「貴女が婚約破棄されたら、私と結婚してくださいませんか?」と、隣国の公爵令息からスカウトされました。
「あんな何も考えられない馬鹿な王太子殿下とじゃなくて、愛がなくても良いから尊敬できる殿方と政略結婚できれば良かったのに……」
私がため息をつきながらそんな言葉を吐いたら、
「じゃあ、貴女が婚約破棄されたら、私と結婚してくださいませんか?」
と、眼の前にいる大国の宰相コンスタンシア公爵のご嫡男に求婚という名のスカウトをされてしまった。
思考が追いつかない。
私は開いた口が塞がらないし、持っていたティーカップを落としそうなくらい固まっている。
とりあえず、過去を遡って落ち着こう。
私は小さな国で国境守備を任されている父、エリオット辺境伯の娘で、4人の兄がいる末娘ジェシカ・ベラ・エリオット。
大国と幾度となく戦い、時には劣勢の状態から勝利に導いた父はその功績により、一人娘である私をハリス王太子の婚約者とし、王族の一員になるという報酬を頂いた。
だが、このハリス王太子、物凄いやんちゃ坊主だった。
国王と王妃の間に長年子供ができず、やっとできた待望の王子であったことから、誰も彼もから蝶よ花よと大事に、そりゃあもう大変大事に育てられた。
その結果、わがまま放題で勉強をしない暴君が出来た。
彼が学ばなければいけないことは全て婚約者である私に周り、更に王妃教育を受け、王太子殿下に勉強を行わせるよう説得する……も、まぁワガママ王太子が私に従うわけもなく、怒られ、時には殴られる等の暴行を受けた。
「こんな黒髪黒眼で醜くて、しかも王太子である俺に楯突く女なんて……!! 最悪だな!!!」
こんな暴言まで吐かれる始末である。
私の頬が腫れた状態を見た国王が流石にこのままではまずいと思ったのか、最近同盟国となった我が国よりも数倍大きい隣国の学園に3年からではあるが王太子を留学させて、厳しく指導してもらうことにしたのだ。
……私を王太子のサポートとして付けた状態で。
最っっ悪である。
隣国まで来てクソ王太子のお守りをしなければいけない。しかも、国王の思いとは裏腹に隣国で監視の目がゆるくなったハリス王太子は更にやりたい放題だ。授業はまともに受けない、レポートはやらない、下級貴族のご令嬢方にちょっかいをかける………
本当にやめてほしい。
留学先であるこの国のルーカス王太子殿下はあの馬鹿王太子とは正反対な、才色兼備で優秀な王太子殿下で、そのルーカス殿下は幼い頃からの婚約者である公爵令嬢を溺愛しているのだとか。
そのため、学園内は婚約者を大事にするブームが到来中で、廊下で見かけるイチャイチャカップルは大体婚約者同士だそう。そんな中、隣国から留学してきたハリス王太子が私を大事にしていない事実はとても奇怪な目で見られており、私に話しかけようとしてくる人は誰も居なかった。
学園に留学してから一ヶ月ぐらい経った頃、慣れない隣国の言葉での授業に、王太子分も含めた課題にレポート、自国から送られてきた王妃教育やら王太子の公務代行やらの仕事を死にものぐるいで行っていた私は体調を崩し、学園の廊下で座り込んでしまった。
どうしよう……動けない……。
持っていた教材をばら撒いたままで、片付けようにも手が動かず、視界も霞んで暗くなってきてしまい、私は途方に暮れていた。
そんな時、
「レディ、大丈夫ですか?」
と声をかけて手を差し伸べてくださったのが、今私をスカウトしている、ベンジャミン・イライジャ・コンスタンシア公爵令息様である。
ルーカス王太子殿下の一番の側近で、宰相殿のご嫡男。なおかつ宰相殿よりも優秀だと言われる頭脳の持ち主。おまけに栗色の艷やかな長い髪をゆるく縛り、湖の底のように澄んだ碧い目にモノクルを付けている様はまさに芸術品。ルーカス殿下が美しすぎるため、あまり注目されていないがベンジャミン様もかなりの美青年だと思う。
しかもその後、教材を片付けて医務室まで私を運んでくださり、その優しさに思わず涙してしまった私の背中をさすって励ましてくれるという……とても紳士的な素晴らしい殿方だ。
