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悪夢の時

 舎弟二人は、しばし呆然としていた。だが、やがて引きつった笑みを浮かべ、囃し立てる。


「あーあー!やってくれたなぁ!」

「こりゃあ、たっぷり慰謝料をもらわないとなぁ!」

「へへへへ……」


 毛布を頭からのけたダイゴが、前歯が一本取れたのを見せつけるように、笑みを浮かべながら立ち上がる。


「とんでもねぇことしてくれたぜ!ああ!?どう始末してくれんだよ、これぇ!?わかってんだろうな!てめぇはこれから俺の奴隷だ!一生俺に金を貢ぎつづけろよなぁ!!」


 ツグミは無言でダイゴに一歩近づくと、彼の残っている前歯を指で挟み、それを45度の角度に曲げた。


「ひぇええおおおおっ!?」


 ダイゴが痛みによって、文字通り七転八倒する。


「私にそんなのは通じないよ」


 ツグミは冷たく言い放った。


「おい!なに突っ立ってんだよぉ!?」

「えっ!?」


 ダイゴの言葉を聞いたキャップの男が動揺する。


「やっちまえよ、そのガキ!もう金とかどうでもいいんだよぉ!」


 アロハの男はもう身構えていた。彼らも喧嘩の素人ではない。ツグミのバットを奪おうと考えているのだ。


(こいつ……喧嘩慣れてやがる!)


 アロハの男がバットを奪えなかったのは、ツグミがそれを構えることなく、だらりと手に下げていたからだ。有名な剣豪、宮本武蔵の肖像画は、刀をだらりと両手に下げた下段の構えで描かれている。素人ほど武器を敵に突き出して構えたくなるが、そうした恐怖心があるとこの構えはできない。

 バットが飛んだ。アロハの男が悲鳴をあげる。


「うがっ!?」


 ツグミがアロハの男の脛に向かって、バットを回転させるように投げつけたからだ。近距離でこれをやられると避けられるものではない。苦痛で下がった男の頭より低く、ツグミは地を這うようなタックルを仕掛ける。男の両足を双手刈もろてがりで掬い上げ、彼を背中から地面に落としたツグミは、無防備な男の股間を、足で踏み潰した。


「ぎゃあああああああああああ!!」


「ちくしょう!なめやがって!俺たちを誰だと思ってるんだ!?」


 キャップの男が、懐から折りたたみナイフを取り出すのを見て、ツグミは彼に問いかけた。


「あなたこそ、私を誰だと思っているの?」

「うるせぇ!」


 いきなり急所を突こうとせず、ナイフを小刻みに振って、斬れるところから斬ろうとする。男の発想は間違っていない。だが、相手が悪かった。


(え?ベルト?)


 ツグミがいつの間にか男性用のベルトを両手で握っている。先ほど股間を潰したアロハの男から抜き取ったものだ。


「へぶっ!?」


 勢いよく振り回されたベルトのバックルが、ナイフの射程距離外からキャップ男の側頭部を襲う。今度はベルトを二つ折りにして男のナイフを手からはたき落としたツグミは、男の膝関節を踏み折るように蹴った。曲がってはいけない方向へ膝関節が曲がる。


「あああ!?脚があああ!?」


 そのまま悲鳴をあげる男の背面に回り、ベルトで首を締め上げた。


「あ………………っ!!」


 男の息が止まるのを耳に聞きながら、ツグミはただ一人残されたダイゴに視線を移す。ダイゴは空き瓶を振り上げていた。それをツグミの頭へ叩きつける。


「だっらああっ!!」

「!」


 空き瓶が砕け散ると、ツグミはふらふらとその場で尻もちをついた。


「死ねやボケえっ!!」


 鋭利な刃物のようになった割れた瓶の先を、ダイゴはツグミの首に刺そうとする。だが、一瞬だけ飛んでいた意識が戻ったツグミは、その手を掴んでひねり上げた。


「痛ってぇ!?」

「あああああああああ!!」


 ツグミは感情を爆発させるような雄叫びをあげると、ダイゴの顔を、残った片方の手で何度も殴りつけた。ダイゴも多少の抵抗は見せたが、片手をひねられている状態では不利である。やがてツグミはダイゴの手から割れた瓶を奪うと、彼の内腿にそれを突き刺した。


