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第三の魔法少女に会った時

 宝飾品会社の専務をつとめている金田ミサトは今日も一日の激務をこなし、入浴後の髪をドライヤーで乾かしていた。鏡に映る自分の顔は、20代の後半にしては若々しく見える。同僚からは色目を使って出世したと陰口を叩かれているが、ミサトは全て自分の実力で勝ち取った地位であると自負しており、そういった陰口は聞くに値しないひがみとしか思えなかった。

 開け放たれたベランダから流れてくる春の夜風が気持ちいい。その時ふと小さな黒い影が鏡の象によぎった。


「やーねぇ」


 蝙蝠だった。夜行性の蝙蝠は視力こそ弱いが、自身から発する超音波をソナー代わりにして空間を把握できる。蝙蝠は壁を避けながら、ミサトの部屋の天井を器用に旋回した。


「しっ!しっ!」


 モップで追い立てると蝙蝠は再びベランダから外へ飛び出す。しかし、ミサトは奇妙に思った。こうやって夜風を楽しむのは今に始まったことではない。蝙蝠が飛び込んでくることなど今まで一度も無かったのだ。だが、またしても小さな黒い影がよぎる。


「なんなのよ、もー!」


 今度は蝙蝠が二匹だ。再びモップを振り回したミサトは、蝙蝠を追い出すや、たまらずベランダを閉める。もしかしてどっかに蝙蝠が巣でも作って異常繁殖しているんじゃないかしら?明日マンションの管理会社に連絡しておくべきね。

 再び鏡に向き合うミサトは背後に足音らしきものを耳にする。しかし、ミサトは動じなかった。鏡に反転して映る自分の部屋には、誰もいない。何も変わったところはない。


「こんばんは」


 突然後ろから声をかけられたミサトは驚き、立ち上がりながら振り返った。その途端、口元を乱暴に片手で鷲掴みにされる。侵入者はもう片方の手の人差し指を自分の口の前に立て「シー」と彼女を制した。


「ご存知でしたか?吸血鬼は鏡に映らないんですよ」


 その時、口元を掴まれている掌から、電流のような波動が体に流れた。痛みも無いのに、ミサトは足の力が抜けてしまい、その場にへたり込む。

 ミサトは改めて侵入者を見る。タキシードを着ている。夜宴用のこの服は専ら黒か濃紺の生地なのだが、侵入者のそれは茶色のように見えた。すらっとした細長い体型と丁寧に整えられた短髪が服装とよく合っている。しかし最もミスマッチだったのは、彼女が女性であることだった。男装の麗人。それも、かなり若い。


「なに……!?なんなの……!?お金がほしいの?お金ならいくらでもあるわ!足りなければ後でいくらでも……」

「吸血鬼だと言ったばかりではありませんか。いただくものは一つしかありません」


 侵入者はゆっくりと首筋に口を近づける。


(血を吸われる……!)


 しかし、侵入者はゆっくりと、首筋から口を離していった。何を思ったのか、自分の人指指をミサトの額に向ける。


「いやぁ、やっぱり直接はキツイいですね。やめておきますよ、オバサン」


 その途端、侵入者の指が鋭く伸び、ミサトの頭蓋骨を貫通した。引き抜いた指にしたたる血を侵入者が舐め取る。


「さぁ、宴の時間ですよ。我が息子たち」


 その声を待っていたとばかりにベランダの窓が開け放たれ、無数の蝙蝠が部屋の中へと殺到していった。


「それでガイシャの身元は?」

「はい、ジュエリームラオカに務めている金田ミサト26歳、歯型でやっと確認できました」


 城西署刑事部捜査一課の警部補、田中は、同巡査の説明を聞きながらマンションの廊下を歩いた。巡査は引き続き田中へ状況を説明する。今朝、被害者が住むマンション管理会社より警察へ通報があり、金田ミサトがマンションの自室で死亡しているのが確認された。彼女の勤め先の会社が出社してこない彼女を不審に思い、マンションの管理会社へ確認してもらったのだ。発見された遺体は損傷がひどく、身元の確定に時間がかかった。体中に無数の傷あとが残り、さらに血液という血液を失って干からびていたのである。


