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ぎんせいのSPヒーロー  作者: 豆神ぷにお
5/6

追撃する慟哭の宵闇(リベンジハンター)の復讐?

 前回のあらすじ


 SPヒーローは後輩に怒鳴られた。

 誰か僕を虚無と忘却の彼方に送り込んでくれないだろうか。



 果てしない永劫とも思えるときを、ひたすら挫折と頓挫の連続で、台無しにしたい。

 僕の頭の中はすでに真っ白で、胸の奥にはもちろん喪失感がぽっかりと虚空を作りだしていた。

 何が楽しくて僕は生きているのか、悲しいくらいに分からない。


 いや、実際そこまで悲しくも感じていない。ここでそこそこ悲しく思えていたらまだ『ぽい』かもしれなかったけれど、自然だったかもしれないけれど、それは僕みたいな、底辺で下等な下種人間に求めるべきことでない。


 これもある種の諦めでしかないけれど、何回やったか分からない挫折の一つでしかないけれど、それが「僕の個性である」という、最後の砦に引きこもることで、今の今まで発狂することなく、僕は最低限の人の形を留めていたようにも思う。


 それが藁でできている、とんでもない砦であることは、百も承知であり、あくまで自己の保身のためのその場しのぎでしかない。


 だが、この危うい砦を崩壊させず、バランスを保つためことだけは、自分はいささか器用過ぎた。現状どうにかなってしまっていた。というのが実は今感じている自分には何もない、だから破滅したい、と気持ち悪い感情に起因しているのではないか。


 情けなく言葉を選べば、このからっぽゆえに内で響くこの音は、僕の悲鳴だ。


 自分は世の中を渡れるだけ、知的ではないし、博愛主義ではないし、常識に縛られないし、道徳を持ち合わせてないし、図太くもないし、健全でもなければ、薄情でもないし、規範はくそくらえだし、従順になろうとも思えないし、努力する気はまるでなく、求められうる歯車にもなりたくない。


 ならば、今ここにいる自分は誰だ。


 その場しのぎで、形成していった別の何かだ。そう違いない。


 この誰かであることは、非常に辛い。そして気持ち悪い。


 そしてこの誰かは、紛れもない自分に、同一化をしようとしている。


 いや、させてしまっているのが事実かもしれない。


 僕はもう僕ではなく、社会がそうさせた僕でしかない。それはもう僕なんか実は元から存在してなくて、今思考しているのは、社会の中で渦巻いていた、誰かさん達の思惑でしかない、そう念をおされているようにも思える。


 知らない誰かならいなくても同じ。それは自分自身のことなんだろうなと思う。誰より僕が僕のことを知らない……。

 ひょっとするとただ、あたり前なことを独りよがりに言っているだけである。こいつは。



   1



「流石にこれは酷いな。目も当てられないってのは、こういう時に言うんだろうな」



 彼、下裏羅げりら 鮎広あゆひろは、とある通りの物陰で、ひっそりとつぶやいた。

 というのも、現在学校からの下校中、鮎広は複数の何者かに追われていた。


 ここ最近、いたるところから四六時中視線を感じてはいた鮎広だが、「男は外に出たら7人の敵がいる」という言葉もあるくらいだから、別にいっか、普通かそうか、と何の対処もしていなかった。

 

 そしてこの状況である。敵は動き出し、自分を追いつめるよう包囲しだしたではないか。彼の言うとおり、目も当てられない状況というのは確かだった。

 普段なら人通りが少なからずあるはずだったが、人払いがなされているせいか、全く人気がない。よく分からないが、このままではよくないことになるだろうと、鮎広は持ち前のヒーロー脳で察した。彼はなにかアクションを起こさなければならなかった。



「いつもの依頼とは違う。ぴりぴりした感じだ……。どうしよう、怖気と手汗と独り言が止まらないっ……」



 鮎広は震える拳をぐっと握りしめ、弱い自分を丸めこむと、いつものように高らかに叫ぶのだ。



「出てこい! 姿を現せ! 俺は逃げも隠れもしないぞ!」



 今しがたこそこそしていたことを棚に上げ、いささか滑稽ではあったが、鮎広の目は本気だった。通学カバンを投げ捨て、とっさになにかを手元に引き寄せようとする鮎広。彼の手が何度か虚空を彷徨うと、次第に彼は氷像のように冷たく固まっていった。



「スプーンが……ない」



 鮎広は、『スプーンを曲げる』能力で、スプーンを全身に纏うと、無敵のヒーロー、SPヒーローに変身する。だがあたり前のことだが、普段の鮎広はただの高校生である。そんな彼が学校にスプーンを大量に持っていく事はなかった。その理由は、単純に彼の常識が許さなかっただけである。

 鮎広は、一端家に返してもらっていいですか? と言いたかったがもう引っ込みがつかなかった。その場で構えてはみたものの、テンションは限りなく日常のものへ堕ちようとしていた。


 実は鮎広が感じていた視線は、思春期特有の自意識過剰のせいかもしれない。もしくは、彼は普通の人よりちょっぴり特撮好きだったので、この何者かに追われている状況は妄想の中の出来事なのかもしれない。

