第38話 「テニスサークル」
みずきは、家から持って来たバスタオルに身を包み、お風呂から出て来た。
部屋には、二つ布団が敷かれていて、その一方に誠が横になっていた。
誠の顔は、テレビの方を見ていた。
「誠?」
「・・・」
みずきは、テレビの前に立って、誠を見た。
「誠?」
「・・・」
「誠、寝てるの?」
「・・・」
「もー、信じらんない。人が、こんなにドキドキしているっていうのに。」
みずきは、不満げにトレーナを着て、空いてる布団に入った。
誠は、みずきの行動を、寝た振りをしながら、薄眼で見ていた。
「ごめん、みずき。軽々しくこんなことしちゃいけない気がしたんだ。本気でみずきを好きになったから。」
少し経つと、みずきは、疲れと緊張のせいか、眠ってしまった。
誠は、みずきの寝顔を覗き込むと、その可愛らしさに誘われて、唇を重ねた。
するとすぐに、みずきが動いたので、慌てて自分の布団に戻った。
朝、誠が目を覚ますと、みずきが台所に立っていた。
いい香りが部屋に漂って、小さな家で育った幼い頃の思い出が甦った。
みずきが、誠の心に深く入り込んだ瞬間だった。
誠の動きを感じたみずきが、皮肉を込めて声を掛けた。
「おはよう! もう十分過ぎるほど、寝たでしょ! 朝ご飯出来てるよ!」
誠は、みずきの言ってる意味が分かったが、分からない振りをした。
「おはよう。そんなことしなくていいのに。」
「えーっ! 喜んでもらえると思って、頑張ってみたのになー。」
「ごめん。そういう意味じゃなくて、大変かなーって思っただけ。
すごーく、喜んでるよ。喜び過ぎて、胸のこの辺が、キューンと痛いよ。」
「そこって、ハートでしょ? オッ、私に恋したかな?」
「バーカ!」
「さぁー、早く食べて、出かけよう!」
いつものように、2人は教習所にやって来た。
この日は、午前に学科を2つ受けると、直ぐに駅まで戻り、2人はテニスサークルに参加するための、みずきのスコートを買うために、スポーツ用品店を探した。
お店を見付けると、すぐに2人はスコートを探し始めた。
みずきが、声を上げた。
「有った! これでいいよ。」
誠が近寄って、他の物を見付けた。
「こっちの方が、みずきに合ってるよ。」
「えっ? それって、上下セットだし、高いよ。とりあえずのだから、こっちのでいいよ。」
「いや、これがいい。この薄いピンクにオレンジのピンストライプ、レモン色のアクセント。絶対、みずきに合ってる。ちょっと着てみなよ。」
「しょうがないなー。誠って、変なところに頑固ね。」
試着室のカーテンを開くと、誠の目の前にテニスウェア姿のみずきが現れた。
「スゲーッ! これに決めた。」
みずきは、自分の好みではなかったが、誠の嬉しそうな態度が自分にも伝染したかのように、嬉しくなり買ってもらうことになった。
「知らないよ。またこんなに高い物買ってくれて、後で後悔しても。」
「僕って、あんまり後悔ってしないんだ。その時その時を納得して行動してるから。また、同じ場面になっても、同じことをすると思うし、後で思っていたことと違うことになったとしても、それは、仕方のないこと。」
「なんか、カッコイイね。それじゃーありがたく貰うね。ありがとっ。」
お店を出ると、電車に乗り品川駅で降りた。
そこから、誠はタクシーに乗ることにした。
大した距離ではないが、歩くと時間が掛かるし、バスはどのくらい待つか分からない。
練習時間が少なくなっては、意味がないからだった。
タクシーに乗ると、みずきが訊いて来た
「何人くらい来てるの?」
「いつもは、30人くらいかなー。」
「女子は?」
「大体半分くらいかな。」
「みんな上手なんでしょ?」
「上手い子もいれば、下手な子もいるし、バラバラ。気にすることないよ。」
「可愛い子も居るんでしょ?」
「ん~、何とも言えないなー、好みの問題だし。みずき程の子は居ないかなー。」
「えっ? それって、・・・」
「さぁー、着いた。」
「もー!」
タクシーを降りると、スポーツクラブらしき建物に入った。
「いつもここで、練習してるの?」
「ここが多いけど、学校だったり、他にも何箇所か有るんだ。」
ロビーに来ると立ち止った。
「着替えたら、またここに来て。」
「うん。」
それぞれ、更衣室に入って行った。
10分くらいで、誠が出て来た。
それから、10分くらいして、みずきも出て来た。
「おまたせ。」
「うーん。いいねー。さぁー、行こう。」
室内コートが6面あり、その内の4面を使って練習が行われていた。