「まったく手の込んだバラし方をしやがって、よっぽど恨みを買ってたんだろうな」


 とつぶやく田中は、悪魔や魔法少女を一切信じていない。彼は比較的悪魔による被害が少なかった地方から異動してきた刑事だ。最近起こった城西地区での悪魔襲撃事件(つまり同県で今年3度目の事件)でさえ、魔法少女を名乗るオカルト仮装軍団の集団テロと公言して憚らない。実際のところ多くの刑事は、公式には否定しているとはいえ、超自然現象が存在するのは明らかだと思っている。だがこのようなオカルト否定主義論者の田中は、世間体を気にする上司にとって都合がいい駒だった。


「そういえば中村巡査が先に到着していましたよ」

「なにぃ、中村がぁ?」


 田中の顔が歪む。田中と思想的に対極にいるのが中村であった。中村は長年城西署に努めており、悪魔たちの存在をごく自然に受け入れていた。しかし悲しいかな、田中は警部補、中村は巡査。立場の違いをいいことに、いつも田中は中村を「でくのぼう」といびっていた。とはいえ、中村本人が大の付くほど不器用な男なので、あながち田中ばかりを責められない。もうすっかり中年であるがこれといった手柄もなく、定年まで巡査のままだろうと署内では言われていた。

 田中が被害者の部屋へ入ると、ベランダに中村の姿が見えた。床を丹念にルーペで覗いていた中村であったが、膝を曲げず、腰ばかりをくの字に折り曲げ、水飲み鳥のような姿勢で田中に会釈する。


「あ、田中警部補、おはようございます」

(しゃがめばいいだろ、しゃがめば!)


 そう内心毒づく。


「ベランダに何かあるのか?」

「いやぁ、被害者が発見された時、ドアには鍵がかかっていたそうですからなぁ。犯人は鍵がかかっていなかったベランダから侵入したかと」

「……おい、中村。回れ右して外見てみろ」


 中村が言われた通りそうすると、マンションに面する道路がはるか下に見える。被害者が発見された部屋はタワーマンションの20階である。


「結構な高さです」

「お前が考えている犯人はスパイダーマンか何かか?」


 鏡台の前には、発見された被害者の場所を示す白い線が描かれている。そこにしゃがんで作業している鑑識班の一人が、田中の皮肉に吹き出しそうになる。


「あるいは空を飛んできたのかもしれませんなぁ」


 皮肉に皮肉を返すわけでもなく、あまりにも大真面目に中村が答えたため、とうとう鑑識班が笑い声をあげた。


「そんなわけないだろ、漫画じゃあるまいし。犯人はどうにかして合鍵を用意して中に侵入したに違いない。ガイシャに恨みをもってそうな筋を片っ端から調べろ。足を使うんだよ、足を。でくのぼうのお前にはそれしかできねぇんだから」

「あ、はい。承知しました」


 足を使うとは、すなわち聞き込みをしろという意味である。中村は肩を丸めてとぼとぼと出ていこうとしたが、急に振り返って田中に向き直った。


「漫画といえば田中警部補、最近妹に勧められまして読んだのですが、なかなかどうして面白いもので。『必颯必中閃光姉妹』と言うんですが、警部補もいかがですか?単行本最新刊となる7巻目が本日……」

「うるさい!さっさと行け!」


 田中は虫でも追い払うように中村を部屋からつまみ出した。田中は邪魔者がやっといなくなったとばかりに捜査官等へ指示をとばす。背中を丸めて出ていく中村は、懐から小さなビニール袋を取り出して、中に入っているものをルーペで観察した。


