ヤバい人にはもっと怖い人をぶつける時
サクラが、二人の先輩が宣言した通り、校舎の裏側まで連れて来られると、そこに一人の女子生徒がいた。
三年の神取である。
背はサクラより高い。身長165cmくらいに見えるが、これは日本の女性の平均身長より5cm以上高い。ウエーブのかかったロングヘアは金髪だが、先端だけショッキングピンクのグラデーションになっていた。
「ごめんね〜サクラちゃん。こんなところまでわざわざ来てもらって〜」
そう言ってニコッと笑うが、その前歯が黄ばんでいるところから察するに、常習的に喫煙をしているようだ。
「あたし神取っていうの。この学校ではそこそこ有名なつもりよ。よろしくね、サクラちゃん」
そうネットリした口調で言うと、取り巻きである二人の女子の一人が、挨拶を促すようにサクラを小突いた。
「はい!神崎先輩!よろしくお願いします!」
サクラが大声で頭を下げると、取り巻き二人が凍りついた。
「おい!貴様!」
「う〜ん、いいのよ」
名前を間違えられた神取が苦笑する。
「でも姉御!こいつ名前を……」
「あたしがいいって言ったのが聞こえなかったの?」
「あ、はい!すいません!」
一瞬真顔に戻った神取の言葉に、取り巻きは冷や汗を流す。やがて神取は再び笑顔でサクラに語りかけた。
「あたしは神取よ。神崎じゃないわ。あなたは今日転校してきたばかりだから、一回だけは許してあげる。でも、三年に神崎という女が別にいるから、今後は間違えないように気をつけてね」
そして、その神崎と神取は、犬猿の仲であった。空手部の神崎は真面目さが服を着て歩いているような人間だ。不良の神取と気が合うはずがない。
「すみませんでした神取先輩!今後は気をつけます!」
再び大声で頭を下げるサクラに、神取は満足そうに目を細めた。
「う〜ん、いいわねぇ。素直な子は好きよ」
「おおきにです!ところで……先輩は何部の人なんですか?」
「は?」
意味がわからない神取に、取り巻きの一人がサクラの勘違いを耳打ちする。
「うふふふふ、違うのよサクラちゃん。あたしらは部活の勧誘をしたいわけじゃないの」
「はい?ほな何ですの?」
「お友だちになりたいだけ」
「お友だちに!」
サクラが目を輝かせた。
「いや〜!ごっつありがたい話ですわ〜ウチこの学校に来て正直一人で心細かってん、先輩方とお近づきになれて光栄です!」
そんなサクラを横目に見ながら取り巻きが神取の耳にささやく。
「ね。世間知らずでしょう」
それを聞いた神取が鼻で笑った。
「ねぇサクラちゃん、友達づきあいで最も大事なことって何だと思う?」
「はて、なんでっしゃろ?嘘をつかないとか?」
腕を組んで頭をひねるサクラに、神取は優しく語りかける。
「それもあるわね。でも、一番大切なのは……そう、敬意を払うことよ」
「はぁ……敬意ですか」
神取が腕をそっとサクラの肩に回して、彼女に耳にささやくようにして言う。
「ねぇ、サクラちゃん。転校初日からお高いベンツで送り迎えしてもらったり、お昼休みにメイドと執事に豪華な食事を運びこませる。……そういうのって、ちょいとばかし三年の私たちに対して失礼なんじゃない?一年ごときが……」
「え、そうなんですか!?」
サクラが驚く。
「そういえば、クラスのみんなも、なんかその後からウチに対してよそよそしくしてたような……?」
「そうそう、そういうことよサクラちゃん!飲み込みが早くて助かるわ〜」
「ええっと、どうしたらええんでしょうか!?神取先輩!?」
「ちょっと声が大きいわよ」
すんまへん!と謝るサクラから、神取は迷惑そうな顔をして離れた。神取はタバコを取り出して火をつけると、煙を口から噴き出しながら話を続ける。
「どうしたらいいか?簡単よ。サクラちゃんが車やお料理にお金をかけるのと同じように、あたしたちにもお金をかけてくれたらいいの。そうね、お友だち料ってこと」
「お友だち料?」
サクラは何度も首をかしげる。
