ジュンコが泣きたくなった時
西ジュンコの工場。
彼女は、今朝は早起きをして、古い自動車のエンジンをいじっていた。普段はスーツの上から白衣を着て、臀部まで届くほどの長い髪を無造作に垂らしているが、今は作業服に着替え、髪を団子状にまとめている。西ジュンコの表向きの稼業は、整備工であった。
「ハカセ……」
「おや?」
開け放たれたシャッターの下に立つ人影を見て、ジュンコが手を止めた。『ハカセ』というのは、西ジュンコの変名であるハカセホワイトにちなんだあだ名だ。
「おはよう、アカネ君。君から訪ねてくるなんて、珍しいじゃないか」
「家に一人でいても退屈ですからね」
「ああ」
ジュンコはアカネが学校を謹慎処分になった事情をオトハから聞いて知っている。転校生を守るために不良を殴った、と。
「何度思い出しても笑えるねぇ!暴力をちらつかせる不良が、よりにもよって暴力の化身のような君に喧嘩を売ったとは!くくくくくっ!」
「誰が暴力の化身よ!」
「では、毘沙門天君。少し仕事を手伝ってくれたまえ。セルを回してくれるだけでいい」
「やめなさいったら!」
口では悪態をつくが、アカネは内心、ホッとしていた。
西ジュンコが村雨ツグミと一文字ツバメを養子にしようと考えていた。それをアカネが知ったのは、ツグミがツバメを始末した後である。その後ツグミが失踪してしまったので、この工場にはジュンコ一人が残されていた。『悪魔は涙を流さない』という格言が、ただの偏見だったことをアカネが知ったのは、それがキッカケである。
(でも、今朝は元気そうね)
アカネはそれを批難するつもりはない。むしろ、逆だ。現実がどんなに辛くても、前を向いて立ち上がらなければいけない。アカネも、やっとそうできた。ハカセにもそうなってほしいとアカネは思っていた。今朝ここを訪ねた理由の一つは、それだったのである。だが、心配はいらないかもしれない。
「そうだ。君に2つほど伝えたいことがあってだね……」
そう話しかけるジュンコよりも、ある物が気になってアカネが尋ねた。
「ハカセ、あれ何?世界史で習った投石機に似ているけれど」
アカネが教科書で見たのは、昔西洋で城攻めに使われた投石機のことだ。長いアームの先に受け皿のようなものがあり、そこへ石を置けば、アームの根本にある重り、あるいはねじりバネの力で、勢いよく振り出されたアームから石が飛んでいくという代物である。本物の投石機は巨大だが、ジュンコの工場にあるそれは、一人で持ち運べそうな大きさだ。
「ああ、いい質問だね。まさに、それについて話したかったんだ」
ジュンコがミニチュアの投石機を肩に担いでみせた。
「投石機に似ているというより、これはまさに小型の投石機さ。アカネ君は私が竹鉄砲を使っていたのは知っているだろう?」
「ええ」
和紙で固めた竹筒から粘土の弾丸を発射する必殺の武器だ。魔法少女相手にも十分通用することは、以前ヒスイローズという閃光少女をターゲットにした時に証明されている。
「だが、弾は遠くまで飛ばせないし、何より爆発音がする。そこで、もう少し君たちの支援に適した武器を考えてみたわけだよ」
「それで、投石機?ずいぶんアナログですね」
「まあ見ていたまえ。実演してみせよう」
ジュンコは砲丸のような物を投石機の受け皿に乗せた。本物だとしたら、重さは5kg以上あるはずだ。ジュンコが10メートルほど先を指さす。
「あの空き缶を狙うよ」
空き缶といっても、ジュースの缶ではない。塗料用のシンナーが入っていた一斗缶のことだ。山積みになっている一斗缶の、頂上に置かれている一缶だけが空になっているらしい。
「いいかい?いくよ」
投石機からスコープが飛び出す。それを見ながら慎重に狙いを定めたジュンコは、側面についたボタンを押した。アームが勢いよく振り出され、砲丸が宙を舞う。だが、思った以上の反動により、ジュンコの姿勢が崩れ、狙いもずれた。砲丸は空き缶ではなく中身の入った缶を貫いてしまい、流れ出たシンナーが作業机の電球にかかると、そこから引火して燃え上がった。
「アーッ!?」
「もう!!何やってんですか!?ハカセ!!」
