13話 鴉はどこへ還るのか
砕け散った魔法石の残響が、なおも空間に淡い橙色の光を灯していた。
その中心に立つのは、レーヴェンシュタイン寮の赤い刺繍が施されたローブを翻し、静かに杖を構えるレオン。
彼の一声と共に、空を裂くような鳴き声が響く。
「……今だ、穿て。ルーメン・アルタ・コーヴァス=ユーディキウム」
漆黒の鴉が応えるように空へ舞い上がり、羽根を煌かせながら太陽のごとき光と熱をまとって突き進む。
化け物の胸部、魔力の核へと一直線に飛翔した鴉の魔力は、神殿の空間そのものを震わせるほどの力で炸裂する。
「ギ、アアアアアアアアアッ!!」
破壊された核は深紅にひび割れ、再生を拒むかのように光を撒き散らし、そして爆ぜた。
重低音の衝撃とともに化け物の体が爆発的に崩れ、魔力の余韻すらも灼き尽くされて消滅していく。
漆黒の鴉はそのまま旋回し、残響の魔力さえも丁寧に焼き払うように羽ばたいた。
まるで世界を照らす太陽のように。
静けさが戻った神殿の中央。レオンはゆっくりと膝をつき、ユーシルを地面に横たえる。
そして、そっと指を額に当てる。
「……リュミエール・サリエル」
詠唱は淡々としたものだった。だがその魔力は絶大で、穏やかな光がユーシルを包み、傷も疲労も苦痛も、一瞬で消し去っていく。
次に、フィオナとミゲルのもとへと歩み寄り、同じように癒しの光を落とす。
フィオナの体を蝕んでいた魔力の逆流は浄化され、肌に残る痣すら綺麗に消えていく。
骨折し内出血まであったミゲルの傷も、ほんの数秒で癒えていった。
三人とも、ただ静かに寝息を立てている。
「……よかった」
レオンはほっと息をつきながら、軽く額を押さえる。
少しだけ気が張っていたのか、そこから解放されて、疲れたような、だがどこか優しい笑みを浮かべていた。
鴉が旋回しながら他の倒れていた生徒たちの上に光を注ぐ。
するとそのひとりひとりが、ゆっくりと目を覚まし始めた。
神殿の闇は、晴れつつあった。
「今回は……ちゃんと俺が助けられた。……これからも、俺が……」
その言葉は誰に向けられたものでもなく、ただ目の前の友達に向けられた、古い約束のようだった。
✻✻✻
神殿に重々しい足音が響く。
「……レオン!?」
駆けつけたのは、レオンと同じく赤の刺繍が入ったレーヴェンシュタイン寮のローブを身につけた男、グレイ。レーヴェンシュタイン寮の寮長であり、レオンが補佐を務める人物だ。
そしてそのすぐ後ろに続くのは、鋭い眼差しのルードヴィヒ・オーガスト。レーヴェンシュタイン寮の統括教授である。
二人は、破壊された領域の中央で、杖を下ろすレオンの姿を見つけて立ち尽くした。
神殿の柱が砕け、封印が破られた痕跡。そこに倒れていた生徒たちは皆、安らかに眠っている。
そして、化け物は既に動かない。
「……どういうことだ、これは」
グレイが思わず息を呑む。
そして、記録の手伝いをしてくれていたレオンが寮長室を飛び出した時のことを思い返した。
「寮長、オーガスト先生を西塔最上階に呼んでください」
それがレオンの残した言葉だった。
レオンが寮長室を飛び出してすぐ、彼はその言葉通りにルードヴィヒと共にここに来た。
意味も分からず駆けつけ、目にしたものが――まさにこの惨状だった。
「……これを、一人で片付けたのか?それに……先程見えたあの鴉は……」
ルードヴィヒは静かに視線を走らせ、倒れている化け物の残骸に歩み寄る。
そして、うっすらと笑った。
「レオン・フォード・ヴィルヘルム。どうやらお前とは一度ゆっくりと話をする機会が必要そうだな」
レオンは何も言わずに目を伏せた。
✻✻✻
一週間後。
学園の空気は、ようやく落ち着きを取り戻していた。
攫われていた生徒たちはほとんど無事に回復し、授業にも復帰の許可が出されていた。
それはもちろん、ユーシルとミゲル、フィオナの三人もだった。
その中でも真っ先に医務室を飛び出したのはミゲルだ。
