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偽装の時

 スイセイスライムは不定形の姿となり、小さな川の流れか、あるいは地を這う蛇のように、とある病室へと近づいていく。病院の記録をちょいとばかし拝見すれば、今夜高所から落下した怪我により入院している患者は、一人しかいないことがわかる。

 村雨ツグミの病室へたどりついたスライムの魔女は、ドアの小さな隙間を通り、その内部へと侵入した。部屋には、ベッドで寝ている少女以外に、人の姿はない。電灯も消され、時おり鳴り響く雷だけが、部屋を白く照らした。

 その一瞬の光を頼りに、スライムは寝ている少女を観察する。記録によれば、前腕部を骨折し、頚椎も損傷しているらしい。たしかに、両前腕に包帯が厚く巻かれている。人間の少女の形になったスライムは、包帯が巻かれている少女の頭を、愛おしそうに撫でた。


「末期の水だよ、トコヤミサイレンスちゃん。あんたに最後のキスをあげるのはアタイ……」


 水の魔女がそっと唇を少女の顔へと近づけていく。だが、突如現れた巨大な青いトランプが、彼女の体を弾きとばした。


「きゃあっ!?」

天網恢恢疎てんもうかいかいそにしてらさず~!」


 少女は、天の網は逃げ道が多いように見えても悪人をいつかは絡め取って罰するという意味の言葉を、自分が出した結界は水のようなお前も通さないぞ、という意味もこめて、そう叫んだ。


「トコヤミサイレンスかと思った?残念!私でした!」

「いや誰なのよ!?あんた!?」


 グレンバーンとテッケンサイクロンの存在は、事前に仲間であるジャシューヴァリティタから聞いていた。だが、結界を張ることができる魔法少女が、トコヤミサイレンスの仲間にいることなど聞いてはいない。スイセイスライムにとって、目の前にいる魔法少女は、突如現れたダークホースだ。

 そのダークホース。和泉オトハは、右手にグルグル巻きにされた包帯を、口で咥えて一気にほどく。そこに隠されていた棒状のスタンガンが露出すると、オトハはスライムに飛びかかり、その電極をスパークさせた。


「君も人の痛みを知れ!」

「ぎゃああああああああああああ!!」


 10万ボルトの電圧が水性の魔女を貫く。オトハとジュンコが事前に想像していた通り、効果は抜群のようだ。そのままオトハはスライムの前後左右、上下に対して結界を展開し、彼女を閉じ込めようとする。そうやって身動きがとれないようにすれば、あとはいかようにも抹殺できるだろう。


「しまった!バッテリーが!」


 だが、スタンガンが思ったより早く電池切れしてしまった。


「くそっ!味な真似をしやがって!」

「待て!」


 その隙に、まだ閉じきる前の結界の隙間から、スライムが不定形の姿になって逃げていく。オトハもまた頭の包帯を乱暴に剥ぎ取ると、病室から出ていったスライムを追いかけた。


「変身!」


 オトハがそう叫ぶと、彼女の体が青い光に包まれ、閃光少女アケボノオーシャンの姿へと変化した。オーシャンは奇術師のような衣装のポケットから、予備のスタンガンを抜く。


(あいつはアケボノオーシャン!)


 スライムは逃げながら、やっと相手の正体を悟った。グレンバーンとタッグを組んでいる閃光少女アケボノオーシャンなら、結界を自在に使うのも納得である。


(グレンバーンがいるなら、あいつも加勢してくることを予想するべきだったじゃん!……ふふふ、でも結界だけが取り柄の閃光少女なんて、恐れるほどでもないんだよねー!グレンバーンがいなけりゃ何もできないザコのくせに!)


 しかも、そのグレンバーンは、水の魔女には相性が悪いのである。もしもどこかにグレンバーンや、あるいは本物のトコヤミサイレンスが潜んでいて、自分を襲ってきても返り討ちにする自信がスライムにはあった。


 スライムを追ってオーシャンが廊下を走っていると、スライムが曲がり角を曲がったところで、その方向から「きゃっ!?」という女性の悲鳴が聞こえた。


「!?」

「「痛たたたた……」」


 オーシャンが曲がり角の先で見たのは、倒れている二人の看護婦であった。彼女たちは、まるで一卵性双生児のように、そっくりである。どうやら二人は廊下でぶつかったらしい。


「ちょっと、あなた!気をつけてよ!」

「あなたこそ気をつけなさいよ!」

「あれ……あなた、私にそっくりだわ?」

「どういうことなの?」

「看護婦さん!気をつけて!」


 駆けつけたオーシャンが叫ぶ。


「そいつは魔女が擬態しているんだ!」

「「えっ!?」」

「とにかく、距離を離して!二人とも離れて!魔女は私が倒すから!」


 二人の看護婦は同時に驚いた。どちらかはスライムが擬態した姿であり、その驚きようも演技に違いないが、オーシャンには見分けがつかない。一人は壁際に寄り、もう一人は窓際へと寄る。スタンガンはあと一つしかない。もしも間違った相手を攻撃してしまったら、スライムを殺すチャンスを失ってしまう。


「こいつが魔女よ!アケボノオーシャン!」

「いいえ!こっちが魔女よ、アケボノオーシャン!早くやっつけて!」

「…………」


 いっそ二人とも結界で閉じ込めようかとも考えたが、さすがにそれはオーシャン自身の良心が許せなかった。そんなことをすれば、どう転んでも無辜の看護婦を死に追いやることになる。


(いや、それは本当に良心の問題なのかな?)


