34.卒業試験
教室の扉を開けると──
そこには、だれもいなかった。
わかっていたことなのに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
机も椅子も整えられていて、日差しも穏やかで。
いつもの教室なのに、タンポポの綿毛たちの笑い声が聞こえないだけで、こんなにも……静か。
「……今頃、もう出発してるかな」
昨日、教室で行われた、卒業試験前の最終説明。
レオナルド先生は、特に飾ることなく、さらっと言った。
「明日は自分たちでギルドに行くんだ。受付で“卒業試験を受けたい”って伝えればいい。それだけで手続きは通るはずだ。EランクかDランクの依頼が提示されるだろうから、好きな方を選べ」
それだけ。
だけど、それが“冒険者”への第一歩なんだ。
みんな、あたしより先に一歩を踏み出した──
「エリーシャ、ここにいたかのか」
ふいに背後から聞こえた声。振り返れば、レオナルド先生がいつもの気だるげな顔で教室に入ってきた。
「どうしたんですか? 今日はここへは来ないと思ってました」
「お前こそ。……心配で仕方ないって顔してるぞ」
「……してますか?」
先生は教室に入ってきて、腕を組みながら、いつもの窓辺に立つ。
「せっかくだ。こういうときじゃなきゃ聞けないような話、あんだろ?」
そう言って、わたしのほうをちらりと見る。
『こういうときじゃなきゃ聞けないような話』って、何のことを言ってるんだろう。
言われてみれば、確かに、わたしの中には答えの出ない疑問がいくつもある。
先日の怪我のこと。
あの二人の卒業生のこと。
ドラゴンを倒した大剣のこと。
ダークドラゴンのことだって、もっと詳しく聞きたいし、
そうだ! エンシェント・ワーズ! 超古代文字が刻まれた石板とかって言ってたわよね。
それに、お父さんとお母さんのことも……。
けれど──
「……今は、いいです」
「ほう?」
「今は……タンポポの綿毛たちのことだけを考えていたいんです」
先生は一瞬だけ目を細めて、ふっと小さく笑った。
「……そっか。なら、それでいい」
それ以上は何も言わず、先生は窓の外を見上げた。
透き通るような青空に、いくつかの白い雲が流れている。
「大丈夫ですよね、あの子たち」
「心配か?」
「そりゃ~、心配ですよぉ」
「今まで共に過ごしてきて、あいつらのこと、どう見えた?」
どうって言われても……
放課後、遅くまで訓練を続けるアルフレッドくんとデュロスくん。
罠や仕掛けを的確に見つけたり、いち早く敵の接近に気付いて警戒を促すシルフィちゃん。
料理の腕前はプロ級……色々な知識に長けているフーリオくん。
五つの属性魔法を扱えちゃうマリルちゃん。
状況を判断して的確に指示を出せるアランくん。
「みんな、凄いです」
「そうだな。あいつらは凄いよ。あの歳であれだけの技術を持っていて、余裕ぶってるように見えても、ちゃんとわきまえていやがる。わかってんだよ。気を許せば、すぐ隣に死が憑き纏うってことを。それだけのことを幼少のころから経験してきたんだ」
そうだ。あたしなんかじゃ想像しかできないような経験を、彼らは乗り越えてきたんだ。
「だから、信じろ」
そう言って、空を見上げたレオナルド先生の目は、どこか儚げで、唇の端が、ほんの僅かに震えていた。
きっと、気持ちは同じなんだ。
「たまにはどうだ? 模擬戦でもすっか?」
模擬戦! 以前、散々やられたまま再戦を果たしていなかったけど──
ドラゴンを倒しちゃうような人と?