「……やっぱり犯人は空から飛んできたと思うんだがなぁ」


 中に入っているのは蝙蝠の糞だった。さきほどベランダの床に落ちていたのをピンセットでつまんで拾った物である。タワーマンション20階の高さを飛ぶ蝙蝠など自然には存在しない。ビニール袋には本日の日付がマジックで書かれている。その日付は、城南駅悪魔襲撃事件、すなわちグレンバーンたちが巨大蜘蛛の悪魔と戦った日の、数日前であった。


 村雨ツグミは見知らぬ部屋で目を覚ました。自分は今、ベッドで寝ているようだ。隣の部屋からベーコンを焼く匂いがする。カーテン越しに朝日が部屋に漏れた。ツグミは混乱して昨夜の記憶の糸をたぐる。まずは変わり果てた姿で発見された糸井コウジを思い出し、体が震える。糸井コウジを殺害した犯人、蜘蛛の魔女に襲われていたところを閃光少女グレンバーン/鷲田アカネに救われたのだ。全力で夜の闇を走ったツグミは、途中で耳鳴りがひどくなり、その場でうずくまって……

 その時、誰か別の人間が同じベッドで身動きするのを感じる。恐る恐る視線を向けると、そこには見知らぬ誰かが同衾していた。青みがかったショートヘアの誰か。中性的な顔立ちだったため一瞬少年かと思って焦るが、幸い(?)自分とほぼ同年代の少女のようだ。少女は寝返りをうち、ツグミの肩に頭を寄せる。


(え……ちょっと……!)


 少女の唇がツグミの顔に近づいてくる。


「ひゃあう!」


 思わず悲鳴をあげると、隣にあるキッチンから、セーラー服の上にエプロンをつけたアカネが飛び出してきた。

「あ、コラ!」


 ほどなくして寝室に置かれたちゃぶ台の上に、三人分のベーコンエッグトーストが並んだ。ツグミはちゃぶ台の前にちょこんとアヒル座りする。ツグミにとっては見知らぬ少女オトハはあぐらをかいて座る。これはまぁジーンズを履いているのだからいいとしても、この部屋の主であるアカネは、スカートでありながら、もっと豪快にあぐらをかいていた。なんとなくその事を指摘したいツグミであったが、先に聞かなければならないことが山ほどある。


「痛いな~まったく。何もフライパンで叩くことはないじゃないか~」

「アンタが悪いのよ、寝坊助さん」

「ツグミ先輩と一緒にベッドで寝るように言ったのはアッコちゃんだよ~?」


 アカネはここにいる三人の中で一番体が大きい。ソファーとベッドで寝る場所を割り振れば、消去法でそうなるしかなかった。


「あの、こちらの方は……?」

「紹介するわ。私の親友で、和泉オトハっていうの。それで……」


 なぜかそこで言葉が詰まるアカネであったが、それをオトハが引き継いだ。


「和泉オトハ、閃光少女アケボノオーシャンだよ~」

「ああ、あの時の……」


 ツグミは城南駅悪魔襲撃事件を思い出す。結界を張っていた少女だ。


「その節は助けていただいてありがとうございました。改めまして、村雨ツグミといいます」

「いいんですよツグミ先輩。我々はプロですから。ツグミ先輩の身の上は、ここにいるアッコちゃんからだいたい聞いています。よろよろです~」


 正体を言ってよかったの?とアカネの目が尋ねている。


「もうここまで巻き込んでしまったんだ。ツグミ先輩には全てを正直に打ち明けた方がいいよ」

「それはいいんだけど。ところで……」


 アカネがオトハを睨む。


「さっきからツグミちゃんのことをツグミ先輩ツグミ先輩って、慇懃無礼なんじゃない?」

「え?」


 オトハはわけがわからないといった表情をする。


「ツグミ先輩の学生証の話をしたのはアッコちゃんじゃないか」


 そう、ツグミが記憶喪失になる前に持っていた、高校の学生証である。


「そうよ、そこに高校1年って書いてあったの。だから私たちと同じ学年じゃない」


「いやいや、落ち着いて考えてよアッコちゃん。記憶喪失の前に高校1年だったのだから、記憶を失っている現在はそれより上じゃないか」

「……あ!」


 アカネとツグミの双方が気まずそうな顔をした。実はツグミは既にそのことを、本人なので当たり前であるが、承知している。年長者を『ちゃん』付けで呼ぶのはアカネの倫理に反していたが、もはや引くに引けないアカネはビシッとオトハに指さす。


