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戦慄の時

 白金組幹部、山口ジンたち三名が殺害された現場より西へ4.7km。

 河川を挟んだその区域にも、繁華街と、それに付随した風俗街が存在した。一見数多の店舗で賑わっているように見えるが、実際にはただ一つの店しか存在しないとも言える。『ミルクアンドハニー』というネオンの看板が輝く小さなビルのオーナーが、事実上全ての店を取り仕切っていた。


「私たちの店は入浴サービスを提供しています。その補助をする従業員とお客様が性行為におよぶのは、自由恋愛の結果です」


 売春が禁止されている日本という国であっても、風俗店全てに共通するその建前がある限り、警察を恐れる必要はなかった。よって、『ミルクアンドハニー』の3階事務所から頻繁に窓の外を覗く男が恐れているのは、警察ではない。


「落ち着けよ、ジョー」


 本革のソファーに腰掛けてタバコをくゆらせる京木ユウジロウは、そんな仲間の男にそう声をかける。


「ですが京木さん、やっぱり見張られてますぜ」


 ジョーと呼ばれた男が指さす先には、どう見てもカタギには見えない二人組の男が店の出入り口をうかがっている。だが、その報告を聞いた京木は鼻で笑うだけだった。


「逆に言えば見張ることしかできないんだ。好きにやらせとけ」

「あいつら、俺たちをバラすつもりなんだ」

「当たり前だろう」


 マツと呼ばれる男の言葉に京木は呆れたように返す。


「俺たちは天下の白金組に喧嘩を売ったんだぜ?タマを狙われない方がどうかしてらぁ」

「ですが、なんであいつらは手出しをしてこねぇんですか?」

「何度も言ったじゃねぇか、ヒデ」


 京木は末席の仲間に説明する。ジョー、マツ、ヒデ。京木の仲間三名は、改めてそれに耳を傾けた。


「この店があるのは黒波組の縄張り(シマ)の中だ。もしも勝手にこの店に踏み込んでみろ。それこそ血で血を洗う戦争だ。白金組もそこまで馬鹿じゃねえ。俺たちが上納金アガリを貢いでいる限りは、黒波組が俺たちの後ろ盾よ」

「ですが、それなら俺たちいつまでたってもここから出られないじゃあないですか」

「白金組を潰すまでの辛抱だ」


 白金組を潰す。その正気とは思えない言葉に、そばにいるジョーは狂気を見出す。


「……もっとも、実際には潰すまではいかねぇだろうな。残りの舎弟を何人かバラしたところで、おそらく向こうから手打ちを申し出てくるだろう」


 京木はフーっと長い煙を吐いた。


「リツを自由にさせているのはそのためだ」


 リツ。音無リツとは、京木の命令通りに動く魔法少女の本名だ。白金組三人を殺害させた後に京木の店へと呼ばなかったのは、女という性別に配慮するといったナイーブな理由からではない。京木の電話一つで、白金組の誰であろうと地獄へ送れる死神の女は、京木たちの殺しの切り札であった。


 だが気がかりな事もある。仲間のマツがそれを口にする。


「それにしても、リツ姐さんから電話がないですね」

「……ああ」


 それについては京木も気になっていた。


「魔法少女の服があれば正体がバレる恐れはねえ。だが、正体がわからずとも見境なくバラしていくとすりゃ別だ。俺とリツが一緒にいるところを、もしかしたら誰かに見られているかもしれねえ……」


 もしもそうであれば、リツが狙われるのは必至である。京木は過去に自分が出した命令を後悔した。


「リツは俺が殺せと言えば誰でも殺す。そのかわり、俺の命令が無い限りは絶対に殺すなと教育した。あいつは命を狙われても、俺の声が無い限り逆襲はしないだろう。リツも馬鹿ではないから、自分の身くらいは守ろうとするだろうが……」


