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講和            :約4000文字 :SF :宇宙人

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/03/05

「講和、講和だと!?」


 おれは思わずその場で跳ね上がった。まさに脊髄反射だ。熱した油に放り込まれたエビみたいに体をくの字に折り、ぴょんと二メートルは跳んだ気がする。次の瞬間、ベッドから転げ落ち、床に叩きつけられた。

 背中から腰へと焼けつくような痛みが駆け抜けたが、そんなものに構ってはいられない。おれは呻き声を漏らしながら、テレビを見上げた。


『講和です。先ほど、各国の首脳らが協議の末、アルトツク星との講和が正式に決定しました。これにより、長らく冷戦状態にあった星間戦争はようやく完全に終局を迎え――』


「クソッタレがあ……!」


 低く濁った声が喉から噴き出した。さっきの落下音が相当響いたのだろう。廊下の向こうから、バタバタと慌ただしい足音が近づいてきていた。だが、おれの怒号を耳にしたのか、その足音はぴたりと止まり、間を置いてから、くるりと引き返していった。

 三流介護師め。兵士にもなれなかったド底辺が。ロボットのほうが、よほど丁寧な仕事をする。だが今は、この老人ホームに介護ロボットなんてものは一体もいない。もしかすると、他の施設にもまだ戻ってきていないかもしれない。あのときは寿司職人ロボットまでもが国家に徴兵され、戦地へ駆り出されたのだ。


 おれは枝のように細く皺だらけの腕を震わせ、残った二本の指で床を掻き、虫のように這ってテレビへとにじり寄った。

 忌々しい。おれがこんな身体になったのも、すべて奴ら――アルトツク星人のせいだ。

 

 奴らはある日、なんの前触れもなく地球に現れた。当然だ。奴らの目的は対話ではなく先制攻撃だったのだから。都市部へ向け、高圧電子砲――核兵器の十倍の威力とも言われる代物――をいきなりぶっぱなした。空が白く裂け、次の瞬間にはすべてが消えた。ビルに車、木に人間――市民ごと街を木っ端微塵に吹き飛ばしたのだ。

 かろうじて息があった者たちも、病院のベッドでのたうちながら、ばたばたと死んでいった。全身を焼かれ、内臓を裂かれ、喉は潰れた。それでも叫び声だけは捻り出て、廊下に、空にこびりついていた。


 地球側は即座に反撃に出た。世界各国が初めて本気で手を取り合い、兵力も資源も技術も総動員し、なんとか奴らを地球から退けた。そして世界政府が樹立され、急ピッチで宇宙戦闘機が開発され、奴らの星へと打って出た。

 星間戦争の始まりだ。あの頃はなんと胸が高鳴ったものだ……。こんな身体でさえなければ、おれも戦闘機に乗り込み、奴らのケツの穴にミサイルをぶち込んでやりたかった。父と母と兄の仇だ。


 だが、戦争は数年で冷戦状態に突入した。「敵基地を吹き飛ばした」「戦艦を宇宙の塵にしてやった」といった華々しいニュースは、ある日を境にぱたりと消えた。代わりに流れてきたのは、アルトツク星からの大使訪問だの、アルトツク星の最新ガジェットの発売だの、菓子や音楽の文化交流だのと、そんな話題ばかりだった。

 時を経つにつれ、人々は若者を中心に、連中の音楽を聴き、ファッションに身を包み、異星の言葉を真似るようになった。戦争の影は、まるで最初からなかったかのように薄れていった。

 さすがに、あの被害の日だけは追悼番組が流れるが、どこか戦争そのものを忌避し、臭いものに蓋をするような空気が濃く漂っていた。

 そして、その果てが講和、講和だと!?

 あの戦争の犠牲者たちの心はどうなるんだ! 何も知らずに虐殺された市民たちは!? 戦場で散っていった兵士たちは!?

 おれのように生き延びた者たちも、後遺症に苦しみながら一人、また一人と寿命で死んでいき、あの一撃の生還者はとうとうおれ一人だけになってしまった。

 それなのに、政府は何を考えているんだ。こんなのは間違っている。いや、狂っている……。

 気づけば、おれは泣いていた。

 喉の奥から嗚咽が勝手に突き上げ、止めようとしても止まらず、おんおんと泣いた。廊下から足音が近づいては、また遠ざかっていく――いや、今度は本当にこちらへ向かってきていた。

 ドアをノックする音がした。

 おれは痰を吐き出す勢いで咳払いし、荒れた呼吸を整えようとした。だが返事をする前にドアが開き、介護士が半身だけ部屋へ突っ込んできた。


「あの、すみません」


「……なんだ。突っ立ってないで、入るならはっきりしなさい。というか、さっさと私を起こしなさいよ」


「いや、その……」


 介護士はもぞもぞと身じろぎし、視線を泳がせ、下を向いては上を向き、口ごもった。この男はいつもそうだ。人にどう見られているかばかり気にして、そのせいで、どんな顔で話せばいいのかわからなくなっているのだ。この施設は政府直轄だというのに、まったく、よくこんなのを雇ったものだ。前職はなんだったんだ。質が低すぎる。それとも最近の若者はみんなこうなのか。まったく、まったく……。

