邪執の時
「今帰ったで~」
「おかえりなさい、サクラ」
「おかえりなさいです!」
「あれ?サナエさん来てくれとったんか」
応接室に入ってきたサクラは、探偵を自称するサナエが、依頼された仕事を果たしに来てくれたのを察したようだ。
「例のアレの件か?」
「はい!」
サナエが概要を説明した。
「実はカクカクシカジカで……」
「マルマルウシウシ……やて?」
あらましを聞いたサクラが険しい顔をして腕を組む。
「トコヤミサイレンスの行方は知れず……かぁ」
「ええ……その件は、もう少しすれば何か進展があるかもしれませんが……」
サナエは、ツグミが何かを思い出したことについて、暗にそう表現した。
「そのかわり、バスジャック事件については驚くべき事実が判明しました!説明しましょう!」
応接室にある大型テレビの前に、サクラ、アカネ、サナエ、そしてメイド長の4人が集まった。映し出されるミツルギ重工の研究室。地面に沈んでいく研究員二人を見て、サクラは小さく「気の毒になぁ……」とつぶやいた。
「それと、映像はありませんが、病院でバスジャック犯たちが殺されたその日、患者の一人が水の魔女を目撃しています。殺された4人の本当の死因は溺死です。間違いなく因果関係があるでしょう。水の魔女と土の魔女。仮に、この二人をスイセイスライムとドトンスイマーと呼称しましょうか。彼女らを放っておくと、また何をしでかすかわかりませんよ!」
「こりゃあ、ごっつ戦いにくい相手やでぇ」
アカネもサクラと同じ感想を抱く。二人は炎と風の閃光少女だ。水と土の魔女相手では相性が悪い。
「ねぇ、サクラ。前にあなたが言ってたわね。魔法少女が二人いれば、その強さは2倍ではなく4倍だって。この二人に、あなた一人で挑むのは無謀だわ」
「せやけど、アカネちゃんも助けてくれるんやろ?」
「もちろん、そうよ」
サクラがさも当然であるかのように聞くと、アカネもまた当たり前かのように答える。
「でも、アタシたちの能力では分が悪いわ。……ねぇ、味方の魔法少女を増やす良い方法があるんだけど」
「それはなんや?」
「暗闇姉妹」
アカネがそう口にした時、サクラの表情が曇った。
「暗闇姉妹の仕事は、魔法を悪用する人でなしの魔法少女を始末すること。あなた、暗闇姉妹のホームページを知っているんでしょう?そこに依頼すれば、事実上アタシたちの味方を増やすことができるわ」
隣でそれを聞いていたサナエは、顔にこそ出さないが、アカネの提案に舌を巻いた。それは同時に、暗闇姉妹側にサクラ/テッケンサイクロンを戦力として引き込めるということでもある。どちらにとっても有利になる話だ。
だが、サクラの方はにべもなく断る。
「それはあかんで!」
「どうして?」
アカネはなるべく自分の感情を殺した声でサクラに聞き返した。
「トコヤミサイレンスもおるんやろ?あれはウチのお父ちゃんの仇やで!そんなもんに加勢なんかしてもらいたくない。死んだ方がマシや!」
「……ねぇ、前にもサクラのお父さんが亡くなった時の状況を教えてもらったけれど……あなた、トコヤミサイレンスが直接お父さんを殺すところを見たわけじゃあないんでしょ?」
「なにが言いたいんや?」
「その……本当にサクラのお父さんを殺したのはトコヤミサイレンスなのかな?……って」
「アカネちゃんは、あの殺人鬼の肩をもつんか!?」
「いや、そういうつもりじゃないわよ……悪かったわ」
思いのほか興奮したサクラの顔を見て、アカネは自分の提案を引っ込めるしか無かった。サナエもまた、先ほどトーベから聞かされた言葉を思い出し、アカネの袖を引っ張って、フルフルと首を横に振っている。
(たぶん、それはNGワードなんですよ)
サナエは目だけでそう訴えた。
その時である。
