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記憶の糸車が回り始めた時

 立花家メイド、村雨ツグミの朝は早い。


「ツグミさん!起きなさい、ツグミさん!」

「にゃにごとなの!?」

「まずは、朝の体操ですよ。ツグミさん」


 メイド長に、朝5時には無理やり起こされるので、気ままに朝寝坊を楽しむというわけにはいかなかった。ちなみに、サクラの方も6時には執事に起こされるので、あまり羨ましいとは思わない。


「1!2!3!4!」

「にー、にー、さん、しー」


 老齢とは思えないメイド長のキビキビした号令に会わせて、ツグミもふらふらと腕と足を振り回した。

 そして、サクラが起床する6時には、メイドたちが厨房で朝食の準備にとりかかっている。その中でツグミがする仕事は、サクラが昼食に食べる弁当作りだった。当初はフォアグラやらキャビアやらが食材として並べられていたが、ツグミの料理経験の範疇を超えている事と、サクラ自身の希望により、近所のスーパーで普通に買える食材に限定された。例えば、今日は卵焼きに、タコの形に切られたウインナーと肉団子のあんかけだ。ツグミの遊び心で、ご飯に乗せる海苔が動物の形にカットされているのも、サクラと、彼女と一緒に食事をとる女子グループを楽しませた。本日は猫だ。


「行ってくるでー!」

「行ってきます!」


 7時過ぎにはサクラと、彼女と同行するツグミがバス停へと向かう。


「ねぇ、サクラちゃん」

「なんや?」


 屋敷の中では「お嬢様」と呼ばなければならないツグミも、今はサクラと自由に会話ができた。


「こうやって学校に行く時もメイド服を着たままじゃないといけないの?」

「ええやんか!みんなからのウケもええしな!」

「みんなからのウケ?」


 城南高校へ到着すればツグミの仕事は完了である。しかし、この目立ちたがり屋の雇用主は、クラスのみんなに自慢のメイドを見せびらかさなければ気がすまないようだ。


「ちょっと、サクラちゃん!私は教室に入らなくていいから……!」

「ええやんか!ええやんか!カタイこと言いっこなしや!」

「わー!ツグミちゃんだー!」


 小柄で愛らしいそのメイドは、すっかりクラスのマスコットになっていた。


「内田くーん!カメラ持ってきてくれたんか!?」

「バッチリっすよー!」

「え、カメラ?」


 当惑するツグミに対してサクラがニコニコと笑う。


「ちょっとした記念撮影や」


 その日、城南高校1年生に混ざって、赤面しながらいつも以上に小さくなっているツグミの記念フォトが残された。


「ツグミちゃんも学校におったらええやん」

「そうはいかないよ。私にも仕事があるもん」


 ようやく開放されたツグミが立花家に戻るのはお昼前である。その頃にはアカネも立花邸に到着し、今日もまた頭から煙を出しながら講義を受けているところだ。ツグミは、他のメイドたちとアカネの分の昼食を作る。