 鮎広自身がそう思いたかったところに、現実が彼を取り囲んだ。


 只ならぬ雰囲気の十数人の男たちが、どこからともなく現れ、鮎広を中心に円形に並んだ。

 その男たちのリーダー格らしき黒のスーツを着た男が、一歩鮎広に近づくと、鮎広の顔と手元のタブレットの液晶を交互に見た。



「間違いない。こいつだ。あとは任せるぞ」



 リーダー格の男はそう部下たちにそう言うと、鮎広の方を見たまま、後方へ下がっていった。代わりに屈強な部下たちが鮎広との距離を詰めていく。

 なぜこうなったか、訳も分からず鮎広は、唖然とする他なかった。


 鮎広は後悔もできず、泣くこともできず、抵抗しようともしなかった。そして見知らぬ男たちが迫ってくるから視界から、どんどん自分が離れていく錯覚に陥っていた。

 あれ、なんだ。夢か。そう思えれば心だけは救われたかもしれないが、どうしようもなく現実的な感覚が背筋を芯から冷やしていく。


 鮎広はこういう時どうするか、考えるまでもない、と思っていた。ヒーローであろうとする自分ならば、咄嗟に機転を利かし、このよく分からないピンチをいともたやすく脱するものだとばかり思っていた。こういう事態に脊髄反射で対応できることこそ、後輩、大庭おおば 貝太かいたの言うところのヒーローたるものを『持っている』ということであり、ヒーローが骨の髄まで浸透している証明でもあった。

 だが、現実はどうだろうか。鮎広は一歩も動けず、完全に思考が別方向へ飛んでいた。


 ただ鮎広は痛感していた。普段は万全をもってして、切り替えて、自分はヒーローになっていたに過ぎなかった。いや、そこまではいい。そこまでは、意図的に、わざとやっていた。問題はそれが全くこうして身に染みていないことだ。自分は全然ヒーローであれていない、と。それでは、自分はごっこ遊びをしていたにすぎないのか。今までの日々はなんだったのか。意味がない?自己満足?それとも……


 鮎広は防衛本能からか、思考をずらす。自分がこうしたピンチに自然と反応できないから、なんだ。何を拗ねている。いつも通り、理想を考えて演じればいい。小道具が無くたって、それこそ今までの経験を生かせば、いいだけのはずだ。

 それだけのこと、たったそれだけのことにすぎない。


 それだけのことが、鮎広にはできなかった。


 目をつむった。もう駄目だと思った。それでもどこかで自分はこんなところで終わる奴ではないと、信じていた。だから、きっと再び目を開いた時、事態は好転している、そうではないとおかしい。鮎広は悪い夢から早く目覚めたかった。


 結果から言えば、鮎広は救われた。それは鮎広の日常の光景でもあった。ヒーローが駆けつけてきて、一般市民を颯爽と助ける。いつもと違って、鮎広は一般市民の立場だったに過ぎない。



   2



 その後ろ姿には見覚えがあった。脂ののった中年親父まんまの真黒なシルエットが、そこにはある。いつのまにか、鮎広を囲んでいた屈強な男たちはその身を地に沈め、背景と化していた。



「久しいな。どうした、ヒーロー。この前の威勢はスプーンと一緒に置いてきたのか」



 全身黒タイツの中年親父は鮎広に語りかける。鮎広はその場にへたり込み、言葉がすぐに出なかった。



「お前もそんな顔をするのか」黒タイツのおっさんはそう呟くと、無理やり鮎広を引き起こした。



 鮎広はほとんどされるがままで、自分の現状把握に忙しかった。うれしかったし、悲しかったし、切なかったし、苛立たしかったし、なにより悔しかった。鮎広は黒タイツに助けてもらったお礼を言わなくては、と思ったものの、口を開けばきっと自分は「なぜ助けた。余計なお世話だ!」と言ってしまうことを知っていた。よりによってこんな変態に助けられたことよりも、鮎広はもっと引っかかることが他にあった。きっとそれも口にしようものならば、ねじ曲がってひねくれたものになることは明白で、だからこそ鮎広は冷静さを取り戻しても寡黙を貫くしかなかった。ただ俯いて、黒タイツと目を合わせることを避けた。



「……なあヒーロー。そりゃお前が思ってるほど、お前はヒーローでもなんでもないさ。おっさんの私からすればただのガキだよ。でもな、だからこそ、そんなに重荷感じることはないんだよ。自分が至らないなんて、当たり前じゃんか。見ればまんまだからな。まだまだこれからだよ、これから。こんな恰好で言われても、ましては以前醜態を晒した私に言われても、まあ、あれか。……駄目だ。すぐあれとか、これだ。年は取りたくないね」


「いつから、正義の味方になったんだよ」



 悪態をつかないよう精一杯がんばったようには思えない、いつも通りの鮎広の言葉。黒タイツは遠くを眺め、感傷に浸る気持だった。



「正義の味方?この全身タイツが見えないのかお前さんは。よくて悪の手先その2だぞ」


「下着はもう盗んでないのかよ。声がどうたら言ってたじゃん」 


「馬鹿らしい。本気で信じたのかあれを。女性はな、値札を付けたまま下着を付けない」



 鮎広はずぼらな母親を、脳内で罵倒した。しかし、じゃああの時盗まれたという依頼主は誰だったのか。少なくともこのおっさんではなかった。鮎広が脳内で母親に頭を下げる前に黒タイツは言った。