「初めて聞いた言葉やさかい、相場がわからへんなぁ」
「払うのかよ!?」
信じられないとばかりにそうつぶやいた取り巻きの一人を、神取が鋭い視線で制する。
「100万円でどう?サクラちゃん」
しばらく考えてから値段を提示した神取の言葉にサクラが驚く。
「100万円!?」
「そう。一ヶ月につき100万円よ」
「姉御……」
取り巻きたちがニタニタと笑う。こうして金を持った人間を嬲るのは、本当に上手いなと感心しているのだ。立花財閥の一人娘として、どうしても払えない金額では無いが、冗談には聞こえない程度の金額。少なくとも、取り巻きたちにはそう感じられる金額であった。
「ねぇ、悪い話ではないでしょ?そうやって敬意さえ示してもらえたら……あたしたちはサクラちゃんのお友だちでいられるし、あなたがフェラーリで登校しようが教室でフィレステーキを食べようが、文句は言わないし、言わせないわ。誰にもね」
「100万円か……全然ウチの貯金じゃ足りへんなぁ」
その言葉に神取はニタニタと笑う。金額を提示した神取でさえ、まさか毎月本当に100万円を取り巻きと山分けできるなどとは考えていない。当然、本当に払えるであろう金額より上を提示している。神取が期待しているのは、サクラがここから『友だち料』をどう値切ってくるかだ。もちろん、値切る過程で土下座させたり、靴を舐めさせたりする。そうやっていい気分になった上でそれなりの現金を手にするわけだから、これ以上の快楽は無かった。
「足りないって……どういうことかしらねぇ〜?とりあえず、今日は金曜日だから、来週の月曜日には100万円を持ってきなさいよ。それさえ払えたら見逃してあげるけれど、もしも1円でも足りないっていうなら、ちょっとした罰ゲームを……」
「えっ!?とりあえず100万円でいいんですか!?」
「……うん?」
サクラの奇妙な口ぶりに神取が怪訝な顔をする。
「ねぇ、さっきあなた『足りない』って言っていなかった?どういうこと?100万円には足りないってことじゃなかったの?」
「はい、足りへん言うてたのはですねぇ……」
サクラは自分の財布から、一枚のクレジットカードを取り出した。そのカードを見て、取り巻きが息を呑む。
「ブラックカード!?」
最上級グレードのクレジットカードである。そんなものは、ドラマや映画を除けば、神取も含めて、不良三人組は見たこともなかった。
「このカードのキャッシュ上限額が2000万円しかあらへんから、足りへん言うてたんですわ。ウチはこの学校に3年通うつもりやさかい、3年かける12ヶ月で3600万円でっしゃろ?ウチがおらんかった4月と5月の分を引いても3400万円やからなぁ〜、全然足りへん思うたわけです」
「な、なによそれ!?舐めてるのあなた!?」
「ちょ、ちょっと姉御!」
サクラに掴みかかろうとする神取を、取り巻き二人が慌てて止める。
「落ち着いてくださいよ姉御!」
「別にこいつ金を払わないって言ってるわけじゃあないんですから!もらえるものはもらっておきましょうよ」
「あたしが金をもらいたくて、こんな事をやってると思っているなら、大間違いよ!」
サクラがその様子を、どこか申し訳なさそうな目で見つめている。
「あの〜すんまへん。何かお金のことで揉めとるんですか?もしかして、4月と5月の分も払わんとあかんのですかね?来週の月曜日には300万円持ってくるさかい、それでどうかひとつ……」
その言葉に、神取の堪忍袋の緒がキレた。神取は金をせびりに来たわけでは無い。この金持ちアピールをする生意気な一年に、少しばかりヤキを入れたかっただけだ。今さら金額を上げるわけにはいかない。それは神取のプライドが許さない。だが、このように立場を逆転されれば、それはそれで神取の立つ瀬が無かった。
「このガキがぁ!」
「ひぃ!」
神取が折り畳みナイフを出したことで、彼女を抑えていた取り巻きたちが慌てて離れる。手に持った凶器をギラギラ光らせながら、神取はサクラに迫った。
