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イケナイ関係の時

「ここがアカネさんの住んでいるところ」


 ヒカリは、バスから降りてしばらく歩いたところにある、二階建てのアパートを見上げながら独り言を口にする。


「そういえば、私の方から訪ねるのは初めてでしたね」


 アカネがヒカリの家を訪れることは何度かあった。学年が違うので学校で顔を合わせるのは稀であるが、城南高校の中で、今アカネが唯一友人だと言えるのはヒカリだけだったのかもしれない。


(しかし、寺田先生も、立花さんも、あなたを気にかけているのですよ)


 それを伝えておきたいとヒカリは思う。階段を登り、ドアの前でチャイムを鳴らす。


「…………?」


 ヒカリは首をひねった。返事がないのである。


「出かけているのでしょうか?」


 ヒカリが諦めてドアに背を向けようとした時、彼女の動きがピタリと止まった。


(玄関に誰かいる!)


 そう感じたヒカリはドアの向こうに叫んだ。


「アカネさんですか?…………返事をしてください!ヒカリです!神崎ヒカリ!お見舞いに来たのですよ!それとも……」


 沈黙を続けるドアにヒカリは拳を引いて構える。


「アカネさんでは無いとしたら、あなたは何者ですか!?婦女子の住まいに無断で侵入する曲者くせものは、この私が、足腰が立たなくなるまでぶっ叩きます!」

「わーっ!ヒカリ先輩、待ってください!」

「!」


 中からアカネの声が聞こえたので、ヒカリは空手の構えを解いた。ヒカリにドアを蹴破られる心配が無くなったので、覗き窓から外を見ていたアカネもひとまず安心する。ヒカリは改めてドア越しに話しかけた。


「大きな声を出して、すみません。寺田先生から事情を聞いて、心配であなたの様子を見に来たのです。……ですが、もしも誰にも会いたくないのであれば、私はこのまま帰ります。気が滅入っていても、無理はないですからね」


 アカネは、正直に言えば誰にも会いたくないと思っていた。そのため、寺田の人選を憎々しく思う。お見舞いに来たのがヒカリであれば、アカネはドアを開けるしか無いではないか。


「今、ドアを開けます。ですが……一つお願いをしてもいいですか?」

「なんでしょうか?」

「アタシのこと……怒らないでくれますか?」

「ああ、そんなことですか」


 ヒカリは思わず笑った。


「どうしてあなたを怒ったりするものですか。アカネさんがやったことは、正しいことでしたよ。私も誇らしく思うほどに。いつか、本当の正義がどちらにあったのか、明らかになる日が来るでしょう」

「……ありがとうございます」


 ドアチェーンと、ドアノブの鍵が開く音が響いた。そして、中から顔を出したアカネを見て、ヒカリが叫び声をあげる。


「なんなのですか!?その頭は!?」


 一言で言えば、アカネの頭がバクハツしていた。ざんばらになった髪を押さえて、思わずアカネが後退する。ほとんど下着姿であったことも、ヒカリの怒りを買うのに十分であった。


「それになんですか!?その姿は!?その臭いは!?奥に見えるゴミは!?」

「ちょ、ちょっと!怒らないって言ったじゃないですか!?」

「問答無用!!」


 鬼の形相のヒカリが、そう抗議するアカネを押しのけて部屋の中に入っていった。ちゃぶ台の上に放置されたコンビニ弁当の空容器を一瞥しながら、転がっているチューハイ缶の一つを持ち上げる。