「今日はトンカツの他人丼だよ」


 いつものように応接室で待っているアカネのところへ、ワゴンを押してツグミが現れた。


「ツグミちゃん、それはカツ丼って言うのよ。でも、おいしそうね」


 二人の少女は、しばしお互いの自由時間を楽しむことにした。


 食事を終えたアカネは、ふと気になったことをツグミに尋ねた。


「ねぇ、ツグミちゃん。その……暗闇姉妹の話だから、答えにくかったら無理に喋る必要はないんだけど……」

「なぁに?」


 ツグミが微笑して首をかしげる。


「今のアタシたちって、ハカセのホームページに寄せられる依頼を読んで動くじゃない?ツグミちゃんが一人でやっていた時はどうしてたの?」

「うーん……聞いても笑わない?」

「笑わないわよ」

「……死んだ人の声が聞こえるの」

「死んだ人の?」


 アカネがしばし考え込む。


「イタコみたいなものかしら?」

「うん、たぶんそんな感じ」


 もしもこの場にオトハがいれば「降霊術って言ってほしいな」と抗議しただろう。


「やっぱり、怨みを残して死んだ人って、声を残すから。そういう声が聞こえたら、自分でいろいろと調べてみるの。そして、真実がわかったら……」


 ツグミは次の言葉を濁す。


「ねぇ!それなら、サクラのお父さんから話を聞けないの?彼を殺した本当の犯人がわかるかもしれないわよ!」


 ツグミは静かに首を振る。


「私からは話しかけられない。向こうから話しかけてくるのを、私は待つしかない」

「そっかぁ……ごめんね、ツグミちゃん。言いにくい事を言わせちゃったかも」

「そうでもないよ」


 ツグミは変わらない微笑をアカネに向けた。


「今までは私一人でするしかなかったから。今はアカネちゃんにも、こういう話を聞いてもらって、少し安心している自分がいるんだぁ」


 やがてツグミは空の食器を片付け、応接室を後にする。午後からも仕事はあるのだ。


「コンニチハー!中村探偵事務所でーす!」


 サナエが立花邸の門扉の脇にある、監視カメラを見上げながらそう叫んだ。サナエはすでに、1本目のビデオを氷川の机にコッソリ置いてきたところだった。そして、もう1本のビデオをサクラに見せるべく、今こうして届けに来たところである。


「これは、これは、サナエ様。ようこそお越しくださいました」


 インターホンからトーベの声が鳴る。やがて鉄製の門扉が開き、サナエがバイクにまたがって正門まで行くと、背の高い執事が彼女を迎えた。


「サクラさんはいらっしゃいますか?」

「いいえ、留守にしております」

「え?なんで?」

「何故と言われましても……」


 トーベは困ったように微笑する。


「お嬢様は高校生です。今は学校で授業を受けております」

「あーそっかー」


 サナエはまだ明るい空を見上げた。しかし、明るいといっても、その空には暗雲が垂れこめている。時折ゴロゴロと不穏な音を響かせるその空は、今にも泣き出しそうだった。


「サナエ様。この後、なにかご予定はありますか?」

「いいえ、特には」

「それでしたら、お嬢様が帰ってくるまでこちらでお待ちになってはいかがでしょうか?」

「いいんですかぁ?それでは、お言葉に甘えます!」


 同じ頃。

 ツグミは屋敷の廊下で掃き掃除をしていたところだったが、ふとゴロゴロと鳴る暗雲を窓から見上げ、その手が止まった。そのまま硬直する。


「ツグミさん?どうされたのです?」

「あ、マリアさん」


 ツグミが声をかけてきたメイド長に振り返った。


「ごめんなさい。手を止めてしまって……」

「そうですね。それより、何か気になることでも?」

「ええ、実は……私は記憶喪失でして」

「記憶喪失?」


 メイド長が意外なその言葉に驚く。


「今からちょうど一年前くらい……私は自然公園で倒れていたところを、とある家族に助けられました。でも、私はそれまでの記憶を全て失っていたんです」

「自然公園といえば、このお屋敷からさほど遠くありませんわね」


 メイド長が気の毒そうな顔でツグミを見つめる。


「もしかして、何か思い出しそうなのですか?」

「はい。雷の音を聞いて、なんだか……」

「ツグミさん」


 メイド長はツグミの手から箒と塵取りを取った。


「少し庭を散策してきてはいかがですか?自然公園まで行くのは許可できませんが、このお屋敷からも景色くらいは見えるでしょう。何か思い出せるかもしれませんよ?」

「すみません、マリアさん!ありがとうございます!」


 ツグミは深々と頭を下げると、小走りでその場を後にしようとする。


「ツグミさん!」

「あ、はい?」

「レディーはおしとやかに」

「あ、ごめんなさい」


 ツグミは走るのをやめ、早歩きで庭へ急いだ。


(間違いない……)


 メイド長には話さなかったが、ツグミは確信している。


(記憶を失う直前……私は、この屋敷に居た……!)


 記憶の糸車が、今静かに回り始めた。


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