逆ナンの時
「あれー?もしかしてキヨシ君?」
少女の声でそう呼びかけられ、聞き込みのために繁華街を歩いていた一条が立ち止まる。たしかに、彼は城南署刑事部捜査一課、一条キヨシ巡査である。
(えっ?誰だ?)
その声は聞き覚えがある気がするのだが、とっさに思い出せない。しかも声の主は、一条を呼びかけた後に、路地に隠れてしまった。もっとも、影が見えているからこそ、路地に隠れたのがバレバレなのだが。
「美少女に逆ナンされたかと思った?」
「……ふふっ」
一条が声の主を思い出して吹き出す。そういうイタズラが好きな人物に、一人だけ心当たりがあるからだ。
「残念!私でした!」
「オトハちゃんじゃないか!久しぶりだな!」
幼馴染と再会して嬉しそうな一条と違い、本気なのか演技なのか一条からはわからないが、オトハが拗ねたように言う。
「ちぇ〜!警察官になったのは知ってたけれど、城南に配属になってたのなら、もっと早く会いに来てくれてもバチは当たらなかったのに〜」
「今年の二月からさ。でも、その頃のオトハちゃんって、受験で忙しかったでしょ」
「そりゃ〜そうだけどさ〜」
和泉オトハ。現在は国立工業高等専門学校の一年生である。オトハの家の周囲には同年代の子どもがいなかったため、この6歳歳上の一条を兄のように慕い、一人っ子の一条の方も、学校から帰ってはこのボーイッシュな少女を弟のようにかわいがっていた。だが、もうそのように扱うのは失礼かもしれないと、成長したオトハを目にしたキヨシは思う。
「4年ぶりになるのかなぁ?ずいぶん大人っぽくなった気がするよ」
「そうですとも。オトハちゃんはもうすっかり大人のレディーですから」
「ところで、こんな所で何してるの?」
「そこの角を曲がったところにあるビル二階の電気屋へ行くところ」
「……できればあまり、ここには近づかない方がいい」
「?」
オトハが首をひねる。
「そういえばキヨシ君もお仕事モードの顔してたね?何か事件?」
「ヤクザの幹部が殺されたんだ」
一条は白金組幹部殺害事件の内容を、かいつまんでオトハに話した。オトハが不快そうな顔をしたので、一条が謝る。
「気分が悪くなるような話をして、ごめんね。でも、そのせいでヤクザたちがピリピリしているんだ。魔法少女って、変身しないとわからないだろ?もしかしたら、君のように若い女の子を勘違いして襲うかもしれない。気をつけるに越したことはないよ」
「……わかった」
一条は知らない。和泉オトハもまた閃光少女アケボノオーシャンであることに。結界使いのオーシャン/オトハからすれば、ヤクザの襲撃など恐れるに足りない。もっとも、もう一つ一条が知らない理由から、オトハが白金組に襲われる心配はまったく無いのだが。そのどちらも、一条キヨシには内緒だ。
「それにしても、日本刀で真っ二つかぁ……」
魔法少女の剣豪ということでオトハが真っ先に思いつくのは、スイギンスパーダこと中村サナエであった。彼女の日本陸軍伝軍刀操法を見切れる者は、魔法少女でさえ少ない。もちろん、サナエが犯人のはずがないとオトハは思う。自分たちは、そういう人殺しをするような魔法少女を、闇に裁いて仕置する『暗闇姉妹』なのだから。
(もしかしたら、天罰代行依頼がもう来ているかもしれない)
もう一人の仲間である西ジュンコが運営するサイト『天罰必中暗闇姉妹』は、魔法少女に殺害された者の、遺族からの書き込みを待っている。「どうかこの怨みを晴らしてください」というメッセージを受け取れば、オトハたちが動くのだ。
「じゃあ、僕はもう行くよ。これから風俗店に……あ、ごめん!変な顔しないで!そのオーナーが事件の関係者かもしれないんだ」
「わかった。気をつけてね。ところで……何か忘れてない?」
「うん?……あっ!」
早足で去ろうとした一条が振り返ると、オトハが彼の携帯電話を目の前で揺らしていた。
「君!警察官の携帯電話をスッたのかい!?」
「キヨシ君になら逮捕されてもいいけれど、アドレスを交換してからにしてほしいな~」
「もう、抜け目がないというかなんというか……」
一条はオトハと連絡先を交換したことで、やっと開放される。そうしてオトハが満足そうに目当ての電気屋へ歩いていくと、スナックの看板の影から、誰かが声をかけた。
「お嬢」
「…………」
オトハは声を無視して歩いていく。
「お嬢……お嬢……!」
「…………」
「待ってくださいよ、お嬢!」
小柄ながらも筋肉質な男が後ろから追いかける。オトハはビルの階段を登っていき、人気の無い踊り場でやっと振り向いた。
「あのさぁ、私のこと『お嬢』なんて呼ぶのはやめてくれない?しかも人前で……」
「へ、へい。すいやせん」
白金組の組長付き、渡辺シンゾウはペコペコとオトハに頭を下げた。
彼がオトハを「お嬢」と呼ぶのは、当然の理由がある。彼女こそ、白金組組長、白金ソウタロウの娘なのだ。もっとも、オトハからすればソウタロウは父親とは思えないし、実際そう呼ぶ義理はない。和泉という名字は母親のものだが、ヤクザの愛人である母も、お金だけ送って父親面をするソウタロウも、オトハは軽蔑していた。
「ところで……オトハさん。どうしてまた警官となんかつるんでたんです?」
「忘れたの?キヨシ君じゃん」
「キヨシ……?ああ、思い出しました、あのキヨシぼっちゃんですかい!」
シンゾウが手を叩いて懐かしがる。幼少時の二人を知っているのは、シンゾウがオトハの世話係だったからだ。キヨシはシンゾウが組長付きのヤクザだとは知らない。彼の記憶にあるシンゾウは、なぜかいつもオトハを見守っている、たこ焼き屋の兄ちゃんだ。
「組の誰かが殺されたって聞いたけど」
「へい、そうなんです。山口の叔父貴ですよ。ほら、オトハさんも小さい頃はよく叔父貴に抱っこされて……」
「憶えてない」
オトハはにべもなくそう言う。
「シンさんはどうして今頃私に声をかけてきたの?まさか親父のところへ戻れって言いにきたんじゃないよね?」
「そりゃあ、そうしてくれたら親父さんも心強いでしょうが……」
シンゾウは、どうせ断られるのはわかっているので、無理強いはしない。
「本日は警告にうかがいました。白金組は今、戦争をしておりやす」
「黒波組と?」
「いいえ、たった一人の男と」
首をかしげるオトハにシンゾウが語る。
「その名は京木ユウジロウ。もしかしたらオトハさんを狙うかもしれないと思ったんで、一言申し上げておこうと思いやして」
「その人……ソープの経営者?」
「へっ、よくご存知で」
感心しているシンゾウにオトハは頼んだ。
「ねぇ、キヨシ君をそれとなく見張ってくれない?ちょうど、その京木ユウジロウを探ろうとしているところなんだ。危ないようなら、私に知らせてよ」
「そう言われましても、あっしはオトハさんを見守るように親父さんから言われてるんですぜ?」
「そのオトハさんの幼なじみが真っ二つになったら後を追って死んじゃうかもよ?」
「そういうことなら……承りやした。オトハさんも、身辺には気をつけてくだせぇ」
シンゾウは頭を下げると、その場から風のように去っていった。その後ろ姿を見送ったオトハは自嘲してつぶやく。
「なんか……私も悪い女になったなぁ」
ヤクザの人脈を利用することが、である。