「この年で身を固めてないと外野はうるさいもんだ。つまり、あれは、うちのだ」



 鮎広のうとさは、この言葉の理解に5秒もかけるほどであった。そんなところもそっくりで、黒タイツは表情をさらに軟らかくした。



「そう言えばちゃんと名乗ってなかったっけかな。私は江頭直人。見ての通り、スーツアクターだ」



 鮎広にとっては懐かしい響きだった。遠い日の記憶、彼の憧れの職業は、まさに特撮ヒーローものの陰の花形、スーツアクターだった。



   3



 家路についた鮎広。隣りには、黒タイツ、ではもうない、江頭直人が歩いていた。人気の多い通りまでくると、ほっとしたように江頭は言う。



「ここまでくれば、安心か。おっさんのおせっかいもここまでだ」


「あの、あれだ。なんか、ごめんなさい」


「謝られてもな。言ったろう。おっさんのおせっかいだと。頼まれてもないのに、しゃしゃりでて、人を助けた気になっているだけだよ。本来はこっちが謝るべきなんだろうな。そんなつもりはさらさらないが」鮎広が浮かない表情のままなので、江頭は続ける。「いいんじゃないか、そうやっていつまでも自分が悪い奴と思っていれば。こっちはそんなこと知ったこっちゃない。気が向けばまた頼まれなくても、お前さんのヒーローになりに来るかもな」



 江頭は鮎広に手を伸ばし――やめた。「それこそお前さんの知ったこっちゃない」江頭は踵を返し、片手だけひらひらさせ、鮎広の家とは反対方向に歩いていった。


 鮎広にとっては嵐の様な時間だった。今もなお状況としては平穏とは言えないが、鮎広は胸をなでおろす。自分が襲われたことは勿論ショックだったが、江頭のどこかちくちくした物言いに、鮎広はかなりくるものがあった。「なんだったんだろう」というのが、鮎広の本心だったが、なんだか分かった気でいる方がカッコイイと思い込み、江頭の言葉を深く考えることもなく呑み込んだ。


 鮎広はもうこれ以上ヒーローの道で転びたくなかったら、ここでよく考えておくべきだった。自分にとってヒーローとはなにか。SPヒーローとは誰か。なぜ自分がヒーローになろうとしているのか。その答えが見つからないまま家に着き、大量のスプーンを手にしていつものシャッター街へ行くことは、結果として目の前でSPヒーローを失うことを意味していた。

 それは鮎広にとっては残酷にも、現実のこととなってしまった。


 鮎広は家に籠っているべきだったのかもしれない。だが、スプーンを持った鮎広は、早く自分のヒーローへの疑念を払拭したかった。いや、ただいつもの自分でいられる場所に行きたかっただけだ。非常事態だからこそ「いつも通り」が鮎広には必要だった。そう考えると、助けてもらったのが、総代でもなく、淡井あわいでもなく、貝太でもなかったことは好都合だったのかもしれない。シャッター街への道中の河原で、敗者としてあおむけに倒れたSPヒーローにとっては、もはやそんなことはどうでもよくなっていた。



   4



 シャッター街に向かう鮎広の前に、再び刺客が現れた。一人だった。特に会話はせずとも、人ごみを避け、空き地で戦闘は行われた。鮎広はなぜ自分を襲うのか訊こうともしなかった。いつものように、SPヒーローは敵を倒し、鮎広はやはりSPヒーローだけは、自分を裏切らないと思い込んだ。確かにSPヒーローは、正面からぶつかる分は強かった。へたな能力の相手ならば、ほとんど負けることはなかった。


 しかし、当然のことだが、へたな能力でなければ、SPヒーローはただの妄想の産物として、力でねじ伏せられてしまう。その時は早々というべきか、ようやく訪れた。


 シャッター街を目の前にし、三度刺客が現れた。四人組で、彼らは自分たちのことをエキセントリック四天王と呼んでいた。いい年の大人たちだったが、鮎広は気後れせず挑んだ。近くの河原で、一人ずつ戦うことになった。連戦でアンフェアだったが、四人に囲まれるよりはましだと鮎広は変に納得した。最初は自称四天王の中でも最弱の男と鮎広は戦い、勝利した。だが、次の下から二番目の男にはあっさり敗北した。

 『自分の体の大きさを2倍にできる』能力者で、通常時の『匙装甲フルメタルアーマー』の、攻撃はおろか、『攻撃特化型ブレイカースタイル』の攻撃さえ、正面から止められてしまった。それからは一方的に打ちのめされ、SPヒーローはくずれさってしまった。


 倒れた鮎広は先ほどのことを思い出し、泣きそうになるのを必死にこらえた。一方的に殴られる最中、何度も「これ以上『僕』のSPヒーローを壊さないでくれ」とわめいてしまったことが、頭から離れない。ひどくわめいたせいで、相手もすっかり悪い気になり、見逃してくれたが、そのことがさらに鮎広をみじめにした。


 自分の中はからっぽだった。SPヒーローも上っ面だけで、いや、その上っ面さえ叩きのめされてしまい、鮎広にはなにも残っていなかった。このままいなくなりたい、消えてしまいたいと思ったが、自分の体が透けていくことも、散り散りになることもなかった。なにが今の自分を支えているのか鮎広には見当がつかない。あおむけのまま見える空は、随分遠く、すっかり夕焼け色だった。


