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成敗の時

 月曜日になった。


「おはようさん!」

「あ、立花さん。おはよう!」


 サクラが教室に入ると、クラスメイトたちが挨拶を返す。

 転校初日の彼らの態度は、最初は好奇の目を向けて、次によそよそしい態度となった。そして今は、どこかサクラに同情を寄せているようでもある。


(やっぱり金曜日のこと、みんな知ってるんやろなぁ……)


 当然そうである。

 不良のグループにサクラが呼び出され、そこにアカネが乱入して不良のリーダー格にヤキを入れた、と。だが、結局こういうエピソードは、アカネを怖い人のままにするだけであった。


(アカネちゃんはウチを助けてくれたんやでー)


 そう宣伝して回りたいのは山々だが、それはアカネによって止められていた。サクラにとってはもどかしかったが、結局そうした方がアカネにとって都合がいいのだろう。


「あー内田君!」


 サクラに呼ばれた男子生徒が振り返る。


「自分がアカネちゃんを助けに呼んでくれたんやろ?ほんま、おおきにな~」

「立花さん、どこも痛いところはないっすか?」

「ああん?」


 内田の目線が、サクラの体にどこか青アザがついていないかと探る。


「アカネさんなら神取先輩をなんとかしてくれるとは思ったっすが……すごいバトルになったそうじゃないっすか!火を吹く神取先輩をアカネさんが首投げして、瓦礫が飛び、大地にクレーターができているとか……」

「アホかい!怪獣同士の戦いちゃうねんぞ!」


 サクラは思わずツッコんだ。


「アカネちゃんはやさしーく神取先輩をビンタしただけやねん」

「でも神取先輩、今も家で寝込んでいるらしいっすよ?」

「仮病やろ」


 サクラは吐き捨てるように言う。


「でもさぁ、それならアカネさんが学校に来られなくなっているのはどうしてっすか?」

「それは……」


 サクラは誰も座っていない最後尾の座席に視線を向けた。アカネの席である。だが、今日は空席だ。そして、おそらくは明日も、明後日も。


「おっちゃんがうまいこと話つけてくれるはずやねんけど……」

「ん?立花さん?なんか言ったっすか?」

「あ、いや、こっちの話や」


 意味深なサクラの言葉に疑問をもった内田であったが、まもなく担任の教師が教室に入ってきたので、自分の席に移動した。


 放課後。

 城南高校空手部の面々は、いつものように今日も武道場で汗を流していた。


「あの……寺田先生?」


 そう呼びかけられた顧問の寺田が、ハッと我に返る。


「どうした?神埼」


 空手部三年の女子、神埼ヒカリは、寺田が構えているミットを見上げながら言った。


「その……私には高すぎます」

「そ、そうか!すまない!」


 ヒカリの身長は150cm。空手部の中では小兵だった。うっかりミットを高く構えすぎていた寺田がそれを下げると、ヒカリがそこへ回し蹴りを当てる。


「正面に、礼!!お互いに、礼!!」


 寺田の号令がかかり、その日の稽古が終了した。汗を吸って重くなった道着を着替えるべく、黒帯の男女がそれぞれの更衣室へと向かうが、正座したままなおも神妙な顔で沈黙している寺田に、ヒカリが声をかける。


「寺田先生、今日はどうされたのですか?集中力を欠いていましたが、なにか心配事ですか?上の空で稽古をつけられては、部員たちに示しがつきませんよ?怪我をしたらどうするのですか?」

「ハハハ、いや、あいかわらず神埼君は手厳しいな……」


 寺田はそう言って笑い飛ばそうとしたが、神埼はじっと寺田の目を見つめ、納得する返事が聞けるまで退かない構えを見せている。観念……というより、むしろこの問題は神埼ヒカリが適任ではないかと思った寺田は、マジメな顔つきに戻り、彼女に話し始めた。


