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萌芽の時

 病院の駐車場へ、レッドとシルバーで左右対称にカラーリングされた派手なバイクが、甲高いエキゾーストノートを響かせて飛び込む。ライダースーツを着たその女性がヘルメットを脱ぐと、銀色の髪が正午の太陽の光を浴びて輝いた。この、どこかエキセントリックな19歳の少女が、中村ジュウタロウの妹、中村サナエである。


「ウワああっ!?兄さぁあああん!!」


 サナエは病室へ飛び込むや、ベッドに横たわるジュウタロウの胸に顔を埋める。


「兄さーん!この妹不孝者〜!ワタシよりも先に行ってしまうなんて〜!まだ44歳なのに〜!」

「……勝手に殺さないでくださいよ」

「うわっ!兄さん!生きてる!」

「当たり前です」


 驚いたサナエが飛び退くと、目を覚ましたジュウタロウが不愉快そうな顔をして言った。


「それに、私はもっと若いでしょう」

「あれ?兄さんって何歳だったっけ?」

「それは……あれ?そういえば今年でいくつになるんだっけかなぁ?」


 兄妹がそろって首をひねっていると、氷川が自動販売機で買ったスポーツドリンクを片手に、ジュウタロウの病室へ入ってきた。


「今年で42歳ですよ、中村さん」

「氷川さん、よく私の年齢を知ってましたねぇ」

「……さっき保険証を見ましたからね」


 氷川はサナエがいる手前、ジュウタロウを「バカ」呼ばわりするのは我慢した。


「ご家族の方ですね?中村さんの……娘さん?」

「いいえ、妹のサナエです!兄がお世話になっております!」


 サナエが氷川に頭を下げる。自分の兄が病院へと運ばれ、しばらく入院が必要になった経緯は、この婦警からすでに聞いていた。


「銃で撃たれたと聞いて、死んじゃったかと思いましたよ!」

「あはは、あわてんぼうさんですねぇ!」

「あなたは人のことを言えないでしょうが」


 ジュウタロウが、この男にしては珍しく真っ当なツッコミを氷川にした。


 数時間ほど前のことだ。

 叩きのめしたヤクザを手錠で金属の手すりに固定した氷川は、武蔵坊弁慶よろしく立ち往生を遂げたジュウタロウに駆け寄った。


「中村さーん!!ああ、なんということでしょう!だから私は署に帰ってくださいと言ったんですよ!いくら馬鹿で不器用でマヌケなでくのぼうでも、殉職してほしくなんかなかったのにーっ!!」

「あの……婦警さん」


 ジュウタロウの体重を支えているリツが恐る恐る氷川に声をかける。


「こちらの刑事さん……まだ生きていらっしゃいます」

「えっ?」

「ぅうぅう……」


 うめき声をあげるジュウタロウは、たしかにまだ息があるようだった。


「中村さん!」

「……勝手に殺さないでくださいよ、氷川さん。いくら私が馬鹿で不器用でマヌケなでくのぼうだからといっても」

(あ、聞かれちゃった)


 リツと氷川は協力して、ジュウタロウを座らせた。


「そういえば、血が出ていませんね……あ、もしかして!」


 氷川はそう言うと、ジュウタロウの上着の胸元を開いた。そして血が出ていない理由を悟る。ジュウタロウは防弾チョッキを着ていたのである。


「田中警部補が絶対に付けておけと言っていたものですから……」


 田中とは、城西署における中村の上司である。魔法や悪魔をすんなりと信じているジュウタロウと違い、田中は頑としてそれを認めようとしなかった。彼は、魔法少女を仮装したテロリスト集団としか見ていないのである。田中が中村に防弾チョッキ着用を厳守させたのもそれが理由だ。田中にとって気がかりだったのは、魔法ではなく銃弾だったというわけだ。


「防弾チョッキを付けていれば、いくら撃たれても平気だと思っていました……」

「バカー!!」


 氷川が怒鳴った。なるほどジュウタロウがためらいなくリツの盾になった理由はそれかと氷川が納得する。


「防弾チョッキは、あくまで銃弾が貫通するのを防ぐだけです!弾のエネルギーをそのまま受け止めるのですから、良くて骨折!悪ければ内蔵破裂で死んでしまうところだったんですよ!二度としないでください!こんなこと!」