 自分はなにか悪いことをしたのか。これは何かの試練なのか。そんなことさえもうどうでもいい。


 いつも通りだったら、今頃シャッター街の一角で、スプーン曲げのパフォーマンスをしながら、誰かの依頼を待っているはずだった。学校帰りの総代が、「遅い」というだけのために不機嫌そうに待っていたかもしれない。会社帰りにわざわざ、ちょっかいをかけるだけのために淡井がくるかもしれない。サボタージュの常習犯と化した貝太が、にこやかに会いに来ていたかもしれない。鮎広はこみ上げるなにかに耐えきれず、嗚咽をもらした。その声を自分で聞くと一層辛くて、また鮎広は落ちこんだ。


 ごっ、と鮎広の額になにかがおかれた。ふへへ、という聞きなれた鳴き声が聞こえ、鮎広は凍りついた。鮎広の頭を踏んでいたのは、以前SPヒーローとして救った少女、士二しに 総代そうよだった。



「遅い。というか、来てない」


「別に毎日あそこで待ち合わせてるわけじゃないって、何度」



 鮎広は額に置かれた総代のかかとを、すぐにどける事ができなかった。



   5



「鮎広が来ないのおかしいなって思ったから、探しに来たよ」


「余計なことを。どうだよ、情けない僕を見つけられて満足かよ」


「いっつも情けないじゃん。ヒロインを差し置いてそんなに女々しくしないで。こっちも立場ないよ」



 河原の高架下の隅で、鮎広はスプーンの入った段ボールを抱え、丸くなっていた。その横で総代はいつものように、壁にもたれて一定のリズムを足で刻んでいた。総代の頭には、いつもの帽子があった。背中にランドセルがないことからも分かるが、一度家に帰ってから鮎広のもとにきたようだ。総代は抑揚少なく鮎広に訪ねた。



「ポンチョ、どうしたの」


「どっかいった。もうどうでもいいよ。服の上からでも変身できるようになったし。まあそれさえも今はもう関係ないかもね」



 総代は隣りにある鮎広の頭をくしゃっと握る。いつもはなんだかんだ嫌がる鮎広も今日ばかりは無抵抗だった。いつでもとびのく準備をしていた総代だったが、今日の鮎広の落ちこみ具合を察すると、ため息をついた。



「『私』、まだ怒ってんだかんね」


「え」


「え、じゃない。馬鹿のせいで、うやむやになってる感じだけど、鮎広が私のこと避けてること、今でも怒ってる。ちょーむかつく。おこだよ」



 総代はぺしぺしと鮎広の頭を叩く。



「それは、仕方ないことだって、世間一般では、」


「高校生と小学生の、しかも男女が遊んでちゃあおかしいだっけ。きいた。でも鮎広は世間一般じゃないもんね」


「一般、だよ」


「ふへえ。そうなんだ。じゃあ簡単だね。一般てことはヒーローでもなんでもない鮎広なんだね。ただの鮎広なのに、なに落ちこんでるの。ほんとはもっといろんなことできるって思ってんの。えらそー。知ってる。自意識過剰ってやつ」



 鮎広はまたかと思った。またちくちくささる言葉だ。でもささるということは、正しいということだ。しかし、正しいことだと分かっていても、それが簡単に受け入れられたら、なにも苦労はしない。



「自意識過剰にもならなきゃやっていけないんだよ。僕みたいなやわい人間にとってはさ。誇れるものもなにもない、中身もなにもない。小学生の、しかも女の子にこんな情けないことを言うようなやつだぞ。駄目なやつなんだよ。もう許してくれよ。僕が全部悪かったからさ」


「許すってなに。なんか鮎広は悪いことでもしたの」



 鮎広は言葉に詰まった。確かに何事も行き詰まると、すぐ自分が悪いことにしてきた。それは本当にそうだと思っていたわけではなく、自分を納得させる形式でしかなかった。だから、具体的に自分のどこがどういう具合に悪かったのか分からない。考えていないから、反省もしない。放棄でしかなかった。代わりに理想のSPヒーローを自分の中で、具体的にしていく方が鮎広にとっては重要だった。

 SPヒーローは今や鮎広の中で崩れ、形をなしていない。今の鮎広は完全に逃げ場がなくなっていた。



「私は最初から鮎広しか見てないよ」


「……殺し文句だな」


「? まあいいや。私はSPヒーローなんていうわけのわかんないのに助けられたなんて、これっぽっちも思ってないから」


「ただの僕に助けられたって言うのかよ」


「え、鮎広がそーよになんかしてくれたって言うの。頭掴んでいじめたり、そーよのこと避けたりしてただけじゃん」


「そう、だけどさ。そういう何気ないのがまた、いいんじゃないのかよ」



 自分で何を言っているか、もはや鮎広は理解していなかった。自分の言動がいつも以上にふわふわして、どこかに飛んでいきそうだった。対して総代はいつもより、あっさりと話す。