「いいですね! 受けて立ちますとも!」
きっとレオナルド先生も、じっとしていられないんだ。
そうして、日が暮れるまで、剣を交わした。
心配も、焦りも、不安も──全部、振り払うように。
タンポポの綿毛たちが帰還したのは、それから二日後のことだった──
◇ ◇ ◇
廊下から聞こえてくる賑やかな声──
やがて、教室の扉が勢いよく開かれると、そこには、見慣れた生徒たちの姿があった。
「任務完了! 無事帰還したぜー!」
そう叫んで、アルフレッドくんが誇らしげに拳を振り上げる。
「エリちゃん先生ーっ! ただいまー!」
シルフィちゃんにマリルちゃん、デュロスくん、アランくん、フーリオくんがぞろぞろと続いた。
「みんな! 無事でよかったー!」
思わず駆け寄って、みんなを順番にぎゅっと抱きしめてしまった。
レオナルド先生も黙ってみんなの頭をぐいんぐいんと撫でていた。
そして、タンポポたちは我先にと今回のクエストの顛末を報告し始めました。
「Dランクの依頼で、森の魔獣討伐!」
「前にアルを食ったのと同じ魔獣だったな」
「リベンジ果たしたよなー」
「前はガクブルだったのにな」
「依頼では三体ってなってたけど、五体も討伐しちゃったもんね」
「フーリオの飯も旨かったよなぁ」
みんなが口々に報告しながら、ちょっぴり誇らしげに笑っていた。
「疲れてないか?」と、レオナルド先生が問いかけると──
「余裕っすよ先生! このまま次のクエストだって受けられるぜ!」
胸を張るアルフレッドくんに、みんなも「わたしもー!」「いけます!」「いけるけど、ちょっとお風呂入りたいかも」なんて笑いながら頷いていた。
その様子に、先生がふっと笑って、ぽつりと提案した。
「んじゃ、街へ出ようか。今日はちょうど祭りの日だったろ」
「まじで!?」「いくいくー!!」「お祭りー!? 屋台! 屋台っ!」
三日間を要した討伐クエストを終えたばかりだってのに、ほんとに疲れ知らずな子たちよねぇ。
◇ ◇ ◇
夕暮れのウェスタニアの街は、色とりどりの提灯と屋台の灯りで眩しかった。
祭りの中心にある広場では、音楽隊が笛と太鼓を鳴らし、人々が踊り、笑い声が絶え間なく響いている。
屋台の甘い匂いや香ばしい焼き物の匂いに混じって、誰もが浮き足立っていた。
「肉串! あちちっ! うんまー!!」
「わたあめとか懐かしいーっ!」
「あっちに射的があるぞ! デュロス、勝負だ!」
「アル、口の横、ソースついてるよぉ」
「エリちゃん、エリちゃん、この果実酒、すっごく美味しいよ♪」
「ぁ、エリーシャに酒飲ますとヤバいって!」
ひとしきりお祭りを楽しんだあと、裏通りにある老舗の酒場『風車亭』へ──
ムワッと立ち上る煙と香辛料の香り、耳を打つ喧騒、ぶ厚い扉を揺らすような笑い声。
「おっ、来たな、レオナルドの旦那!」
店の奥からひょいっと手を振る、スキンヘッドの大男。
レオナルド先生が片手を挙げて応える。
「そっちの子たちが、例の“タンポポの綿毛”かい?」
「何ー!? タンポポの綿毛だってー!?」
「初クエストで、シャドウウルスを五体も討伐したって連中かー!」
「レオナルドの弟子どもだったのか! どうりで!!」
うわっ、と声を上げて一瞬たじろぐタンポポの面々。
でも、アルフレッドくんが一歩前に出て、ぺこりと頭を下げる。
「若き冒険者の誕生に、乾杯だー! 酒持ってこーい!!」
どっと押し寄せる祝福の嵐!
誰かが持っていた酒樽が開けられ、どこからともなく乾杯の声が響き──
「タンポポの綿毛たちに──乾杯!!」
がしっと肩を組まれて、強引にジョッキを持たされ、豪快にグラスがぶつかり合う。
アルフレッドくんの口からあふれた酒が、横のデュロスくんにまでかかって──もう、めちゃくちゃ!
酒場全体がひとつの渦になったみたいで──
笑って、叫んで、泣いてる人までいて、なんだかもう、色んな感情が溶け合っていた。
そんな中、レオナルド先生は、店の隅の席でグラスを傾けながら、静かに言った。
「──これが、冒険者のはじまりだ。肩書じゃねぇ、仲間と命を賭けて、認められていく。これからだぞ、お前ら」
その声は届いていたのかどうか、わからないけど──
賑やかさの中で、あたしはふと、顔を上げて見回した。
いつか、こんな日が来るのはわかっていた。
だけど──
「これが、卒業なんですね」
しみじみと、胸の奥があったかくなっていく。
まだ笑ってる。
まだ騒いでる。
だけど、その喧騒の中に、確かな「お別れ」の匂いが混じっていた。
嬉しいけど、やっぱり、ちょっとさびしいな……。
それでも──
この夜は、タンポポの綿毛たちにとって、確かな旅立ちの夜になったのです。
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