 そして氷川は携帯電話を取り出しながらリツに指示した。


「すみませんが、そちらの刑事の服を脱がせていただけませんか?私は救急車を手配しますから」


 リツは無表情のままうなずくと、言われた通りジュウタロウの上着を脱がせていった。ジュウタロウは弱々しい声でリツに語りかける。


「どうも、すみませんなぁ。どうしてだか、腕が動かせないもので……」

「肩甲骨が砕けたのかもしれませんね」

「ところで、あなたの名前は?」

「……音無リツ」

「そうですか。では、音無さん……」

「なんでしょうか?」

「……ズボンは脱がさなくてもけっこうです」

「あっ……!」


 リツが慌てて手を引っ込めたところで氷川が戻ってきた。


「さて……と。ところで、そちらのお嬢さん」

「音無リツさんです」


 ジュウタロウが補足すると、氷川は改めてリツに同行を求めた。


「音無さん。お手数ですが、我々と一緒に署に来ていただけませんか?先ほどヤクザに襲われていた件で、できたら事情を聞かせてもらえないかと」

「わかりました」


 リツにとっては都合の良い話であった。パトカーで送ってもらえば、まさかそれを白金組が襲撃することはないだろう。ここを脱出するのに渡りに船である。そして、氷川にとっても都合の良い話であることまでは、リツは知らない。オウゴンサンデーの側近、タソガレバウンサーとしての彼女にとっても、リツの情報を掴めるまたとない機会だ。


「念のために、ボディチェックをしても?」

「かまいません」


 氷川は黒いローブの上からリツの体をまさぐった。


「いいスタイルですね」(危険な物は持っていませんね)

「はい?」

「いや、失礼。つい心の声が……」

「婦警さん」

「はい、なんでしょうか?」


 リツは氷川にだけ聞こえるよう、耳元にささやいた。


「あの刑事さん……ヤクザに胸を二発撃たれているんですよ。私の盾になる前に」

「えっ?それって……」

「あの人は、防弾チョッキの上から撃たれても痛いとわかった上で、私をかばってくれました。だから……あの人の事、あんまりバカって、責めないであげてください」

「そんなの……」


 たしかに中村の胸に二つの青アザがあるのを見た氷川は、内心つぶやかずにはいられなかった。


(そんなの、余計にバカじゃないですか……)


 そして現在。

 病室の氷川は、その時の事を思い出してフフッと笑う。


「では、サナエさん。お兄さんの事、後はよろしくお願いします」


 そう言って退室しようとした氷川は、ふと振り返ってジュウタロウに言った。


「あなたって、本当にバカですね。でも……命がけであの女の人を守った中村さんのこと……少しは見直しました。退院して署に帰ってくるの、楽しみに待ってますからね」

「はぁ。恐れ入ります」


 そうして見送ったジュウタロウは、妹が妙な顔でニタニタ笑っているのに気がついた。


「なんですか、サナエ。その顔は」

「いや~氷川さんって美人だな~って。彼氏とかはいるの?」

「知りませんよ」

「あなたって、本当にバカですね(ハート)」

「氷川さんの真似をするのはやめなさい」


 サナエが兄をからかっていると、誰かが病室のドアをノックした。


「失礼します。中村さんはいらっしゃいますか?」

「ああ、その声は音無さんですか」

「私の声と名前……憶えていてくれたんですね。中村さん」


 サナエが耳ざとく反応する。


「えっ?音無さんって、さっき助けたっていう女の人?」


 サナエのその声を聞いて、少しだけ開いたドアの動きが止まる。


「お見舞いに来たのですが……もしもその女の子と一緒にいる方が楽しいのでしたら……お邪魔でしょうから、すぐに帰ります」


 サナエは、わずかに開いた病室のドアから半分だけ覗いている、能面のようなリツの顔を見て戦慄を覚えた。サナエも、こんなのだが女の子である。リツの感情に心当たりがないわけではなかった。


(あ、情がやばいタイプの人だ……)


「邪魔だなんて、とんでもない。どうぞ、さぁさぁ、中に入って」


 ノンキなのは一人、中村ジュウタロウだけである。

 2002年の夏の日。『ヤンデレ』という言葉は、まだ生まれていなかった。


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