また、ハリス王太子の扱いが酷いことを気にしてベンジャミン様の双子の姉で、ルーカス王太子殿下の婚約者であるイヴァンジェリン様を私に紹介してくださり(何故かルーカス王太子殿下もついてきていたが)、一人で抱え込まないで一緒に王妃教育を受けましょう? とイヴァンジェリン様が王城で共に無理なく勉強できるよう計らってくださった。
感謝でしかない。
学園内でもベンジャミン様やイヴァンジェリン様、更に婚約者にいつもべったりなルーカス王太子殿下が喋りかけてくださるようになり、ハリス王太子の事で憂鬱としていた日々が思い出せなくなるほど楽しい日々を過ごさせていただいている。
そんな中、二学期のテストが終わって一段落したから皆でちょっとしたお茶会をしましょう! とイヴァンジェリン様が4人だけのお茶会を王城の庭園で催してくださり、私は自国では滅多にお目にかかれない素敵なお菓子や紅茶に舌鼓を打っていた。
「ジェシカ様、この国のお菓子なのだけれど、お口にあったかしら?」
「はい、とっても美味しいです……! ありがとうございます、イヴァンジェリン様」
「まあ、それは良かったわ! ……あと、イヴァンジェリン様だなんて、長いしそっけないから、イヴと呼んでくださらない?」
「えっ……」
ふんわりと嬉しそうに微笑んだ後、優しい眼差しでお願いをしてくるイヴァンジェリン様は物凄く可愛い。女の私がドキッとしてしまうような素敵な微笑みである。
「お友達にイヴと、呼んでもらいたいの。……ダメかしら?」
うるっとした瞳で強請られ、あまりの可愛さに、良いです!! むしろ呼ばせて下さい!! と言おうとした瞬間……
「駄目だ」
とルーカス殿下から横槍が入った。
「イヴ、と呼んで良いのは婚約者である俺だけだろう? ……というか、俺以外にイヴって呼ばれる君を見たくない」
「なっ……!! 貴方ねぇ……良いじゃない、私が許してるんだから。私の名前長いんだし」
「いーやーだっ!! 嫌だと言ったら嫌だ。ついでに誰かに強請る可愛らしい姿も見せたくないから強請るのもやめてほしい。俺に強請ればいいじゃないか」
「はぁっ!? 貴方にねだったら国丸ごと一つ持ってきそうだから嫌!! それと、その顔で可愛いって言うのやめて!!」
「勿論、君のためなら国の一つや二つ奪ってくるに決まってるだろう? ……あと、可愛いって言うのはやめない。何回言っても君の可愛さは言い表せないからね。可愛いよ、イヴ」
「ちょっ、やめっ……きゃーーっ!!」
……紅茶をストレートにしておいて良かった。
甘い、甘すぎる。口の中が甘くて砂糖を吐けるレベルだ。
そんな事を思いながら私は口の中を洗い流すかのように紅茶を飲んだ。
「……ルーカスが迷惑をかけてすみません。あの人、姉の事になると頭おかしくなるんですよ」
隣りに座っていたベンジャミン様が、苦虫を噛んだような顔で私に話しかけてきた。
「いえいえ! 全然、気にしないでください。……それにしても、ルーカス殿下って本当にイヴァンジェリン様の事が大好きなんですね……」
「ルーカスは昔から姉が好きだったんですけど……、姉が鈍感で……つい最近まで愛のない政略結婚だろうと思い込んでたんですよ」
「あら……」
「で、それに気付いたルーカスが、求愛しまくってやっと姉が落ちた。……のが3年のはじめなので、今有頂天なんでしょうね、何処でも愛を振りまいてます……」
本当に勘弁してほしい、色んな意味で。と言いたげな顔でベンジャミン様は溜息をついている。
「ま、まぁ……だとしても結婚する前にわかって良かったじゃないですか。すれ違ったままだったら大変ですし。……それに、二人ともお似合いで素敵です」
尊敬し合いつつ、愛し合っているなんて、まさに理想の夫婦……まだ夫婦じゃなかった、理想の婚約者同士である。
「……私は、自分の婚約者とああはなれませんでしから、少し羨ましい気もします」
「ジェシカ様……」
「……まぁ、私がイヴァンジェリン様みたいに優秀じゃないし、王太子殿下を諌められなかったのがいけないんですけどね!! あはは、ダメだなぁ……私……」
いけない、感傷的になってしまった。自分の努力不足なのに、せめて尊敬し合えるような関係になりたかったって思うだなんて……
「ジェシカ様は悪くないですよ。悪いのはどう考えても頭に脳みそがついてない暗愚王太子の方じゃないですか」
「えっ」
えっ????
