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急降下して犬と遊んだ時

 ヘリコプターの後部座席には、ちょこんと一人、メイド服を着た少女が座っていた。身長は145cmほどしかないが、これでも18歳である。彼女の名前は村雨ツグミ。表向きの仕事は、立花財閥令嬢、立花サクラに仕えるメイドだ。癖の強いロングヘアをかきあげながら、彼女はヘッドセットから聞こえる声に耳を傾けている。


「目標上空へと到達いたしました」


 その声の主。操縦桿を握っているのは、同じく立花サクラに仕える執事、トーベ・ウインターである。背の高い、褐色の肌を持つ、そのスキンヘッドの男性は日本人には見えない。というより、本当は人間ではない。西ジュンコと同様、人間社会に適応した悪魔だ。そして、だからこそジュンコに協力し、ツグミを白金邸上空2000メートルの高さまで運んできている。


「やや西寄りの風がありますが、おそらくはダイビングに支障をきたすほどではありません。この高さから自由落下すれば、20秒ほどで地面に到達します。心の準備はよろしいですか?」


 出自とは裏腹に、流暢な日本語でトーベがツグミに声をかけた。


「大丈夫だよ、トーベさん。何度も山で練習したじゃない」


 ヘッドセット越しに落ち着いた調子で返事をしたツグミであるが、トーベは心配だった。110デシベルもの音量を出すヘリコプターを、白金組に怪しまれないように近づけるには、練習した時よりもずっと高度を上げる必要があったからだ。


「ですが、その時は高度500メートルでございましたよ、ツグミさん…………ツグミさん?」


 トーベはツグミからの返事がなかったため後ろを振り返る。そこにはもう、ツグミではない別の少女がいた。幾重にも影のような包帯が重なってできた、漆黒のドレスを身にまとった魔法少女が、ジュンコが準備した多機能ゴーグルを目元に装着しようとしている。


「失礼いたしました。今のあなたの名前は、トコヤミサイレンスですね」

「……トーベさん、行ってきます」


 彼女はすでに、仕事人の顔になっている。ツグミが変身した魔法少女、トコヤミサイレンスはヘリコプターのドアを開き、夜のとばりへその身を投げた。トーベはすぐさまヘリを反転させて離脱する。


「一言申し上げておきますが……良い子は決して真似をなさいませんように」


 トーベが警告した。


 急降下するトコヤミには下界の様子がよく見えていた。多機能ゴーグルが光量を増幅させ、まるで昼のように明るく見える。おまけに目標である白金邸にポインターがAR表示されるため迷いようがないが、このダイビングはいわば二階から目薬をさそうとするようなものだ。


(調整は私がしないと……)


 トコヤミは何度も練習したように、体を包む包帯を、背中から翼のように広げた。空気抵抗が生じ、落下速度が緩む。トコヤミは翼の角度を調整しながら、白金邸を目指した。


「サーマルモード!」


 トコヤミがゴーグルに向かって命令すると、視界が熱分布画像に切り替わった。人間がいるところはオレンジ色に光っている。当然ながら門のそばには何名も見張りがいるが、北東に位置する庭には、暖色の人影が無いようだ。今度は背中の翼をパラシュートのように広げたトコヤミは、母屋を飛び越え、北東の庭を目指す。常人ならばともかく、魔法少女の暗殺者である彼女が、その勢いにもかかわらず無音で着地するのは容易いことであった。背中の黒い翼がほどけ、彼女のドレスに収納されていく。


「ふぅ……」


 無事に潜入できたことで、トコヤミは珍しく安堵の息をもらした。暗闇姉妹としてずっと戦ってきたが、こんな侵入は生まれて初めてである。ゴーグルを外して辺りをうかがうが、白金組の若衆に気づかれている様子はない。だが、別の生物が彼女の来訪を察知していた。


「ワウゥ!!」

「!」


 飛びかかってきた黒い影をトコヤミが避ける。それはドーベルマンの番犬だった。なるほど、ここに人間の見張りがいなかったのはそういうわけか、とトコヤミは納得する。トコヤミとすれ違う形になったドーベルマンは、勢い余ってそのまま数メートルほど走った後、反転して再びトコヤミを襲おうとした。


「待て」


 部外者であるトコヤミにそう命令されて止まるわけがない。だが、ドーベルマンが動きを止めた。まるで雷に打たれたようにその場で硬直する。トコヤミが強い殺気をぶつけたのだ。並の魔法少女であれば、蛇に睨まれた蛙のように、呼吸さえ止まってしまうのだ。より野生に近いドーベルマンには効果抜群だったようである。


(なんだ、こいつは!?人間じゃないのか!?)