「ジークハルト寮長から聞いたけど、俺らレオンに助けられたんだろ!?レオンに、礼言わねえと!」
フィオナもその言葉に頷き、ユーシルも慌ててベッドを降りる。
しかし――
「残念だが、ヴィルヘルムは学園長に呼ばれて不在だぞ」
たまたま通りかかったルードヴィヒの言葉に、三人はそろって肩を落とした。
「な、なんでこんな時に限ってレオンの奴はいないんだ!!」
「せっかくお礼言えると思ったのに……、残念ね」
「……あの種も、あれきり割れたままだし……プレゼント、できないね……」
最後にユーシルがそう言うと、三人は目的を失いとぼとぼと寮への帰り道を歩いていく。
✻✻✻
そこはシュヴァルツレーヴェアカデミーの最上階にある学園長室。
壮麗な大窓から陽光が差し込む室内で、長い長い世間話が続いていた。
レオンは無言でそれを聞いている。というより、興味なさげに聞き流している。
ようやく本題が出たのは、学園長が四度目の紅茶のおかわりに差し掛かった頃だった。
「いやはや、まったく、たいっへんな夜でしたねぇ?ヴィルヘルムくん」
学園長は銀のティースプーンをくるりと回しながら、目尻に笑みをたたえる。
「今回の件、いやぁ、お見事でした!まさか西塔のそれを、たったひとりで解決してしまうとは!まるで英雄譚のようですねぇ?君のような逸材が、今までどうして埋もれていたのか……」
くるくると回るスプーンの音が、室内に小さく響く。
レオンは静かに淡々と答えた。
「たまたまです」
「なんと!たまたまですかぁ〜!なんと偶然とは素晴らしいものか。この世の真理の何割かは、たまたまという言葉に包まれている気がしますねぇ」
学園長は、芝居がかった声で両腕を広げて見せると、今度は机の引き出しから羊皮紙の束を引き出し、目を通しながらぽつりと呟いた。
「それにしても……あの場には君だけでなく“漆黒の鴉”が、太陽の力を携えて現れていたと、報告にありましてねぇ。ジークハルトくんとルードヴィヒ先生までもが、そう語っておりまして……いやぁ、まるでおとぎ話!うふふ、ロマンがありますねぇ?」
レオンは何も言わない。ただ、薄く目を伏せたまま、いつもと変わらぬ無表情だ。
そんな態度にもめげず、学園長は楽しげに話を続ける。
「“漆黒のオーラで”、“太陽の力を使う”とか。はぁ~……偶然って、本当にミステリアスでファンタスティック!」
急に床を蹴って立ち上がると、両腕を広げて大げさに天を仰ぐ。
「……で、ですねぇ?ヴィルヘルムくん。そのあたり……ほら、そのあたりのことについて、何かこう……ピンと来ること、ありませんか?貴方は使い魔の登録をされていませんし、何か……ねぇ?」
にこりと笑って首を傾げるその仕草には、探るような棘が隠れていた。
だが、レオンの返事はただ一言。
「知りません」
「ふぅ〜ん、そうですかぁ?……ああ、いえいえ、構いませんとも!知らないのなら、それで結構。ええ、知らないのでしたら……ねぇ?」
学園長は何も気にしていないように芝居がかった笑みを浮かべる。
「ま、そんな使い魔がいるとすれば、その主は我が学園が最も誇る優れた魔法使いが集まる至高の寮……。しかしそのレベルに見合う者がおらず学園創設以来たった一人しか寮長の座に就けなかった。そんなアテンヴァローナ寮の寮長に匹敵する程でしょうから!」
口元を袖で隠しながら、くすりと笑う。
「さあて、ヴィルヘルムくん。君のような優秀な生徒がいてくれて、我が学園も安泰ですよぉ……ふふ、次はどんな“偶然”が起こるやら。今から楽しみでなりませんね?」
その笑みには、真意が見えない。
だがレオンもまた、それ以上は何も語らず、黙って窓の外を見つめていた。
陽光が、傾き始めた城の屋根を、まるで金色の絵筆でなぞるように照らしていた。
レオンは、何も言わない。
ただ一羽の漆黒の鴉が、学園長には気付かれることなく、この世に存在していないかのようにレオンの肩で羽を休めていた。