「何気ないってなに。私を避け始めた理由を散々言っておいて、何気ないってないんじゃないの」


「ごめん」


「すぐあやまる。全然悪いことしましたって感じがしないのは気のせいなのかな」


「……どうしろっていうんだよ」


「情けなくないの。そんなこと小学生に訊いて。そういう時はセケンイッパンでは考えないの」


「帰りたい」


「そうやってすぐ逃げようとする。私と向き合ってくれるんじゃなかったの」


「そんなこと言ったなあ」



 自暴自棄になって、感情が爆発しそうだった総代を、いつかの鮎広は全部受け止めてやろうと、偉そうに思ったことがあった。やるせない気持ちを、人助けをすることで解消することをしていた彼にとって、総代を助けることは、先を行く先輩として道を示してやるべき相手だった。それが今ではどういうことか、受け止められているのは自分の方ではないかと鮎広は嫌になる。



「なんで勝手に嫌になるの。私がありのままのただの鮎広を認めてあげるんだから、鮎広だって私を受け止めてくれたっていいじゃん。どこまでいっても、鮎広はされるだけなの。鮎広の人助けって一方的なものなの。やられたらやりかえしてあげるっていう風にはなんないの」


「言い方」



 だが鮎広にはよく総代の言わんとしていることがよく分かった。痛いほど分かった。確かに今までの自分は押しつけがましい、それこそ江頭が言っていたおせっかいでしかなかったように思える。一方的なものとして割りきるのは、それが自己満足でしかないと、どこかで自分に嫌悪感を抱いていたからだ。それこそ馬鹿馬鹿しい。当たり前だが、おせっかいであれ、なんであれ、助けてもらえれば、うれしいと思う。自分は江頭に助けてもらった時、悔しくもあったが、うれしくもあった。次会う時は必ずお礼を言おうと鮎広は誓った。そして、独りよがりな自分を、初めて反省した。他人を認識すると、視界が広くなると同時に、怖くもなった。

 恥知らずに人助けをしてこれたのは、自分のためだけだったからだ。それが、他人を意識するだけで、こんなにも重たい気持ちになるのかと、鮎広は身震いする。確かに、総代と向き合うなんて、調子のいいことを言ったものだ、と鮎広は思わず笑ってしまった。


 その日初めて鮎広は総代の目を見た。今までで初めてだったかもしれない。こんな、なんでもないようなやつに、偉そうなことを言わせていたと思うと、やっぱり鮎広は自分が情けなかった。でも、それでもいいと本人が言ってくれているので、とりあえずこいつを足がかりにしてやるかと、自分に言い聞かせ、立ちあがった。


「どこ行くの」総代が言う。悲しげなのか、ただ訊いているだけなのか、鮎広にはまるで分からなかった。当たり前だ。見ようともせずに、人の意図が見れたら、すごい超能力だ。自分だったら、欲しいと鮎広は思う。しかし、誰でもない自分は、スプーンを曲げることしかできない自分だ。逆立ちしたって、落ちこんだって、どうしようもなく自分は自分でしかないことを、鮎広は仕方なく認めることにした。


「もうどこにも逃げられないよ。SPヒーローなんてのはどこにもいない。ここにしかいないんだから、僕がふんばりつづけなきゃいけない。そりゃそうだよな。スプーンで人が救えるわけがない。救えても、ほんのちょっぴりの、小さじ程度の、なにかだ」


「なにそれ。わけわかんない」


「いいんだよ、僕にもわからない」


「なんか、割りとすぐ前向きになっちゃうんだね。なんだかんだいって、『そーよ』はえらそーなことが言えるから、いじけた鮎広も嫌いじゃないんだけどね」


「大丈夫、またすぐにでもへたれるよ。お前こそ嫌になって逃げんじゃないぞ」


「仕方ないなあ。そーよはヒロインだからね。不幸なほど輝くってのだよ」


「そうか、そうか。好きなだけ輝いてろ」



「ん」と鮎広が総代に手を伸ばした。やっときたかと、防御態勢をとった総代だったが、いつまでたっても鮎広はどこも掴んでこなかった。



「握手だよ握手。仲直りのしるし」


「えー。勝手だなあ。そーよが大人でよかったね」



 鮎広の想像以上に、総代の手は小さかった。総代の想像以上に、鮎広の手は頼りなかった。それでもお互いに手を差し伸べ合ったことに、二人はそれだけで満足だった。



「もう、SPヒーローをつくるのはやめるよ」


「そう」


「ただの僕が、SPヒーローになるよ」


「? そう」


「その前にやんなくちゃいけないことがあるな」


「なに」


「やられたらやりかえしてやんなくちゃな。一方的なのは、よろしくない」


「そう……」


「お前が言ったんだよ?!」



   6



 鮎広を取り巻く世界が小さいことは、鮎広自身、承知していたことだった。だから後は少し考えるだけであった。よかれと思って、自分に刺客を送りつけてくる人物、およびそれが可能な人物は、二人しか思い当たらない。SPヒーローの完成を願う、ぼんぼんの大庭 貝太か、鮎広の成長をおせっかいにも強要する、情報通の田図たず 卓也たくやか。

 刺客の性質の悪さから、後者であることは火を見るより明らかだった。鮎広と総代は、シャッター街へと向かった。



「一度、田図とはちゃんと話さないといけないって思ってたよ。でも、SPヒーローを目の前でふるぼっこにされないと、尻に火がつかないなんて、僕はやっぱり呑気なやつだと思うよ」