「ア、アタシが先に『ツグミちゃん』って呼んだんだから、アンタもそれに合わせなさい!」

「うぇ~むちゃくちゃだよ~」


 アカネとオトハの前に置かれていた皿は空になった。しかし、ツグミの皿に置かれたトーストは、まだ半分以上も残っている。


「ごめんなさい、食欲が出なくて……」

「謝らなくてもいいわよ。昨夜はあんなことがあったんだもの。無理もないわ」


 アカネとオトハはまず、昨夜のその後についてツグミに説明した。蜘蛛の魔女を倒し、暗闇姉妹が去った後、グレンとオーシャンは、その後応援にかけつけた警察官たちにも協力を依頼し、糸井アヤとツグミを探したのだ。ツグミは河川高架下付近で発見した。おそらく暗闇に足を滑らせ、転がり落ちて気絶したのだろうと想像する。しかし、糸井アヤの方は見つからなかった。


「わからない……どうしてアヤちゃんとお父さんが魔女に狙われたの……?」


 アカネ達は顔を見合わせる。魔法少女の淑女協定には反するが、やはり伝えておくべきだろう。


「アヤちゃんは閃光少女ガンタンライズなのよ」


 ツグミが驚いたのは言うまでもない。オトハは山奥の隠れ場所でアカネに説明したことを、再びツグミに説明した。誰かが閃光少女を誘い出して、一人ずつ消していたらしいということを。


「探偵さんから連絡があってね。やっぱり誰かが私たちを追跡していたらしい。その追跡者がガンタンライズを監視しているらしいことがわかって、慌ててライズ、つまり糸井アヤに電話したんだ。でも、その時には、もう……」


 どうなった、とはオトハは言わない。どうなったのかはわからないからだ。だが消えた閃光少女のうち、無事に帰還した者は誰一人いない。無傷で誘拐されていると考えるのは、昨夜聞いたアカネの話による、アンコクインファナルの気性難ぶりを考えると、希望的観測があまりにも過ぎるだろう。


「私が悪かったのさ。ガンタンライズがどちらの側についているのかと疑って、警告が土壇場まで遅れてしまった。保身が過ぎたのさ」

「それは結果論よオトハ。あんたが私よりも先にアヤちゃんに連絡をとろうとしたことは知ってる。もしも保身に走るつもりなら、ガンタンライズを囮にして私たち二人だけで逃げることだってできたはずよ。けど、あんたはそうはしなかった。結果論で後悔するなら、アタシだって、アヤちゃんを一人にしちゃった事を後悔しているわ……」


 すすり泣く声を聞いて、閃光少女の二人は言葉を切る。ツグミが目を閉じて、静かに泣いていた。


「アヤちゃん……」


 時計は午前7時30分を指している。


「ごめんツグミちゃん、アタシたち学校があるから……」


 アカネとオトハは外へ出た。そこはアカネが一人暮らしをしているアパートである。ツグミの身を、魔女に対して無力な警察に預けることはできなかったし、ましてや糸井家に残すことはできないので、保護するとしたらここしか思いつかなかったのだ。


「ちょっと気になっていることがあるの」


 とアカネはオトハに尋ねる。


「今までの事件は、その場に現れた閃光少女たち全員が消されていた。でも、今回はピンポイントでライズ、つまりアヤちゃんだけを狙ってきたわ。おかしくない?まるでもう目星がついていたみたいに。それにアンコクインファナルよ。あの女の性格からして、第一に襲いたかったのはアタシのはずだわ。実行犯のはずなのに、どこか計画に他人事みたいだったし」