 恐怖に硬直するドーベルマンは犬なりにトコヤミの正体を見極めようとした。だが、彼の視界に映るトコヤミは、得体のしれない巨大な影のように大きくなり、みるみる迫ってくる。ドーベルマンは悟った。


(か……怪物だ……!!こいつは、敵にまわしちゃいけない存在だ……!!)


 屋敷の奥で、日本刀に打ち粉をつけていた男の手が止まった。着流し姿の初老の男性である。彼こそが今回の依頼人、白金組組長こと白金ソウタロウであった。


「シンゾウ、気づいたか?」


 ソウタロウが刀を鞘に納めながらそばにいる渡辺シンゾウに尋ねると、そのボディガードは首をひねった。


「はて、何のことでございましょう?」


 どうやらシンゾウはトコヤミサイレンスが出した殺気に気がつかなかったらしい。というより、それに気づいたのはこの屋敷でただ一人、ソウタロウだけだった。


「ふふっ、お前もまだまだ甘いな」

「あっ、おやっさん。どちらへ?」


 立ち上がったソウタロウはシンゾウに答えた。


「茶室だ。客が来たら案内してやってくれ」

「……承知いたしやした」


 ソウタロウの意図を察したシンゾウは、深々と頭を下げた。


 まだ日が落ちたばかりなので、蒸し暑い屋敷内はどこの部屋も障子が開け放たれていた。その部屋の一つで、集まった男たちが神妙に何かを見つめている。


「どうよ、コレ?」


 兄貴分の一人が、大型の回転拳銃を弟分たちに見せびらかしている。


「スミスアンドウエッソン、M29、44マグナムだ」

「すげぇ!ダーティーハリーの銃じゃあないっすか!」

「熊だって殺せるマグナム弾が6発入ってる。これで魔法少女だってイチコロよ」

「あのー、すみません」


 男たちが振り返ると、メイド服を来た小さな少女がそこにいた。変身を解除したツグミである。虚をつかれた男たちは各々の顔を見たが、誰も何も言わなかったので、組の誰かの関係者だろうか?と勘違いする。もしも部外者であれば、そもそも門で誰かに止められるはずだし、実際、その少女はまるで実家にいるように落ち着いていた。


「ソウタロウおじちゃんを探しているんだけど、どこかなぁ?」


 その名前を聞いた若衆に緊張が走る。組長の身内であるとすれば、粗相をするわけにはいかない。


「あっ、はい!親父さんなら、奥の仏間にいますよ!」

「渡り廊下を北に行けばすぐです」

「暗いんで足元に気をつけておくんなさい」

「お兄ちゃんたち、ありがとう。親切にしてくれたって、おじちゃんにも伝えておくからね」

「どうも、恐れ入ります!」


 男たちが笑顔のツグミを見送った後、若衆の一人が黒い塊を抱えて、泣きながら部屋に入ってきた。


「うぉおおおおぉぉおっ!!俺のチビが……俺のかわいいチビが……!!」

「おい、うるせえぞ!一体どうした!?」

「チビって……裏庭にいるドーベルマンか?」

「俺のかわいいチビが、こんな目に……!!」


 若衆の一人が抱えてきた黒い塊を男たちが見る。ときおり「くぅぅん」と情けない声をあげるそれは、黒い包帯でぐるぐる巻きにされたドーベルマンであった。その仕業に息を呑んだ兄貴分が叫ぶ。


「魔法少女だ!あのチビが魔法少女だ!」

「何言ってるんすか!?チビが魔法少女なわけがないでしょう!?」

「そのチビじゃねぇよ!さっき来たチビだ!」


 マグナムリボルバーを持った兄貴分に続いて、弟分たちも北向きの渡り廊下へ走る。


(魔法少女がついに親父のたまをとりに来たか!!)


 事情を知らない若衆たちからすれば、それ以外の理由は思いつかなかった。


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