第8話 「真夏の夜の夢」
誠は、ホテルを出て、走りだした。
すぐ前の砂浜をしばらく走ると、あちらこちらにカップルの姿があった。
羨ましいと思う気持ちを抑えて、ひたすら走った。
20分ほど走ると足がかったるくなったので、帰りは道路を走ろうと階段を上り道路に出た。
道路を走っていると平行する公園の標示が在り、盆踊りの音楽が聞こえて来たので、少しのぞいてみようと公園への階段を上がった。
横に広がる海岸線を眺めながら、公園内の道路を走り抜けて、盆踊り広場に出る20段ほどの階段を降りようとした時、階段の途中で座り込んでいる女性が目に入った。
誠は、すぐに駆け寄り声を掛けた。
「大丈夫ですか? どうしましたか?」
女性は足首を触りながら、下を向いて答えた。
「階段を踏み外してしまって、足首が・・・。」
誠は心配そうに、足首を覗き見た。
「すごく痛いですか?」
同じ姿勢のまま女性は、答えた。
「立とうとするとすごく痛くて、立てないんです。捻挫だとは思うんですけど。」
誠は、携帯電話を取り出そうとポケットに手を入れながら言った。
「そうですか。でも、無理すると良くないので、救急車呼びますよ。」
女性は少し慌てて、やめてとばかりに手を振った。
「待って。救急車はいいです。今、携帯でマネージャー呼びますから。」
女性は、座りこんでいるお尻のポケットに手をやり、携帯を取り出した。
携帯電話を見た女性は、思わず声を上げた。
「あーっ! 割れてるー。 大丈夫かなー。」
誠は、携帯電話が壊れるほど強く打ったお尻を心配した。
「お尻は、大丈夫ですか?」
女性は、うつむき加減だった上体を少し起こした。
「言われてみれば、痛くなってきた~。あ~っ、携帯もダメみたい。」
誠は、自分の携帯電話を女性に差し出した。
「僕の携帯使ってください。」
女性は、自分の携帯電話を操作をした。
「あっー、アドレス出てこないやー、番号分かんない。どーしよう~。痛たたっ!」
誠は、仕方なさそうに言った。
「やっぱり、救急車呼びますよ。」
女性は、また、待ってというような手振りをしながら言った。
「でも、マネージャーに連絡しないとまずいし。あのー、本当に申し訳ないんですけど、300メートル位先に見えるあのホテルまで、肩を貸してもらえませんか?」
誠は、ちょっと困った顔を見せたが、どうせ身体を鍛えるために走ってるんだから別にいいやと割り切った。
「タクシーも走ってないし、いいですよ。でも、もし骨折でもしていたら大変だし、動かさない方がいいから、おんぶしますよ。」
女性は、うつむき加減だったが、ちょっと戸惑った表情を見せた。
「えっ、おんぶですか? なんか恥ずかしい。やっぱりいいです。」
誠は、少し声を大きくした。
「何言ってるんですか! こんな時に。」
女性は、誠の真剣さに負けた。
「そうですね。すみません。痛たたっ。お願いします。」
ずっと、うつむき加減で話していた女性が、この時、顔を上げてはっきりと誠の顔を見た。
誠は初めて、女性の顔をちゃんと見て、ハッとした。
「もしかして鮎川留美さんですか?」
女性は、かくれんぼでもしていて、見つかってしまったような表情になった。
「あっ・・・、はい。」
誠は、急に緊張して身体の動きが、ギクシャクした。
しかし、おんぶしなければならないので、鮎川留美に背中を向けた。
「どうぞ。」
鮎川留美は、誠の肩に手をまわして、背中にしがみつくように動いた。
「はい、すみません。重いですよ。大丈夫ですか?」
誠は、両手を彼女のお尻から太ももに回しこんで、おぶると立ち上がった。
「大丈夫です。普段鍛えてますから。」
そう答えた誠だったが、背中に鮎川留美の身体の柔らかい感触を感じると更に緊張した。
「しっかり、掴っていてください。」
鮎川留美は、痛みを我慢して答えた。
「はい。お願いします。」
鮎川留美は、両手を誠の首に回すと、少し力を入れた。
誠は、緊張しながらも、早足でホテルに向かった。
鮎川留美は、照れながら言った。
「重いでしょ、ごめんなさい。」
鮎川留美の息が首に掛り、ただでさえ緊張していた誠は、声が裏返ってしまった。
「全然大丈夫ですよ。気にしないでください。」
鮎川留美は思わず笑ってしまった。
「ウフフフッ・・・。」
誠も笑って、ごまかすしかなかった。
「ワハハハハッ!」
誠は、こんな2度と無いであろう瞬間を、誰でもいいから写真を撮ってもらいたいと思った。
盆踊りで賑わう広場を通り過ぎる頃、やっと誠の緊張もほぐれて来た。
「今日のステージ、とても良かったです。」
鮎川留美は、少し驚いた。
「えっ! 見てくれたんですか?」
誠は、鮎川留美が明るい表情をしたのが嬉しかった。
「はい、僕、ファンで、CDとか全部買ってます。」
鮎川留美は、逆に誠が発した聞きなれたセリフが、気持ちを冷まさせた。
「そうなんですか。ありがとう。お名前聞いてもいいですか?」
誠は、そんな鮎川留美の気持ちの変化に気が付かなかった。
「野田誠です。」
「後で連絡先とか書いてもらえませんか?」
誠は、舞い上がった。
「はっ、は~い。」
誠は、このまま時間が永遠に止まればいいと思う気持ちだったが、現実には足がかなり疲れて来た。
歩くスピードもゆっくりになり、誠の足が悲鳴を上げる頃、ホテルが近くなっていた。
目標が見えると、不思議なもので人間の力は、限界と思っていたところを超えたりもする。というのは、限界と思っていたところが、単に間違いなのかもしれないが、誠は限界ギリギリかそれを超えてホテルに着いた。