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氷川シノブのご機嫌なモーニングタイム

 時が来れば、誰しもが平等に朝日を受ける。

 老いも若きも、男女も生者も、そして死者も。


「今日からここが私の勤務場所かぁ……」


 若い婦警が一人、城南署を見上げてそうつぶやく。さっそく中に入った婦警は、刑事部長に挨拶をした。


「本日より城南署刑事部特別捜査課に配属されました氷川シノブ巡査です!よろしくお願いします!」

「うん?ああ、よろしく」

(あれ?反応薄いな)


 部長は眠そうに目をこすりながら氷川を案内する。


「ここが君たちのオフィスだ。好きに使ってくれていい」

「了解しました!」


 氷川は元気よく返事をすると、私物の詰まったダンボール箱を抱えて入室した。だが、我が目を疑った氷川は、再びオフィスの入り口に戻る。


「あれ?ここで合っているのでしょうか?……うーん、たしかに『特別捜査課』と入り口には書いていますが……」


 こぢんまりとしたその部屋は、元々は刑事たちの喫茶室だったにちがいない。給湯室と隣接したそのスペースには、申し訳程度に三人分のデスクが並び、ホワイトボードと黒電話が置かれていた。


『刑事部特別捜査課』


 一体何がどう特別なのかさっぱりわからないこの名称は、『悪魔』とか『魔法』という単語を一切口にすることを許されない警察が、苦肉の策として掲げた名前だ。要するに、氷川が今後捜査するのは、そういった超自然現象である。部長の態度やこの部屋の様子を見れば、市民や現場の声とは裏腹に、上層部がこの課をどのように思っているのか手に取るようにわかるというものだ。


「狭苦しいオフィス……おざなりな上司……閉ざされたキャリア……」


 氷川はそっとダンボール箱をデスクに乗せると、両腕を天井に向けて大きく伸ばす。


「良いじゃなーい!」


 ご機嫌な氷川は給湯室でタオルを絞ると、ひとまず私物のダンボールを他の刑事のデスクに置かせてもらい、自分にあてがわれたデスクの掃除を始めた。思わずこんな歌まで口から漏れる。


われの名は〜われの名は〜バウンサー〜」


 氷川シノブは警察官であって警察官ではない。その正体は、魔法少女による革命を目論むオウゴンサンデーの側近、鍵の魔女タソガレバウンサーである。もちろん、警察の誰もがその秘密を知らない。城南署に特別捜査課が組織されたのも、人知れず警察をも操るオウゴンサンデーの差し金であった。


 氷川がその時の事を回想する。


「我々が把握していない魔法少女は少なくないようです」


 オウゴンサンデーはタソガレにそう語った。重力の魔女ジャシューヴァリティタが裏で犯罪者を操り、それが理由で暗闇姉妹トコヤミサイレンスの手で誅殺された直後である。


「この街にまだまだ潜んでいるであろう魔法少女たちが、我々に対して敵対する可能性があるのか。あるいは協力が期待できるのか。あなたに探ってほしいのはそこですよタソガレバウンサー。そのための環境は、私の方で準備しておきましょう」


 それが特別捜査課だ。今までの、いわゆる交番のお巡りさんとは立場が違い、氷川は思う存分、憧れのトコヤミサイレンスを追いかけることができるようになったわけである。


「もちろん今まで通りトコヤミサイレンスの監視は続けていただきますよ。しかし、他の魔法少女が不穏な動きをしていれば、それも監視をしていただきたいのです。もちろん、我々が動く時はその隠ぺい工作を……ちょっと、タソガレバウンサー?話を聞いていますか?もしもーし?」


 氷川の脳内サンデーがそう警告してみるが、トコヤミサイレンスとのキャッキャウフフな殺し愛(コロシアイ)の妄想は、その小さな声を押し流すのに十分だったようだ。まぁ、上司の目の届かない部下なんてこんなものである。


 その時オフィスの電話が鳴った。すぐに氷川が「特別捜査課です」と受話器を取る。刑事部長から事件発生の連絡を聞いた氷川は直ちに答えた。


「わかりました、早速現場に向かいます」


 受話器をおろした氷川は、空席のデスクを一瞥する。特別捜査課には、氷川の他、城西署から刑事二名が配属されることになっているのだが。


「サンデーさんは私の邪魔にならない程度に無能な警官を手配すると言っていましたが……配属初日から遅刻とは感心しませんねぇ」


 事件が起こったのは繁華街の裏通りだ。現場に到着すると、すでにブルーシートが敷かれ、鑑識班や捜査一課の刑事が捜査を始めていた。若い刑事が氷川に声をかける。


「ご苦労様です。捜査一課の一条です」

「特別捜査課の氷川です」


 挨拶はお互いに手短に済ませた。一条が事件の詳細を氷川に説明する。


「殺害された被害者は三名。いずれも暴力団、白銀組の構成員です。内、一名は幹部クラスだそうで」

「我々特別捜査課が呼ばれたということは、何か遺体に不可解な点が?」


『我々』とは言ってみたが、結局氷川一人しかいないのが痛い。


「最近頻発している状況と酷似しています。つまり、遺体に外傷や毒物の反応は無く……」

「死亡していると」


 神妙に言葉を継ぐ氷川は、外面とは裏腹に、心中で小躍りする。


(早速トコヤミサイレンスを追えるとは!)


 遺体に一切の痕跡を残さない。それがトコヤミサイレンスの殺しの手口であった。やり方は簡単だ。刺殺であろうが絞殺であろうが、最後に回復魔法で体を治せば痕跡は消えるのだ。だが、一条の次の言葉に氷川は首をひねった。


「ですが、なぜか幹部クラスの男性だけが……その……遺体の損壊がひどくて」

「えっ?」


 もしもそれが本当なら、それはトコヤミサイレンスの手口ではない。一条が視線を向ける、ブルーシートで隠された盛り上がりがそれなのだろう。ふと、ここで一条が思い出したかのように言った。


「そういえば、中村巡査から連絡がありましたよ。城南署に寄らないで、直接こちらへ向かうそうです」

「え?中村巡査が?」

「あ……ほら、もしかして、あの人がそうじゃないですか?」


 一条が見つめる先を、氷川もまた振り返って視界におさめた。

 一人の大柄な中年男性が、自転車を漕いでこちらへやってくる。だが真っすぐ進めない上に体力も無いらしく、あっちへふらふら、こっちへふらふらと蛇行したあげく、時々自転車を止めてハアハアと息継ぎをしていた。その光景を目にした氷川は思わず内心でツッコむ。


(もはや歩いた方が早いじゃないですか!)


 男はそうしてやっと氷川たちのそばまでたどりつき、額の汗を拭いながら二人へ挨拶した。


「ご苦労様です。私、本日より刑事部特別捜査課に配属されました中村ジュウタロウです。よろしくお願いします」


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