「鷲田アカネ君を憶えているかね?」

「もちろんです」


 一年生の鷲田アカネ。誰あろう寺田が空手部へ勧誘すべく、ここに連れてきてヒカリと試合をさせたのは、ほんの2ヶ月ほど前のことだ。その時、ヒカリはアカネにノックアウトされている。寺田は、アカネがヒカリに勝てば空手部への勧誘をあきらめるという約束をしていたので、それ以来ここで彼女の名前を出すことはなかった。もっとも、アカネとヒカリが個人的に仲良くしていることまで、寺田が知っているかどうかはわからない。ただ、どちらにしろ寺田はアカネを気にはかけていたのだろう。


「アカネ君が謹慎処分となった」

「はい?何故なにゆえですか?」

「先週の金曜日、三年の神取君と喧嘩になったんだ。いや、喧嘩というのは違うな。同じクラスの転校生を守ろうとしたに違いない。その子がカツアゲされようとしていたのを」

「わかりませんね。それは名誉でこそあれ、罰を受けるべきことではないと思いますが」


 寺田からしても、それは同感である。遠くを見るような目つきをすると、先週の金曜日に、保健室へ呼び出された時のことを回想した。


 寺田が事件の事を知ったのは、当然、空手部の練習が終わってからである。養護教諭、いわゆる保健室の先生から寺田が助言を求められたのは、寺田が体育の教師でもあり、そして格闘技における怪我や故障に詳しいからでもあった。


「死ぬ~死ぬ~」


 左頬が赤く腫れ上がっている神取が保健室のベッドでうめいているが、寺田にはそうは思えなかった。無論、ここに運び込まれた時の様子から考えたら、念のため脳の検査は受けた方がいいが、おそらく大事ないだろう。


「君が神取君をここまで運んできたんだろう?ええっと……」

「はい。今日転校してきた立花サクラです」


 サクラが寺田に心配そうに尋ねる。


「なぁ先生、アカネちゃんは退学になるんやろか……?」


 寺田は鼻で笑った。


「まさか!もちろん悪質すぎる場合は別だが、ただ喧嘩しただけで退学にはならないよ。でなければ、うちの学校は毎日退学者を出すことになる。せいぜい、喧嘩両成敗。二人とも反省文を書いて終わりになるさ」

「せやけど、なんか教頭先生が言ってたんや。退学届を用意するゆうて……」

「まさか。そんな性急に処分を決めること自体が……」


 寺田が真顔になる。


「ありえないだろう。君、神取君を運んできたということは、何か事情を知っているんだろう?アカネ君が理由も無く人に暴力をふるうわけがないと僕は信じているんだが」

「知ってるもなにも、アカネちゃんはウチを守ろうとしてくれただけなんや。……けど、あいつらズルいねん。神取先輩の取り巻きの二人、きっと今頃、有る事無い事ベラベラと、校長に告げ口しとるで」

「ありそうなことだ」


 寺田は苦い顔をする。神取の父親が市会議員であることで、ずいぶんと寛大に処されていることは、この学校の教師なら誰もが知っている。だが、学校という場所は、公明正大であるべきだ。罰せられるべき者が裁きを受けず、罪なき者が罰せられるようではいけない。寺田はメモの用意をし、なすべきことをなそうと考えた。


「立花サクラ君、その時の詳しい話を聞かせてほしい」


 寺田が大股で校長室に踏み込んだ時、校長は電話の受話器を持ってヘコヘコと誰かに頭を下げ、その横に立つ教頭は、まさに招かれざる客を見る目を寺田に向けた。そんな大人二人を前にして、鷲田アカネは憮然とした表情のまま、じっと前だけを見つめている。校長が受話器を下ろした瞬間、すぐに寺田は食って掛かった。


「電話の向こうにいる神取の父親が市会議員だというだけで、アカネ君を退学にするのですか!?」

「なんだね寺田君!?その口の聞き方は!?」

「まぁまぁ教頭先生も落ち着いて。それに寺田先生」


 校長が続ける。


「なにも退学と決まったわけではない。あくまで、可能性としてだがね……その……なにぶん傷害事件ですからなぁ、これは。処分をしないというわけにも……そう、この学校の信用問題にもつながるし……」