 とオーシャンは思う。さきほどアカネとした会話を思い出しながら、次のように考える。


(無関係の人を巻き込んで人でなしを抹殺するのは簡単なんだ。だけど、そうしないで始末する方法を考える時……私はきっと『やりがい』を感じている……!)


 オーシャンは左手で別の装備を取り出した。無線機である。


「……ハカセ、どちらがスライムなのか見分けがつかない。ハカセには違いがわかる?」

「ああ、わかるとも。私にまかせたまえ」

「「!?」」


 廊下の反対側から滑り込むようにしてジュンコが現れた。その顔に付いているのは、下山村の仕事で大活躍したサーマルゴーグルだ。温度分布を映像化するその装置は、二人の看護婦の体温の違いをジュンコにハッキリと示している。そして、ジュンコの肩に担がれた投石機は、体に接する部分にクッションが付けられ、発射時の反動を軽減するように改良されていた。


「いくよ」


 投石機から、なにやら銀色に輝く物体が発射された。それは、引き寄せられるかのように壁際の看護婦に向かって飛んでいく。改良のかいがあったらしく、寸分も狂いもなく、看護婦の頭部へ直撃した。


 ゴツン!!


 ……どう聞いても固い物に固い物がぶつかる音が廊下に響いた。もしも当たったのがスライムの方であれば、こんな音はしないだろう。投石機から発射された何かに頭を強打された本物の看護婦は、ふらふらと千鳥足で歩いた後、倒れ込んで気絶した。


「「ええーっ!?」」


 ジュンコとオーシャンが同時に驚きの声をあげる。


「ハカセ~!どうして本物の方を撃っちゃったんですか~!?」

「だって相手はスライムだろう!?だから私は体温の低い方を撃ったのさ!まさかスライムの方が人間より体温が高いなんて思いもよらないよ!?」

「ふ……ふふっ」


 しばし唖然としていた窓際の看護婦、すなわち擬態していたスライムは、本物の看護婦を気絶させた物体を拾い上げた。それは重さ1kgほどの缶のようである。桃のラベルが貼られている。病院食の材料として用意されていた、業務用の桃缶を盗んできたのだろうかとスライムは思った。


「まさか、こんな物をぶつけてアタイを倒そうと思ったの~?うふふふふ!あははははっ!バーカ!バーカ!」


 スライムがジュンコの方へ体を向ける。


「おっと、私が狙われているようだねぇ」

「ハカセ!伏せて!」


 もしもジュンコが襲われたら、彼女にはスライムからの攻撃を防御するすべがない。オーシャンはすぐさま両手を合掌させて前に突き出し、それをパッと左右に開いた。光の刃が水平に飛び、スライムの上半身を切断した後、しゃがんだジュンコの頭上をかすめて消える。

 スライムはオーシャンを一瞥する。切断された上半身は、すぐさま溶けてくっついた。もはや擬態する意味もないスライムは、透明な少女の姿へ変化した。


「アタイに打撃や切断技が通じるわけないじゃん。本当に、結界使いってザコばっかりなのね~?」

「…………」


 オーシャンは何も言わず、その右手にスタンガンを持ち直す。スライムはあざ笑った。


「それが最後の頼みの綱ってコト?でも……あんたの足で間に合うかなぁ?アタイの方が、あの白衣の女に、ずっと近いんだけど……」


 白衣の女。やはりスライムは、まずはジュンコから襲うつもりのようだ。というより、痛めつけてトコヤミサイレンスの本当の居場所を突き止めるつもりである。どう考えても白衣の女とアケボノオーシャンは仲間だ。ジュンコの体を自分で包めば、まさかその上からアケボノオーシャンがスタンガンで攻撃したりはしないだろうとスライムは考えた。


「グレンバーンがいなければ何もできないザコめ!あんたはアタイには追いつけないよ!仲間がやられる様子を特等席で拝んでおきな!」


 だがアケボノオーシャンは慌てなかった。


「……ね?ハカセ。私が言ったとおり、油断したでしょ?」

「ああ、そのようだねぇアケボノ君。こういう人間の心理のようなものは、私にはピンとこないからねぇ。実に助かるよ」

「?」


 オーシャンとハカセと呼ばれる女の会話に、スライムの動きが止まる。何かのブラフなのだろうか?アケボノオーシャンは、こういった駆け引きがうまいと噂に聞く。


「な~に~?そのへらず口は?負け惜しみのつもりなの?」

「いや~とんでもない」


 オーシャンは首を振った。


「すでに、私たちの攻撃は完了しているんだ」


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