第91話 「瑠美の帰国」
鮎川瑠美が、日本に帰って来た。
空港に降り立った瑠美の横には、いつも野田誠が居た。
マネージャーと公表したからには、一緒に居ない方が変に思われるという意識が、より2人を近づけていた。
もちろん、空港には、事前に帰国を察知していた記者達が、大勢待ち構えていた。
到着ゲートから2人が出てくると、目が眩むほどのカメラのフラッシュが、一斉に焚かれた。
「瑠美ちゃん、お帰りなさい! 向こうではゆっくり出来ましたか?」
「新曲の出来はどうですか?」 「野田さんは、本当は恋人じゃないんですか?」
「シャインミュージックの新人が、話題になっているのを知っていますか?」
「『Mizkiインパクト』はご存知ですか?」
愛想笑顔で通り過ぎようとしていた瑠美の耳に、「みずき」と云う言葉の響きが入って来た。
思わず瑠美は、誠に聞いた。
「誠は、『Mizkiインパクト』って知ってる?」
「ジュースのブルーインパクトとコラボして、話題になってる新人歌手のことだよ。」
「Mizkiって、まさか、みずきのことじゃないわよね?」
「最近アメリカに居たから良く解らないけど、そんな訳ないでしょ。みずきが歌手になる訳ないじゃん。」
「そうだよねー。でも、小さな時から歌、好きだったなー。」
瑠美の脳裏に、みずきの歌っていた姿が甦った。
誠も、みずきと一緒に行ったカラオケ店での、歌の上手さに驚いた自分を思い出した。
次の瞬間、2人は目を合わせると、同じ言葉を口から漏らした。
「もしかして・・・。」
空港を後にした2人は、急いで事務所に戻ることにした。
無論、「Mizki」の正体を知るためである。
乗り込んだタクシーのラジオが付いていた。
「清涼飲料水メーカーの新商品「ブルーインパクト」のCM曲と宣伝用ホームページに、少しだけ動画で登場しているだけなのに、これほどの人気が出るなんて信じられません。まさに『Mizkiインパクト』です。一体、どれほどこの曲が売れるのか誰もが気になるところですが、ついに待ちに待った発売日がやって来ます。
一足先に、フルコーラスで聞いてみましょう。
Mizkiさんで「TAKE OFF」です。 (ミュージック)」
「運転手さん! ラジオのボリューム大きくしてください!」
瑠美が大きな声で言った。
言われた運転手は、慌てて音を大きくした。
「良いですよねー、この曲。何度聞いても飽きなくて、清々しい気持ちになる。
ジュースのホームページの動画見たけど、またこれが、可愛いんだよねー。」
運転手は、しゃべりながら、ふと、ルームミラーで後ろを見ると、表情が変わった。
「えっ! まさか、鮎川瑠美さん! そ、そうでしょ? ね、そうだよね!
わっ! びっくり! あっ、そーだ、サインしてください!」
誠が、迷惑そうに言った。
「違いますよ。人違いですよ。」
すると瑠美が、すぐに否定するように言った。
「はい。どこにサインしますか?」
運転手は嬉しそうに、ボールペンとバインダーに挟まれた日報の紙を裏返して、差し出した。
瑠美は、それを受け取ると、にこやかにサインをした。
「来週、新曲が出るので、応援してくださいね。」
運転手は、喜びも頂点で言った。
「はい。応援します! 世間は、『Mizkiインパクト』とか騒いでるけど、僕は前から、鮎川瑠美さんの曲が大好きで、毎日聞いてますよ。」
誠が、呆れた顔で小さく呟いた。
「まったく、調子が良い奴だよ。」
瑠美の耳には届いたようで、誠を見て言った。
「人は皆、そんなもんよ。だから、私達は、ファンを大切にしなきゃいけないの。ファンクラブに入ってくれる人は、本気で応援してくれる人達だけど、それだって、段々飽きられてしまう。10年、20年と人気を維持できるなんて奇跡に近い。それは、人々の心に完全に入り込んでいるカリスマ。私には到底出来ない夢の世界よ。」
誠は、そういうつもりで言ったんじゃなかったのにと、困惑して何も言えないでいた。
ところが、傍耳を立てていた運転手の耳に入っていた。
「そんなこと無いですよ! 鮎川瑠美さんなら出来ますよ! いや、もう近いところまで来てる! 僕は、今日で、もうぞっこんになりましたから。10年でも20年でも応援しますよ。握手してくれたら、ライブも行っちゃいますよ!」
誠が、また、呆れた顔で小さく呟いた。
「まったく、どこまで調子が良い奴なんだ。」
その後も運転手の舌は、乾かずに動きぱなっしだった。
暫くすると、タクシーは事務所についた。
料金を払う時に、瑠美が握手を求めて手を伸ばした。
運転手は、大いに喜んで両手で握手をした。
「瑠美さん、ありがとう! 毎年ライブ行きます!」
「来たら、楽屋に来てくださいね。グッズでもプレゼントしますから。」
車から降りると、誠が言った。
「瑠美さんも、タヌキだよね。仕事では、あんな態度もとるんだね。」
「何よそれ。私は、本気で接してるよ。それはそうと、あの曲聞いた?」
「うん、あの声は、みずきだね。」
「そう、間違いない!」
2人は、事務所に入って行った。
瑠美は、社長の顔を見るとすぐに質問をした。
「社長、Mizkiの「TAKE OFF」は知ってますか?」
社長は、予想はしていたが、「ただいま」の一言くらいは欲しかった。
「帰るなり、いきなりそんな話か?」
社長との温度差に、瑠美は尚更興奮した。
「そんな話って。Mizkiっていうのは、私の妹ですよ!」
社長は、興奮気味の瑠美をかわすかのように言った。
「あー、知ってるよ。」
瑠美の温度は、さっと下がった。
「知ってるよって・・・。それだけですか?」
「あー、何でそんなに慌てているんだ?」
考えている瑠美の代わりに、誠が答えた。
「だって、みずきが、瑠美を負かせようとして、デビューしたから。」
「別にそれが、どうしたというんだ? 世間は、姉妹だなんて知らないし、瑠美の過去は公表していないから、結び付きようがない。瑠美を負かすつもり? 鮎川瑠美の築いて来たものは、そんなに簡単に抜かれはしないさ。
なっ、そうだろ。瑠美?」
「えっ、まー。はい。」
「おいおい、何だ、その自信の無い返事は。
妹だろうが、何だろうが、デンと構えていればいいのさ。」
落ち着いた瑠美は、社長との温度差の理由に、やっと気が付いた。
つまり自分は、みずきがデビューした本当の理由に気付き、その執念に怯えていたが、
社長は、みずきが誠を奪い返す為にデビューしたなどと思ってもいないからだ。
瑠美は、そのことを社長に打ち明けようか迷った。
しかし、社長がその事を知ったところで、どうにかなる事でもないし、返って自分の印象を悪くすると思い言わないことにした。
ふと、誠を見ると、こちらを見ていて目が合った。
瞳を通して、同じ事を考えているのが分かり、お互いうなずいた。
誠との間に連帯感を感じて、みずきと戦う気持ちが湧いて来た瑠美だった。