 歯切れの悪い校長の言葉に寺田はイライラを募らせる。


「喧嘩両成敗というものでしょう!学生同士の喧嘩なんて、頻繁にあることです!それとも、毎日殴り合いをしている我々空手部を、全員退学にでもしますか!?」

「君ぃ!それは詭弁というものだよ!?」


 教頭がヒステリックな声でわめく。そして、歯切れの悪い校長の言葉がそれに続く。


「いやまぁ……喧嘩ならそうかもしれないが……どうにも一方的に鷲田さんの方がねぇ、殴っているみたいだし……」

「そうなんだろう!?鷲田君!」

「はい」


 教頭の問いに、アカネが短く答える。実際、アカネの体には、それらしい傷はない。取り巻きの二人に蹴られたせいか制服に泥が付着しているが、その理由をごまかすことくらい、あの二人ならお手の物だろうと寺田は思った。


「校長先生と教頭先生は、なぜアカネ君が神取君を殴ったのか、理由は聞いたのですか?」


 寺田の問いに、教頭が憤然として答える。


「理由なんて問題にはなりませんよ!?問題なのは、神取君が一方的な暴力によって怪我をしているということです!」

「怪我?」


 寺田が眉を釣り上げる。


「アカネ君が本気を出していたら!今ごろ神取君は保健室のベッドではなく、病院の集中治療室に入っていますよ!!」

「て、寺田先生。落ち着いてください」


 教頭がヒステリックな声をあげる前に、アカネの方が寺田を制止した。


「かばってくれて、ありがとうございます。嬉しいです。でも、アタシが悪いことをやったのは事実ですから」

「いいや!落ち着かないね!そうはさせるものか!君一人が悪いことにして、この場を収めようなんて!」


 寺田は懐からメモ帳を取り出した。そこには、立花サクラから聞いた、その時の状況が書き連ねてある。


「よく聞いてくださいよ?」


 寺田はそう前置きをして語り始めた。アカネの耳にも当然入るが、彼女からしても、そこに多少の同情はあれど、大きな間違いは無いように思えた。


「えーっと……その……あれだねぇ」


 寺田の説明を聞き終えた校長が口を出す。


「つまり……立花サクラさんは、本当にお金をとられたわけではないんだろう?」

「なっ!?」


 寺田は思わず「馬鹿かアンタは!?」と叫びそうになるのをグッとこらえた。


「それにナイフを突きつけただって!?我々はそんな物が見つかったなんて聞いていませんよ!それに、神取君の友人たちの証言と、ずいぶん食い違っているようですがね!?」

「そうやって突っ立ったままの教頭先生は、現場を自分の足で確かめてみたのですか!?」

「何を失礼なことを!?」


 教頭が叫ぶ。


「警察沙汰にしないだけ、ありがたいと思うべきですけどね!?」


 その言葉を聞いた時、寺田はハッと気がついた。そうだ、なぜ今まで気づかなかったのだろう。


「警察を呼んでください」

「は?」


 校長たちが、同時に困惑する。


「こうして話していても、埒が明かないでしょう!それなら、警察にしっかりと調べてもらえば……!」

「君、何を考えているのかね!?」

「わ、我が校の信用というものが……」


 寺田が机の上にある電話機を使おうとすると、大の男三人による受話器の奪い合いが始まった。しかし、二人がかりとはいえ、空手部顧問の体育教師である寺田にかなうわけもなかった。受話器をひったくった寺田は、すぐさま110番を押す。だが、電話は何の反応も示さなかった。