「うわああああああっ!?へぶっ!」


 うるさいとばかりに、ツグミがダイゴの頬をまた殴る。彼の髪を無造作に掴んだツグミは、ずるずるとその体を川のそばへ引っ張っていった。


「あなたは私の友だちを殴った」


 そう言うやダイゴの頭を川の中へ突っ込む。ブクブクと泡を吹いていたダイゴは、やがてツグミに顔を引き上げられると、酸素を求めて苦しそうにあえいだ。


「ま、待って!待ってくれ!」

「あなたは私の友だちの家を燃やした」


 そしてツグミは、またダイゴの頭を川の中へ突っ込む。彼の体から感じる抵抗が小さくなると、再びダイゴの顔が引き上げられた。


「助けて!!助けて!!お願い、殺さないで!!」

「あなたは私の友だちの夢を壊そうとした」

「ひぇええ!!」


 ダイゴの顔が、再び川の中へ突っ込まれた。


 やがてツグミは、失神している舎弟二人を、一人ずつ土手の上に引きずり上げた。早々に失神したこの二人は、まだ幸せだったかもしれない。最後に、半死半生のまま、泣きべそをかき、ツグミに引きずられていくダイゴに比べれば。


「携帯電話を持ってる?」

「は、はい」

「出して」


 ツグミに命じられるまま、ダイゴはズボンのポケットから携帯を取り出した。


「利き手はどっち?」

「はい?」

「利き手」


 ツグミの問いに、ダイゴがさっと青ざめる。


「お願いします!利き手を潰すのだけはやめてください!」

「両手を潰されたくなかったら、早く答えて」


 容赦無くそう言うツグミに観念して、ダイゴが答える。


「右手……です」

「じゃあ、残った方の手で救急車を呼んで」

「え、残った方の手?ひぎゃあああああああああっ!?」


 返事を聞いたツグミは、すぐにダイゴの左手の指を、本来曲がる方向とは反対へ折っていた。


 ツグミは一人、土手を降りた。焚き火の前で一人、たたずむ。やがて、救急車のサイレンの音が聞こえてくると、ツグミはバケツに水をくみ、焚き火を消した。

 彼女のそばには、闇と沈黙だけが残された。


 近くの病院である。

 男女の警察官二名が病室へ入ると、三名の男性がベッドのシーツにくるまり、まるでうなされているかのようにうめいていた。


「ああ……脚が……もう歩けねぇよぉ……」

「だめだ……俺はもうだめだ……このまま死ぬんだ……」

「痛てぇよ~これじゃあ、もう子どもが作れねぇよ~」


 彼らがこの病院へ救急車で運び込まれた時、警察にも同時に連絡が入ったのは不思議なことではない。唯一意識があったダイゴという名の男性が、119番の通報で何度も叫んでいたそうだ。