「はいはい、呑気呑気。険呑険呑」


「まあ、否定はしないけど、意味分かって言ってんの?」


「鮎広かっこつけやめたら、うざいやつからめんどくさいやつになるんだね。あと何週したら真人間になるかな」



 何周したって、一生真っ当にはなれないよ。根暗が突っ込まれるのが怖い鮎広は、そんな台詞を呑み込んだ。

 いつ刺客に出会うか鮎広は、ひやひやしていたが、おおむね杞憂に終わった。そもそも鮎広のいじけていた河原からシャッター街まで三分とかからない距離である。総代なんかは、意地悪にも早く刺客でも何でも来いと思っていたが、待ち伏せをしない限りこの数分で出会うほうが難しい。

 待ち伏せは、最後の最後で一回きりだった。


 シャッター街内部のある一角。鮎広たちが普段陣取っている場所だ。鮎広たちの知る誰でもない真黒のローブを纏った男がそこにいた。



「俺の名は日空ひくう 累斗るいとまたの名を 追撃する慟哭の宵闇リベンジハンター



 男が頭からすっぽりかぶったローブを脱ぎ捨てると、どこかから出したウエスタンハットかぶり、まるで西部のガンマンのようないでたちの青年が現れた。

 鮎広は並び立とうとする総代を片手で制止し、身構えた。けれども総代にひざかっくんを決められ、中々決まらない。


 累斗と名乗る青年は問う。



「貴様が鮎広か」



「そうだけど、あんたも田図にいわれてここに?」



「否、そうだけど、いや、違う、ちょっとタイム。一呼吸。ふう」



 なにかこの崩れていく感じに、懐かしさを覚えつつも、鮎広と総代は、累斗の言葉を待った。

 すると累斗は上半身を前に90°以上倒し、はっきりと言った。



「申し訳ない!俺の悪ふざけに巻きこんでしまった。一発とは言わない。俺を殴ってくれ!」



 あてがついている以上、鮎広はすぐ手をだすことなく、累斗から事情を訊いた。鮎広はいつもなら絶対殴りかかっているだろう自分が容易に想像できた。



「もう追っ手はこないらしいから、落ちついて俺の話をきいてくれないか。おまえらも、ニュースくらいは見てんだろ。ちょっと前まではよぉ、俺ら能力者なんてごく少数でさ、能力をちと人前で披露するだけで、なんだかんだいって散々な目にあうケースがほとんどだったわけよ。


 それがさ、ここ最近急に能力者が増えてさ、能力者なのを隠してるやつも含め、全体の五割をこしたんじゃねーかってのを境に、急に能力者であることを肯定していく世論になったよな。個人の個性の現れだっつうだから、能力者であることはアピールしてくべきことだし、評価していくべきだ、なんて調子のいいことがお偉いさん方が言い出すわけよ。大方自身が能力者になったか、母ちゃんか、ご子息ちゃんがなったからだろうけど。その意見を支える奴らが増えりゃあ、まあそりゃ世論なんてあっという間に傾くわ。


 あれこれして能力者たちが人権を獲得していくと、今度は相対的に普通の奴らが散々な目にあう番になるわけだ。なんせ、能力者と比べられて、『何もない』奴として見られるわけだからな。ちょっとでも仕事ができない奴だと見なされたら、それはもう地獄の日々だぜ。共働きのうちの両親も、その地獄を見ちまったよ。ノイローゼになっちゃってよ。そりゃ無理もねえんだ。能力者の奴は、会社で失敗しても、どんなに仕事と関係ない能力でも、まだ君にはその力があるからなってなるのに、『何もない』奴の失敗は、後がないんだぜ。髪の毛後退する能力に目覚めちまうっての。やってらんねえよ。


 どっかで狂っちまったんだよ。この世の中は。どす黒いなにかが渦巻いて、大きい流れになっていってさ、とうとう、一つの限界を迎えちまったんだと思う。誰だか忘れたけど、どっかの学者さんも言ってたぜ。これは新たなる時代の始まりだってさ。少なくとも人間以外の。へ。妙に納得しちまったよ。俺はさ、災害とか外からくるもんじゃ、人間はもう絶対絶滅しねえと域まで達しようとしてると思うのよ。うん?そりゃ大災害で人数は一気に減るだろうけどよ、宇宙に逃げるなり、シェルターに籠るなりして、それこそ一致団結して乗り越えちまいそうじゃねえか。人類を滅ぼすには、もう同士討ちとか、内側から腐っていくしかないと思わねえか。


 俺はこの能力者の増加を、神の試練とか言わねえよ。ただ、人類が勝手に自滅の道を辿ってる一つの傾向だとは薄々思うぜ。俺は見ての通りこじらせてる人間だけどよ、そんな俺なりにこの押しつけられたような能力者の増加の波に、一矢報いるっつうか、復讐してやろうとしたわけだ。何、増えるんなら減らすってだけだ。でも減らすっつっても人は殺せないからな。とりあえず能力者で喧嘩してさ、人を腐らせるもとを先に腐らせたらって思っただけなんだ。それだけ、ホントそれだけ。訳分かんない話だろ?なのにこの話を連れに話したらあいつに言ってみるといいとかいって、話がぽんぽん転がってよう、あの怪しい奴のとこまで行きついちまったんだよ。あそこまでいっといて、やっぱいいですとは言えなかったんだよ。ましてはここまで関係ない奴に関係ないところで迷惑かけるなんて……ん?とにかく、思いもしなかった。大それたこと言っときながら、こうなることも予想できなかった俺が全て悪い。改めて言わせてもらう。鮎広、俺を殴ってくれ!」


