拳銃弾を避ける時
男たちが廊下に殺到してきた時には、ツグミは再びトコヤミサイレンスへと変身していた。
「追え!!殺せ!!」
そんな怒号が飛び交う中、トコヤミは掌から光を出し、それを廊下に押し付ける。
「気をつけろ!何か魔法を……うわっ!?」
「なんだ!?」
「床が滑っ……!?」
「うげっ!?」
廊下を走ってきた男たちは、摩擦係数を失った板敷の上に次々と転んで倒れた。トコヤミサイレンスの能力は、回復魔法である。彼女は廊下に塗られたワックスを、乾く直前にまで治したのだ。
侵入がバレた以上はグズグズしているわけにはいかない。トコヤミはソウタロウがいるはずの、奥の仏間に向けて走り出した。前方の部屋から、30口径の拳銃を構えた若衆が飛び出す。
「止まれ!さもないと撃つぞ!止まっても撃つけどよぉ!!」
「…………」
どうやら問答無用で撃ってくるようなので、トコヤミは走り続けた。中国でコピー製造された、旧ソ連軍の制式採用拳銃を構える男にまっすぐ向かって。
「正気かてめぇ!?」
男の拳銃が火を吹いた。その弾丸を避けながらトコヤミは走り続ける。2発、3発と発射したところで、男に密着したトコヤミは、その体を投げ飛ばした。
「うぉおおおっ!?」
障子に頭から突っ込んだ若衆は、そこでぐったりとして動かなくなった。
後にこの時の話を聞いたオトハが、驚いてツグミに尋ねた。
「ツグミちゃん、弾丸よりも速く動けるの!?」
「そんなわけないよ」
ツグミは否定する。
「それに、銃で撃たれても平気な魔法少女は少ないと思う」
「じゃあ、弾はたまたま当たらなかった……ってこと?」
「ふふっ」
「いや、ダジャレじゃないから!」
ツグミが説明した。
「銃で狙われるとね、銃口から光る線みたいなのが見えるの。殺気みたいなものかな?それで、むこうが撃とうとしたらその線が強く光るから、それを見てから動くの」
「それで間に合うの?」
「間に合うよ。私は、銃弾よりも速く動くことはできないけど、銃を撃つ人よりも速く動くことはできるから」
トコヤミが走り続けると、仏間らしき部屋から一人の男が顔を出した。40歳手前くらいに見える男は白金ソウタロウではないはずだ。そう思ったトコヤミが棒状の武器を取り出したところで、男が両手を上げてトコヤミに叫ぶ。
「もう勘弁してやってください!暗闇姉妹の姉御!」
トコヤミが男の手前で止まった。もしも目の前の男が組長のソウタロウではなく、しかも暗闇姉妹の事を知っているとしたら、その正体は一人しか考えられない。
「渡辺シンゾウさんですか?」
「へっ!いかにも、あっしが白金組組長付き、渡辺シンゾウでござんす」
控えめに仁義を切る動作をしたシンゾウは、トコヤミを追ってきた男たちの間に慌てて割って入った。
「待て!てめぇら待つんだ!」
「シンさん、なんで止めるんだ!?」
「こちらは親父さんの客人だ!無礼を働くんじゃねぇ!」
「えっ、親父の!?」
この場合の親父とは、組長のソウタロウのことだ。
「白金ソウタロウさんは?」
「茶室の方でお待ちしておりやす。あっしが案内いたしやしょう」
トコヤミは黙って、シンゾウについて行くことにした。屋敷の中庭に降りた後、竹で作られた中門を通過する。そこから先は茶室へと続く露地となっていた。どうやら白金ソウタロウは、ここから先を、一つの異世界として区切りをつけているらしい。
露地の飛び石が、茅葺き屋根の小屋へと続いている。その小屋が茶室で、ソウタロウはそこにいるらしい。小屋のそばまで来ると、シンゾウが振り返る。
「すいやせんが、武器をお預かりいたしやす」
「…………」
トコヤミは黙って、短い棒のようなものをシンゾウへ渡した。シンゾウには、それがどんな武器か皆目見当がつかなかったが、下手にいじるのはやめておこうと思った。
「では、中へどうぞ」
茶室への入り口は、人間の腰までの高さしかない小さな引き戸だった。誰であろうと、例えば身長145cmしかないトコヤミサイレンスであろうと、腰をかがめなければ入ることができない。四畳半の狭い空間に茶道具が並び、行灯の光が暗い室内を照らしていた。
「天罰代行、暗闇姉妹」
トコヤミサイレンスがそう名乗ると、中に居た着流し姿の初老の男が名乗り返す。
「俺が白金ソウタロウだ」
トコヤミは仕事人としての顔を崩さず、またソウタロウも口を真一文字に結んだまま魔法少女の処刑人を見据える。だが、やがてソウタロウの顔に笑みが浮かんだ。
「よく来たな。まぁ、くつろいでくれ」
トコヤミが座って待っていると、ソウタロウは彼女のために一杯の茶を差し出す。黒い茶碗に入ったそれを、トコヤミは両手ですくうように持った。
「あんた、歳は?」
「18歳」
「その歳でたいした度胸だ。そして、約束通り俺のところまでたどり着いたな。本当に、たいしたもんだよ」
トコヤミは、というよりツグミは茶室のマナーなど知らない。黒茶碗の茶をそのまま飲み干した魔法少女を見て、ソウタロウがうんちくを語りだす。
「全てが利休好みでつくってある。露地も、茶室も、茶道具も。その小さな入り口は躙口と言ってな。武士だろうが商人だろうが、外に刀を置いて、頭を下げなければ中へ入れないようになっている。茶の湯の世界には、娑婆の身分は関係ない。利休はそう考えたんだろうなぁ」
利休とは、昔の茶人のことである。
「ところで、もしもその茶に毒が盛られていたらどうするつもりだったんだ?」
「今さら、あなたはそんな無粋なことはしないと思ったから」
「ははっ、違いねぇ!だが、お嬢ちゃん。一つ、あんたより三倍は長く生きている俺からの忠告だ」
そう言うとソウタロウは、着流しの懐から、ゆっくりと回転式拳銃を取り出した。ソウタロウが説明した通り、茶室という一つの異世界には、現世の武器を持って入ることは許されない。だが、例外があった。それは、この世界の創造主とも言える、ソウタロウ自身である。
「あんまりヤクザに夢を見ないほうがいいぜ?」
ソウタロウが拳銃の撃鉄を起こした。部屋の広さは四畳半しかない。いくらトコヤミが相手の殺気を読んで銃弾を避けられるとしても、そもそも避けるだけのスペースがなければどうしようもないのだ。
「まだテストをしたいのなら……」
トコヤミもまた、ゆっくりと黒茶碗を畳の上に置いた。
「とことん付き合うよ」