アカネは消火器を持ってきて消火活動を行う。幸い、火はすぐに消えた。
「……泣きたい」
「それよりも手を動かしてください!」
ジュンコとアカネがモップでごしごしと床に散乱したシンナーを拭き取っていると、バイクの甲高い音が工場に近づいてきた。
「お客さんかしら?」
「いや、ちがうだろうねぇ。いい排気音だ。エンジンの調子は悪くない。ああ、そうだ!」
ジュンコは思い出したとばかりに手を叩く。
「サナエ君だよ!ちょうど仕事を一つ頼んでいたのが終わったに違いない」
はたして、ガレージに入ってきたバイクは、サナエの愛車マサムネリベリオンだった。そこで待っている二人の前に、ゆっくり停車する。
「……あれ?」
「誰も乗ってないわよ?」
マサムネリベリオンは、自分の意思をもったバイクである。よって、その必要があれば、自分だけで移動することができた。だが、サナエが今あえてそのような事をする理由が、アカネたちには思いつかなかった。
「ハンドルのところに何か付いているわ」
「どれどれ……これはボイスレコーダーのようだねぇ」
それを取り外したジュンコは再生ボタンを押してみる。そこから、やがて一人の老婆の声が聞こえてきた。
『はじめまして。理由あって名前を申し上げられないことをお許しください。アタクシは、閃光少女テッケンサイクロン様の代理人でございます』
「なんですって?テッケンサイクロンの?」
「…………」
ジュンコは沈黙している。
『自称探偵の中村サナエ様は、当方にて拘束させていただきました。サナエ様がテッケンサイクロン様の正体を探ろうとされていたからです。この行為は、重大な淑女協定違反であると当方は解釈しています』
アカネも沈黙した。『淑女協定』というのは、魔法少女たちの不文律だ。自分以外の口からは正体をバラしてはいけない。当然、他人の正体も探ってはいけない。代理人の言っていることが本当であれば、サナエが拘束されるのは仕方がないことである。
『サナエ様は依頼主の正体は死んでも明かせないとおっしゃるので、話し合いの結果、彼女のバイクだけをメッセンジャーとして帰すということにいたしました。この件につきまして、話し合いを当方は求めます。そちらの代表者一名。サナエ様のバイクに乗って、本日の正午、本郷寺までお越しいただきたく存じます。お互いのために、このメッセージが正午までにそちらへ届くことをお祈りいたします。それでは』
音声はそこで止まった。
アカネがジュンコを睨みつける。
「どういうことなの!?」
「悪気は無かったんだ」
ジュンコが弁明した。
「テッケンサイクロンは他所からやってきた閃光少女だ。オウゴンサンデーの息がかかっていないとも限らない。我々としては、彼女の目的と正体を知っておいた方が安全だと思ったのだよ。それに、言い訳がましいようだが、オトハ君は賛成してくれたよ」
「アタシに聞けばよかったのに!彼女を信頼してもいいかどうか!」
「それは今だから言えることだねぇ」
ジュンコたちがテッケンサイクロンの存在を知ったのはテレビのニュースである。共闘したアカネに感想を聞いた後では、サイクロンは変身を解除して正体を隠してしまうだろう。サイクロンを探るには、アカネと別れた直後に尾行するしかなかったのだ。
その言い分を一応は理解するアカネであったが、
「困ったわね……」
とぼやかずにはいられなかった。
「ところで、ホンゴウジって何だい?」
「本郷寺。お寺のことよ。そういえばそんな名前の山寺があったわね。サナエさんを放っておくわけにはいかない。アタシ、行ってきます!」
「そうか、なら早速……」
「ちょっと待ってください!ジュンコさんも行く気ですか!?」
「そうだが?」
それを制止しようとするアカネにジュンコは首をひねる。
「聞いて無かったんですか!?代表者一名だけ来なさいって!」
「わかっているさ。だが見つからなければいいんだろう?」
「わかってませんよ!サナエさんには変身能力があるって、忘れたんですか!?」
中村サナエは悪魔と融合した魔人である。彼女はどんな姿にでも変身できる能力をもっていた。そのサナエの能力をもってしても、彼女は今捕まっているのだ。
