たわけの時
「それにしても、中村さんが一条さんに『魔法少女については城西署で自分が一番詳しい』なんて言ってたのは、漫画のことだったんですね」
氷川は感心するような、呆れるような、そんな声音でジュウタロウに語りかける。
「そうだ。ついでですから、捜査の進捗を共有しておきますよ」
「はいはい、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)ですな」
地道な聞き込みの結果、すでにこの事件が、風俗店オーナー京木ユウジロウと、暴力団白金組の確執が原因であることはわかっていた。カクカクシカジカ……マルマルウシウシ……と病室で二人の刑事が話していると、病室のドアがそっと開いた。
「あ!氷川さん!」
「おはようございます、サナエさん。今日もお兄さんのお見舞いですか?」
振り向いて気さくに声をかける氷川へ、ジュウタロウの妹、中村サナエが恐る恐る尋ねる。
「今日はリツさんは来ていないんですよね?」
「えっ、リツさんって……音無リツさんがですか?」
音無リツがジュウタロウの見舞いに来ていたことを、氷川は知らなかった。妹と同僚の二人から見つめられたジュウタロウが答えた。
「昨日まではお見舞いに来てくれていたんですけどね。でも、今日は来ないと言っていましたよ」
「兄さん、あの人お弁当を作って持ってくるって言ってたけど」
「それなら、昨日いただきました」
「えっ、弁当……?中村さんに?」
「氷川さん、実はですね……」
当惑する氷川に、サナエは入院初日に見舞いに現れたリツの様子を話してきかせた。ジュウタロウ本人はピンときていないようだが、リツが中村ジュウタロウに、並々ならぬ情を寄せているのはすぐにわかった。
だが、入院二日目の時にサナエは来ていなかったので、そこから先はジュウタロウが話を引き継ぐ。
「命が危ないから捜査をするのはやめてほしい……音無さんは中村さんに、たしかにそう言ったんですね?」
「ええ、はい。まあ、さすがに『わかりました』とは言えませんでしたが」
その話を聞いたサナエは、リツのセリフを言葉通りに解釈する。自分の好きな人が魔法少女の殺人犯を探しているなら、心配になるのが当然の人情だ。だが、音無リツが当の魔法少女だと確信している(他の刑事には隠している)氷川からすれば、別の筋書きが見えていた。
(おそらく音無リツは京木ユウジロウに、中村さんに張り付いているように言われたんですね。そうすれば捜査の状況がわかるから。そして、もしも中村さんが知り過ぎた場合は……口封じをするのも彼女の役目……)
氷川はついさっき捜査の進捗をジュウタロウに共有したばかりだ。もちろん音無リツが魔法少女であるという話は、他の刑事たちへの報告と同様、ジュウタロウには伝えていない。たまたまサナエが入室しなければ、名前さえ出さなかっただろう。
(京木の事も、彼が白金組の縄張りを狙っていることも中村さんに話してしまいました。さて、どうするか……?)
ここで氷川シノブの立場を整理しておこう。彼女が城南署刑事部特別捜査課に所属しているのは、大っぴらに魔法少女の事件を捜査(あるいは情報操作)する隠れ蓑としてちょうどいいからだ。彼女の正体は、魔法少女による革命を企図している閃光少女オウゴンサンデーの側近、鍵の魔女タソガレバウンサーである。最終的な処遇はサンデーが決めるにしろ、音無リツをサンデー側に引き込める方が、敵対されるより良いのは明らかだ。
「氷川さん、ワタシなんだかあの人が怖いですよ。なんとか兄さんから引き離す方法は無いですかね?」
サナエがそう尋ねると、氷川は慌てて首を横に振った。
「とんでもない!リツさんはすごく純情な女性ですよ!ただ、ちょっと距離感がわかっていないだけで……そう!彼女こそが中村さんの運命の人なんですよ!」
「ええーっ!?」
「急に何を言い出すんですか、氷川さん」
驚愕するサナエとは対照的に、ジュウタロウがたわけた事をのたまう。
「リツさんが私を好きだと、決めつけてはいけませんよ」
「「はぁ?」」
女性陣二人の顔が怒りに歪み、彼女たちの口から次々と、ジュウタロウをなじる言葉が飛び出した。
「バカー!」
「朴念仁!」
「だから彼女ができないんですよ!」
「なんですかいったい……二人して私をいじめないでくださいよ」
怒れる妹と同僚を前にして、ジュウタロウはその大きな体を小さく丸めようという、無駄な努力をした。
「私はただ……リツさんが強迫観念に駆られているだけかと思っていました。命の恩人にはどこまでも報いなければならない、と……」
「まあ、とにかく。ヤクザに襲撃されてショックを受けたのには違いがありませんから、中村さんも彼女の心のケアをしてあげてくださいよ。それも、市民を守る警察の役目ですよ」
「はぁ……」
氷川が乱暴にリツとジュウタロウをくっつけようとするのには理由がある。リツがジュウタロウの殺害を断固拒否すれば、京木と彼女を仲違いさせることができるかもしれない。そして、ある意味ではジュウタロウの生殺与奪を握っているのは、同僚である氷川/タソガレバウンサーだ。リツを味方にできるかはともかく、少なくとも反抗できなくするのは、オウゴンサンデー側にとって悪い話ではない。
やがてサナエと氷川は病室を後にした。
「そういえば、氷川さんには恋人はいないんですか?」
「えっ?」
左手薬指に指輪が見えないので、少なくとも独身ではあるはずだ。そう考えたサナエに水を向けられた氷川が答えた。
「片思い中ですね。私にはもう心に決めた人がいますから」
「そうですかー」
氷川の思惑を知らないサナエからすれば、音無リツがジュウタロウの運命の人だというのは、かなり疑わしく感じられる。だが、残念ながら同僚の氷川に脈はまったく無さそうだった。
「へっきゅ!」
遠く離れた立花邸では、ツグミがモップで床掃除をしながら、何度もくしゃみをしていた。
「大丈夫ですか?ツグミさん」
「ああ、トーベさん」
ツグミが、そばで食器を磨いていた執事のトーベと顔を合わせる。
「昨晩は、その……風に当たりましたからね。少し、体が冷えたのかもしれません。ご自愛ください」
「ありがとうございます、トーベさん。でも、さっきから感じるこの悪寒は……」
ツグミが身震いをする。
「誰かが私の噂をしているというか、なんだか変な意味で狙われている予感がするんです……へっきゅ!」
ツグミは再びくしゃみをした。