いつも穏やかで優しかったベンジャミン様からそんな言葉が出てくるとは思わず、つい声を上げてしまった。
「普通に考えて婚約者を蔑ろにする時点で最悪な男ですけど、それ以前に王太子として責務を全うせず、婚約者に任せておいて感謝もしない時点で人間として失格でしょう?」
「ま、まぁ……」
「2年前に隣国の隣国で王太子が婚約破棄する云々の事件があった時から、そんなことをしでかす王太子って馬鹿か? ってかそれ以前に何も考えてないのか!? とルーカスと文句を言い合ってたんですけど、眼の前にすると……まぁ……本当、残念な生き物だなと思いまして……、貴女もそう思いません?」
物凄く蔑むような眼で遠くを見ていたベンジャミン様から急に振られたものだから、
「わかりますわかります……!! あの事件の時、考え無しだな……と思ってたんですけど、あの馬鹿王太子感化されちゃって……!! この国に留学してからご令嬢方にちょっかいかけ始めて本当どうしようかと……!! 一歩間違えれば国際問題じゃないですか!?」
と、思わず本音がポロッと出て、ハリス王太子を馬鹿王太子呼ばわりしてしまった。
「ですよね!? ハリス殿下が下級貴族のご令嬢に手を出そうとしてるって報告が上がってきた時はもう、父と共に頭を抱えました……。隣国にそれとなく忠告しても、『王子の好きなようにさせてやって下さい、身を固めるまでの自由時間なので』とか馬鹿げた答えが帰ってきたので書類破きそうになって……」
「それは……本当申し訳ないです。……あの国の王と王妃は目に入れても痛くないぐらい、王太子を溺愛してるので……進言しても聞き入れてもらったことはないですね」
「……進言を、聞き入れない……??、それは……一度も?」
「一度もない、ですね」
「……………………」
王太子の暴君さ加減や国王の溺愛さが予想の斜め上をいっていたようで、ベンジャミン様は頭を抱えたまま黙ってしまった。
「…………ジェシカ様は、とても苦労をされたようで……」
「いやぁ、そこまでの苦労は……」
「苦労してますよ。私があの王太子の側近になった場合、一週間経たずに国際百科事典のような分厚い本でぶん殴ってます」
「ぶっ!?!?」
優しく穏やかなベンジャミン様からぶん殴るなんて言葉が出てきたものだから、持っていたクッキーを割って落としてしまった。
「ああゆうのは一回物理で懲らしめるのが一番いい手かと。どうせ聞く耳なんて持ってないでしょうし」
「ふふっ、ふふふふ……」
本気で殴ろうと真剣な表情で語るベンジャミン様を見て、思わず笑ってしまった。笑う私の姿が珍しかったのか、ベンジャミン様は驚いてこちらを見ている。
「確かに、一発ぐらい……いや二発ぐらい殴られて泣いてほしいかも」
憎たらしい王太子が泣いている様子を想像したら、なんだかスッキリする。
私は爽やかな気持ちで紅茶を飲んだ後、
「……でも、どうせならあんな何も考えられない馬鹿な王太子殿下とじゃなくて、愛がなくても良いから尊敬できる殿方と政略結婚できれば良かったのに……」
なんて、ため息混じりに本音を言ってしまったので、
「じゃあ、貴女が婚約破棄されたら、私と結婚してくださいませんか?」
と、ベンジャミン様から言われ、今に至る。
「……………えっと、…………それは………」
過去を振り返っても思考は追いつけなかったようだ。なんとか六文字の言葉を絞り出すので精一杯だ。
「求婚です、求婚」
「求婚」
「とはいっても、貴女があの王太子殿下から婚約破棄されたら、という条件付きですが。……流石に私も婚約者のいる相手に手を出す気はないので」
「まぁ……、それはそうでしょうが……」
そりゃそうだが、何故私に求婚したのか。
そんな疑問を抱えてベンジャミン様を凝視していたら、彼は頬を赤らめて咳払いをした。
「もうお気付きだとは思いますが、実は私、まだ婚約者がいない身でして……」
「えっ、いらっしゃらなかったんですか!?」
優しくて頭脳明晰なベンジャミン様に婚約者がいないなんて驚きだが……、言われてみれば学園生活の中でベンジャミン様が親しくしていらっしゃる女性は双子の姉のイヴァンジェリン様ぐらいだった。
「王太子の側近の仕事と、父の手伝いや宰相になるための勉強、公爵領地の方の経営を行っていたりしていたらあまり社交界に出る機会が無くて、婚約をしないままこの年になってしまったんです」
