モグラ退治の時
地下室で魔法薬を作っていたトーベは、階段を登り、応接室の扉を開いた。ソファーにはサクラが座っている。おおよその事情はサナエから聞いていたので、その頬が涙で濡れていても、彼は驚かなかった。
「お嬢様」
トーベが声をかけても、サクラは動かなかった。
「お嬢様!」
「んあ!?」
トーベが少し大きい声で呼びかけたことで、うたた寝をしていたサクラが目を覚ます。
「このような場所で寝ていては風邪をひいてしまいます」
「そ、そうか。ウチは寝とったんか……案外図太いな、ウチも」
「そのようでございますね。本日はいろいろとありましたから、お疲れなのでしょう」
トーベはわざと遠回しな言い方をした。
「すぐに夕食の準備をさせましょう。本日はこちらで召し上がりますか?」
「いや……今は食欲が無いかな」
それからサクラはしばらく黙っていたが、やがてトーベに問いかける。
「なぁ、おっちゃん。ウチは、友だち二人に……めっちゃひどい事を言うてしもうたで……どうしたら許してもらえるんやろうか?」
「信じることでございます」
「信じる?」
「はい」
トーベは少し間を開けてから説明する。
「お嬢様や、あなたのお父上がワタクシにしてくれた事と同じでございます。そのおかげで、ワタクシは変わりました。それは、心ある者全てに通じる魔法でございます」
「もしもおっちゃんが変わらんかったらどうなってたんやろ?」
「そうでございますね……」
トーベは少し考えてから答えた。
「きっとバスケットボール選手になっていたと思います。あるいはゴルフ選手でしょうか?今頃は有名選手として世界中を回っていたかもしれませんね。タイガー・トーベという愛称はいかがでしょうか?」
サクラが思わず吹き出す。
「ハハ!なんやそれ!ウチの執事やってるよりええ身分やないかい!」
サクラは「あーアホくさ」と言ってソファーから立ち上がった。
「ウチ、ちょっと部屋で休んでくる。……そうやな、スープだけ持ってきてくれへんか?」
「かしこまりました」
応接室から出ていくサクラを、トーベは頭を下げて見送った。この対応が最善だったのかはトーベにも自信は無いが、温かいスープを飲めば、少しはサクラの気持ちもやわらぐだろうと彼は思った。
「あの……トーベ様」
「はい、なんでしょうか?」
サクラと入れ替わるように一人のメイドが姿を現した。トーベの耳になにやらささやく。
ツグミのことである。仔細を聞いたトーベはそのメイドに言った。
「……わかりました。ですが、お嬢様の耳に入れるのは少し待つよう、他のメイドの皆様にも伝えておいてください。お嬢様には、ワタクシから機会を見てお話ししますから」
今はまだ動揺させない方がいいだろうとトーベは思う。トーベには、ツグミが自分の意思で飛び降りたか否かはわからないが、どちらにしろ、今のサクラは悪い方にとるに違いない。
そのツグミの付き添いとして救急車に一緒に乗って行ったのはアカネであった。やがてツグミは治療室へと運ばれていく。後は医者に任せるしかないが、アカネには他にやらなければならないことがあった。
「こんばんは。村雨ツグミさんの付き添いの方ですね?」
「あなたは?」
「城南署の氷川です」
婦警である。アカネはこれから、氷川巡査に事情を説明しなければならなかった。といっても、アカネも屋敷の3階で何が起こったのかわからないので、それをそのまま伝えるしかなかったが。
「ツグミさん……今は立花家に住み込みで働いていたのですね」
「あの……氷川さんはツグミちゃんと知り合いなのですか?」
「ええ、何度か面識があります。彼女がコンビニ強盗に襲われた時から」
「ああ」
アカネは納得しつつも、妙に偶然が重なるなと感心した。感心したといえば、氷川の観察力は、警察官だけあってさすがに鋭い。
「さきほど救急隊員にも確認を取りましたが、負傷が上半身に集中していますね。自殺を目的にして飛び降りる人は、こう、足から落ちるんですよ。木とか電線に引っかかったりしない限りは、ですが。ツグミさんが、誰かに恨まれていたとか、そういう話は知りませんか?」
「いいえ、わかりません。一体どうしてこうなったのか……」
嘘ではないのである。だからこそツグミには早く目覚めてほしいとアカネは心から思った。
アカネはサナエとの会話を回想する。
「魔法薬?」
サナエはうなずいた。ツグミが落下し、救急車が到着するまでのやりとりである。
「執事のトーベさんが、この屋敷の地下で魔法薬を作っているのです。回復薬をいただいて、ツグミさんを治しましょう」
「わかったわ。ならさっそくトーベさんの所に……!」
「今はダメです」
「はぁ?」
サナエの言葉にアカネが反駁した。
「どうしてよ!?すぐにもらってきたらいいじゃない!?」
「残念ながら、もうメイド長さんが救急車を呼んじゃってます」
サナエが事情を説明する。
「今この場でツグミさんを回復してしまったら、あまりにも怪しいですよ。サイクロンさんのことも、トーベさんが魔法薬を作っているのも秘密なんです。最悪の場合、ツグミさんが魔女だとみんなから疑われてしまいますよ」
「じゃあどうするの!?」
「ツグミさんの事を思うと心苦しいですが、まずは病院で普通の治療を受けてください。ワタシはこの屋敷に残ります。トーベさんから回復薬をいただいたら、すぐに病院へ持っていきますから」
「……わかったわ。でも、もしかしたらこの屋敷にいるという魔女が邪魔してくるかもしれない。気をつけてね」
「了解です!」
そう言ってビシッと敬礼のポーズをとるサナエが、今もアカネの脳裏から離れなかった。
(頼んだわよ、サナエさん!)
