が化粧を御所望なのです!」

「えっと…男爵様は毎日仮装パーティか何かに出席される予定でも御有りなんですか?

でなければ、私みたいなのを専属で雇うのは…ちょっと…無駄のような気も…」

「いえ、うちの主人はパーティは唾棄すべきものとみなしてほとんど出席されませんし、

人付き合いも私の知る限りでは片手の指で収まる人数ですよ!」

ますますあやしい。

なぜ、人付き合いの乏しい人間が、それも男が、自身の顔を隠さねばならないのか。

よっぽどなにか隠すべき顔の欠点があるのか?しかしそれを直裁に聞くのは躊躇われる…とエイリは思ったが、

執事は爆弾発言をした。

「私の主人は、ぴちぴちの28歳健康な男性でいらっしゃいます。

ただ、ちょおおおおおおっと、性格が御変わりでいらっしゃいます。

色々とその性格に基づいた信条を御持ちなのですが、そのひとつに、


『人に顔を覚えられることはまっぴらごめん』

というのがあり、

顔をいじりたいそうです。


できればその願い、叶えていただけませんか?」


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