「なるほど……」
確かに学園生活を送りながらそこまでの執務や勉強をしていたら何もできない。……というか、どうやってその量を捌いているのだろう? 凡人にはできないと思うのですが。
「で、これから婚約者を選ぶにしても高位貴族のご令嬢方は大体婚約者がいらっしゃるし、いない方は私なんかより王太子の方を狙うので……」
あの人の横に立つと、私って存在してないことになるみたいですよ? 面白いですよね……、とシラけた笑みを浮かべている。
「そんな……ご令嬢方って目がないんですかね? ベンジャミン様は頭脳明晰でとても優れた素晴らしいお方なのに……」
「!! ふふ……、ありがとうございます」
花が綻ぶようにベンジャミン様が笑う。……その姿に見惚れて、胸が熱くなってしまう。
「で、そこに貴女が現れた。……王妃教育をこなし、王太子の公務代行もしつつ、外国語で授業を受けて優秀点を取れるご令嬢。こんなに素晴らしい方はそうそういません」
「いや……そんな……、私よりイヴァンジェリン様の方が凄い方じゃ……」
「姉は化け物なんで比べないで下さい」
ベンジャミン様は私の言葉を遮ってズバッと言い切った。
化け物って……、自分の姉を化け物……というか、優秀過ぎるベンジャミン様から化け物と言われるイヴァンジェリン様って一体何者……!?
「……まあ、姉の事は置いといて、私は貴女をとても尊敬しているんです。……あわよくば私の領地を任せたいなと思うくらいに」
「ほう」
「なので、仮に……もしも、婚約破棄となった場合、私と結婚して未来の公爵夫人なっていただけないかと」
「なる程…………」
つまり、私の能力を買っていて、婚約破棄となった後自国に帰られるよりは自分の元で働いてほしい……
…………と、言うことは、
「私をスカウトしたい、って事ですね?」
「ゲホッ!!」
私の発言を聞いていたのか、ルーカス殿下が紅茶を喉につまらせ、更に咳をしながら爆笑している。
「……ルーカス?」
「ははっ!! ひーっ、ふふふふ、ベンジャミンすまんすまん……、いやぁ……面白いものを、見てしまっ………あはははは!!」
「ちょっとルーク、流石に笑いすぎよ?」
ベンジャミン様からは凄まじい形相で睨まれ、イヴァンジェリン様からは窘められているというのに、ルーカス殿下は震えながら小さく笑っている。どうやら笑いが止まらないようだ。
「そう言われてもなぁ……、俺の時散々笑ってたベンジャミンがこんな事になってたら笑うしかないだろう?」
「……お前なぁ」
「はい、二人ともそこまで。……ジェシカ様、ごめんなさいね」
「い、いえ……」
「でも、私も弟との結婚については賛成だわ」
「えっ」
二人を諌めてくださったから、この話をなかったことにするのかと思いきや、イヴァンジェリン様から思いがけない言葉が出てきた。
「だって……、ジェシカ様が私の妹になるってことでしょう? とっても素敵じゃない!」
「確かに……、君がベンジャミンに輿入れしてくれるとなると、優秀な人材を迎え入れつつ、辺境伯殿とも繋がりができる。この国にとってはうまい話だな」
「ルーカス殿下まで……っ!! ですけど、私……そんな…」
確かにベンジャミン様は全て尊敬できるほど素晴らしい方だが、私が相手で良いのかという疑問が出てしまう。
そう思って言い淀んでいたら、ベンジャミン様が真剣な面持で私を見つめてきた。
「……もちろん、ハリス殿下から婚約破棄されなかったら、この話は無かったことにします。……それに、貴女が私を嫌いなら受けなくて……」
「嫌いなわけないじゃないですか!!! むしろ、とっても有り難いなと思っていて……、!!」
誤解されたくなくて、ベンジャミン様の声を遮ってしまったことに自分で驚いてしまった。私が大声を出したことに、ベンジャミン様も目を見開いている。咳払いをして、なんとか話を続けようとした。
「こ、こほん………。えっと……、もし、あの王太子から婚約破棄された場合、私の国には居場所がなくなると思っていたので、父の領地の元で修道女にでもなろうかと考えていたんです。」
私の自国は古臭い。王族が何においても絶対で、しかも婚約破棄事件の隣国と仲良しだということもあり、王太子と下級貴族の恋物語が未だに流行っていたりする。そのため、王太子……つまり次期国王に嫌われ婚約破棄となると、嫁の貰い手はおろか、社交界に出たら何をされるかわからない。……父や兄達にも何かしら悪影響が出てしまう。