「怪物だ!!橋の下に怪物がいるんだよぉ!!」


 そして現在。


「通報したのは、あなたですね?」


 婦警がダイゴに優しく語りかけると、ダイゴはシーツから顔だけを出して答える。


「ああ……俺たちは襲われたんだ……橋の下にいた女……あれは人間じゃねぇ!怪物だ!」

「何をされたんですか?」


 婦警のその問いに、二人の舎弟もまたシーツから顔を出す。思い出すだけで震えが止まらないようだが、なんとか婦警に答えた。


「脚を折られちまった……もうこんなんじゃ二度と立てねぇよぉ!」

「ああ、今でも金玉が痛え……思い出したくもねぇ!」

「俺は前歯全部やられた……あいつは言ったんだ。救急車を呼ぶために利き手だけは残してやるって。俺の体はボロボロだ……」


 その言葉を聞くと、婦警が戦慄した。


「これは……思った以上に深刻ですね、柴田さん」

「ああ、そうだな」


 同僚の男性警官も同意する。

 ちょうどその時、その病院の医師が病室へと入ってきた。チンピラ三人組が口々に叫ぶ。


「おい!いつまで俺たちはを待たせるんだよぉ!」

「治療はどうした!?検査は!?」

「俺たちの状態は深刻なんだぞ!」


 医師がうなずいた。


「ええ、たしかに深刻なようですね。検査の準備は整ったところです」

「ありがとうございます、先生。話が早くて助かります」


 男性警官がそう礼を言うと、ダイゴがすぐに噛みついた。


「手っ取り早く言ってくれよ!俺たちの怪我は治るのかどうかよぉ!?」

「怪我ですって?」


 医師が怪訝な顔をして振り向いた。


「あなたたち、体のどこにも怪我なんかしていないじゃありませんか」

「は?」


 男たち三人は自分たちのシーツを剥ぎ取ると、それぞれの体をあらためた。


「脚が」

「手が」

「金玉が」


 三人の声が合唱する。


「治ってる〜!」


 と、ここでダイゴが尋ねた。


「ん?ちょっと待てよ。ならさっき言ってた検査って何のことだ?」

「そんなの決まっているだろう」


 男性警官が呆れたように言うと、医師が言葉を続けた。


「もちろん、薬物の検査です」


 三人の男たちが病院へ運び込まれた時よりも青ざめるのを見て、氷川婦警はしみじみとつぶやいた。


「ああ、恐ろしいですねぇ。悪夢と現実の区別がつかなくなるなんて……薬物、ダメ、絶対!」


 その後の橋脚下。

 村松が腹を満たし、一風呂浴びていい気分で帰って来た時、ダンボールハウスの周りに明かりがなかった。


「はて?ナナちゃんはもう寝たのかな?」


 土手は暗いが、何年もここに住んでいる村松には問題にならない。暗闇の中を進み、慣れた様子でランプをつけると、暖かい光がダンボールハウスを照らした。


「あれ?いない……」


 そこに寝ているかと思った少女の姿が見えないのである。


「おーい!ナナちゃーん!」


 村松は周りの暗闇に声をかけてみたが、返事は帰ってこなかった。


「女の子が一人で夜に出歩いたら危ないで……」


 そうつぶやく村松がふとランプを地面に置いた時、そこに何か文字が書いてあるのが見えた。


「ありゃ?」


 村松がランプを構えて地面を照らす。よく探すと、そこにはメッセージが書かれていた。


『あ り が と う』


 それが一行目だ。村松は続けてその下の文字を読んでいく。


『ご め ん な さ い』

『さ よ う な ら』


 最後の文章を読んだ時、村松の目頭が熱くなった。


『ゆ め を か な え て』


 どこともわからない暗い道。

 ツグミは顔の半分を血に染めながら歩き続けていた。彼女の正体はトコヤミサイレンスという魔女である。彼女は、毒や病気以外であれば、あらゆる物を治す能力を持っていた。だが、自分の体を治すことはできない。ダイゴに瓶で殴られた頭の傷口がズキズキと痛んだ。そして、心も。


「おじさん……やっぱり私は、おじさんとは暮らせないよ。私は……私の周りの人を不幸にしてしまうから……」


 チンピラが村松を襲った事と、ツグミがトコヤミサイレンスであることに因果関係は無い。無いのだが、それを否定する証拠がツグミの心の中には無かった。


「…………寂しくなんてないよ」


 ツグミがペンギンのぬいぐるみに話しかける。


「私にはもともと、闇と沈黙だけが、姉妹のように一緒だった。今までも。そして、これからも……」


 そして再び、ツグミは闇の中へ消えていった。


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