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無重力の時

 立花邸は自然公園に近い町外れに立っている。今は亡き立花財閥総帥、立花ショウジが市街地の喧騒を嫌ったためだ。

 傘をさした婦警が一人、鉄製の門扉の前に立ち、監視カメラを見上げながら大きな声で何度も叫んでいた。


「こんばんは!警察です!城南署の氷川です!開けてくれませんか!?」


 しかし、返事がない。門扉が動く気配も無い。

 氷川は監視カメラの死角に身を寄せると、右手に魔法少女の指輪を出現させた。


「変……身……」


 氷川の体が、黒い影に包まれていく。そこから現れたのは、ニンジャ風の黒いドレスを着用した鍵の魔女、タソガレバウンサーである。


「まったく、手間をかけさせる」


 悪態をついたタソガレは、敏捷な動きで塀を飛び越え、内部へと侵入した。


 それから数分後、タソガレはメイド部屋にたどり着く。倒れているメイドたちの中で、まだ意識がある者は少ない。そのうちの一人が部屋に入ってきたタソガレの足に手を伸ばした。


「助けてください……」

「ちょっと、馴れ馴れしく触るのはやめ……!」


 そう言いかけたタソガレは、ここでメイドの体に超重力がかかっていることに気づく。タソガレが無造作に足で払ったメイドの手は、まるでボーリングの玉が落下した時のような音を立てて床についた。


「ひぐっ!?」


 手の甲の骨が砕ける音が部屋に響く。そのメイドもまた他の者たちと同様に、気を失った。


「なるほど。噂には聞いたことがあります。重力の魔女ジャシューヴァリティタ。彼女がトコヤミサイレンスと敵対しているというわけですか」


 おそらくはその魔女がツグミを3階から落としたのだろう。だがタソガレは、ジャシューヴァリティタに怒っているわけではない。オウゴンサンデーの側近というしがらみを抜きにすれば、タソガレバウンサーはトコヤミサイレンスの敵でもなければ味方でもないのだ。ファンの一人である。その心理としては、むしろジャシューヴァリティタとどんな戦いをするのかが最大の関心だ。


「ジャシューヴァリティタは、私たちのような近接格闘タイプの一番の天敵ですねぇ……どう料理しますか?トコヤミサイレンス……」


 一方そのころ。

 立花サクラを後部座席に乗せた黒いベンツは、曲がりくねった峠道を慎重に走っていく。夕方から続く雷雨のせいで視界が悪いのだ。もしも運転を誤れば、車は谷底へと真っ逆さまである。


「婆やは運転が達者やなぁ」


 サクラはハンドルを握っているメイド長のマリアに、そう声をかけた。黒塗りの高級車には、この二人だけが乗っている。これからツグミが入院している病院へと向かうのだ。サクラからすれば、自分の無理につきあってくれたマリアには頭が上がらない。考えてみれば、子どもの頃からそうだった。いつもワガママを言う相手は、サクラが『婆や』と呼ぶ、この老メイド長である。


「お褒めいただき光栄でございます」

「婆やはウチが子どもの頃から、なんや歳が変わらんように見えるで。若さの秘訣でもあるんか?」

「願うことでございましょうか」

「願う?」

「はい。いつまでも若々しくありたいと願うことですね」

「なんや、今日はみんなからえらい謎掛けされるもんやなぁ」

「と、いいますと?」


 サクラは、トーベから聞かされた言葉をマリアにも話した。信じる事は人を変える。それは心ある者全てに通じる魔法である、と。それを聞いたマリアはサクラに尋ねた。


「お嬢様はアタクシを信じていただいていますか?」

「当たり前やないかい」


 サクラが即答する。


「婆やはウチの、もう一人の母親みたいなもんや。これからも達者で長生きしてぇなぁ」

「お嬢様……」


 マリアは目頭に熱いものが込み上げたのか、一瞬言葉に詰まった。


「長生きいたしますとも、ええ」


 後部座席にいるサクラは、そんな会話をしながらも落ち着かない様子を見せる。その理由は、マリアにはよくわかっていた。


「さきほどお屋敷でも申し上げた通りですが……」


 マリアは出かける前にした話を繰り返す。


「ツグミさんは決して、お嬢様の言葉が原因で飛び降りたわけではございません。アタクシは直接その場にはいませんでしたが、それでもツグミさんの性格は把握しているつもりです。ツグミさんは、よく自室のベランダに私服を干しておりました。その事を忘れていて、大雨に慌てて飛び出し、足を滑らせたのでございましょう」

「うーん……」


 サクラは考え込んでいる。


「もしもツグミちゃんの言うことが本当だったら……真犯人の魔女が別におるとしたら……その魔女がなに食わぬ顔をしてウチの屋敷で働いているとしたら……ツグミちゃんがそいつに襲われたんやとしたら……」

「考え過ぎでございます、お嬢様。ツグミさんは、おそらく記憶を混同しているのです。それに、お嬢様が疑われる中に我々メイドたちが含まれているとしたら、内心穏やかざるものを感じます」


 マリアの遠回しな言い方に、サクラはハッとする。


「そ、そうやな!ごめん!いくらなんでも、それはありえへんよな」

「…………」


 やがて車が急な上り坂へとさしかかった時である。急にエンジンの回転数が上がった。オートマチックトランスミッションが、より大きなトルクを発生させるために、ギアを落としたのだ。だが、エンジンの回転数が、またさらに下がっていく。再びエンジンがけたたましい音を奏でた時には、ギアは一番低いそれへと変わっていた。