「だから、もしもの際に嫁ぐ所があるのは本当にありがたくて。しかも、まさか大国の公爵家、しかも尊敬できるベンジャミン様の元に……、もう、私は一生頭が上がりません!! 仮に婚約破棄されなかったとしても、この御恩は一生をかけて返します!!!」
そんな中でのこの申し出だ。本当に命の恩人レベルのスカウトである。ベンジャミン様に愛がなくとも、私は一生支えていけると思……いや、支える。絶対何が何でも恩を返す。
そんな思いもあって、私は椅子に座ったままだがベンジャミン様に直角になるぐらい勢いよく頭を下げた。
「あ、あの……ジェシカ様、頭を上げてください」
椅子から立ち上がってベンジャミン様が私の身体を起こそうとするので、ゆっくりと顔を上げると、
そこには嬉しそうに微笑むベンジャミン様の顔があった。
「……では、婚約破棄になったら、よろしくお願いします。ジェシカ様」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。ベンジャミン様」
……私の顔はしっかりと淑女の微笑みができていただろうか。
もしかしたらベンジャミン様と結婚できるかもしれない、という嬉しさで変な顔になっていなかっただろうか。
だって、助けてくれたあの日から、
優しさで涙を流してしまった私に、
「……ここには私しかいませんから、たくさん泣いて下さい。貴女はとても頑張ってきましたよ」
と優しく励ましてくれた時から、
私はもう、ベンジャミン様に叶わぬ恋をしていたのだから。
「……まさか、本当に婚約破棄されるとは………」
「いやぁ……本当……、私もあそこまでの凡愚だったとは思っていませんでした……」
私とベンジャミン様はコンスタンシア公爵邸の来賓室で、衝撃的な出来事を振り返って溜息をついていた。
あのお茶会から数ヶ月後、学園の卒業パーティーで、ハリス王太子はなんと、なんと!!
婚約破棄をしてきたのである。
……いや、なんとなく予想はついていたが。
流石に、留学先の学園で、しかも自国より国力が桁違いの大国の学園の大事な式典で婚約破棄をするほど馬鹿ではないだろうと思っていたのだが、アイツはやりやがった。
「卒業パーティーで婚約破棄って……、私の父や兄達も参加していたし……なんだったらここの国王陛下だっていらっしゃったじゃないですか!? ……もう、私……本当、冷や汗が止まらなくて……」
「しかも、婚約者のいる子爵令嬢を無理やり連れてきて、自分の嫁にするからと言い放ち、ジェシカ様を断罪しようと……、何なんだ? アイツ……」
ベンジャミン様から思わず敬語が取れてしまうぐらい、あの男は最悪な事をしでかしたのだ。
「で、でも……すぐベンジャミン様が私を庇ってくださいましたし、口論という口論にもならず終わったじゃないですか。本当ありがとうございました」
「いえいえ、冤罪で貴女を裁こうとするなんて言語道断ですよ。それに、証拠偽装だって少しつついたら簡単に自白したので、感謝されるようなことは何も……、もう少し叩こうと色々用意してたのですが……」
あの男の悪事は何もしてなくても集まってきてたので……、と苛ついた顔で語るベンジャミン様の姿がすごく意外で、ちょっとだけ驚いた。
「……まぁ、美味しいところは全部ルーカスに取られましたけど」
「ああ……、凄かったですよね、ルーカス殿下」
ベンジャミン様に責められ、自分の悪事を暴かれまくったハリスが逆ギレしようとした時、ルーカス殿下がハリスに声をかけ、あれよあれよと丸め込んで一瞬でパーティー会場から退場させてしまったのだ。
逆ギレしないように褒め称えるようなフリをしつつ、ハリスの過失で婚約破棄になる旨を認めさせ、更にハリスを退場させていく手腕は見事としか言いようがなかった。イヴァンジェリン様にべったりしてるだけの王太子じゃないんだな……と感心してしまった事は秘密である。
「しかも、その後姉にプロポーズするなんて……、阿呆か? と思いましたが……そのお陰であの馬鹿野郎の騒ぎは無かった、と言ってもいいぐらい、そっちのけで盛り上がりましたし……」
「今もルーカス殿下とイヴァンジェリン様の結婚でお祭り騒ぎですもんね……結婚式はどうするのか……、とか……」
「まぁ、弟としては複雑ですが……」
「ふふっ、そうですね」
