この世に地獄ができる時
オウゴンサンデーとの通話を切ったオトハはその場に座り込んだ。
「あ~やっちゃったな~これは完全に宣戦布告だよ」
オトハはサンデーに、こちらには勝算は無いとハッキリ言った。その言葉にはまったく嘘偽りがない。だがそれでも、仲間の中で戦略を考えられるのは自分しかいない。まずは彼我の戦力差を整理する。
まずは自分ことアケボノオーシャン。贔屓目があるかもしれないが、閃光少女としての実力は、相撲の番付で言うところの小結クラスはあると自負している。だが、対するオウゴンサンデーはまさに横綱だ。
グレンバーンはどうか?時を止められようが焦熱地獄に叩き込める可能性がある彼女は大関といえる。まさに切り札のような存在だろう。だが、アウェーな環境では、幕下に寄り切られるほど一気に脆くなる弱点があった。
番付不明のダークホースがトコヤミサイレンスだ。というより、厳密には敵か味方かさえハッキリしていない。だが、敵になった時点で、こちらはあらゆる意味で詰みだ。
「なんとかこの戦況をひっくり返せないか」
オトハの脳裏をよぎるのは城西地区で調査を続けているであろうサナエとツグミだ。事ここに至っては、情報を握っていることが生死をわけるに違いない。もしもオウゴンサンデーに奇襲をかけることができれば、戦局を一気に覆せるに違いない。
(スイギンスパーダ……?)
オトハはもう一人だけ戦力となる魔法少女に心当たりがあった。だがオトハは、そのスイギンスパーダが本気で戦うところを見たことがない。状況が状況だけに、足手まといになるくらいならかえって味方には引き込みたくないものだ。しかしそれはそれとして、悪魔にも顔が利くスイギンスパーダの人脈は役に立つかもしれない。
「この際、魔女だろうが、悪魔だろうが、こちらに味方してくれる人材を集めなくっちゃね」
「そうだ、アッコちゃんに……」
アカネにこの件を連絡しなければ。携帯電話を構えたが、その手が止まる。こんな会話を周りに聞かれたら困るのはアカネも同じだ。かといって、ここでガンタンライズの時と同じ轍を踏むわけにはいかない。最も確実なのは、自分が早退してアカネの高校までスクーターをとばすことだ。
「遅刻してすみませーん」
オトハは教室に入るなりにそう言う。
「和泉オトハ、お腹が痛いので早退しま……?」
教室にいる生徒も、さらには先生まで、隅に置かれたテレビの前でざわめいている。その隙間から、チラチラと「城西」という文字が見えた気がした。胸騒ぎを覚えたオトハはテレビに近づき、その映像を見る。その瞬間にオトハは、頭髪が逆だっているのが自覚できるほどの怒りを覚えた。
(そうか……そういう事をするのか!オウゴンサンデー!!)
たしかにオウゴンサンデーは言っていた。
「人が死にますよ?」
同時刻、アカネもまたクラスメイト達とその映像をテレビで見た。
「どうしたらいいのよ……」
アカネもまた愕然としている。
(城西地区には今、閃光少女が一人もいないのよ……!!)
時刻は30分ほど遡る。
城西地区での捜査を続けているサナエとツグミはひとまず昼食をとることにした。念のため、なるべく奥のテーブル席に座るが、慌ただしい店内はだれも二人の少女に気をかけていなかった。
「奢ってあげるなんて大口を叩いておりましたが、牛丼でスミマセン。どうしても持ち合わせがなくて……」
「え?なんで謝るんです?この牛丼って、とっても美味しいですよ!」
ツグミは本当に美味しそうに食べている。サナエはハッとした。
「そういえば、オーシャンさんから聞いていましたが、ツグミさんは記憶喪失だったのですね。だから牛丼を食べるのも初めて。しかし、家族の記憶が無いというのは寂しいでしょう」
その言葉を聞いたツグミは、そっと丼をテーブルに置く。
「家族に、なってくれるはずだった人たちがいたんです」
「あ……」
糸井家の人たちだ。
「無理に記憶を思い出そうとしなくていいって。私がそれを望むなら、ずっと一緒に暮らしていこう、って」
「ス、スミマセンでした!!」
「あっ、えっ!?」
サナエが突然立ち上がり、テーブル脇のナイフを掴むとツグミの前に置き、自分の頭を叩きつけるようにしてツグミへ頭を下げた。
「糸井家のみなさんがあんな事になったのは、ひとえにワタシの不徳の致すところです!!そのナイフで思う存分気持ちを晴らしてください!!」
「や、やめてよサナエさん!ほら、みんな見てるよ。それに、こんなナイフじゃ切れないし……」
「そ、そうですね。取り乱しました。スミマセン……」