 京木の予想は的中していた。そして、それを知ったのは氷川の方が先である。


「おい、あんた」

「はい?」


 いかつい男に声をかけられた氷川が身構える。


「あんた、京木ユウジロウと一緒にいなかったか?」

「知りませんよ。誰ですか、その人?」

風俗店ソープのオーナー」

「私が警察官だって、見てわからないんですか?」


 カタギには見えないその男のそばに、似たような別の男性が駆け寄ってくる。


「ちがう、その女じゃない。もっと髪の毛が黒くて長い女だ」


 氷川はそこで察した。男たちの狙いは、今自分が探している女と同じであると。


(白金組が動いているのですか……やはり、中村でくのぼうさんを署に帰して正解でしたね)


 おそらく、やがてこの近辺は修羅場となる。思い入れなど何一つ無いにしても、中村刑事が殉職することを望むほど氷川は冷酷ではなかった。


 音無リツもまた、自分が置かれた状況を理解してきたところである。


(ここにも見張りがいる……)


 路地裏から繁華街の出入り口をうかがうと、二人組のヤクザがそこに立っていた。見張りを見つけたのは、これで三度目だ。おそらくは、繁華街の全ての出入り口に、こうした男たちが立っているのだろう。そして、リツの直感はこう告げている。


(探しているのは私だ……)


 リツは踵を返した。気まぐれで殺人現場に戻った自分の行いを悔いても遅い。おそらく、日中はここから動けないだろう。日が落ちるのを待ち、夜陰に乗じて脱出するしかない。リツがそう考えた矢先のことであった。


「おい、あんた」

「……なんでしょうか?」


 派手な身なりをした金髪の男に背後から声をかけられたリツが、ゆっくりと振り返る。男が何者なのかは、あえて聞いてみる必要はなかった。


「あんた、京木ユウジロウと一緒にいなかったか?」

「…………」


 男はリツの顔をまじまじと観察する。絹糸のようになめらかな長い黒髪。その前髪から覗く切れ長の目が美しい。赤い口紅を塗ったその唇が、言葉を知らないかのように閉じたままなのは、殺しのやり方は知っていても、嘘のつき方を教わっていないからだ。男は、目の前にいる無表情な美女が、自分のターゲットであると確信した。


「俺は運がいい……兄貴たちよりもあんたを先に見つけた……叔父貴の仇を!」


 若いヤクザが取り出したのは、消音器のついた45口径のピストルであった。弾は7発。戦うリツを目にしたことがない男にとって、それだけあれば十分に足りると思わせる弾数だ。


「…………」


 沈黙したままのリツは自分がどうすべきかを考える。できるなら、目の前の男を殺してしまいたい。だが、命令に無い殺人は京木に禁止されていた。もちろん、魔法少女に変身してこの場を切り抜けるのは容易だろう。だが、男を生かして帰すのは、自分の正体が白金組全員にバレるに等しい。


(困った)


 リツが素直にそう思った、その時である。


「ちょっと待ってください」


 そんな呑気な声が緊張する二人の間に割って入る。男が、横の路地からノソノソと出てきた人物に叫んだ。


「誰だ!?」

「城西署の中村です」

「警察……」


 そうつぶやくリツが意外な展開を見守る。


「なぜ城西の警察がここにいるんだ!?」

「ああ、そういえば今日から城南署に異動したんでした。どうも、すみません」

(この刑事さん、どうしてヤクザに謝っているんだろう……?)


 ジュウタロウが改めて男に物を申す。


「ところで、あんた。さっきこの女の人に拳銃を突きつけてましたね?今さらヤクザが銃刀法違反をしていたところで驚きもしませんが、市民を脅したとあっちゃあ話は別ですよ。ちょっと、署に同行願えませんか?」