もっとマシなプロポーズを姉にしてもらいたかった、とでも言いたげな顔で悩んでいるベンジャミン様は少し可愛らしくみえ、思わず笑ってしまった。
笑われたことに照れているのか、ベンジャミン様は耳が赤くなったまま咳払いをした。
「ごほん、……それで、貴女に我が家に来てもらったのはあの時の約束を果たすため、なんですが……」
少し赤い頬で向かい側に座る私をまっすぐ見つめるベンジャミン様の碧い目に、私は動けなくなってしまった。
「……ジェシカ様」
「はっ、はい!!」
私を呼ぶ声に、胸が高鳴る。
「婚約破棄をされたばかりの貴女に告げるのは些か悪い気もしますが、……それでも私は、貴女が誰かの手を取る前に、私が貴女の手を取りたい。」
そう言いながら、ベンジャミン様は私の真横へ来て跪き、すっ、と私の右手を手に取った。
嘘でしょう……? これじゃ、まるで……
「……だからどうか、私ベンジャミン・イライジャ・コンスタンシアと結婚していただけないでしょうか。……貴女の笑顔を傍で見守る権利を、私に下さいませんか?」
私のことを、好いているような…………
「貴女の事を、愛しているんです」
真摯な眼差しとともに向けられた愛の言葉に、自分でも気付かない間に瞳から涙をこぼしてしまった。
「!?っ、……ジェ、ジェシカ様、どうし……」
「……えっ!? あっ、嘘……!! ごめんなさいっ……!!」
私が泣いているのに驚いたベンジャミン様の姿を見て、自分が涙を流しているのに気が付いて焦って頬を拭った。ベンジャミン様は私がごめんなさい、と言ってしまった事を振られたと勘違いしたのか顔が青くなっている。
「ちっ、ちがくて……!! これはっ……、その……まさかベンジャミン様に好かれてると思っていなかったので……っ!!」
慌てて弁明をしていた私は、ベンジャミン様の「好かれていると、思って、なかった……??」という小さな言葉と衝撃を受けた顔を認識してなかった。
「だからっ、私っ……、すごく、嬉しくって………」
「えっ」
ベンジャミン様の頬を赤らめながら驚く表情と声を聞いた私は、自分が思わず変なことを言ってしまったと自覚した。
「あっ……〜〜〜〜っっ!!!! ごごごごごごめんなさいっ!!! わ、私……思わず………っ!!」
「ああああ謝らないで下さいジェシカ様!! 嬉しかったって……それっ、私の事を好いていてくださってるって事でいいですか!?」
茹でダコの私と、それにつられて耳まで赤くなってしまったベンジャミン様とでてんやわんやの大騒ぎである。
恥ずかしくて、ベンジャミン様の顔から逃げようと顔を背けたのだが、右手を掴まれたままであり、しかも真っ赤な顔で真剣に問うてくる彼の目に勝てず、
「………………………………ハイ、」
と、私は瞳をそらしながらボソッと頷いた。
「…………っ!! 嬉しい!!」
感極まったのか、ベンジャミン様は私を抱き締めてきた。
大好きな人からの抱擁で、私の頭はもうオーバーヒート寸前である。
「っ!? べべべ、ベンジャミン様っ!?」
「……勤勉を重ねて、倒れてもなお自分の使命を果そうと努力する貴女の姿に日に日に惹かれていき、……貴女があの男のせいで苦しむ姿を見たくなかった」
「……」
「貴女が笑う度に、どうして私は貴女の隣に立てないのか……と、いつも悔やんでいました。……だから、貴女が同じ気持ちでいてくれて、心の底から嬉しいです」
「ベンジャミン様…………」
ずっと恋い焦がれた人の両腕の中で、心情を囁いてもらえる。……こんな幸せなことがあって良いのだろうか。
引っ込んだはずの涙がまた出てきてしまう。
「……よし、そうと決まれば早速婚約して結婚の日取りも決めてしまいましょう。婚約の書類は……」
「えっ??」
私の涙が乾くよりも先に、ベンジャミン様は私から離れて何処からともなく婚約証書を取り出してきた。
「ちょっ、ちょっとベンジャミン様??」
「はい、何か? 婚約証書に関しては、後はジェシカ様の署名だけで完成しますが……」
「へ? ……いや、婚約証書には私の父や、公爵様の署名も必要かと……」
子供たちだけで了承していようとも、コンスタンシア公爵とお父様の了承がなければ結婚、というか婚約自体できないはず……
「ああ! 私の両親及びエリオット辺境伯ご夫妻には既に了承をいただいております」