 それに、と続ける。


「インファナルが犯人だとしても、犯行がちぐはぐなのよ。閃光少女たちは人知れず消えていた。でもアヤちゃんのお父さんは見せつけるようにズタズタになっていた。きっと駆けつけた二人の警官も、そうなるところだったわ。でも、あいつの性格からすれば、そっちの方が正しいのよ。閃光少女たちこそ晒し首にしなければ気が済まない女だから。考えられるとしたら、実行犯が複数いるか、少なくとも犯行方法を指図する黒幕が、やはりいるはずだわ」


 ここまで話した時、アパートの中からツグミが出てきた。


「昨夜のことで思い出したことがあるんだけど……」


 ツグミが言うには、蜘蛛の魔女、アンコクインファナルがリビングでツグミを嬲っていた時、彼女に電話が入ったというのだ。その会話の内容を想像するに、やり方を指図されていたこと、そして何かを探していたことなどもわかった。そもそも誰かと電話をしている時点で単独犯ではない。アカネの推論が裏付けられていく。


「写真?」


 インファナルが死体の写真を撮ったというのである。オトハはむしろそのことが気になった。なぜ父親の死骸を写真に残さなければいけないのか。考えられるとしたら、それは恫喝の材料だ。ガンタンライズに無惨な父親の写真を見せ、要求を飲まなければお前の大切な人を次々にこうしてやるぞ、と脅すのだ。本人を拷問するよりずっと効くだろう。そうなると、インファナルが次にツグミの命を執拗に狙ったことも説明がつく。そして逆に言えば、恫喝する対象、つまり。


「糸井アヤはまだ生きているかもしれない!」


 そうオトハが叫んだ時、ツグミの目に再び光が宿った。


「ねぇオトハ、まずは敵の人数が知りたいわ。糸で切り刻む奴、人知れず消す奴、他にも人間では不可能な殺され方をされた被害者を調べていったら、それがわかるんじゃないかしら?例の探偵に頼めない?」

「合点承知の助。後で私から連絡しておくよ」

「ツグミちゃん、敵の正体はまだわからないわ。怪しい人には気をつけるのよ」


 そうして三人はそれぞれ別行動を開始した。といっても、オトハはともかく、ツグミは留守番をするだけだし、アカネは学校へ行くだけではあるが。


(ああ、そっか)


 アカネは一人、バス亭に立ちながら思う。声をかける者は誰もいない。


(アヤちゃんがいないって、こんなに寂しかったんだ)


 学校へ着いたアカネは、よりにもよって一番会いにくかった人物と校門前でばったり会った。空手部顧問の寺田である。昨夜無理やり車で送らせたあげく、車の窓枠に頭を叩きつけて気絶させたのだ。その頭には新しい包帯が巻かれている。