応接室の扉が大きな音をたてて開いた。そこに立っていたのは、豪雨でずぶ濡れになったツグミである。マナー違反のバーゲンセールのようなその小さなメイドが、あっけにとられているサクラに詰め寄った。
「どうしたのですかツグミさん!?一体何の真似を……!?」
「サクラちゃん!」
メイド長の言葉が耳に入らないほど興奮しているツグミは、思わずサクラを名前で呼ぶ。
「サクラちゃんのお父さんを殺したのは、トコヤミサイレンスではない!」
「な……は……?」
「真犯人の魔女が別にいるの!この屋敷の中に!」
あまりの自体に口をパクパクさせることしかできなかったサクラが、ここで我を取り戻した。
「急に何言い出すねん!というか、何してんねん!?あんたに何がわかるねん!?」
「だって!私は……私は……!」
ふとツグミは、サナエが口だけを動かして「それ以上はいけません!」と必死に手を振っているのが目に入った。その隣にいるアカネは、あまりの展開に、どう言ったらいいのかわからない様子である。
「あほんだら!!」
サクラの平手打ちがツグミの頬を打った。その衝撃に、ツグミは呆然とする。
「サクラちゃん……?」
「あんたはクビやぁ!!」
サクラの体は小刻みに震えていた。そして、目に涙をためていた。
「なんでや……?なんでウチの心を土足で踏みにじるような事を言うんや……?トコヤミサイレンスが犯人やない?だったら、ウチは誰を憎んで生きていったらええんや……?今まで憎んできたのは何やったんや……?」
「落ち着いてください、お嬢様……!」
メイド長が二人の間に割って入った。
「お二人とも冷静さを欠いております。結論を急がないでください。ツグミさん、まず、あなたは自分の部屋に戻って、服を着替えてください。頭を冷やすのはそれからです」
「……はい」
メイド長に付き添われて、ツグミは応接室から去っていった。
応接室では、しばらくは誰も、何も喋ることができなかった。だが、やがてサクラが口を開く。
「なぁ、アカネちゃん……ウチは何か、おかしいんやろか?」
力無くうなだれるサクラがそう尋ねると、アカネは無表情で答えた。
「わからないわよ。あなた、憎いから仇をとりたいの?それとも仇を憎むことそのものが目的になってるの?」
「……そんな言い方せんでもええやろ」
サクラが恨みがましい目をアカネに向ける。
「ウチはお父ちゃんを殺されてるんやで……!?」
「だから優しくしてほしいってこと?甘えないでよ」
「アカネちゃんにはウチの気持ちなんてわからへんのや!」
「ええ、わからないわ」
アカネは冷たく言い放った。
「誰も、あなたの気持ちなんてわからないわよ。そうやって、あなたは自分の仇討ちだけを考えていればいいじゃない」
「もういっぺん言うてみぃこらあっ!!」
「ちょ、ちょっと待って!」
アカネに掴みかかろうとしたサクラを、サナエが抱きつくようにして止めた。
「サナエさん、もう帰りましょう。バイクでアタシのアパートまで送ってくれませんか?」
「ええっ!?この雨の中をですかぁ!?」
「後で、アタシの炎で乾かしてあげますから」
「待ちいや!」
アカネはサクラの制止も聞かず、応接室から出て、行ってしまった。
「あの、サクラさん。一つ言っておきたいことがあります」
「?」
サナエはサクラに抱きついたまま耳元でささやく。
「アカネさんは、家族を悪魔に皆殺しにされています」
「えっ……!?」
「まぁ、知らなくても仕方がないことです。あなたは城南地区にいた閃光少女ではありませんからね」
サクラの心が動揺した。動揺しつつも、取り付く島を求めてサナエに質問する。
「けど、それやったらアカネちゃんも、仇を憎む気持ちはわかるやろ?悪魔が憎うて仕方がないやろ」
「まぁ、家族を殺した悪魔を血祭りにしたのは本当ですが、今の彼女は別の動機で動いています」