そう言って見せられた婚約証書をじっくり眺めると、確かにお父様とお母様の字で署名がしてあった。ついでに証人の欄にルーカス殿下とその御父上である国王陛下の署名がある。
「えっ……、ええええええええ!?!?」
流石に驚いて声を上げてしまった。
「いっ………、いつの間に…………」
「実は、ジェシカ様とお約束をした後、テスト休みを使って辺境伯領へ赴き、エリオット辺境伯様とお兄様方にジェシカ様と結婚したい旨を相談していまして……」
「へ………?」
そんな早くから行動していたとは思っていなかったため、もう思考が追いついていない。
「元々、ハリス殿下の態度には不満があったそうでしたので快く了承してくださいました」
物凄くキラキラした笑顔で言ってこないで下さい。カッコいいという感情が先行して混乱してます。
「……あと、この国の侯爵にならないか? というスカウトも兼ねておりそちらの方も大賛成ということでしたので、ジェシカ様が私の方に嫁入りする頃には辺境伯領ごと、この国の侯爵領として移行されます」
「???? えっと……、お父様が、この国の侯爵に…??」
……なんか凄いことが起きたようだが、私の脳内は追いつかず宇宙空間を彷徨っている。
「輝かしい功績を築いている方なのに、あの国では野蛮だの田舎者だの散々な謂われようだった様で……、ジェシカ様への王族の悪態が耐えきれないからと、こちらの国に快く乗り換えてくださいました。本当にとても素敵なお父様とお兄様方で……」
「ええ、本当私には勿体無い父と兄達で……じゃなくて! 辺境伯を侯爵に格上げして迎えるって、どうゆう事ですか!? しかも、私の国と比べて数倍も大きいこの国で……!」
危うく流される所だったが、辺境伯というのは伯爵よりも少し権力を持つ爵位ではある。が、侯爵よりは下の地位である。それ相応の功績や偉業を成さなければ、侯爵になど到底上がれない。まして、小国の辺境伯が急に大国の侯爵になるなどどこの国でも聞いたことがない話だ。
「そりゃあ、我が国との戦争で一番手強い……というか、唯一敵わない強敵がエリオット辺境伯様でしたから、それ相応の地位をご用意するのは当たり前でしょう」
「…………」
唖然としてしまったが、実のところ父はとても強い。
説明した通り、私がハリス殿下の婚約者になったのは、この国との戦争で父が大活躍し、小国だというのに全然負けず、根負けした大国側が同盟を結ぶ羽目になったからである。
父は褒美に金銭を要求したのだが、王家にそんな金がなかったからなのか、私が王太子と婚約する事が報奨になったそうなのだ。
……こんな事を聞いていたら、なんだか別の疑問が湧いてきた。私は怪しんだ目で、ベンジャミン様を見つめる。
「…………ベンジャミン様」
「はい、何か?」
「……もしかして、私と結婚したかったのって、辺境伯が欲しかったからじゃないんですか?」
「は????」
「確かにお父様は最強の将軍と言っても良いほど知略も武力も優れた方で、辺境伯領は大国にとっても欲しい場所。そこに私という辺境伯の娘が来て、婚約者が悪者だったら美味しい話だと思うんですよね……、私でも娘と結婚して辺境伯を取り込もうと考えますし……」
「いや、あの……さっきまでの告白聞いてました??」
「戦をせず、辺境伯領と最高の将軍を手に入れ、尚且つ娘を嫁入りさせることで人質とする。……うん、こっちの国にしてみれば利点が多すぎる……」
「ジェシカ様! 聞いてます!? ジェシカ様!!」
うん、どう考えても利点しかない。私が喜んで公爵家に嫁入りすればこの国にとって利益しかないレベルで美味しい話だ。そっか……やっぱり私はスカウト……
「違いますからね!? 貴女を手に入れたくて、辺境伯を取り込んだんです!!」
「えっ??」
悶々と考えていたことを見透かされたようなベンジャミン様の回答に驚いて目を見開いた。
眼の前のベンジャミン様は怒ったような、恥ずかしいような顔をしてコチラを見つめ、バツが悪そうにため息を付いた。
「はー……、さっきも言いましたけど、私は貴女に惚れて、ずっと妻に迎えたいと思ってました。この気持ちに偽りはないです」
「は、はい……」
真剣な面持で再度告白されるとやっぱり照れてしまう。
「で、貴女が欲しかったから、先ずは辺境伯一家を取り込もうと思い、訪問させていただいたんですよ」
「へぇー、そうなんで………はい??」
取り込むって何!? えっ、私が欲しいから取り込む??