「な、なんや先輩!?急にどないしたんや!?」
「最初から……こうすれば良かったのよ。金持ちだからって、いい気になりやがってよぉ!」
神取は口に咥えていたタバコを吐き捨て、ナイフの切っ先をサクラに向けてがなりたてる。
「こらあっ!まずは土下座しろや一年!それでテメェのその白い肌によ〜一生忘れられない友情の証を刻んでやるよ!」
「そ、そがいな無茶な話があるかい!?」
ついに神取たちが自分に対して害意を持っていると悟ったサクラがそう叫ぶと、誰かがそれに同意した。
「ええ、もちろんそんな話はありえないわ」
「ハッ!?」
不良三人組が同時に振り返ると、そこに鷲田アカネが立っていた。夕陽を背にして立っているアカネの顔は逆光でよく見えない。よく見えないが、サクラから見れば、女の子のするような顔ではないように見えた。
「あら〜アカネちゃんじゃな〜い!」
最初こそ驚いていた神取であったが、すぐにナイフをしまい、ニタニタとした顔をアカネにむける。
「やっと会えたわねぇ。あなたってばいつも学校が終わったらすぐ帰ってしまうんだもの、お話できなくて寂しかったわ〜」
「話すことなんて何もありませんよ」
けんもほろろにそう返すアカネの目を見ながら、神取は新しいタバコに火をつける。
「もう、意地悪ねアカネちゃん。あたしはねぇ……あなたがあのクソチビの神崎をぶちのめしたと聞いた時から、ずっと目をかけていたのよ〜?ねぇ、あたしたちと連みましょうよ。あなたもあたしたちと同じように、クラスメイトと連むのは苦手なんでしょ?それとも……」
神取はそっとアカネの前髪をかき上げた。
「良い子ちゃんぶってあたしたちに説教をしに来たわけじゃあないわよねぇ?」
そして神取は、咥えていたタバコを指で挟み、その火をアカネの額の生え際に押しつける。ジュウという焼ける音がすると、取り巻きたちは思わず声をあげて笑った。
「……えっ?」
まず驚いた顔をしたのは、タバコの火を押しつけた張本人である神取であった。アカネは微動だにしなかったのだ。顔色一つ変わっていない。そしてその目は、アカネがこれからする行動が『説教』の段階をすでに超えていることを、不良たちに悟らせるのに、そう時間はかからなかった。
余談だが、このエピソードを後から知った西ジュンコは、お腹を抱えて笑った。
「こりゃ傑作だねぇ!日本の不良というのは、いわば暴力を背景にして利益を得る者たちなのだろう?まぁ、知らなかったのは仕方がないが……」
そう言って一口だけマグカップのコーヒーを飲む。
「そんな彼らが、暴力の化身みたいなアカネ君に喧嘩を売るとはねぇ」
「おらっ!」
「!?」
校舎裏にするどい破裂音が響いた。鋭い痛みを頬に感じた神取は思わずタバコを落とす。
「え?何が起こった?」
「ビンタ……のように見えたけど」
取り巻きたちがそんな事を口にすることで、神取はやっと自分が受けた仕打ちに気がついたようだ。
「このガキが……ちょっと熱いのが平気だからっていい気になりやがって!あたしを誰だと思ってるのよ!?」
「ただの不良でしょ?」
アカネがこともなげに言う。
「アタシも、クラスメイトからいわゆる不良のレッテルを貼られている。クラスのみんなと馴染めていないというのは、その通りよ。けどねぇ、あんたたちとは違うわ!そのクラスメイトから『転校生の友だちを助けて』と言われて、それを無視するほど落ちぶれちゃいないのよ」
「転校生の友だち……」
その言葉にサクラが感動していると、神取はまたしても折り畳みナイフを取り出した。
「イキがってるんじゃあないよ!」
そうしてその刃をアカネの首筋に当てる。
「空手じゃあテメェの方が上手なんだろうがよ〜!刃物相手に空手が役に立つわけがねぇよな!今なら土下座して、靴を舐めて、有り金全部出せば許してやるよ!そして今後はテメェはあたしたちの奴隷だ!わかったか!?」