 おれは深く、長いため息をついた。


「えっと……政府の方がお見えになっています」


「なに? それを早く言わんか!」


 おれは怒鳴りつけ、ベッドに座らせるように命じた。

 介護士は慌ててしゃがみ込み、おれを勢いよく抱え上げた。そのまま投げられるんじゃないかと思い、喉がひゅっと鳴った。

 ベッドに座らせると、介護士は何を考えているのか――いや、考えていないのか、その場でボケッと突っ立っている。

 おれは苛立ちながら、服とシーツを整えるように指示した。言われなきゃやらないのだ。

 ほどなくして、政府関係者を名乗る男が二人、部屋へ入ってきた。


「それで、何の用ですかな? まあ、このタイミングですから、だいたい見当はつきますがね」


 おれはわざとらしく咳払いし、背筋を伸ばした。


「ええ、講和が正式に決まりまして……。いずれ向こうの政府関係者とお会いする機会を設ける予定です。それで――」


「まあ、当然でしょうな。謝罪なしに前へは進めぬ、これ道理。私が考えた句です」


「……それで、少しお話をしていただきたいのです。どんな被害に遭い、どれほど苦しんだか。そして、もう二度と争ってはならないと――」


「ええ。連中に、いや、あちらさんに聞かせたいことは山ほどありますよ。なんせ長生きしましたからなあ。それに反省の弁もたっぷり聞かせてもらわないと」


「いえ、そこまで長い時間は取れないと思いますので……。それと、謝罪の場ではなく、お話の場です」


「ええ、ええ、お話ですね。承知しておりますとも。いいでしょう、たっぷりと聞かせて差し上げますよ。こんな感じでどうです? えー、アルトツクの皆さん。ようこそ、地球へおめおめとお越しくださいました。あなた方は、あの日の空を覚えておいでですか? 私は忘れようにも忘れられない。空が裂け、光が地獄を引きずり出した、あの瞬間を。皮膚が焼け、影が壁に貼りつき、母親が幼子の名を呼ぶ間すらなく、すべてが吹き飛ばされ、跡形もなく消え去ったあの日を。人はあれを開戦の日と呼びますが、私は人生の終焉と呼んでいます。ご覧なさい、この体を。まるで足をもがれた昆虫みたいでしょう? ああ、あなた方からすれば、むしろ親近感が湧くかもしれませんな。おん? どうですかな? まあ、よろしい。あなた方は自分たちの科学力を誇示したつもりかもしれませんが、私が見たのは地獄。ただそれだけです。なぜ、私たちだったんでしょうか。あれから毎日、自分に問い続けてきました。その答えはどこにあるのでしょう? あなた方の教科書ですか。映画ですか。博物館ですか。『あれは必要な犠牲だった』とでも書いてあるのですか? ですが、その記録のどこに、私の家族の焼け焦げた手が載っているのですか? 砕け散った歯の欠片は? 死体すら残らなかった人々は? あなた方は都合よく“歴史”の枠へ私たちの痛みを押し込めようとしているのです。あの日、私は死にました。ええ、“私”という人間は完全に死んだのです。それ以降の人生は、ずっと“生き残った者”としてしか語られていません。あなた方はそのことに責任を感じたことが一度でもありますか? 私はね、何も復讐を望んでいるわけではないんですよ。でもね、忘却を望むあなた方には怒りを覚えます。あなた方が『過去のことだ』と言うたびに、私の傷は新しく裂けるのです。あなた方が『仕方なかった』と言うたびに、死者たちはもう一度殺されるのです。私は説教をするために、ここに立っているのではありません。まあ、そもそも立てもしないんですがね。ただ、あなた方に一つ問いたいだけなのです。あの日、空から落ちてきたのは爆弾ではなく、あなた方の“倫理”だったのではありませんか? それを拾い上げるつもりは今もないのですか? ……ないんでしょうな。このアル公どもが。さも自分たちのほうが上等だって面しやがって。てめえらの音楽なんざクソだ。服も文学も映画も全部クソだ。こっちの馬鹿垂れどもがありがたっているが、だからこそ馬鹿にしかウケねえ低俗な文明だって証明じゃねえか。てめえらはどうせそのうち、おれたちを人権後進国だ何だのと言い出して、ジェンダー平等だの異文化理解だのと、てめえらのクソくだらねえ基準でこの星を塗り替えようとするんだろう。クソが。政治家どもも何やってやがる。いつの間にかこんな連中にペコペコしやがって。てめえら、金か女でも回してもらったんじゃねえだろうな。尻尾振るどころかケツの穴まで差し出してんだろ、このズベ公どもが。地球に連中の基地を置く? はあ? てめえら正気か? 講和だの平和だの平等だのと言ってやがるが、お前ら本当はボロ負けしただけなんじゃねえのか。おれの手足がこんなんじゃなければ、今すぐてめえらなんか――」


 おれは喋り続けた。連中と対面する光景を思い浮かべれば、いくら話してもまだ足りない。地下の水脈を掘り当てたみたいに、言葉が、怒りがぼこぼこと噴き出してくるのだ。

 ふと横を見ると、介護士がうんうんと頷いていた。どうやらおれの話に感動しているらしい。なんだ。案外、見どころのある男じゃないか。

 だが、まだまだこれからだ。おれは語った。語り続けた。これからも語り続けるのだ。




「あのー、もしもし……止まりませんね」

「ああ。当日までに声帯を取り替えるとしよう。もっと小さくてしゃがれた声のものに」


「喋りすぎだから、ですか?」

「それもあるが、そのほうがより悲痛な印象を与えられるからな。それと、心臓と肺もそろそろ新調しておかないとな」


「ずっと生きていてもらわないと困りますもんね」

「ああ。外交カードの一つだからな」

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