義妹の時
「へーえ?」
サナエが頓狂な声をあげる。
「兄さんがそう言ったんですか?リツさんは自分の理想じゃないって」
「それは……あの……」
「サナエさん」
氷川がサナエを肘でつつく。
「そうじゃないですよ。あなたならどうするか?って質問なんです。たぶん、リツさんにはリツさんなりに、自分が中村さんと不釣り合いな気がして悩んでいるんですから」
事情を知らないサナエはともかく、氷川には察しがついている。リツは魔法少女の殺し屋なのだ。だから、刑事であるジュウタロウの理想とはズレていることを、嫌でも痛感しているに違いない。
「ところで、サナエさんには恋人はいないんですか?過去に付き合っていた人は?」
「ワタシはあんまり恋愛には興味ありませんから。それに、ナンパされたことは何回かあるのですが、しばらく話しているとなぜか離れていっちゃうんですよ」
「でしょうね」
「でしょうねってなんですか!氷川さん!」
サナエが咳払いをする。
「ワタシは恋人に合わせて変わろうとは思いませんよ。リツさんも変わる必要は無いと思いますけどねぇ」
「いいえ!私は変わるべきだと思いますね!」
氷川はビシッとリツを指さす。
「というより、音無さんは既に、自分を変えようと決めているんです!ですが、自分を変えることを恐れている!だから我々に背中を押してもらいたかった!違いますか?」
「そう……だったのでしょうか……?」
リツはその言葉に半信半疑だ。
「私……可愛くないと思います。他の子みたいに、遊び方もよくわからないから……小さい頃から、人生をやり直せたらいいのに……」
「今からじゃ間に合いませんか?」
「えっ?」
サナエの素朴な呼びかけに、リツが意外そうな声をあげる。
「遊び方も、可愛くなる方法も、そして笑顔になることも。これから知ったらいいじゃないですか。人生はいつだって、始めるのが遅すぎるなんてことはありませんよ」
「さすがですねぇ、サナエさん!いい事を言うじゃありませんか!」
そう。京木のような男の命令に、魔法少女であるリツがいつまでも従う必要はないのだ。多少の下心はあるにしても、氷川/タソガレバウンサーはそう信じていた。
「そうと決まれば、まずはこれを読んでみましょうよ!はい!『必颯必中閃光姉妹』です!」
氷川がリツに漫画を押しつけると、サナエもまた氷川に尋ねる。
「氷川さんのオススメって他にもありますか?」
「なら、サナエさんにはこれはどうでしょうか?『魔法少女アマゾンズ』です。他の魔法少女作品とは一味違いますよ」
「お〜それは興味深いですね〜」
サナエと氷川が漫画トークで盛り上がる中、リツは手元のページをめくる。漫画というものがこの世にあるのは知っていたが、どれを読めばいいのか決めることができなかった。しかし、今は違う。
「…………」
リツはサナエが持ってきたジュースを飲みながら、次々とページをめくっていった。
それから数時間が過ぎた。
「…………あれ?」
サナエが目を覚ます。どうやら、いつの間にか寝てしまったらしい。耳元に温もりを感じたサナエが視線をあげると、リツの胸が見えた。どうやら、膝枕をしてもらっているようだ。
「氷川さんは?」
そうサナエが尋ねる。少なくとも個室の中に彼女の姿は見えなかった。
「帰られましたよ。仕事を思い出したそうです」
「そうですか。まぁ、そりゃそうですよね」
「サナエさん」
「はい?」
「私、この漫画が好きです」
「それは良かったです」
ニッコリ笑うサナエの顔を見下ろしながら、リツが漫画を閉じる。
「私、変われそうな気がします。いえ、変わりたいです。今までとは違う自分に……」
「リツさんって、今年で何歳になるんですか?」
「20歳です」
サナエがその質問をしたのは、変わるには歳をとり過ぎているなどと指摘したいからではない。
「なら、リツさんはお姉さんですね」
サナエはエアホッケー対決の時にされた問いに答えたのだ。リツがサナエの銀髪をなでると、彼女はくすぐったそうに目を細めた。
京木ユウジロウがオーナーを勤める風俗店『ミルクアンドハニー』は、今朝も営業が終了したところであった。
「城南署の一条です」
