第77話 「十国峠」
箱根の緑の中を走り抜けて行く真っ赤なポルシェは、誰の目にも絵になった。
助手席で外を見ている誠が、思わず声を出した。
「なんか視界が広くて綺麗な道だね。」
「そうでしょうー。ここは、私のお気に入りスポットなんだ。
ケーブルカーで上まで行くと、凄く見晴らしが良いよ。」
「ケーブルカー? 乗ったこと無いよ。」
真っ赤なポルシェは、独特な音を奏でてレストハウスの駐車場に着いた。
周囲の人たちの視線を、嫌がおうにも受けた。
そんな事には、お構いなしの瑠美は、車から降りると誠の腕を引いた。
「ケーブルカーは、あっちだよ。」
ケーブルカー乗り場に来ると、瑠美の顔色が曇った。
「あーっ! 終わってる!」
ケーブルカーに興味を持った誠も、がっかりした。
「うそーっ! 早過ぎー。 まだこんなに明るいのに。」
気持ちの切り替えが速い瑠美は、ニッコリして言った。
「残念だけど、またこの次だね。」
諦め切れない誠は、瑠美に愚痴を言いたくなった。
「この次って、いつだよ。こんなとこ滅多に来れないじゃん。」
「なんか子供みたい。 それじゃー・・・誠の誕生日っていつ?」
「5月10日だけど。」
「じゃー、その日に、また来ようよ。」
「随分と先の話だなー。」
「ご不満ですか?」
「仕方ないかー。今日、ここに来たのも、本当は駄目な事なんだから。」
「それじゃー、山頂で、お誕生日のプレゼントをするわ。」
「本当に?」
「うん、約束。」
2人は、子供のように指切りをしてはしゃいだ。
少し目立ったので、周りの人にジロジロと見られていた。
「やばいよ、鮎川瑠美って気付かれちゃう。」
瑠美が、誠の腕を引っ張った。
「レストハウスに、行こう。」
速足でレストハウス入口まで来ると、2人はため息をついた。
「あーっ、ここも終わりみたい。」
「なーんだ。 みんな早過ぎー。」
瑠美は、がっかりした表情の誠の顔を見ながら、ニッコリして言った。
「仕方ないよ、帰ろう?」
「瑠美って、気持ちの切り替えが速いよなー。」
瑠美は、小声で呟くように答えた。
「そうしないと、生きて来れなかったから。」
誠は、聞き取れてはいたが、小声に対して反射的に聞き返した。
「えっ?」
「何でもない。さぁー、行こう。」
2人は、ももちゃんに乗り込むと帰路についた。
「せっかくだから、海沿いの道を走って、どこかでご飯食べない?」
「うん、いいけど、運転疲れないの?」
「全然大丈夫。運転好きだから、気にしないで。」
真っ赤なポルシェは、陽の傾いた箱根の山を駆け下りて、湘南に向かった。
次第に夕陽が海に近づき、幻想的な風景が見る者達を支配した。
ロマンチックな演出を求められたかのように、瑠美はレストランを探した。
「あっ! あそこだ!」
「えっ? 何?」
「ほら、タベルナ ドン ディーノ。」
「レストランなのにタベルナっておかしいよ。(笑)」
「そう、私もそれで気になってたの。」
もう真っ赤には見えないドイツの車は、イタリアのレストランに吸い込まれるように入って行った。
店内は、イタリアの雰囲気を放ち、訪れる者達に「ボーノ」と言わせるほどの料理が、次々と運ばれた。
本場イタリアンを賞味した2人は、再び帰路についた。
いくつかのラブホテルの前を通過するごとに、誠の目は建物を追っていた。
誠の視線に気が付いた瑠美は、誠に何気なく言ってみた。
「入りたいなら、行ってもいいよ。」
誠は、思ってもいない瑠美の言葉に、びっくりした。
「ち、ちがうよ! ただ、建物が変わってるなーって、見てただけだよ。
もー、何言っちゃってるんですか。」
「ウフフッ(笑)分かりやすーい。でも、一緒に住んでるんだから、今更でもあるけどね。」
「だけど、部屋の中が色々なのが有って、楽しいんだと思うよ。」
「じゃー行ってみる?」
「そ、そんなー、いいですよ。そんなとこ行ったら、我慢できなくなちゃうから。」
「そっかー、我慢してたんだー。 興味が無いのかって思っちゃった。」
「そんなはず無いでしょ。」
「じゃー、何で我慢なんかしてるの?」
「なんでって、まだ付き合って数日ですよ。常識から言っても、有り得ないでしょ。」
「そっかー、常識優先なんだー。」
「常識もだけど、あなたは、ちょー売れっ子の鮎川瑠美ですよ? 有り得ないですよ。」
「また、そこかー。どーして、そう思っちゃうんだろ。誠の前では、一人の女なのに。」
「そうは言ってもねー。」
2人を乗せたポルシェは、横浜ベイエリアの高層マンションへ戻って来た。