天罰必中、闇に裁く時
「な、なんだ!?」
突如地響きのようなものが始まり、グレンにコーヒーを渡した警官が動揺した。どうやら地響きは糸井家の奥から聞こえてくる。一瞬静まり返った次の瞬間、糸井家の壁を突き破って、巨大な怪物が姿を表した。
「ば、化け物……!」
それは変わり果てた姿になったアンコクインファナルであった。
「こうなってしまったら、もう元の姿に戻れる保証は無い!!」
その声もまたディーゼルエンジンを積んだ大型トラックの排気音のようだ。
「だが、貴様だけはここでぶち殺すと決めた!!」
怪物になったインファナルは、トコヤミの体ごとブロック塀を薙ぎ払う。二人はそのままもつれるように、隣家の中を蹂躙していった。例えトコヤミが2倍の速さで動けたとしても、相手の腕の数がこちらの倍であれば、不利なのはトコヤミの方だった。というより、もはや格闘技が通用する場合ではない。
「な、なんだぁ!?」
隣家の住人等があわてて飛び出す。家屋をまるでトンネル工事のように貫通し、またしてもブロック塀をなぎ倒して二人が飛び出したのは、土管が無造作に置かれた空き地だった。不動産会社の名前が書かれた鉄の看板を、怪物はハサミで試し斬りする。
「赤い臓物をぶちまけろ!!」
トコヤミは振り下ろされるハサミを短槍で受け流し、インファナルの腕に鉄棒選手のように飛びついて関節を極めようとするが、もう一本の腕で殴り飛ばされる。格闘戦では勝負にならなかった。それだけではない。何かが鋭くトコヤミの頬を掠める。インファナルが口から毒針を発射したのだ。毒針が連射されるごとに、トコヤミが避け、距離が開いていく。ついにトコヤミは土管の後ろへ身を隠したが、インファナルは機関銃のごとく毒針を連射する。コンクリート土管がまるで発泡スチロール製に見えるほどの勢いで削れていった。飛び出すのは自殺行為だったが、このまま待つのもまた、ただ死がおとずれるまでの時間稼ぎにすぎない。その時である。
「手こずっているようね!」
上空からの声にインファナルは顔を上げた。月を背にして民家の上に立っていたのは、傷だらけになったグレンバーンだった。不敵な笑みを浮かべて怪物を見下ろしている。
「炎を貸すわ」
悲しいかなグレンが今立っている民家は典型的な木造建築である。
「貴様に何ができる!!」
怪物インファナルが毒針を連射すると、グレンは目の前に1メートル四方の赤い結界を張って防いだ。そしてすばやく、腰の後ろから2本の警棒を引き抜く。
「はっ!」
両手に持った警棒を結界へ突き刺すと、警棒に結界が巻き付いた。赤熱して発光する警棒を舞うように振り回し、毒針を叩き落としていく。
「さぁ、行くわよ!」
インファナルの正面に飛び降りたグレンは、赤熱する棒を前方に構える。すると棒の両端が炎の鎖で連結された。紅蓮のヌンチャクが高速で振り回される。
「ガキが……舐めてるとぶっ潰す!!」
「おおおおおおおおお!!」
怪物の4本の腕がグレンに迫るが、数が増えて見えるほどスピードを増していくヌンチャクが、それらをことごとく弾き飛ばす。
「おらおらおらおらおらおらおらおらっ!!」
「がっペッパぁ!?」
ヌンチャクが本体へと届き、怪物を滅多打ちにする。たまらず羽を広げて空へ逃れようとするが、少し宙に上がっただけで止まった。
「き、貴様ぁ!邪魔をするな!!」
昆虫のような羽に、影を伸ばしたような包帯が絡みついている。それはトコヤミの服から伸びていた。彼女が怪物を飛ばせないように踏ん張っている。
「おらあっ!」
「べフッ!?」
グレンは跳び上がり、ハエでも叩き落とすかのように脳天にヌンチャクを直撃させた。そして、ヌンチャクの魔法を解き、インファナルの背中へ登って、芋でも抜くように羽を引きちぎる。
「ズアッ!?」
グレンは巨大な蜘蛛の足に生えた針を意に介さず、両脇に抱える。
(まさか、アレを狙っているのか!?)
「だああああああああっ!!」
焦る怪物をジャイアントスイングの要領で、どんどん振り回した。巨体の軌跡が回転数を上げていく。
(まさか本当に、アレを狙っているのか!?)
「どりゃああああああっ!!」
陸上競技のハンマー投げよろしく宙を舞った怪物は、地球の重力に引かれ一点に墜落した。歩いてくるグレンバーンは、今や不動明王の如く燃え盛っている。怪物は周りを見回した。
(やはり、そういう事かーっ!!)