若い刑事がそう言って警察手帳を見せる。彼がここを訪れたのはこれで二回目だ。
「オーナーの京木ユウジロウ氏に話を伺いたいのですが」
「すみませんが、生憎」
昨日と同じように、京木の仲間であるヒデが彼をあしらおうとする。
「京木社長は留守にしております。お手数ですが、また改めて……」
「昨日も同じことを言っていたじゃあないですか!帰ってきたら連絡すると言って音沙汰も無いし!」
「まあまあ、刑事さん」
もう一人の仲間であるマツが一条をなだめようとする。
「何か令状でもあるんですか?」
「いや、それは……まだ……」
「だったら、協力はこちらの任意でしょう。こっちだって忙しいんですから、あんまり迷惑をかけないでくださいよ」
「…………」
一条は憤然として『ミルクアンドハニー』の看板に背を向けた。たしかに、今は彼らが犯人であるという証拠は無い。だが、こういう態度をとるのは、無関係ではない証拠だと一条は睨んでいる。
(なんとしてでも、必ず尻尾を掴んでやるぞ)
若い刑事は、そう決意を新たにした。
「おい、ジョー」
「はい」
その様子を店の奥から見つめていた京木が仲間の男に声をかける。
「あの一条とかいう刑事をつけろ」
尾行しろというのだ。
「あんな雑魚を?どうしてです?」
「若いからさ。物分りのいい大人なら金か女を掴ませれば言う事を聞かせられる。だが、若いやつは馬鹿だからいけねぇ。何か弱みが無いか探れ」
「わかりました」
一条はその後も周辺への聞き込みを続けた。その背後を、京木の仲間が尾行しているとは気づかないままで。
「それにしても……」
若い刑事は額の汗を拭いながら、ついぼやく。
「氷川さんは何をしているんだろう?風俗店の方に近づくのは抵抗があるのはわかりますが、こっちの仕事くらいは手伝ってほしいなぁ……」
京木は3階の事務所でブランデーの入った瓶の蓋を開けた。営業終了後は、ここで一杯やってから午後まで仮眠をとるのがいつもの習慣である。グラスにブランデーを注いでいると、背後でドアが開く音がした。
「ご苦労だったな、ヒデ。お前も一杯やっていくか?」
「…………」
返事がない。ヒデではなくマツの方だったか?そう思った京木は、ドアに鍵をかける音を耳にして、やっと異常に気づいて振り向いた。
「お前は!?」
女である。しかも、ただの女ではない。コケティッシュなニンジャ風の黒いドレスを着ている彼女の姿は『ミルクアンドハニー』の従業員にはいない。風俗嬢でもないのにこんな衣装を身にまとう女は、魔法少女以外に心当たりがなかった。
(白金組の差し金か!?)
自分に突進してくる黒ドレスの魔法少女を見た京木が、最初に考えた可能性がそれであった。京木は懐から最新型自動拳銃を抜いて女に銃口を向ける。だが、女が銃にそっと手を触れると、何度トリガーを引いても弾が発射されなかった。
「なぜ撃てない!?これも魔法なのか!?」
「魔法ではなく知識ですよ、京木ユウジロウさん」
黒い魔法少女が初めて口をきく。
「そのタイプの拳銃は使用者の安全を守るために、薬室が完全に閉鎖されていない状態では撃針がロックされるんです。シグザウエル社の最新型だったのが仇になりましたね。もっとも……」
魔法少女は銃口を自分の胸に向ける。
「私は拳銃で多少撃たれても平気ですがね。脳か心臓。どちらかを撃たれさえしなければ」
魔法少女が内側から鍵をかけたドアの向こうで、ヒデとマツが騒いでいるのが聞こえてきた。どうやら彼らも異変に気がついたようだ。
「京木さん!大丈夫ですか!?」
「くそっ!なんで店の鍵でドアが開かないんだ!?」
京木が一喝する。
「騒ぐんじゃねぇ!」
「えっ!?京木さん!?」
「俺に客が来てるんだ!むこうで大人しくしてろ!」
仲間二人に命令した京木は改めて魔法少女に名乗った。
「俺が京木ユウジロウだ。どうやら、あんたは俺を殺しにきたわけではないらしい。話を聞こうじゃねぇか」
「理解が早くて助かりますよ。さすがですねぇ」
その魔法少女もまた自分の素性を明かした。
「私は鍵の魔女タソガレバウンサー。最強の閃光少女、オウゴンサンデーの側近として、あなたと話し合うために参りました」




