14話 誰も英雄を知らない
学園の裏庭の木々が、淡い午後の陽を受けてざわめいている。
その道を、ユーシルはミゲルとフィオナと共に、寮へ向かって歩いていた。
三人はようやく医務室を出られ、命を救ってくれたレオンにお礼を言うために探していたのだが――
ルードヴィヒから「レオンは不在だ」と聞かされ、しょんぼりと肩を落としていた。
とはいえ、生徒たちは三人を放っておかなかった。
あの事件は、すでに学園中の知るところとなっていたのだ。
発端は、学園西棟の最上階にある古い噴水――
そこに長らく封印されていた魔法生命体が、何らかの魔力を感知し、操られた生徒の身体を媒介として封印を綻ばせたことから始まった。
ユーシルたちは、“化け物”としか呼びようのなかったその存在にも、本来の名がある。
――ヴァル・セルグ。
巨大な魔力核を宿し、全身を強固な鱗で覆った魔法生命体。
それは封印の隙間から逃れ、暴走を始めた。
しかし――
ヴァル・セルグは、三人の生徒によって討ち倒された。
ユーシル、フィオナ、ミゲル。
三人は恐怖に震えながらも、互いを支え合い、決して諦めなかった。
その勇気と連携こそが、あの恐るべき存在を打ち破る力となったのだ。
――という英雄譚は、瞬く間に学園中を駆け巡り、三人は注目の的となった。
全く違う話が広まっていることに、戸惑いながらも称賛の中心に立たされる三人の前に、颯爽と現れたのは――
学園長、ヴェル・ヴァン・レ・ゴールド。
「見事なご活躍でしたねぇ〜!」
まるで舞台の主演に花束を渡すように、少々ウザいほどの笑みをたたえて、彼は三人へと近づいた。
その瞬間、さらに多くの視線が三人へと集まり、彼らは居心地の悪さに身をよじる。
そんな様子を見て、学園長は軽く手を振った。
次の瞬間、魔法の光が三人を包み込み、周囲の喧騒ごと空間を断ち切った。
三人は魔法で作られた別空間へと誘われる。
そけで学園長は口を開いた。
「学園中が、君たちの功績を称賛していますよ。ああ、もちろん、当然のことではありますがねぇ」
口調は軽やかだが、その言葉の端には、どこか鋭さが滲んでいた。
三人が戸惑いながらも頭を下げると、学園長は声を落とし、静かに告げた。
「ただし、覚えておいてほしいのは今回の件で、“レオン・フォード・ヴィルヘルムが助けてくれた”という事実は、誰にも話してはならないということです」
その声は、低い響きとなって、三人の心に冷たく染み入った。
「君たちの記憶から、その事実は消されます。これはヴィルヘルムくん自身の強い願いであり、私が責任をもって執行します」
学園長はひらりと手を動かす。
目には見えない魔力がふわりと三人を包み、微かな閃光が視界を覆った。
胸の奥に、冷たい何かがすっと入り込む。
「さあ、これで記憶は曇り、語られることもない。君たちの安全のため、必要な処置なのですよ」
――誰が、どうやって、あの怪物を倒したのか。
その記憶は、三人の意識から完全に抜け落ちていた。
困惑しながらも頷く彼らに、学園長は穏やかな笑みを浮かべる。
「これで、あなたたちは今後も安心して学園生活を送れるでしょう。ええ、何もかも――忘れてしまえば、ね」
そう告げると、学園長は指先を軽く弾いた。
三人は何事もなかったかのように、寮の前へと転送された。
✻✻✻
淡い光に包まれ、三人はふわりと着地する。
そこは、レーヴェンシュタイン寮の談話室だった。
「……え?いま……転移したよね?」
フィオナが周囲をきょろきょろと見回す。
「さっきまで……どこにいたんだっけ……」
ミゲルも困ったように眉をひそめる。
ユーシルは、胸の奥に何かがぽっかりと空いたような感覚を覚えていた。
何か、大切なことを――忘れている気がする。
だが、その疑念はすぐに別の感情に塗り替えられた。
「――あっ」
寮の扉がゆっくりと開き、銀髪の少年が顔を覗かせる。
「……ヴィルヘルムくん!」
フィオナが思わず駆け寄り、ミゲルも続いた。
ユーシルの胸が熱くなる。理由もわからないのに、目頭がじんとした。
「レオンは無事だったんだな……ほんと、よかった」
ミゲルがぽんとレオンの肩を叩く。
「……俺の心配より、自分の心配をしろよ」
レオンは少し困ったように笑った。
その表情を見て、三人の目にまた涙が浮かぶ。
助けられたことも、戦ったことも――もう記憶には残っていない。
それでも、こうしてまた笑い合えることが、ただ嬉しかった。
「……また会えてよかった」
ユーシルがぽつりと呟くと、フィオナとミゲルもそっと頷いた。
レオンは、目を伏せながら微笑んだ。
その瞳の奥には、誰にも明かされぬ秘密と、消えぬ痛みが宿っていた。
✻✻✻
夜。
学園の最上塔の屋根に、一人の男が佇んでいた。
風にマントを揺らしながら、学園長――ヴェル・ヴァン・レ・ゴールドが、空を仰いでいる。
彼の手には、黒く砕けた魔核の欠片。
ヴァル・セルグの最深部――すでに魔力の残滓すらほとんど消えかけている。
「ふふ……せっかく封印を解いてあげたのに、誰一人殺せないとは。とんだ無能でしたねぇ」
呟いた言葉は風に乗って夜へと消える。
彼はその魔核を高く掲げた。
欠片は無音のまま光に包まれ、空中でパチンと音を立てて燃え尽きた。
「ですが、これで十分。記憶は消えても、感情は残る。舞台は整いましたよ、レオンくん……」
学園長の目が、どこかを見据える。
「さあ、次の幕が開くまで――どうか、生き延びていてくださいねぇ」
その笑みは冷たく、どこまでも愉快そうだった。
そして再び、塔の上に静寂が訪れる。