そこはバスのロータリーだった。この広さ、そしてコンクリートしか無い空間。グレンバーンが本気を出せる、数少ない空間。
「タイミングはアタシに合わせなさい!」
トコヤミは返事の代わりに短槍を構える。
「はああぁぁぁ」
グレンが気合を入れると、彼女の背中に6本の細い羽が伸び、羽の先をなぞるように丸い日輪が浮かぶ。そして真紅の籠手が炎に包まれた。両腕をそれぞれ天地に向け、大きく円を描くように回すと、小さな太陽のような炎の球体が生まれる。
「おらあああっ!!」
グレンが炎球をドッジボールのようにして投げた。怪物インファナルは4本の腕をクロスさせ、それを真正面から受け止めた。
「グレンバーン!!これで勝ったと思うなよ!!お前らを狙っているのは、この私だけでは無いと、覚えておくがいい!!」
炎球が爆発し、防御していた4本の腕が吹き飛ぶ、そして、炎を追いかけるように跳躍したトコヤミの体が、インファナルとすれ違った瞬間、その手から短槍が消えた。
「あ、あ……ああ……」
インファナルのうなじに、短槍が突き刺さっている。トコヤミは痙攣する怪物に後ろから歩いて近づくと、その短槍を深く押し込み、止めをさした。ロータリーに、ただ沈黙だけが残された。
「アイツ……負け惜しみを……でも、やったわね!」
グレンは安堵して息をついた。トコヤミとハイタッチを交わしたい気分だったが、短槍をインファナルの死体から引き抜くトコヤミの顔を見て、気分が一気に萎んだ。
(あっ……)
泣いているのである。表情こそ氷のままだったが、頬を涙が伝っていた。そして、ただ、沈黙している。
(そっか……アタシたち、人を殺したんだ……)
グレンはトコヤミの事情などまったくわからないが、それが彼女なりの黙祷なのだろうと思った。
「グレン!グレーン!」
やっと現場に到着したらしいアケボノオーシャンが手を振って走ってくる。グレンはオーシャンに報告した。
「オーシャン、犯人はアンコクインファナルよ。今倒したわ」
「それは、よかった。でも、ちょっとまずいんだ」
「えっ?」
オーシャンに連れられてパトカーの傍まで戻ると、コーヒーの警官が申告な顔で、足を切断された同僚を診ていた。
「血が出過ぎているんだ。救急車がまもなく到着すると思うんだけど、いや、もう助かるかどうか……」
「そんな……」
オーシャンはグレンにそう説明する。コーヒーの警官もまた倒れている彼に語りかける。
「おい、何か家族に伝えておきたいことはあるか?」
倒れている警官が口を開きかけたその時、トコヤミがその警官へ向けて歩いてきた。
(えっ……?まさか、目撃者を口封じするつもりじゃ……!?)
「ダメよ!」
しかしトコヤミは制止するグレンを押しのけ、警官の前に座った。そして掌を足の切断面へ向ける。そこからあふれた光は、グレンとオーシャンにとって見覚えのあるものだった。
「これはガンタンライズと同じ能力」
オーシャンがそうつぶやくと、家の中に置き去りにされていた足の先が引き寄せられ、切断面へくっつくと、傷口がジッパーを閉めるように閉じていった。さらに、糸井家、隣家、そして空き地の土管までもが、時間を巻き戻すように治っていく。
トコヤミはヒーラーだったのだ。
「そうか。一切の痕跡と外傷を残さないというのは……」
グレンがそうつぶやくと、ロータリーに放置されたアンコクインファナルの死体もまた、修復されていく。うなじの傷が消え、腕が再生し、下半身が二本足に戻り、額の蜘蛛の目が消えて、人間だった頃の姿に。そしておそらくは、糸井家の遺体も。
「あ……ありがとう……」
「柴田!」
倒れていた警察官が感謝の言葉を述べた時、グレンには、トコヤミが微笑したように見えた。彼女は、その笑顔をどこかで見た気がしてならなかった。
「ねぇ、待って!」
立ち去ろうとするトコヤミをグレンが止める。
「あなた、もしかしてアタシが知っている人なの?」
トコヤミは傷が治りつつあるグレンを一瞥した後、背を向けて音も無く跳躍し、闇の世界へと消えた。
「ねぇ、あの子は誰なの?」
「なによ、あなたもよく知っているじゃない」
グレンは尋ねるオーシャンに振り返った。
「暗闇姉妹よ」
『暗闇姉妹』
人でなしに堕ちた魔法少女を始末する者を人はそう呼んだ。
いかなる相手であろうとも、
どこに隠れていようとも、
一切の痕跡を残さず、
仕掛けて、追い詰め、天罰を下す。
そしてその正体は、誰も知らない。
「とうとう見つけることができた。トコヤミサイレンス」
その様子を橙色のフード付法衣を着た何者かが見ていた。
「しかし、そういうことなら……ガンタンライズにはまだ利用価値があるわね……」
法衣の何者かもまた、闇の中へ消えた。
暗黒編 了