「あ、あの……おはようございます、寺田先生」

「おはよう!アカネ君!」


 昨夜の事を怒られるかと思いきや、以外にもそうして爽やかな挨拶を返す。


「あの、頭の包帯……」

「ああ、これか!どうやら先生は夢遊病になっていたらしい!気がついたらどこともしれない駐車場で目を覚ましたよ!きっとその時、車のどこかへ頭をぶつけたに違いない!」


 退学を覚悟していたアカネは安堵した。どうやら上手い具合に寺田は記憶喪失になったらしい。これなら寺田に次の質問をしても差し支えあるまい。


「先生に聞きたいことがあるんです。昨日試合をした神埼先輩とお話がしたくて。先輩は3年の何組でしょうか?」

「1組だが今日は病院へ行っているから休みだ」

「えっ!?」

「あ、いや、違う違う!昨日の組手とは関係ない!」


 そこはさすがに寺田も空気が読めるらしい。


「一種の持病なんだ。月のうち何日かは病院へ通う必要があるが、夕方には家に帰ることになっている。住所を教えるから、お見舞いがてらに顔を出してあげたらどうだ?」


 アカネにとっては願ってもないことだった。


「きっと、そうします!」

「君の空手熱が戻ったと聞いたら神埼君も喜ぶだろうからな!」


 残念ながら、そこは記憶から抜け落ちなかったらしい。


 アカネが神埼先輩にどうしても話をしたかった理由はただ一つだ。昨夜現れた暗闇姉妹にまつわることである。地を這うようなステップイン、縦拳による怒涛のインファイト、投げながら極める関節技。そのどれもが、神埼の戦い方と酷似していた。いくら魔法少女の服装が認識を阻害するといっても、戦い方まではごまかせない。神埼先輩は暗闇姉妹と近しい関係にあるか、暗闇姉妹本人であるとしか思えなかった。

 そう考えると、それを示す状況証拠がさらに思い浮かぶ。アンコクインファナルと共に変身前の暗闇姉妹を見上げた時、インファナルは明らかに鼻で笑っていた。もしもインファナルが線の細い神埼先輩の体を見てもそうしただろうし、自分から見てもやはり小柄な少女に見えた。そういえばツグミも小柄だが、命からがら逃げ出した後、あの場に舞い戻るなんてありえない。ツグミは実際、後で高架下から見つけたではないか。

 授業中もそんな想像が頭をグルグル回り、気がつけば正午のチャイムが鳴る。


「ああ!!」


 突如そう叫んで青くなるアカネを、まるで猛獣を見るように生徒たちが固まる。


「しまった!ツグミちゃんの昼ごはん!」


 用意していないのである。せめて冷蔵庫に残り物があればよかったのだが、基本的に日中は学校にいるアカネは、食べ切れる量だけ食材を買うようにしているので、つまり今は空っぽだ。出前くらいとれるようにお金でも置いておけばよかった。


「どうしよう!ツグミちゃんのご飯!」

「落ち着いてよ~なんの話かわからないじゃないか」


 携帯電話ですぐさまオトハへ連絡したアカネは、そうたしなめられる。事情を聞いたオトハは「あ、それなら」と話す。


「例の件だけど、まずは城西地区の事件を調べてもらうように探偵さんに依頼したんだ。ついでにツグミちゃんも助手として連れて行ってもらうように頼んでおいたよ。アパートにずっといるよりも、あるいは安全かもしれないからね」

「そういえば魔法少女だって言ってたわね、その探偵」

「そうそう。ちょっと変わった子だけど、ああいう子の方が、今のツグミちゃんを元気づけられるかもしれないし」


 人間には不可能な殺され方をした被害者を調べること。城西地区から回ってもらうのは、城南地区はアカネとオトハで調べられるからだ。というより、そんな猟奇的な事件が起きれば、二人の耳にすぐ入るだろう。まずはそこを起点にして、後に城北、城東方面へも回ってもらうつもりだ。


「アンタがそう言うんなら、任せるわ」


 オトハは携帯電話を切ってポケットにしまう。余談だがオトハが通う高専は私服で通えるので、アカネのアパートから寮に戻ってジーンズとパーカーを着替えていた。


「ねぇねぇ、和泉さん。ちょっとこの問題を教えてほしいんだけど」

「どれどれ~」


 教室でクラスメイトたちとそんな会話をしていると、再びポケットの携帯電話が震える。


(も~アッコちゃんったら心配性だな~)


 しかし携帯電話に表示される文字を見てオトハが固まる。非通知設定?オトハは無言で電話に出た。


「アケボノオーシャンね?」


 聞いたことのない少女の声がする。


「そういうあなたは?」

「オウゴンサンデー」


 オトハはその名前をよく知っていた。


「あなたに大切な話があるの」


 教室にいるクラスメイトたちの顔を見回す。この会話は聞かれない方がいい。


「ごめんなさいだけど、後でかけなおしてくれるかな」


 食欲が回復したツグミは残していたベーコンエッグトーストを完食し、三人分の皿を洗剤で洗った。ガンタンライズ/糸井アヤが生きているかもしれない。その可能性が彼女の心を支えた。とはいえ、今でも気分が落ちこんでいるのもまた事実。食器を片付けた後、またベッドで眠らせてもらおうかと考えていた。その時である。