脳内は理由がわからなくて大パニックである。
「……『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』、という言葉がありますよね?」
「あ……えっと、東方のことわざでしたっけ??」
「そうです。……なので、周りから攻めました」
「ん??」
「…………九割方婚約破棄されるだろうなと思っていたので、その後私の妻になる以外の選択肢が無くなるよう、裏で動いてたんです……」
「えぇ……」
えぇ……、何だそれは。
「自分の手の中に入るかもしれない、と思ったら……いや、手に入れるしかない! という思考になりまして……」
「はぁ…………、それで、父を……」
「先ず始めに味方につけるべきはご両親ですから。姉にも手伝ってもらい交渉させていただきました。穏便に進まなければ権力行使も吝かではないと思っていたんですが……思ったよりも上手く進みまして、本当に良かったです。」
権力行使も吝かではない…………って何!?!?
私はきらきらした笑顔でサラッと凄いことを述べたベンジャミン様にたじろいだ。
「…………ベンジャミン様って、えげつない人だったんですね……」
「自分の欲望に忠実なだけです。……私の事、嫌いになりましたか……?」
紳士的な笑みで言うことではない事を言っているのだが、恋は盲目、とはまさにこの事。私はベンジャミンの爽やかな笑みとその後の落ち込んだような顔に心を射抜かれ、さっきまでの真実が霞んできている。
恋い焦がれた人の潤んだ瞳には敵わず、目を逸らしながら答えるしかなかった。
「いえ、そんなことは……」
「なら良かった! そしたらここにサインを……」
私の言葉が終わる前にベンジャミン様は微笑みながらペンを私に持たせ、私の手の上に手を重ねた。
心臓が鳴りやまない。ちょっと顔を逸らせば目の前にベンジャミン様の輝かしい顔がある。どうしようどうしよう……
「はい、これで私とジェシカ様は婚約者ですね!」
「えっ!?」
ベンジャミン様が近くにいることにドキドキしていた間に、婚約証書にサインを書かされたようである。
我に返って証書を見たら、サインしてあった。
「君のウェディングドレスが出来たら直ぐにでも結婚式を挙げて、夫婦になりましょうね、ジェシカ」
「ひゃぁっ!?」
後ろから左手の薬指にキスをされ、更に名前呼びで驚いて振り返ってみたら……
もう左手の薬指にキラキラと碧色に光る婚約指輪がつけられていた。
「えっ!? いっ、いいいいつの間に!?」
「ついさっきですかね? サインに驚いている間に」
「早業すぎる……」
「また変な妄想で私がジェシカを好きじゃないと思われるのは嫌なので、愛の証を着けてもらっていたほうがわかりやすいでしょう?」
「あっ、愛の証って…!!!」
後から抱きしめつつ、耳元でそんなことを囁かられた私はもうパンクしそうである。
「勿論、婚約指輪だけじゃなく、態度や言動でも貴女への愛を示していくつもりです。……愛しています、ジェシカ、この世の誰よりも。一生一緒に生きましょうね」
照れながら振り向いた私の唇に、彼の唇がふわりと重なる。
初めての口付けとか、好きな人と両想いだとか、私を娶るために色々策略されてたとか、色々起こりすぎてそのまま気を失ってしまった。
……この後、婚約者を溺愛するルーカス殿下ですらドン引きするぐらい、ベンジャミン様から溺愛される結婚生活を送ることになるのを、私はまだ知らなかった。
1日で1000pv超え、更に日間ランキング77位してて驚きました……!!皆様お読みいただき、尚且ついいねまで下さりありがとうございます…!
『「婚約破棄する王太子ってどう思う?」と、婚約者である王太子から言われたのですが。』
の世界観が同じ別のご令嬢と令息のお話でした!
いかがだったでしょうか?
読んでいても読んでいなくても楽しい作品にできたかな…? とは思っていますが小説初心者の2作目なので
温かな目で読んでくださると嬉しいです…!
誤字脱字などは発見次第ちまちま直していきます…!