「お酒まで!あなた、どうりでアルコール臭いですよ!というか、部屋が臭いですよ!」

「やめてくださいよ!お母さんみたいなこと言って!」

「おかしいですよアカネさん!スーパーだろうがコンビニだろうが、お酒を買おうとしたら、店員に未成年だと気づかれるでしょう!?」

「……私服で行ったら普通に売ってくれました」

「アホですかその店員は!」


 アカネがとうとうヒカリに腹を立てた。


「もう!さっきから先輩は何なんですか!?私を慰めに来てくれたんじゃないんですか!?」

「あなたを慰めに来たのは本当ですが、あなたが堕落するのは許しません!」


 ヒカリが負けじと応戦する。


「とにかく、あなた臭いですよ!まさか金曜日からずっとそうだったのですか!?シャワーを浴びてきてください!じゃないと臭いですよ!」

「臭い臭いって、アタシだって女子なのに、あんまりですよ!」


 アカネは涙目で怒りながら、言われた通り、まずは汗を洗い流すことにした。


「…………」


 アカネは無言で、シャワーの水流に身をゆだねた。頭を冷やす……というのは厳密には違うかもしれないが、血が巡り、酔いがさめて冷静になってきたのだろう。ヒカリが叱るのも無理はないと思えてくる。


「さっき、アタシ……ヒカリ先輩の事を『お母さん』って言った?」


 そんな独り言をつぶやくと、シャワーの水勢が少し衰えた。


(ヒカリ先輩が水を使っているのかしら?)


 体にバスタオルを巻いて部屋に戻ったアカネは、キッチンの流し台で、汚れた食器を洗っているヒカリと目があった。プラスチックゴミは不燃物用のゴミ袋にまとめられ、ぺしゃんこに踏み潰されたアルミ缶が、ひとまずキッチンの隅に積み上げられている。


「先輩……その……何から何まで、本当にすみませんでした」


 頭を深々と下げるアカネに、ヒカリが微笑む。


「いいんです。それに、思わずカッとなってしまったとはいえ、私も言葉が過ぎました。あなたの言う通り、私はあなたに元気になってもらいたくてここへ来たのですから。私もまだまだ未熟でしたね」

「いいえ、そんな!先輩が未熟だったら、アタシなんて……」


 アカネがヒカリに対して頭が上がらないのには理由があった。神崎ヒカリは一見すると今は元気そうだが、特殊な病気によって、あと数年しか生きられない体である。その貴重な時間を自分のために使わせるのは、アカネには忍びなかった。


「私に遠慮することはないんですよ。あなたは友だちなのですから。友だちのために時間を使うこと。それは正しいことです。私は自分の命を、正しいことのために使いたい」


 アカネの顔に書いてあることを読んだ、当のヒカリはそう言う。


「糸井アヤさんが居なくなったこと。それに今回のこと。……それに、閃光少女としても、何かたいへんな事情を抱えているのではありませんか?」


 鷲田アカネの正体は閃光少女グレンバーンである。ヒカリは、その秘密を打ち明けられた数少ない人間の一人であった。だがアカネは、まさか自分が『天罰必中暗闇姉妹』のメンバーであるとは、ヒカリにも話せない。心を許せる数少ない人間の一人に、一番の苦しみを打ち明けられないことも、アカネにとってはたいへんなストレスであった。


「最近また……友だちの一人がいなくなってしまったんです。それが辛くて……ツグミちゃんって言うんですが……」

「ツグミちゃん?」


 ヒカリが興味深そうにアカネの話に耳を傾ける。


「アタシは人知れず……その……閃光少女としての仕事をしているのですが……その過程で、その子の心を傷つけてしまった。たぶん……これからもそういうことが続くだろうなって思ったら……アタシの将来ってなんだろう?って……アタシ……悲しくて……」

「そのツグミさんの方は、あなたのことを友だちだと思っていたのですか?」

「それは、そう思います」

「だったら、大丈夫です」


 最後の洗い物を終えたヒカリはタオルで手を拭いた。


「さぁ、服を着てください。風邪をひいてしまいますよ?」


 私服に着替えたアカネが戻ってくると、ヒカリがお茶を淹れて待っていてくれた。


「糸井さんも。それに、村雨さんも。今は、何か事情があって帰れないだけですよ。それが何なのかまでは私にはわかりませんが、それが解決すれば、あなたのもとへ帰ってきますよ、きっと」


 その事情とやらを知らないはずのヒカリの言葉は、どこか的外れのようにもアカネには聞こえた。だが、まるで二人を見てきたかのように自信をもって言うヒカリの口ぶりに、アカネが安心感を覚えたのも事実であった。