サナエはアケボノオーシャンに依頼されて、アンコクインファナルを尾行していたのだ。最善は尽くしたつもりだったが、一度尾行を巻かれてしまい、再び彼女を補足した時には、状況は既に手の施しようがない段階まで進んでしまっていた。その事を素直にサナエはツグミに話す。
「ひぇ」
急にツグミがサナエの頬を両手で挟み込むように触れるたので、思わず変な声が出た。
「あの晩、ガンタンライズちゃんが私に言ってくれた言葉、知ってる?」
「いえ、距離が遠かったので会話までは……」
「ライズちゃんは言ったの。生き残った人は、死んでいった人達のためにも、心を明るくして、強く生きていかなければいけない。だからほら、笑って、って」
ツグミは静かに微笑している。
「ライズさん、死んじゃったんでしょうか?」
「わからない。でも、ライズちゃんにとって本当に悲しい事は、みんなが希望を失うことだと思う。アカ……グレンバーンちゃんも、アケボノオーシャンちゃんも、みんな自分の行動を後悔してた。でも、過去は過去だよ。変えられるのは自分のこれからの生き方だけだから。だからみんなに忘れてほしくないの。心の光を。だから、私はライズちゃん……ううん、アヤちゃんが生きているって信じてる」
サナエは少し目に涙が浮かべ、鼻をすすっている。
「ごめんね、ちょっと変なこと言っちゃったかな?」
「いいえ、おかげでちょっとジーンとしちゃいましたよ」
「サナエさんのご家族は、お元気?」
「あー……人間の方の?」
サナエは少し考えてから話した。
「うちはお爺ちゃんとお兄さんだけですね。お婆ちゃんとお母ちゃんとお父さんの話は前に聞いた気がするのですが……忘れちゃいました」
恥ずかしそうに笑う。
「実は子供の頃に、トラックにはねられて死にかけたことがあるんですよ」
「えっ!?」
「ボールを追いかけて道に飛び出しちゃった子を、慌ててかばっちゃったんですね」
サナエの回想は続く。
それでワタシ、つまり悪魔の方のワタシですが。この子、とってもバカだなーって思ったんです。だって、そうじゃないですか。家族でもない。友達でもない。そんな子の命を、自分の命と引き換えに救うなんて、おかしいじゃないですか。
それでひとしきり大笑いした後で帰ったんですけど。でもずっとその子、つまり人間の方のワタシの顔が思い浮かんで、消えなかったんですよ。あの子はあの瞬間、どんな事を考えてたんだろうなーとか。もしも生き返ったらなにをしたいんだろうなーって。どうしてもわからないから見に行ったら、あの子は病院のベッドの上で生死をさまよっていたんです。あの時のお兄さん、おもしろかったなー。ずーっとワタシの手を握ってて。それでそのうち、お兄さんが眠っちゃった時、あの子に聞いたんです。
「ワタシと合体しませんか?」
「それでどうなったの?」
目が覚めましたよ。つまり、悪魔人間としてのワタシが。そしたらみんな大喜びで。お兄さんなんか、あの表情のとぼしい顔のまま、うんうん泣いてたんですよ。お爺ちゃんも、助けた子も、助けた子のお母さんも。そうそう、トラックの運転手さんまで喜んでました。
それで思ったんですよ。みんなが喜んでるのって、おもしろいなーって。また喜ばして、おもしろくなりたいなーって。それで大きくなった後、ワタシは探偵を始めることにしました。調べ物には便利な能力ですからね。それでみんなを、またまた喜ばせたいなーって、今でもそう思っていますよ。
「これって変ですかね?」
「ううん、とっても素敵だと思う。私、悪魔ってただ怖いだけの存在かと思ってた。サナエさんを知って、ちょっと認識が変わったよ。怖がらなくてもいい悪魔だって、いるのかもしれない」
「ほほーう?そうでしょうか?悪魔は怖がった方がいいと思いますよー?ほれほれ~」
そう言いながらサナエはツグミをくすぐった。
「あははははっ、やめてよサナエちゃん!」
「ぎゃーっ!小手返しはやめて、小手返しは!」
その時である。ガラス越しに見える外の景色がにわかに暗くなってきた。
「あれ?雨でも降るんでしょうか?」
「でも、それは変だよ。さっきまで雲一つ見えなかったよ」
歩道にいる者達は空を見上げる。何か小さな飛翔体が、膨大な群れとなり日の光を遮っていた。
「鳥か?」
はるか頭上にそびえるタワーマンションの頂上で、蝙蝠の魔女セキショクウインドは、風と、下界の眺めを楽しんでいた。
「なるべく長く苦しめ、なるべく大勢を殺せ、か。僕にはそういう趣味はないんだけどな」
セキショクウインドが両手を広げると、彼女の背中から艶やかな赤茶色の羽根が広がる。
「さぁ息子たちよ。宴を始めよう」
時刻13時08分。
これより、城西地区駅前周辺区域は、地獄と化す。