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15話 ルードヴィヒの魔法薬学〜ブルースライムを添えて〜

 

 事件から数日――学園は徐々に、いつもの喧騒を取り戻しつつあった。

 中止されていた授業も、少しずつ再開され始めている。


 ユーシルは胸の奥に小さな緊張と大きな期待を抱えていた。

 魔法使いとしての正式な授業。今まで普通の人間として過ごしてきた彼にとって、それは未知の世界を開く扉だった。


 特に「魔法言語学」という科目は、杖を振るときの呪文や契約文の基礎になるため、何度受けても好奇心が高まる一方だ。


 ✻✻✻


 午後の魔法言語学。

 ネクロム先生は教壇から生徒たちを見渡す。その瞳はどこか底知れず、笑みは静かで、それでいて試すような色を帯びていた。


 授業の合間、フィオナがそっと先生に声をかけた。以前、褒美でいただいた魔法石の種のことだ。


「先生……この石、ちょっと見てもらえますか?」


 フィオナの掌に乗せられたのは、小指の爪ほどの小さな石。

 片端が欠け、橙色に淡く輝いている。


 ネクロム先生は石を手に取り、指先で軽く撫でる。


「ほう、ハハハハ!中等部の一年生だけでこの短期間でここまで咲かせたのか……。欠けた痕は自然ではないな。色の変化は……おや、この色は……」


 少し難しそうな顔で、静かに告げる。


「ふむ……見たことがない色だ。こちらで預かり、調べてみるとしよう」


 フィオナは頷き、橙色の石を先生に手渡した。


 ✻✻✻


 二枠続けての魔法言語学を終え、生徒たちは中庭へ出て休憩を取る。

 春の陽射しが芝生を照らし、花壇の花々が優雅に揺れている。


 ベンチにはユーシル、ミゲル、フィオナ、そしてレオンが腰掛けていた。


「魔法言語学、やっぱり面白いね!」


 ユーシルが目を輝かせると、ミゲルは肩をすくめる。


「発音の細かさが厄介だな。間違えると全く違う呪文になったり、自分に跳ね返ったりするんだ。笑えねぇ」


「でも、ちょっとカッコいいよね」


 フィオナが笑い、レオンも口元だけでわずかに笑みを見せた。


 そんな和やかな時間に、背後から低く響く声が落ちる。


「お前たち。俺の生徒でありながらネクロム先生に尻尾を振りすぎだろう」


 振り向けば、黒いローブの裾を翻し、上質なスーツに身を包んだルードヴィヒ先生が立っていた。

 そのエメラルドグリーンの瞳が四人を射抜く。


「丁度いい。授業選択に迷っているなら、次はこの俺の魔法薬学を受けに来い。骨の髄まで、みっちり教えこんでやる」


 返事を待たず、ルードヴィヒはくるりと踵を返す。

 残された四人は顔を見合わせたが、結局その背中を追うことになった。


 こうして、予想外の形で魔法薬学の初体験が始まろうとしていた――。


 魔法薬学の教室は薄暗く、どこか地下室のような雰囲気。

 壁一面には大小さまざまな瓶や壺が並び、色鮮やかな液体、乾燥植物、動物の骨のようなものまで詰め込まれている。

 鼻をつく薬草の匂いと、甘い匂いが混ざっていた。


 中央の作業台の前に立ったルードヴィヒ先生は、手袋をはめながら言う。


「魔法薬学は、呪文よりも“正確さ”が命だ。薬は命を救うこともあれば、間違えれば命を奪う毒にもなる」


 四人は作業台に並ぶ。

 先生が手をひらりと動かすと、机の上に四つの器材セットと、緑色の液体が入った小瓶が現れた。

 他の生徒たちの机にも現れ、全ての準備が整ったところで、ルードヴィヒは口を開く。


「今日は“基礎回復薬”を作る。レシピは黒板に書く。だが……」


 一旦言葉を止め、鋭く笑う。


「分量を一滴でも間違えれば、爆発するか、全身が二日間ブルーになるか、どちらかだ」


