8話 満たされゆく皿、欠けていく席
日が傾き、塔の長い影が寮の建物にかかる頃。
ユーシル、ミゲル、そしてフィオナの三人は門限ギリギリで寮に滑り込んだ。
「……っ、はぁ……っ、間に合った……!」
息を切らして学園の通路を駆け抜け、寮への階段を駆け上がるミゲルの声に、ユーシルも「間に合ったぁ……!」と笑う。
「ふたりとも、今日はありがとう。ペンバートンくんも、ミゲルも」
フィオナがそう言ったところで、寮の門限を知らせるベルが鳴り響いた。寮の入口でユーシルとミゲルはフィオナと別れて部屋へと戻っていく。
ミゲルはその途中、フィオナが寮のホールで談笑していたルームメイトに声を掛けて一緒に部屋へと戻っていく様子を見ていた。
「ミゲルくんは、フィオナさんと仲が良いんだね」
そんなミゲルにユーシルが声を掛けると、ミゲルは顔を真っ赤にして飛び上がった。
「いやっ!?全然!全然……ッ!好きとかじゃねーからな!?」
「好きなのかな……?」
聞いてもいない内容の返答に、ユーシルがそう零せば、ミゲルはまるで茹でダコのように更に顔を赤くさせた。
しかし頭をぶんぶんと振って、気を取り直したミゲルは素早くユーシルの手を取り部屋へと駆け出していく。
「だ……誰にも秘密だぞ」
部屋へと向かいながらそう言われたユーシルは、二人の秘密だということに、にっこりと笑って頷いた。
部屋の扉を開けた先。
既に帰っていたレオンは、窓辺のソファに座って頬杖を付きながら外を見ていた。
外の空を見ていた彼は、二人の気配にちらりと振り返り、声をかける。
「ギリギリだったな」
「本当にな!?走りすぎて疲れたぜ……。レオンは錬金術の授業どうだったんだ?錬金術といえば、あのアテンヴァローナ寮のフェリクス先生だろ?すげぇ難しいって聞くから俺は行くの怖えよ」
「あぁ、確かに今回の錬金術の授業内で錬成に成功したのは二人だけだったな。失敗者には五十枚分のレポートが出された」
「五十枚!?うへぇ〜、行かなくて良かった!」
ミゲルはそう言いながらレオンの顔を覗き込む。
五十枚のレポートという課題に追われるとなれば流石のレオンもその表情を崩すだろうと思ってのことだ。
しかし、からかってやろうと覗き込んだは良いものの、至ってレオンの表情は変わらず無表情である。
「あー!悟り開いたってやつか!?レオンでもやっぱり投げ出したくなることってあるんだな!」
「?何が言いたいんだ?」
「いやー、やっぱり錬金術は難しいからな!レポートも友達である俺とユーシルで手伝ってやるから元気出せよっ!」
そう言って胸をドンと叩くミゲル。
その表情はどこか誇らしげだ。
ユーシルは何だか心配そうにレオンの様子を伺っている。
そんな二人の様子を見て、レオンはわざとらしく窓を閉めるとソファから立ち上がった。
「残念ながらその二人の成功者のうちの一人が俺だ」
レオンの言葉にミゲルが先程のように肩を上げて驚きを露わにする。
「えっ!?マジで!?レオン、お前、実は超すげーやつだったりしてな!?……ま、ありえねーか。だってレオンって、いつも興味なさそうにポケーッとしてるしな。……でも、ちょっとだけ、そう思ったことあるぞ!」
「興味が無いのは事実だな。今日は、少し違った。ただ、それだけ」
レオンがそう言ったところで、再びベルが寮内に響いた。
が始まることを伝えるベルだ。
「違った?何だよ、気になるだろ〜!?あ!てか錬金術の授業で成功したって、何を錬成したんだ?」
そう言いながら擦り寄ってくるミゲルを無視したレオンはユーシルに声をかけて晩餐会が行なわれる学園の大広間へ。
学園は広く、いくら一度朝餐会で大広間を訪れたことがあるとはいえ、完璧に場所を覚えるのは難しいだろうと、レオンはユーシルと共に向かっていく。
「あ〜!なんで無視するんだ!置いていくなよーっ!」
ミゲルはそんな二人の後を慌てて追いかける。
広間へと向かう廊下を進むその三つの影は、ほんの少しずつ、静かに分岐へと向かっていた。
✼✼✼
大広間では、煌びやかなシャンデリアが食卓を照らし、長く連なるテーブルに並ぶ料理が湯気を立てていた。毎日この場で行われる朝晩の食事会だが、今日はレーヴェンシュタイン寮のテーブルが特ににぎわっていた。
「なーなー、聞いたか?今日の錬金術の授業で、レオンが成功したんだぞ!」