「え、日空……さんでしたっけ」


「累斗でいい。本名じゃないし」


「……累斗さん。長々と話させておいて申し訳ないけど、悪いのはあなたを口実にやらかした田図だと思います」


「はあ?」



 累斗の方が鮎広を張っ倒しそうになる。ただ、鮎広にくっついている小学生の眼光に、ただならぬものを感じ、累斗は鮎広から距離を取り直した。



「確かに田図にきっかけをやっちゃったのは累斗さんのせいかもしれないですけど、あくまできっかけです。他にきっかけを見つければ、今と似たような状況をやつはつくっていましたよ」


「田図って、あの怪しい奴のことか。やけに、詳しいっつうか、よく分かってるみたいだな」


「まあ、一様父親ですし」


「ええー!」と、鳴き声をあげたのは総代。あまりの珍しさに鮎広も驚く。鮎広の服をぐいぐい引っ張りながら、総代は「なんで言ってくれなかったの。名字違うじゃん。顔似てないじゃん。なんで、なんで」と、まくし立てた。お前は誰だ。


「本当の父親じゃないだけ。母親の再婚相手。結婚しても名字変えない人だっているんだよ。いちいち人に言うことでもないだろ」



 唸り声をあげ、どうしても総代は納得できなかった。



「なんでこんなよく分かんない御託並べるやつの前で言うの。そういうのはまずそーよに言っとくもんじゃないの」


「知らんよ……」


「なんか悪いことしたな、嬢ちゃん。すまんな」



 累斗をにらみつける総代の目つきは、まさに別人だった。



「話、どうでしたっけ。そうそう、悪いのは田図。だから、一方的に殴るのは田図だけでいい。どうしてもっていうなら、正々堂々勝負してくれませんか」


「鮎広それまたノリに任せて言ってんじゃないの」


「違うって。よく考えた上で、決めたの。いつもの感じじゃないよ」


「そう言われてもな。こっちゃあ乗る気しねえのは確かだ。棒立ちでもいいならやってもいいけどよ」


「本当に引け目があるなら、真っ向から戦ってほしいんですけども」


「なんだそりゃ。まぁいいや、それで満足なら渋々つきあってやるよ。言っとくが、俺は手加減できるほど器用じゃないぞ」


「上等です」



   7



「まさかホルスターからあんなものがでてくるとはね。手ごわい能力者だったよ、累斗さんは」


「相変わらず、最初はぼこぼこにされてたね。でも途中でよく変えられたね。あんなせっこいやり方に」


「『匙装甲フルメタルアーマー邪道型スレイヤースタイル』のこと?まああれは、過去の力技だけの、頑ななSPヒーローを抹殺する意味もあったし、ああしないと累斗さんには勝てなかったし、使わざるをえなかったんだよ」


「考え方変えるだけで、あんなのすぐに思いつくものなの」


「さっき目の当たりにしたばかりだったからね。それをぱくったというか、参考にしただけだよ」


「そう」


 鮎広と総代は、そう話しつつも警戒心を強めていった。二人は田図が根城としている、シャッター街内のつぶれたネットカフェ前までやってきた。そこで背後から二人に声をかける人物がいた。



「やあ匙少年に、帽子少女。今日も仲良くしていたか」



 彼の名は淡井一郎。がっちりと鍛えているのがスーツ越しでも見てとれる、三十代ぐらいの男性だ。鮎広とは、なんちゃってヒーロー仲間として、よくこのシャッター街の一角で会っている。

 鮎広と総代は、その知った声に安堵して、無防備に振り返った。そのせいで、淡井が小脇に抱えているものを見て二人はぎょっとしてしまう。


 それはぼろぼろの大庭貝太だった。彼はSPヒーローを崇高する少年で、鮎広の中学時代の後輩である。そんな彼もまた能力者で、金色の甲冑をまとい、AUヒーローに変身する。今回のようなSPヒーローのピンチとあれば、彼が真っ先に駆けつけてもおかしくなかったはずだったが、それがなかった理由を、鮎広はそこに見た。



「淡井さん、貝太のやつも、僕みたいに襲われて」


 冷静に考えれば、鮎広に追手があったことなど、淡井は知るよしもなかった。しかし、淡井は自然とそれをうけた。


「いやいや、これは私がやっただけだよ。健気にも君を助けに行こうとしていたからな。大丈夫だ。気絶しているだけで死にはしてない」


「えっ」



 鮎広も総代もあっけにとっられたままでいると、淡井は仕方ないので説明した。



「私は今回の件、田図くんに協力しているんだよ。分かったら、さっさと臨戦態勢をとるか、とっとと引いてくれるかしてくれないか。やり辛くて仕方ない」


「あ、え、総代どうしよう」


「鮎広は連戦だし、そーよがやってもいいけど、馬鹿が向こうにあるから、うっかり一郎と一緒に爆散させちゃうかもね」


「やめてくれ……。出直そう総代。あの貝太がやられてるってことは、多分淡井さんの能力もなにか変っているかもしれない。淡井さん、今は戦わないんで貝太をよこしてくれたりします……?」