 ユーシルは喉を鳴らし、ミゲルは「最初の実験授業だし簡単だろ!」と呟く。

 フィオナは目を輝かせ、レオンは無言で器材を手に取った。


 レシピには、薬草三種類と粉末化した魔力鉱石を混ぜ、最後に触媒液を加えて五十三回かき混ぜると書かれている。

 緑色の液体が触媒液だ。


 ユーシルは慎重に薬草を刻みながら、時折黒板と手元を見比べる。

 ミゲルは「ユーシルは包丁さばき上手いな」と茶化し、フィオナはすでに薬草を混ぜ合わせている。

 レオンは黙々と分量を量り、無駄のない動きで作業を進めた。


「えっと、次に触媒液を入れる……」


 ユーシルが触媒液を垂らそうとした瞬間――


「待て、魔力鉱石を入れ忘れているぞ」


 ルードヴィヒの声が飛ぶ。

 慌てて手を止めると、先生はにやりと笑った。


「爆発、という表現は少し盛ったが、初歩とは言え失敗すれば前髪が焦げる程度には火を吹くぞ」


 ユーシルは額の汗をぬぐい、砕いた魔力鉱石を入れ、触媒液を慎重に一滴ずつ垂らす。

 しゅわ、と静かな泡が立ち、液体は透き通る琥珀色に変わっていった。


 ✻✻✻


 全員が完成品を机の上に並べた。

 ルードヴィヒは一つずつ小瓶を手に取り、光にかざして色や濁りを確かめる。


「……ふむ。ヴィルヘルム、合格だ」

「……ありがとうございます」

「リンドール、合格だ」

「はい、先生」

「ロードへリア……これはどうやって作った?」

「え?レシピ通りに作った!」

「色が青い時点で失敗だ。後で飲んでみろ」

「絶対嫌なんだが!?」


 最後に、ルードヴィヒはユーシルの瓶を手に取った。

 しばし観察したあと、静かに笑う。


「初めてにしては悪くない。だが……」


 瓶を返しながら低く続けた。


「お前、まだ自分の魔力について自覚していなかっただろう?しかし今日……あの事件以降、魔力の流れ方が妙に自然だ。誰に教わった?」


 不意の問いに、ユーシルは言葉を詰まらせる。

 胸の奥に、何か冷たいものが広がった。


 ✻✻✻


 授業が終わり、生徒たちが次の教室へ移動する。

 ルードヴィヒは片付けを終えたユーシルを指名した。


「ペンバートン、少し俺に時間をくれ」


 ミゲルたちは不安そうに振り返ったが、ルードヴィヒの視線が「行け」と告げる。

 扉が閉まると、教室は静まり返った。


 ルードヴィヒは作業台に片手をつき、エメラルドグリーン色の瞳でユーシルを射抜く。


「……さっきも言ったが、お前の魔力の流れは急に自然になった。訓練を受けていない人間にしては異常だ」


 ユーシルは迷った末、小さく息を吐いた。


「……先生、実は……この間の事件の時、化け物に言われたんです」

「ほう?」

「“お前の中には強大な魔力が眠っている”って。僕にはそんな自覚はなかったんですけど」


 ルードヴィヒは腕を組み、目を細めた。


「強大な魔力、か」


 ゆっくりユーシルに近づき、その肩に手を置く。

 次の瞬間、淡い光が先生の掌から広がり、ユーシルの体を一瞬包んだ。


「……」


 やがてルードヴィヒは手を離し、僅かに眉をひそめる。


「悪いが、俺にはその魔力を感じられない」

「……え?」

「少なくとも流れを感知することはできるが、その全容は認知できない。あるとすれば、化け物の見間違えか、何らかの原因で魔力自体が眠っているか……」


 ユーシルは唇を噛む。

 あの魔物が嘘をつく理由も思いつかない。しかしルードヴィヒの言葉は揺るぎない響きを持っていた。


「ただし――」


 ルードヴィヒの声が低く落ちる。


「この“感じられない”という事実そのものが、もっと厄介だ。普通の魔力は、抑えてもわずかな漏れがある。だが……お前からはそれすらない。まるで存在を封じられているかのようだ」