「テッケンサイクロンは風の閃光少女です。たぶん、周囲を察知する能力に長けているんだと思います。それに、一緒に戦ったことで、一定の信頼を得ているのはアタシだけです。なら、行くのはアタシ一人がいいと思います」
「そうか……なら、すまない。サナエ君を頼むよ」
「まったく……今度からこういう事は、アタシにも相談してくださいね!」
グレンバーンに変身したアカネは、リベリオンにまたがった。彼女にバイクを操作するスキルは無いのだが、幸いリベリオンが勝手に走ってくれるので、心配は無用だった。
アカネが去った後に、ふとジュンコがつぶやく。
「あ……そういえば、もう1つアカネ君に伝えることがあったのだが……まあ、いいか。その件はすぐにわかるだろう」
グレンバーンを乗せたマサムネリベリオンが、人気の無い山道をひたすら登っていく。本郷寺の場所は、このバイクが記憶しているようだ。
「大丈夫よ、リベリオン」
アカネがそう語りかける。
「まだ短い付き合いだけどわかる。サイクロンは悪い閃光少女では無いわ。誠意をもって対応すれば、サナエさんを返してもらえるわよ」
山門へと到着すると、一人の老僧がそこに立っていた。派手なバイクに乗ってきたグレンバーンに驚かないところから察するに、事情を把握しているようだ。
「早いお着きですな」
「せっかちなのよ」
老僧にそう答えながら、グレンはバイクから降りた。
「テッケンサイクロンは?」
「案内いたします」
まさか寺社仏閣にバイクで入るわけにはいかない。リベリオンは山門で待たせ、グレンは老僧の案内にしたがって境内に足を踏み入れた。
しばらく老僧に従って歩いていたグレンだが、ふと老僧が立ち止まり、一つの方向を指さす。
「この道をずっと歩いていけば、あなたの探している人物がお待ちしております」
グレンはうなずくと、老僧の指示通りに歩いていった。
「……お墓?」
案内された道に続いていたのは墓地だった。大小さまざまな墓石が並んでいる。
(まさか、「ここがあんたの墓場や!」なんて言うつもりじゃないでしょうね……?)
グレンが歩き続けていると、やがて遠くに二人の人物が見えてきた。一人は、ロープでぐるぐる巻きにされているサナエである。そのエキセントリックな銀髪は、遠目でもよくわかった。そして、もう一人。白地に赤いラインの入ったドレス姿は見誤るはずがない。大阪のクライムファイター、テッケンサイクロンである。逆に、サイクロンからしても、真紅の閃光少女、グレンバーンの姿を見紛うはずがなかった。
「なんやて……!?まさか、あんたの差し金やったんか!?」
サイクロンの問いにグレンが無言でうなずく。
「ああ!グレンさーん!」
「やかましいわ!ボケえっ!」
「むぐーー!?」
サイクロンは手にしていた散弾銃をサナエの口に突っ込んで黙らせた。もしもそれが本物であれば、撃たれたら命は無い。
「サイクロン様」
突然墓石の後ろから、メイド服を着た一人の老婆が現れる。グレンはその声を聞いて、何者なのかすぐにわかった。ボイスレコーダーにメッセージを吹き込んでいた、サイクロンの代理人を名乗る人物である。
「本日は刺し身にいたしますか?それともタタキにいたしますか?」
そう言いながらさっと手に包丁を取り出す老婆の動きは、グレンから見ても、ただ者とは思えなかった。
「ミンチにして犬の餌や!グレンバーンの返答次第でなぁ!」
「ええ、そうね!話を聞いてもらいたいわ!」
グレンはサイクロンをなだめるように言う。
「ほーう?なんか事情があるんなら言うてみ?せやけど、話の内容によっちゃあ……」
サイクロンは「くーん……」と情けない声を出しているサナエの口から散弾銃を引き抜き、銃身の下にあるスライドを前後させ、初弾を薬室に送り込んだ。
「ここがあんたらの墓場になるでぇ!!」
可愛さ余って憎さ百倍という言葉がある。想像以上にヒートアップしているサイクロンの感情は、ある意味それに近いものがあった。だが、危機的状況にも関わらず、グレンはついこんなことを思ってしまった。
(あ、「ここがあんたの墓場や!」って言うんだ……)
もちろん、それどころではない。




