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狂気の時

 時に、大遊戯場と歌われる歌舞伎町。

 どんな都市にもそのような繁華街があるし、その奥には怪しいネオンの輝く色町があるものだ。それは城南地区であろうと例外ではない。酔いが回って千鳥足で歩くサラリーマン二人組に、スーツを着た客引きの男がへつらいの笑みを浮かべて近づく。不良の女子高生が個室ビデオ店の前でタバコをくゆらせ、まるで玄人のような顔つきをしていた。怪しい外国人が電柱のそばに立ち、通行人を眺めているのは、自分の扱う商品の顧客になる者はいないかと探しているのだろう。


 人の欲望を煮詰めたようなその町の、さらに暗い裏通り。白金組の三人がここに呼び出されたのは、人通りがないからだ。もっとも、人がいない方が助かるのは、白金組の三人にとっても同じことであるが。


「遅かったじゃねぇか」


 そう言って、もう何本目かもわからないほど足元にタバコの吸い殻を落としているのが、白金組舎弟頭、山口ジンである。恰幅の良いスキンヘッドの山口が、咥えていたタバコを足元に投げ捨てるのを見ても、現れた男は何一つ動揺しなかった。


「こんばんは、白金組のみなさん」


 高級なスーツを身にまとい、髪をオールバックにまとめたハンサムな30代の男が、そうやって慇懃に白金組の三人へ挨拶をする。


「さっさと用件を済ませようや」


 と山口。発言権があるのは彼だけだ。残りの二人は、体を張って山口を守るか、合図があれば目の前の男をバラすためだけにここにいる。いずれも若く、筋骨たくましい二名を組の中から選りすぐっている。


「例の件、承知していただけましたか?」

「承知できるわけがないやろ」


 山口は不機嫌さを隠さない。


「うちの縄張り(シマ)を半分よこせやとぉ?馬鹿もたいがいにせぇよ、京木」


 京木ユウジロウ。それが男の名前だ。ヤクザではない。風俗店ミルクアンドハニーのオーナーである。だが、裏では殺しの商売もしていることを、裏社会の少なくない人間が知っている。「あれは京木ではなく、狂気だ」というのが、彼を知っている者の口癖であった。


「俺は欲深い人間なんです」


 京木の方の口癖はそれである。


「だから、本当は全部をいただきたいんですよ。ですが、それを我慢して、半分だけくださいと頼んでいるんじゃあないですか。もちろん、上納金アガリに糸目はつけませんから……」


 横暴な言い分である。それだけでも許せないし、京木が提示する上納金の金額は、とても現在その縄張りから得られる利益シノギと釣り合うものではない。


「頭を冷やせや、京木」


 山口は一度だけ情けをかけてやることにした。


「おかしな野望は抱くな。欲張りすぎやぞ、お前は。今の店で我慢しとけ。今日の事は忘れたる。3本(300万円)、それで手を打ったるから」

「はい、申し訳ありませんでした」


 京木が意外にも、そうやって深々と頭を下げたので、山口は安堵した。これで人間一人をバラさすに済んだ、と。


「まったく、俺が馬鹿でした。最初から……こんなお願いなんてせずに、力ずくで奪えばよかったんですね」

「なんやとコラ?」

「話すだけ時間の無駄だったんですよ。能無しの……時代遅れどもめ」


 京木は一線を超えた。そう判断した山口が、そばにいた若い者に、顎で指示をする。若衆はさっそく短刀を引き抜くと、比喩通り鉄砲玉の勢いで京木に突進した。だが、突如上空から落ちてきた白い影がそれを遮った。山口が動揺する。


「なんだ!?」


 暗闇に青白い光が閃き、若衆の手首から鮮血がほとばしる。短刀を握ったままの右手が、すでに地面に落ちていた。


「ああっ!?ーーッッ!?」


 男の悲鳴が途切れたのは、返す刀で首が切断されたからだ。

 そこに、女がいた。白い着物を身にまとうその女の右手には日本刀が握られている。今も血が滴るその切っ先よりも山口の目を引いたのは、女の中指にはめられた魔法少女の指輪だった。


「魔法少女やと!?」

「厳密には閃光少女ですよ、時代遅れさん」


 京木はすでに頭を上げていた。


「クソがあっ!」


 残された若衆が拳銃を引き抜き、京木たちへ乱射する。だが、京木の盾になるように女が立ちはだかり、その白い着物の袖を掲げると、そこに当たった弾が反射された。


「ぐあっ!?」

「叔父貴!?」


 反射された弾丸が山口の腹部を貫く。動揺した若衆に鎖分銅が飛んだ。


「げはっ!?」


 頭部に直撃した鎖分銅が、今度は蛇のように男の上半身を絡め取る。鎖鎌の鎖によって、悲鳴をあげながら引きずられていった若衆は、まもなく女の振る鎌によって首の動脈を斬られて死んだ。


「戦争か……わしらと戦争をするつもりなんか……?」

「戦争じゃありませんよ。これは……殺戮です」


 京木はこともなげにそう言う。

 銃弾の当たった腹部を押さえながら苦しそうに息をする山口の前に女が迫った。黒い長髪の女の顔には、一切の感情が見えない。


「し……死神…………ゲェッ!?」


 日本刀がきらめき、山口の体が縦に真っ二つになった。その死体を見下ろす女の顔には、今なお、まったく感情が無い。やがて女が、自分が殺した若衆に近づいて手をかざすと、彼らの体が修復されていった。回復魔法である。だが、山口に回復魔法をかけようとすると、京木が止める。


「そいつはいい。メッセージだ。白金組への、俺からのメッセージだよ」


 京木は若衆が持っていた短刀を拾うと、それを女の手に握らせた。


「だからよぉ、もっと切り刻むんだ。残酷にな。やれるな?」

「わかりました、ユウさん」


 そう返事をした女は、無表情で山口の死体へ刃を突き立てる。突き刺し、引き裂き、臓物をえぐり出すと、周囲はたちまち血の匂いに包まれた。京木ユウジロウはすでに歩きだしている。


「チャカとドス……馬鹿馬鹿しい」


 ユウジロウがあざ笑う。


「これからは魔法の時代なんだぜ、時代遅れさんよぉ」


 死神と呼ばれた女もまた、やがて仕事を終えて立ち上がった。反射魔法の効果によって、彼女の身には返り血一つ付いていなかった。まるで何人たりとも、彼女を汚すことはできないかのように。

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