そして、現在。
「お待たせいたしました、サナエ様」
トーベが玄関で待っていたサナエにそう声をかけると、彼女はコクリとうなずいた。必要な物はもうわかっている。二人は地下室まで歩いていった。
「必要なのは、回復薬でございますね?幸い、いくつかストックがあります。早速参りましょう」
「サクラさんはどうしていますか?」
「部屋で休んでおられます」
トーベはさきほどサクラとした会話をサナエに話す。
「一人ですよね?」
「もちろん、プライバシーは守られております」
「今はその方が安全ですね」
トーベは、すでにツグミがサクラに叫んだ内容をサナエから聞いていた。サクラの父親を殺したのはトコヤミサイレンスではない。別の魔女だ。そして、その魔女はこの屋敷の中にいる、と。
「しかし、相手はスライムみたいな魔女と、土の中を泳いでくる魔女ですからね。どこでどうしていようと危険には変わりないかもしれませんが……」
「ご心配にはおよびません。お嬢様は風の閃光少女です。油断さえしなければ、微細な空気の違いで、自分を狙う者を察知することができます。ちょうど、あなたが捕まった時のように」
「ああ……」
サナエはトラウマを刺激されて顔が引きつった。
その後二人は階段を降り、無言で地下室の廊下を歩いていった。サナエとしては、本当は走って行きたかったのだが、それはトーベのポリシーが許さないらしい。
「……ここでお待ちを」
「?」
実験室の扉の前に、サナエだけが残された。トーベは、なぜか薄暗い廊下の先へそのまま優雅に歩いていく。別の部屋へ入ったトーベが再び廊下へ姿を現した時、その手には散弾銃が握られていた。
「えっ?」
「この国の剣豪、柳生ジュウベエは自著の中でこう述べておりました……」
トーベが散弾銃に、静かに弾を込めながらそう口にする。
「歩く時は、静かに歩きなさい、と。戦う時であっても……船が水面を滑るように……薄い氷の張った湖の上を歩いていくように……」
トーベが散弾銃の銃身の下についたスライドをガシャンと引いて初弾を薬室に送りこんだ時、それは起こった。
「!」
トーベの体が沈んだ。まるで底なし沼のように、彼が立っている床がドロドロに溶解していく。
「ワーッ!?トーベさーん!?」
サナエが思わず叫ぶと、床のドロドロが、サナエに一直線に向かっていった。
「土の魔女……ドトンスイマーですか!?」
「ご静粛に願います、サナエ様」
「あなたはもっと慌ててください!体がどんどん沈んでいってるじゃあないですか!」
「静かにしなければならないのは……」
トーベが説明する。
「敵は土の中にいるからです。自由に動けると言っても、水とは違います。透明な水と違い、土の中ではまったく視界が効きません。ならば、どうやって我々の位置を察知しているのか?それは……」
トーベは散弾銃をドロドロになった地面へ突っ込んだ。
「音でございます」
散弾銃が火を吹いた。といっても、地上ではほとんど音は聞こえなかった。逆に言えば、その音のほとんどが地面に吸収されたということである。
「だーっ!?うるせえ!!」
ドトンスイマーが思わず地面から顔を出した時、サナエはすぐに彼女の顔を目がけて駆け出した。
「こんにゃろーっ!」
「ちっ!」
サナエのサッカーボールキックを、ドトンスイマーはギリギリ地面に潜ってかわした。
(なんなんだ!?あの執事!?)
ドトンスイマーは地中で歯ぎしりをする。
(俺がいるのを察知した上に、地面に沈みながらもあの落ち着きよう……戦い慣れていやがる……!だが、そんな奴がいるのか!?魔法少女と戦い慣れている人間なんて、この世の中にいるのか!?)
「逃げられた!」
「サナエ様、慌ててはいけません。まずは深呼吸をしてください。そして、優雅に歩くのです。一流のスチュワーデスが、ファーストクラスのお客様に食後のワインをお出しする時のように……」
トーベは再びガシャリと散弾銃の薬室へ弾を送った。
「それでは、モグラ退治と参りましょう」