 アパートのチャイムが鳴る。ツグミは緊張する。誰だろう?そもそも自分がいるのはアカネのアパートだ。彼女は日中を学校で毎日過ごしているのだから、午前中のこんな時間に誰かが訪ねてくるのはおかしい。

 ツグミはドアの覗き窓から外を覗く。ドアの前にいる人物は体の線の出ないトレンチコートを着用し、マスクとサングラス、さらには帽子で顔を隠していた。


(怪しい)


 怪しさのバーゲンセールのごときその人物は、首をかしげながら何度もチャイムを鳴らす。


(早くどこかへ行って)


 ツグミの願いが届いたのか、しばらくすると謎の人物は姿を消した。ツグミはたっぷり一分は待ってからドアを少し開いてみた。その隙間から、本当にさっきの人物がどこかへ行ったのかうかがう。

 すると突然、ドアの隙間に靴が差し込まれた。ビックリして顔を上げると、マスクの人物がこちらを見ている。


「きゃああっ!!」


 驚いたツグミは目の前の人間が着ているトレンチコートの襟を掴み、乱暴に引っ張って相手の顔をドア枠に叩きつけた。


「!?」


 ドアの隙間に挟んでいた靴が外れ、ツグミはあわててその隙間を閉める。顔をしたたかに打った謎の人物は、しきりと鼻を押さえて痛みに悶えている。さらにその人物の受難は続いた。

 バーンとドアが内側から蹴り開けられる。そこには野球のバットを持ったツグミが仁王立ちしていた。


「やあああっ!!」

「ウワああっ!?」


 アパートから飛び出したツグミは雄叫びを上げ、バットを振り回しながら怪人物を追いかけ始めた。悲鳴を上げて逃げる怪人物とツグミの追いかけっこはしばし続いたが、間もなく石につまずいた謎の人物が盛大にずっこけた。その勢いで顔からサングラスが外れ飛ぶ。まもなくツグミが追いつく。


「ま、待ってください!!待ってください!!話せばわかる!!わかります!!」


 少し様子が妙だと思ったツグミは振りかぶっていたバットを少しずつ下ろした。女性の声である。彼女はツグミを刺激しないように、ゆっくりとマスクと帽子も外す。自分とさほど年齢の変わらない少女だった。帽子からこぼれ出た髪は、ヘアスタイルこそよくあるミディアムストレートのぱっつん前髪であったが、その毛は銀色に輝き、エキセントリックな印象を少女に与えていた。


「ワタクシ、こういう者です」


 ツグミは差し出された名刺を受け取り、その文字を読む。


「探偵さん?」


 たしかにそう名刺には書かれている。


「そうです!ワタシは中村探偵事務所、所長の中村サナエです!閃光少女のアケボノオーシャンさんから依頼を受けて、あなたと一緒に事件を捜査することになりました!」


 少女は立ち上がり、そう元気よく挨拶する。


「あなたも閃光少女なの?」

「いえ、ワタシは魔法少女ではありますが、閃光少女ではありません。……ちょ、待って!魔女でもありませんよ!」


 ツグミの持つバットが少し持ち上がった気がして、慌ててそう付け加えた。


「いや~オーシャンさんからは小動物のような少女と聞いていましたが、意外と凶暴でしたね~。前世はアライグマですか?」


 ツグミはちょっと恥ずかしそうにバットを背後へ隠しながら尋ねる。


「閃光少女でも魔女でもない魔法少女ってどういうこと?」

「そのどちらでも無い第三の魔法少女ですよ。まぁ、それは追々説明しましょう。ワタシはあなたのボディガードも請け負っています!鉄の船に乗ったつもりで安心してください!」

(その船、沈んじゃったりしないかな……?)


 ツグミは一抹の不安を覚えた。


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