「どうしたんや?」

「なにやらおかしいですね。エンジンの調子が悪いのでしょうか?」


 エンジンの回転数は上がっている。しかし、車の動きはどんどん緩やかになる。スピードがやがて0になり、車が後ろ向きにさがりだした時点で、サクラが明らかにこれは異常であると気づいた。


「ど、どないなっとんや婆や!?」

「わかりません!見えない力で車が後ろに引かれているようです!」


 マリアはアクセルを深く踏み込むが、車の後ろタイヤは水しぶきを撒き散らしながら、虚しく空転するばかりであった。直列6気筒3リッターエンジンがうなりをあげるが、1.5トンの車体が後ろ向きに加速していく。


「これは魔法による攻撃や……!」


 サクラはすぐさまマリアへ指示する。


「あかん!ここにおったら婆やが巻き込まれるで!早く車から出て逃げるんや!」

「ですがお嬢様!アタクシが車から出てしまえば、誰がアクセルを踏むのですか!?」


 車は必死に抵抗している。もしもアクセルを離せば、すぐさま車は後方へと加速し、その先にあるガードレールを突き破って谷底に落ちるだろう。そして、状況はさらに悪化していく。


「なんや、この音は!?」

「お嬢様!前方に……!?」


 わけのわからない力で引っ張られているのは、どうやら車だけではないらしい。山の斜面にある土砂が崩れ、それらも勢いよくこちらに流れてきているのだ。このままでは土砂に押し流されたあげく、そのまま谷底で生き埋めになってしまうだろう。

 その時ふと、サクラの脳内に、燃える大型バスを運転するグレンバーンの姿がよぎった。


「バックするんや婆や!」

「なんですって!?」

「このわけのわからん力を利用するで!一気に後ろ向きに飛び出すんや!」


 マリアは指示通り車のギアをバックに入れた。後ろにさがるまいと抵抗していた車は、今度は逆に後方へと超加速する。そのGにマリアがハンドルを握りながら耐える一方、サクラは両腕を組んで叫んだ。


「変身!!」


 サクラの体が光に包まれ、やがてそれは純白のドレスに変わった。そのドレスに赤いラインが伸びた所で、閃光少女テッケンサイクロンの魔力が充実する。


「バン!」


 サイクロンは人差し指を拳銃のように構えると、子どもの遊びのようにそう口にした。だが、これは児戯ではない。見えない空気の弾丸が指先から発射され、車のフロントガラスを貫通した。


「バン!バン!バン!バン!」


 サイクロンが両手の人差し指を向けてそう連呼していると、やがてフロントガラスは粉々に砕け散った。マリアが不安そうに車の後方を目視する。ガードレールまではもうすぐ。そこから先は崖だ。


 車はガードレールを突き破って崖を飛び出した。重力から開放された車内では、全てがゆっくりとしたスピードに見える。サイクロンはマリアのシートベルトを外すと、彼女の耳もとに叫んだ。


「風に乗るんや婆や!達者でな!」

「お嬢様!?」


 サイクロンが両手をフロントガラスがあった方向へ向ける。そこから螺旋状に竜巻が発生した。マリアの体がふわりと浮き、車の外へと押し流される。


「お嬢様―っ!!」


 そう叫ぶマリアが闇の中に消えた。自分が出した竜巻は、マリアをゆっくりと地上へ降ろすだろう。そう確信しているテッケンサイクロンは、落下する車内で笑った。


「長生きするんやで……婆や……!」


 やがて車は轟音をあげて谷底に墜落した。


 車が墜落したのは山林の中のようだ。あえて後方に加速したおかげで、後から流れてきた土石流には、幸いにも巻き込まれなかった。ひっくり返った車の後部座席が内側から勢いよく蹴り飛ばされ、テッケンサイクロンが這い出てくる。


「あーしんどー……」


 車外へ出たサイクロンは荒い息をしながら仰向けに転がり、その衣装のポケットから小瓶を取り出した。回復薬である。幸い、瓶は割れずに済んだようだ。


「地獄に仏さんやで……おっちゃん、おおきに……」


 それを一気に飲み干したサイクロンは、自身の感覚を取り戻したことで、自分を先ほどから見つめている影にやっと気づいた。


「ハッ!?誰やねん!?そこにおるのは!?」

「…………」


 木の上から自分を見下ろしていたのは、スラッとした背の高い、若いメイドだった。ウエーブのかかった銀髪のセミロングヘアは、明かりのついていない山林の中でもキラキラと光を放っている。彼女の右手に魔法少女の指輪があるのを見たサイクロンが確信する。自分たちを襲ったのはこいつだ!と。


(それにしても、あの格好……ウチで働いとるメイドなんか……!?)

「ねえ、お嬢様」


 その魔法少女はサイクロンの疑問を裏付けるかのように、そう呼ぶ。


「回復薬は、もうそれで終わりかしら?アタクシとしては、その方が助かるのだけれど」

「答える義理はあらへんな!何者か知らんけど、ウチに挑戦してくるとはええ度胸や!」

「挑戦?違うわね。今からあなたには死んでもらいます」


 メイドの魔法少女が地面へと飛び降りた。


「アタクシの名前はジャシューヴァリティタ。お嬢様はアタクシの秘密に近づきすぎました」

「あんたの秘密?まさか、バスジャック犯を裏で操っとったのはあんたか!?」

「アタクシとしては……」


 ジャシューヴァリティタはサイクロンの言葉を無視する。


「回復薬がもう無いことを祈っております。さもなければ……あなたはより長く苦しんで死ぬことになる」


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