「どうしてそれがわかるねん?」
「ワタシが悪魔人間だからです」
その言葉を聞くと、サクラの体から力が抜けた。
「ウチは……ウチは、一番の理解者になってくれるかもしれへん友だちを失ってしもうたんか……」
「失ってなんかいませんよ」
サクラから体を離したサナエが、ポンと彼女の肩を叩いた。
「今日はみんな、ちょっとピリピリしているだけです。低気圧のせいですかねぇ?太陽が登れば、みんなの気持ちが元に戻っているに違いありません。明日は明日の風が吹く!……なんてね。その時に、仲直りをしましょう」
こうしている間にも、アカネはどんどん先へ行っているはずだ。サナエは「それでは!」と敬礼してその場を去ろうとした。その背中にサクラが尋ねる。
「なぁ、サナエさん。さっき言うてたなぁ?アカネちゃんはもう、別の動機で動いてるゆうて……それって、何や?」
サナエが振り返って答えた。
「誰かの力になるために生きるということです」
やがてサナエが出ていくと、部屋にはサクラ一人が残された。ソファーに深く腰をかけ、背もたれに寄りかかって天井を見上げる。
「なんやそれ……自分ら、ちょっとカッコつけすぎやで……」
サクラが瞳を閉じると、大粒の涙がポロリとこぼれた。
メイド長に誘われたツグミは、屋敷の3階にあてがわれた自分の部屋の中で、立ちつくしていた。足元には、雨でずぶ濡れになったメイド服が投げられている。私服に着替えたツグミは、答えの出ない問いを、いつまでも頭の中でグルグルと考えこんでいた。
(私は、どうしたら良かったんだろう……?)
やがて、この答えはいくら考えても出ないと悟ったツグミは、別の問いについて考えた。すなわち、これからどうすればいいのか。その答えはすぐに出た。
(やるしかない。私にできることを。この屋敷にいる魔女を……私が殺すしかない……!)
その時、誰かがツグミの部屋のドアをノックした。
「はい」
ツグミがそれに応じてドアに近づく。
(メイド長さんかな?やっぱり、私は正式にクビって伝えに来たのかなぁ……)
「今開けます」
内側からドアを開いたツグミが見たのは、スラッとした背の高い、若いメイドだった。ウエーブのかかった銀髪のセミロングヘアは、明かりのついていないツグミの部屋の中でもキラキラと光を放っている。
「ごきげんよう、ツグミさん」
「…………!」
ツグミの表情が、みるみる固くなった。
「どうしたのツグミさん?そんなに息を呑んじゃって……立花家にメイドがいるのは当たり前じゃない。当たり前のことにそんなに驚くということは……」
そのメイドがツグミの部屋にどんどん入ってくると、同じ分だけツグミも後退する。二人の指には、魔法少女の印である金の指輪があった。
「やはり、あなたがトコヤミサイレンスで、アタクシの事を知っているということですわね?」
「ジャシューヴァリティタ……」
ツグミがその魔女の名前を言うと、彼女はため息をついた。
「とても残念だわ。あなたとは良いお友だちになれそうだと思っていたのに。こうなったら……殺すしかないじゃない」
「私があなたを殺します」
「あなた……記憶を失う前にも同じことを言っていたわ。そして、アタクシは前にも同じことを言いましたよ?What a pillock!(なんておバカさんかしら)」
ジャシューヴァリティタがニッコリと笑う。
「あなたの能力では、アタクシを倒すことはできないの。絶対にね」
屋敷の玄関から外へ出たアカネは、屋根の下でサナエが来るのを待っていた。
「もー!遅いわよ!」
「いやぁ、どうもすみません」
サナエが困ったようにニコニコ笑いながら、頭を掻きつつ姿を見せた。
「トーベさんに車で送ってもらえないか聞いてみたんですが……生憎これから野暮用があるそうで……」