 その言葉が、ユーシルの胸の奥で鈍く響く。

 自分の中に、何が隠されているのか――それを知る術は、まだなかった。


 ルードヴィヒは視線を外し、机に置かれたユーシルの完成薬を指で転がした。


「……ペンバートン。お前、変に真面目でお人好しだろう」

「え……」


 思いもよらぬ言葉に、ユーシルは瞬きをする。


「そういう奴は、得てして他人の問題や面倒事に首を突っ込む」


 ルードヴィヒはため息をつき、低く続けた。


「この学園には、表に見えている以上に、厄介なものがうじゃうじゃいる。……今回みたいにな」


 ユーシルは噴水の間での出来事を思い出す。

 ミゲルやフィオナの負傷。自分を庇ったグルックの姿。そして――あの化け物の冷たい声。


「もし、自分の正体や魔力のことが気になるなら……調べるのは構わない」


 ルードヴィヒは片眉を上げ、鋭い眼差しを向ける。


「だが、今はやめておけ。下手に動けば、お前だけじゃなく、お前の周りも巻き込まれる」


 それは命令ではなく忠告だった。

 けれど、その声音の奥には、確かな“心配”がにじんでいた。


 ユーシルは小さく息を吐き、うつむきながら頷く。


「……はい。わかりました」

「よし」


 ルードヴィヒはそれ以上追及せず、教壇の奥へ歩いていく。

 その背を見つめながら、ユーシルは心の中でそっと思った。


 ――わかってる。わかってるけど……それでも、何も知らないままじゃいられない。


 ルードヴィヒは扉の前で立ち止まり、思い出したように振り返った。


「そうだ。……お前の使い魔、グルックの件だ」

「グルック……!」


 ユーシルの声が少し弾む。

 あの噴水の間で、魔物の攻撃を受けて吹き飛ばされた小さな使い魔。ずっと心配していた。


「事件の後、俺が預かって治癒を施した。もう元気だ」


 ルードヴィヒが片手を軽く振ると、空間に淡い光が走り――小さな影が床に着地した。


 ふわふわの白銀色の毛並みを持つグルックが、きょとんとした顔でユーシルを見上げる。


「……クルゥ!」


 勢いよく飛びついてきたグルックを、ユーシルは慌てて抱きしめる。


「よかった……本当に、よかった……!」


 ルードヴィヒはその様子をしばらく眺め、わずかに口元を緩めた。


「二度と無茶はさせるな。使い魔は主の命令に従う。それで命を落とすこともある」


 ユーシルは真剣な表情で頷く。


「……はい」

「よし。行け」


 短く告げられ、ユーシルはグルックを抱いたまま教室を後にした。


 廊下を歩きながら、胸の奥に小さな安堵が広がる。

 けれど同時に――ルードヴィヒの忠告と、感じられなかったはずの“強大な魔力”のことが、静かに心を締めつけていた。


 ✻✻✻


 廊下を歩いていたユーシルの前に、どこからともなく学園長が現れた。


「おや、ペンバートンくん!ご機嫌よう!授業はどうでしたか?」


 ユーシルは少し緊張しながらも笑顔で答える。


「とても難しかったですが、面白かったです。これからもっと頑張ります」


 学園長は頷き、何か気になることがあるのか辺りを見回した。


 その時、廊下の奥から――


「うぎゃあああああああああ!」


 と、ミゲルの悲鳴が響いた。

 ユーシルも学園長も声のした方を振り返る。


 そこには、全身が鮮やかな青色に染まり、肌がぬめぬめと光るミゲルの姿があった。

 体からは、水分が弾けるように小さな泡がはじけている。


「わっ、うわあああ!?体がブルーにぃぃぃ!!」


 ミゲルはパニック状態で、必死にレオンに縋りつく。


「なぁ頼む、どうにかしてくれ!お前ならできる!やればできる!!そうだろレオン!?俺ら友達だろ!?」


 ミゲルの青い腕がレオンの肩に触れた瞬間、その粘液がぬちゃっと付着する。

 レオンの表情は固まり、全身から血の気が引いた。


「……」


 冷たい沈黙の後、すっと拳が振り上げられ――


 ゴンッ!!!


「ぶへっ!?」


 レオンの拳が見事にミゲルの頭を打ち抜いた。


「二度と俺に触るな」


 冷たい声と鋭い視線。

 レオンはまるで獲物を狙う猛禽のように、全身の力を込めていた。

 ミゲルは頭を押さえてしゃがみ込み、半泣きで呻く。


「お、お前……冷てぇ……」


 レオンは少し申し訳なさそうに息を吐く。

 自分でも驚くほど咄嗟に手が出てしまったのだ。それほどあの青い粘液の感触が許容できなかった。


「ウギャーっ! レオンが殴ったー!」


 ミゲルはわざとらしく泣きわめき、周囲の注目を浴びる。


「うるさい」とレオンは少し顔をしかめ、ミゲルの肌が出ていない部分を取って立たせる。


「解毒してやるから魔法薬学室に戻るぞ」


 ミゲルは嬉しそうに「本当か!? やった!」と飛びつき、二人は教室へ向かった。

 フィオナはその様子を見て、クスクスと笑った。


 後で聞いた話によると――

 魔法薬の処分をミゲルに頼まれていた使い魔の燕が、うっかりその魔法薬をミゲルにかけてしまったと。


 こうして、ミゲルは突如“ブルースライム”のような姿に変わり、レオン特製の解毒薬で事なきを得たがいつの間にか撮られた写真が出回るのは早かったそう。

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