どうやら、レベル別にコートが違うようだった。
2人は、混合ダブルスの試合を行っているコートに入って行った。
試合が止まり、集まって来た。
ベンチに4人が座っていたが、立ち上がって2人を迎えた。
3年生の七尾が、ニッコリして声を掛けた。
「よっ! 遅かったじゃないか。」
「すいません。免許取りに通っているもんで。」
「そっかー、免許かー。」
サークルの会長光井が、みずきを見ながら話した。
「こちらの可愛い方が、きのう言っていた高校生だね。」
「はい、橘みずきさんです。」
全員が、冷やかし半分で大きな声を出した。
「おおーっ!」「うっそー!」「えーっ!」「かわいいー。」
みずきが、恐縮しきりに挨拶をした。
「すみません。お邪魔します。橘みずきです。大して出来ませんが、宜しくお願いします。」
全員の合唱になった。
「よろしくー。」
光井会長が、進行しようとした。
「それじゃー、とりあえず、マコッチャンと打ってもらおうか?」
「はい。じゃーみずきは、そっちに入って。」
「はい。お手柔らかに。」
2人は、コートに入り、周りの皆は、ベンチで2人を見つめた。
周りのコートからも、何人も集まって来た。
「じゃーいくよ。」
みずきは、真剣になった。
「はい。」
みずきは、誠の打った球を、軽く返した。
誠は、少しずつ強く打ちだした。
みずきは、ミスすることなく誠の打ちやすい所に返した。
誠は、少しずつ左右そして前後に、球をちらすように打ち始めた。
みずきは、軽いフットワークで打ち返し続けた。
「ナイスボール。休憩しよう。」
「はーい。」
光井会長が、2人の前に来た。
「なかなかいいじゃないか。」
みずきが、照れながら答えた。
「いえいえ、そんなことありませんよ。」
「誠のミックスのペアになれば、結構いけるんじゃないの?今度の日東杯オープンに出てみたら?」
みずきは、笑いながら言った。
「そんなー、無理ですよー、試合なんて。」
誠が、真面目な感じで聞いた。
「でも、それだけ出来るなら、部活で試合とか出てるんだろ?」
「ミックスはやらないし、部活とオープン大会じゃー違いますよー。」
光井会長は、調子に乗って来た。
「何事も経験だよ。何だったら、女子ダブルスも出てみれば?」
みずきは、困った。
「いえいえ、ムリムリ。」
「まー、ミックスを練習した方がいいかな、誠の彼女だし。」
誠が、少し照れた。
「もー、やめてくださいよ。じゃー次は、試合してみようか。うちのナンバツーの塩崎・坂本ペアと。」
みずきが、ちょっと焦った。
「えっ? ナンバーツーペアとするの? ムリムリ。」
光井会長が、にんまりしながら言った。
「何言ってるんだよ。君たちが、ナンバーワンなんだぞ。」
「えっ? 私達が、ナンバーワン?」
「そう。誠の強さ知らないのか? 運動部を含めても、うちの大学じゃーかなう者はいないんだぞ。」
「えっ?そんなに強いの? それじゃー何で、運動部に入らないの?」
「自分の思い通りに出来ないのは嫌なんだって。楽しくテニスをやりたいんだと。
全日本メンバーだって夢じゃないのに、まったく、変わってるよ。」
「えっ? 全日本メンバー並み。すごーい! 何で今まで教えてくれなかったのよー。」
誠が、笑いながら答えた。
「みんな大げさなんだよ。でも、高校の時にインターハイに出たって、渉が言わなかったけ?」
「言ってたけど、そんなに強いなんて知らなかったよ。それで、インターハイの成績は?」
「1年は出させてもらえなくて、2年の時は、準優勝。3年の時はベスト4。」
光井会長が割って入った。
「ただし、ベスト4は、怪我での棄権で、前評判は、ダントツの優勝候補だったんだよな? まー、その怪我が、勝つためのテニスを止めさせた原因らしいけど。」
「そーなんですかー。」
「まー、どーでもいい過去のことだよ。今はテニスを楽しめればいいと思ってる。」
「なんかもったいないような気がするなー。そんな才能が有るのに、活かさないなんて。」
誠の顔が少し歪んだ。
「君に何が分かるんだよ。テニスが生活のすべての毎日。好きなはずのテニスが嫌いになってしまったんだ。」
「そうだよね。本人じゃないと苦しさなんて分からないよね。ごめんなさい。」
光井会長が、誠をもちあげた。
「そうさ。まだこうやって続けていること、大したもんだと思うよ。
その気になれば、まだまだ、これからだって。」
誠が、右手で頭を掻きながら言った。
「参ったなー。じゃー試合しましょう。」