嘘である。サナエが地下室に居たトーベにお願いしたのは、サクラの心のケアであった。今は自分たちが働きかけるより、気心の知れた執事に任せる方が適切だろうとサナエは判断したのだ。
「それにしても、ツグミさんとは話ができませんでしたねぇ。何か大切な事を思い出している様子でしたが……」
「ええ。後でアタシから電話してみるわ。きっと、サクラのお父さんを殺した真犯人を思い出したのよ」
「安心しましたよ」
「何が?」
「サクラさんを見放したわけではないんですね」
「当たり前じゃない!」
アカネは鼻息を荒くした。
「アタシは、アタシの思っていることを言っただけよ。友だちって、そういうものでしょ。……コラ!そのニタニタした目でアタシを見るのはやめなさい!」
サナエたちが戯れていると、勝手口からメイドたちが次々と傘を持って外に出ていくのが見えた。慌てている様子である。
「?」
「なんでしょうね?」
その時、よく知った顔が勝手口から飛び出した。アメリカンメイドのキャサリンである。キャサリンは玄関にいたアカネとサナエに気づくと、大きく手を振って二人に呼びかけた。
「Oh!アカネサーン!サナエサーン!Hurry!イッショニキテ!」
「何があったんですか?」
「ツグミサンガ墜落シテマース!」
「エエーッ!?」
アカネたちは傘もささずにキャサリンと一緒に走った。すでに数名のメイドたちが、地面のそれの周りで右往左往している。
「動かしてはいけません!」
後から走ってきたメイド長がそう指示した。
「首の骨が折れているかもしれません。救急車はすでに呼んであります。あとは彼らに任せましょう」
アカネたちもまた、それを見た。雨の中、地面に倒れているツグミは、赤い血を石畳の上に広げて、ピクリとも動かない。
「そんな……どうして……?」
アカネはショックを受け、頭の中が真っ白になった。サナエはツグミの顔をじっと見たままメイド長に尋ねた。
「メイド長さん、ツグミさんは自分の部屋にいたんですよね?」
「さようでございます」
メイド長が肯定すると、キャサリンが「Idiot!(バカな!)落チルナンテ!」と思わず叫ぶ。
「ツグミサンの部屋ハ3階デスヨ!?」
サナエは立ちつくしているアカネを無理やり引っ張ってメイドたちの群れから引き離すと、彼女の耳元に話しかけた。
「落ち着いてくださいアカネさん。ツグミさんは呼吸をしていました。まだ死んではいません」
「わかったわ……わかったけれど……でも、どうしてこんな事に……?」
「ツグミさんが自分から飛び降りるとは思えません」
サナエがハッキリと言う。
「どうやら、ワタシたちが想像していたよりもずっと、敵は近くにいます!油断大敵です!」
いつの間にかメイドたちの群れから抜け出したジャシューヴァリティタは、屋敷の中へ戻り、誰かに電話をかけているところであった。
「ああ、ジャシューちゃんですか?ごきげんうるわしゅー」
受話器から子供っぽい声が返ってくる。
「あなた、スイセイスライムってあだ名がついているわよ」
「えー?なんなのそれー?」
電話の向こうで、水の魔女はケラケラと笑った。
「トコヤミサイレンスが帰ってきた」
「は?ジャシューちゃんがずっと前に殺したんじゃないの?」
「悪運が強いのよ。今も、殺しそこねた。後はあなたにまかせるわ」
「詰めが甘いんですね、ジャシューちゃんも」
「いいえ、これで良かったのよ。あんな女の血を、これ以上屋敷の庭に吸わせるのはメイドとして忍びないわ」
「まったく、人使いが荒いんだから。表でも、裏でも」
電話を切ったジャシューヴァリティタは、一見すると何も無い背後に向かって問う。
「あなたの仕事はわかっているわね?」
「…………」
水のように溶けた床から無言で顔を出したドトンスイマーは、やがて何も語らないまま地面へと沈んでいった。