「あの……刑事さん?」

「はい、なんでしょう?」


 リツが素朴な疑問を中村にぶつける。


「なんでさっきから丸腰なんですか?拳銃は持っていないんですか?」


 現場の人間なら官給品の38口径5連発リボルバーが支給されているはずだ。だが、中村は目の前で手を横に振る。


「私は射撃が下手くそですからなぁ。持っているとかえって危ないんですよ。それに、私としてもあんな物騒な物、持ち歩きたくはありませんからね」

「銃は持っていない……」


 その言葉にヤクザの男の方が反応する。


「でも仲間がいるんだろ?」

「ええ、氷川さんが」

「氷川?」

「新人の婦警さんですよ。彼女からは、署に帰ってくださいと言われましたが、どうも私としては女の子を顎でこき使うのは性分に合わないものですから」

「で、そいつは今どこに?」

「さあ?はぐれてしまいまして。私もさっきから探しているところですが……」


 喋り過ぎだ!そうリツが思った時には、男はピストルを握りなおしていた。


「そうかい!」


 男は中村の胸に鉛玉2発をぶちこんだ。変わり者の刑事が短いうめき声を一瞬あげた後、前のめりに崩れ落ちる光景を目にしたリツがつぶやく。


「ありえない……警察官を殺すなんて……」

「あんたさえ殺せば……」


 男はリツに銃口を向けた。


「あんたさえ殺して叔父貴の仇をとればよぉ、俺の立場は白金組で保障されたも同然よ!何年ムショぶち込まれようが、シャバに出てきた時には幹部の座が待ってるぜぇ!」


 こういう考えはこの男特有のものではない。現在血眼でリツを探している若い構成員たちの動機は、これと似たり寄ったりであった。舎弟頭の恩に報いるためではなく自分のため。その動機は、リツの怒りを買うのに十分であった。


(変身しよう。要は殺さなければいいんだから。その目を潰して、二度と光を見えないようにすれば……)


 そうして身構えたリツの体を、突然何か大きな物が覆った。あまりの事態にリツが混乱する。そして、リツの命を狙うヤクザもまた怒りの声をあげた。


「てめぇ!?邪魔するんじゃねぇ!!」


 ジュウタロウである。急に立ち上がったこの男が、そのままリツを抱きしめたのだ。


(えっ……?えっ……!?)


 銃を向ける男を一瞥したジュウタロウは、そのままリツの背中を路地の壁に押しつける。そこで初めて、リツがジュウタロウの意図を察した。


(あっ、私の盾に……!)


「どけろーっ!どけろーっ!!」


 この大男でくのぼうはテコでも動きそうにない。男が絶叫して、中村の背に鉛玉を乱射した。気がついた時には7発もあったはずの弾が全て無くなっていた。それらを全て体で受け止めたジュウタロウが、ぐったりとしながらも、リツに体重を預けて立ち続けている。


「くそっ!くそっ、くそーっ!!」


 チャンスを失った男がやけくそになってそう叫ぶと、彼の背後に立つ影が警告を発した。


「動かないでください!」

「!?」


 氷川である。中村と違って最初から拳銃を男に突きつけて現れた婦警が、ジュウタロウの上着に空いた穴を見て全てを察した。


「あなたを逮捕します!」

「ちっ!」

「あ、待ちなさい!」


 男がピストルを投げ捨てて逃走をはかった。彼は知っているのだ。背中を向けて逃げる犯人を、警察は後ろから撃つことはできないと。そうなれば、氷川は拳銃を収めて追うしかない。


「しゃっ!」

「!」


 追いかける氷川の目前を光る物が横切った。ナイフである。その斬撃を、上体を反らして避けた氷川が男に叫んだ。


「結構ですよ!私もそっちの方が得意ですから!」

「えっ?」


 虚をつかれた男の顔に氷川の掌底打ちが炸裂した。男はふらつきながらもナイフを袈裟懸けに斬り下ろすが、それを避けた氷川が片手を伸ばし、ナイフを持っている方の腕を男の胴に押し付けて自由を奪う。もう片方の手で再び掌底を顔面に叩きつけた氷川は、柔道の払い腰で路上に男を叩きつけた。


「痛ってえええっ!?」

「あなたを現行犯で逮捕します!あなたには黙秘権が……えーっと……?とにかく、殺されなかっただけありがたいと思ってください!」


 氷川はそう叫んで男に手錠をかけた。


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