「ちょうどいい。これを引き取ってくれるならそうしてくれ。私はこのまま田図くんと作戦会議をするから、休日の明日にでもまたここに遊びに来てくれ」



 そういって淡井はその場に貝太を置くと、元ネットカフェの裏口へそそくさと行ってしまった。



「なんでこんなことに」



 鮎広がいつまでもぼけっとしていると、総代が「帰るんでしょ?」と言って、貝太を踏み越えて先に行き、鮎広を促した。鮎広はため息をつくと、貝太の腕を肩に回しその場を後にした。



   8



 淡井はどっと疲れたように、田図の陣取るブースの後ろの席に腰を下ろした。田図は用意していたソフトドリンクを淡井に手渡した。



「丁寧にどうも。田図くん、すぐそこまで鮎広くんが来ていたよ。少しもの分かりが良くなったせいのか、大人しく帰ったみたいだが。よかったんじゃないか。前みたいな威勢はすっかり影を潜めたみたいだ。誰かさんが鼻っ柱を折ってくれたらしい」


「すみません、淡井さん。色々手伝わせてしまって。しかもこんな、個人的で、大人げない事に」


「はっは。いいのいいの、こっちも好きでやってるんだから。勝手ながら私も鮎広くんには、前々からお灸を据えたいと思っていたからね。声をかけてもらえてよかったよ」


「すぐに頼れるのが淡井さんぐらいだったもので。いやいや、今になってなんだか、自分が随分大それたことをしているようで、自身の枠からはみ出たことをしているようで、なんだか不安になってきたんです。あいつ、鮎広のためといいつつ、自分のためだけにしているような、そんな気もして」


「ふ、でもこうでもしないと、どうにかなりそうだったんだろう?不安になることはない、とは言わないが、一度ぶつかってみて、鮎広くんの本心に迫ることで、なにかわかることは必ずあるはずだろう。そのあと、どうするかは自然と見えてくるものだ。鮎広くんじゃないが、勝負して、傷つきながら戦わないと、なにもわからないさ」


「そうです、よね。あいつに父親と呼んでもらう夢をみてあがいていたあの頃に、今は戻りたいと思えますよ。辛くて報われなくても、ひたむきでいられた、そんな熱い気持ちをまた思い出したい。父親であることを放棄した今の状態は、気持ち悪くなるほど楽ですが、報われない以上に苦しい、地獄のようにも感じます」


「正直、なかなかできることではないと思うよ。私が田図くんの立場だったら、甘んじる方にいっただろう。脱帽するよ。だからもっと自信を持って欲しい。こんなこと、横から出てきた私が言うようなことじゃないだろうがね」


「いえ、ありがとうございます。こちらこそ、本来人様の手を煩わせるようなことではないことに、巻き込んでしまったと思っています。本当に、なんといっていいのか」


「その台詞はまだ早いんでないのかな。できれば、鮎広くんと並んで、頭を下げてもらいたいものだ。なんてな」


 田図は苦笑する。そんな未来を描けただけで、胸がいっぱいになりそうだった。明日がそんな日になれば、もうそれ以上のことはないと言い切れるぐらいだ。

 田図は自分の掌に視線を落とす。温もりがほぼ感じられない、冷淡な手にみえる。なにもしなかった、なにもできなかった自分を握りつぶせたらなと、今はなにもない空気を握る。


 明日、鮎広と田図の喧嘩はようやく始まる。








 世の中にはがんばれるやつと、がんばれないやつがいると思う。例えば彼はがんばれるやつだ。どんな逆境だろうと、それをばねにして、乗り越えてしまう。そうしてがんばれることをどんどんその身に刻みつけていけて、がんばることが自然になっていくんだろう。がんばることを苦ともしない。自分ががんばっているなんてこれっぽっちも思っちゃあいない。


 がんばれないやつは、がんばることを知らないから、がんばれない。がんばれることを知ろうにも、がんばれないからずっと知ることはない。知らないことをやろうにも、恐怖と苦痛でやる気がおこらない。

 がんばれないやつは一生がんばれない。それなのに人はがんばることを押しつけてくる。それが僕のために言っているのだとしたら、おかしいことこの上ない。そのおせっかいは僕のストレスにしかならない。追いつめられたところで、逆境につぶされるだけなのが、がんばれないやつの実態なのだから。認めてくれなくていいから、ほっといてくれ。


 いなくなりたいだけなのに、誰もそれを許さないし、誰の知ったことでもない。どうにでもなれ、どうにでもなってください。


 でも、誰かがんばる彼を止めてくれ。がんばってるあいつを否定したいんだ。がんばってもがんばっても、困難よ続け。やがて、彼ががんばれなくなるその日まで。がんばれるやつも、がんばれなくしちゃえば、僕と同じ人間って思える。そうすればやっと僕は自分を憎まずにすむ。


 僕はやっとこの世に生まれる。


 きっとそれはとっても素敵なことだろうと思う。



 



 追撃する慟哭の宵闇リベンジハンターの復讐? 完

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