ミゲルが声を張ると、同じ寮の生徒たちが一斉に振り向いた。
「え!?あのフェリクス先生の授業で?」
「まさか、あのアテンヴァローナ寮の?失敗して当然って言われてるのに……」
「しかも、レーヴェンシュタインから成功者が出たって初じゃないか?」
「えっ……えっ?レオンって……あの、いつも静かにしてるヴィルヘルムが?」
生徒たちの好奇心混じりのざわめきに、ミゲルは「だろ!」と得意げに胸を張る。
「俺のルームメイトだからな!まぁ、やるときはやる奴なんだよ!普段は無気力だけどな!」
その隣で、レオンは興味なさげに皿を手に取り、ユーシルの目の前にあった料理の中から、ひときわ大きなローストチキンを取り分けていた。
「これ、人間界の味に近いと思う」
「ほんと?うわ……すっごくいい匂い……!ありがとう、レオンくん!」
ユーシルの皿には香ばしい肉の塊が次々と積み上げられていく。
「ユーシル、そこは骨が多いから気をつけて」
レオンは静かに声をかけると、指先に淡く光る魔力をまとわせた。
その魔法は肉の間に隠れた骨を優しく浮かび上がらせ、取り除いていく。
「えっ、このお肉、骨があるの?」
驚いたユーシルは、恐る恐るその肉を見つめる。
「人間界の肉と違って形が独特でわかりにくいんだ」
笑みを浮かべ、柔らかく手を動かすレオン。
次々とレオンは大きな肉の塊から骨を除き、食べやすい一口大に切り分けてはユーシルの皿に丁寧に並べていった。
「これは美味しいけど間違えて辛いソースをかけたら暴れて飛んでいくから気をつけて」
「飛ぶ……??わかった、ありがとう!」
「よく噛んで食べると良いよ」
レオンの声は穏やかで、まるで親しい友人に語りかけるようだった。
ミゲルが隣でその様子を見て、「俺にも少し分けてくれよ!」と声をあげると、レオンは片手で軽く制し、ミゲルの皿にはパセリだけをそっと置いた。
「緑は栄養満点だから」
「いじめだーーーっ!!」
「うるさい、ロードへリア」
そう言いながら、ユーシルの皿にはさらに美味しそうな肉が盛られていく。
ユーシルはその皿を見て、自然と顔がほころんだ。
「ありがとう、レオンくん」
「当然だ。友達だからな」
レオンはにっこりとは笑わないが、目の奥でわずかに輝くものがあった。
そんな和やかな様子をよそに、一人の同じ寮の男子がふと、レオンの手元に目をとめた。
「……なあ、ヴィルヘルム。その右手、いつも手袋してるよな。授業中も外さなかったけど、何か理由あるの?」
黒革の手袋――指先までぴったりと覆われたそれは、レオンの右手にいつも着けられているものだった。
質問に気づいていながらも、レオンは答えない。ただ、淡々とユーシルの皿にサラダを盛っている。
「え、怪我とか?義手とか?」
「もしかして魔術的なアーティファクト?」
「いや、フェリクス先生の前でも外さないって、そういうことじゃない?」
ざわつく声が広がりかけたそのとき、
「まぁまぁ、そういうのは本人が言いたくなったら言うもんだろ!」
ミゲルが手を叩いて笑い飛ばすように場を和ませたが、レオンは依然として何も言わない。結局、生徒たちはなんとなく察したように話題を切り替え、食事へと戻っていった。
「……ったく、せっかくレオンの実力がバレるチャンスだったのに、シラけちゃったなあ……」
ぽつりとミゲルが呟く。が、レオンとユーシルが並んで、静かに楽しげに食事をしている様子を見て、小さく笑った。
「……ま、楽しそうなら、いっか」
そんな中――テーブルの少し離れた場所で、生徒たちの間に低くささやかれる声があった。
「……知ってる?また今週も一人、姿が見えなくなったって」
「え、どこ寮の?」
「たしか、レウスオフィウクス寮とスティラサラマンダー寮の一年生。寝てる間にいなくなってたらしい」
「先週は魔法薬学の授業に必要な薬草を取りに行った生徒がいなくなったって話じゃ……」
「もしかして、学園で何か起きてるんじゃないか?今は学園長がいないし……」
不穏な噂が広がっていく中、ユーシルはふと、遠くの会話に耳を傾ける。
何かが始まろうとしている。
そんな予感が、空気の中に、ほんの少しだけ滲み始めていた。
そんな噂の影が、ユーシル自身に近付いているなど、知る由もない。