「あ……アカネ君!?」


 いつの間にかアカネが、電話線を壁から引き抜いていた。それを投げ捨てると、アカネは慇懃に校長たちに頭を下げる。


「短い間でしたが、お世話になりました」

「待ちなさい!アカネ君!」


 校長室から出ていくその肩を、寺田が引き止める。


「こんな終わり方でいいのか!?君にも、将来というものがあるんだぞ!」

「アタシの将来……」


 アカネが振り向くと、その悲しげな顔を見て、寺田は言葉を失った。


「アタシの将来って、何なんでしょうね……?」


 走り去るアカネの背を見送った後、寺田は校長室へ引き返して吠える。


「あんたらは教員失格だ!!」

「まあまあ、寺田先生。どうか落ち着いて」


 急に態度を軟化させた教頭が手を向けて寺田の勢いを抑えようとした。校長もまた態度を改める。


「そうですねぇ……まぁ……双方の言い分に食い違いがあるようですし……ここはひとまず、鷲田さんには謹慎をしてもらって、その……反省してもらえたら、それで……」


 ヒカリに経緯を話し終えた寺田は、その時のことを思い出して腹が立っているようだ。そして、その気持ちはヒカリも同じだった。


「結局、アカネさん一人が罰を受けているだけじゃないですか!」

「ああ、まったくだ!退学にはならなかったので、うっかり安心してしまったが、まるで喧嘩両成敗にはなっていない」

「かくなる上は神取を、二度と学校へ通えないように足腰立たなくしてやるしか」

「待て!待て!」


 急に赤穂浪士のような事を言い出すヒカリを寺田が制止する。


「間違ってもらっては困る」

「そうでした。やはりここは校長と教頭の足腰を立たなくしてやる」

「違うってば!」


 女大石内蔵助をやっと落ち着かせた寺田は、本当に頼みたかったことをヒカリに告げた。


「君に頼みたかったのは他でもない。アカネ君のアパートまで行って、様子を覗いてみてほしいんだ。気丈な性格をしているが、ああ見えても滅入っているはずだ。この事だけではなく、友人の糸井アヤ君が失踪してから、まだ何の糸口も掴めていないし……」

「ふむ……」


 寺田の心遣いに、ヒカリは意外そうな顔をする。


「お安い御用ですよ」

「すまないな。だが、かつて拳を交えた君ならば、きっとアカネ君とわかりあえるだろう」


 更衣室で着替え終わったヒカリは、早速バス停に向かおうとした。だが、下駄箱で見ず知らずの男性に声をかけられる。


「すみません、そこのお嬢さん」

「はい?」


 褐色の肌をした背の高いスキンヘッドの男性が、片眼鏡モノクルを光らせながらヒカリを見下ろしている。


「あなた、誰ですか?部外者は立ち入り禁止ですよ」

「驚かせてしまって申し訳ございません。ワタクシは立花サクラ様の……身内の者でございます」

「ああ、あなた立花さんの……」


 その男性の背後には、ひまわりをあしらった小さなバッジを付けた男が立っている。要件を察したヒカリは、廊下の向こうを指さした。


「職員室でしたら、この先です。校長室は、職員室の奥にあります」

「感謝いたします。親切なお嬢さん」


 慇懃に頭を下げた執事を見送った後、ヒカリはバス停まで走っていった。


「な、なんですかアナタたちは!?一体誰の許可を得てここに入っているんです!?」


 教頭のヒステリックな声が職員室を満たしたのは、立花家の執事と、彼に従うもう一人の男性が入室してきたからだ。だが、その声を聞いた校長が、奥の部屋から青ざめた顔を覗かせる。


「いいんです、教頭先生。こちらへ入ってもらってください……」

「え?どうして?」

「成田さんから電話がありまして……」

「成田さんって誰です?」

「馬鹿者!」


 急に怒鳴る校長に、教頭が面食らう。


「県議会議員の成田さんに決まってるだろ!」

「ひっ!?」

「あの、失礼します」


 狼狽する教頭に、執事についてきた男が名刺を差し出した。


「私、弁護士の丸山と申します」

「え、弁護士」

「はい。あなたがたが鷲田アカネさんに対して行った謹慎処分について、少しお話しをうかがいたいと思いまして」

「へーえ?」


 青ざめる教頭の顔を見て、執事のトーベ・ウインターは、誰に言うでもなく、一言つぶやいた。


「目には目を……でございます」


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