「それに……」

「え、ちょっと……!?」


 ヒカリが首に手を回し、抱擁してきたので、アカネは動揺した。ヒカリはそっと、アカネの耳にささやく。


「辛いときは辛いって、私に相談してくれてもいいのですよ?アカネさんが正義の心を失わないかぎり、私はいつだってあなたの味方なんですから」

「あの……その……」


 アカネは変身した後よりも顔を真っ赤にしてヒカリに身をゆだねていたが、やがて大慌てで体を離した。


「いけません!先輩!そういう関係になるのは!」

「あ、えっ!?」

「アタシ、そういうのを知ったら依存しちゃいそうですから!」


 ぶんぶんと手を振るアカネを見て、ヒカリは何を言いたいのか悟り、彼女も赤くなって慌てて手を振った。


「ちがいますよ、アカネさん!不健全な関係でありません!友情です!あくまで友情ですから!……もう!」


 ヒカリは場の空気を変えようと思い、ちゃぶ台の上に置いてあったリモコンを掴んでテレビをつける。


「ヒカリ先輩って、テレビ使えたんですね」

「馬鹿にしないでください。私だって現代人ですよ」


 ムスッとした顔のヒカリと一緒に、アカネもテレビの画面を見つめることにした。


「あの……アカネさん?」


 やがてヒカリがテレビの画面を指さして尋ねる。


「この人も閃光少女なのですか?」


 テレビに映っていたのは、音楽CDの売上をランキング形式で発表する番組のようだった。売上が上位になるほどアーティストが紹介される時間も増えるようだが、その画面に、ピンク色の愛らしい衣装を着た金髪の少女が、マイクを持って踊って歌う様子が映っている。ヒカリが質問をしたのは、彼女の右手に魔法少女の指輪が見えるからだろう。


「いえ、あくまで閃光少女風アイドルなのではないでしょうか。指輪もニセモノでしょう。名前……ダイキチハッピーと書いてありますが、こんな人はアタシも聞いたことがありませんよ。……あ、でも……不思議ですね。この顔、どこかで見たような憶えもあります。どこだったかしら?」


 アイドルに対してそれ以上の興味が無いのは、ヒカリもアカネも同じであった。やがてヒカリはリモコンを掴んでチャンネルを変える。


 閃光少女アイドルの代わりにテレビに映った男性ニュースキャスターが、どこか落ち着かない様子で原稿を読み始めた。


「……はい、それでは城東地区で発生したバスジャック事件の続報です。今ヘリコプターからの映像が繋がりました。警察の発表によりますと、本日17時頃、武装した複数の男性が……」


 上空からの映像に切り替わり、ヒカリがそれに目を細める。


「アカネさん、これって……現場が近いのでは?」


 ヒカリがそう指摘した通り、高速道路に入って走り続けるバスの周辺は、アカネにも見覚えがある所であった。


「そうですね。それに、このヘリコプターからの映像……バスは城南地区へ向かっている!」


 ヒカリたちは画面を凝視した。小さくて見にくいが、バスを追走するパトカーへ向けて、割れた後ろの窓から、犯人の一人がマシンガンを乱射しているように見える。そして、ちょうどアフターファイブに襲われたバスの中には、多くの乗客の姿が見えた。彼らは人質になっているのだ。


「これは本当に日本で起こっている事件なのでしょうか?あんな銃器を撃ちまくるなんて……」


 ヒカリが言葉を失っている隣で、アカネが勢いよく立ち上がる。


「行くのですか?アカネさん!」

「はい!見たからには放っておけません。それに、この道なら今から走っても間に合います!」

「でも、あなたさっきまでお酒を飲んでいたのでしょう?大丈夫なのですか?」


 その言葉を聞くと、アカネは空手の構えをした。やがて、アカネの体から、もうもうと湯気があがる。


「これでもう大丈夫です!」

「驚きました……それでアルコールが体内から蒸発したのですか」

「行ってきます!」


 レインコートを掴んで外へ飛び出したアカネを見送った後、ヒカリはテレビの前に戻った。鷲田アカネ/グレンバーンの活躍は、おそらく実況中継されることだろう。


「元気になったみたいで良かった……頑張ってくださいね、アカネさん!」


 ヒカリはそう祈った。


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