そう言われたアカネは、返事のかわりに、ナイフの刃を左手で握った。
「バカ!」
「何考えてんだ!?本物なんだぞ!神取さんがナイフを引っ張ったら、指が落ちるぞ!?」
取り巻き二人の方が慌てている。
「あたしにそんな事ができないと思っているな!?あたしの事を舐めているな!?あたしを舐めているテメェのようなガキは……」
神取がナイフを持つ手に力を入れる。
「テメェはもう、空手ができないようにしてやる!!」
そう叫びながら、ナイフを無茶苦茶に引っ張った。ナイフの刃を握るアカネの手がガクガクと揺さぶられる。だが、その指が切り落とされるどころか、血の一滴さえ流れ出なかった。
「なに……これ……!?」
と神取。
表情にこそ出さないが、実は驚いているのはアカネも同じだった。
(握力が100kgを超えると、こんなこともできるのね)
そう内心でつぶやく。
「おらっ!」
「うっ!?」
再びアカネのビンタが炸裂すると、神取の手がナイフの柄から離れた。そのナイフを、アカネは無造作に植木の茂みに投げ捨てる。
「ま、待ちなさいよ!あたしは市議会議員の娘なのよ!あんたなんか簡単に退学させ」
「おらっ!」
破裂音が響く。
「親父があんたなんか」
「おらっ!」
「議員なのよ!あたしの」
「おらっ!」
「偉い」
「おらっ!」
「ちょっと、いいかげんにしろよテメェ!」
とうとう見ていられなくなった取り巻きたちがアカネを止めようとする。だが、アカネは服を掴まれようが、背後からパンチや蹴りを受けようが、止まることなく神取に制裁を続ける。
「おらっ!」
「ひいいいいっ!!」
すっかり左頬が腫れ上がった神取が、ぬかるんだ地面に手と膝と額をつける。土下座である。取り巻きたちも思わずアカネを攻撃する手を止めた。
「すみませんでした!もう勘弁してください!もうアカネさんには何もしませんから!」
「アタシに……?謝る相手が違うんじゃないかしら?」
「へっ?」
そうして顔を上げる神取と、何を言ったらいいのかわからないサクラの視線が交差する。
「で……でもあたしはコイツに……いえ、サクラさんには何もまだしていません!お金もまだ取っていないし、なにも暴力なんて、そんな……」
「わからない人ねぇ」
アカネが呆れたような声を出す。
「正直、あなたたちが小銭をたかるくらいなら見逃してやろうとも思ったわ。でも、何なの?100万円の金を要求したあげく、気に入らないからナイフを突きつける?……そういうのは、すでに『暴力』の範疇に含まれているのよ。こんなふうに……」
アカネが右手を振り上げると、神取の表情が凍りついた。
「お願いやめて!!それだけは!!」
「おらああっ!!」
「ひぇっぶ!?」
ひときわ気合の入ったアカネのビンタをくらった神取は、首ごと吹き飛ばされるように植木の茂みにつっこみ、上半身が見えなくなった。それを見届けた取り巻き二人は、悲鳴をあげて走り出す。
「ば、化け物!」
「せ、先生に!先生を呼ぶんだよ!」
そんな二人の背中を、サクラは呆れながら見送った。
「こんな時だけ先生に頼るんかい。ほんまに無茶やなぁ」
「あ、アカネちゃん!」
くるりと背を向けて立ち去ろうとするアカネをサクラが呼び止める。
「ほんまに何て言うたらええか……すんまへんでした!このお詫びは、なんぼ払ってもええわ。好きな金額を」
「見くびらないことね」
「!」
アカネはするどい視線を向ける。
「立花さんを助けてほしい。そう私に走ってきた内田君は、べつに見返りなんて求めていなかったわ。内田君を動かした女子たちも同じ。あの子たちにお金を払ったわけじゃないでしょ?みんな好きでやったのよ。アタシと同じようにね」
「アカネちゃん……」
「でも、これに懲りたら、あまり目立つようなことはしないことね。アタシみたいに、目立ちたくなくても目立ってしまうのは仕方ないけれど、みんなの気持ちも考えてあげなきゃ。友だちとして……ね?」
「なぁ、そしたら、ウチとアカネちゃんも友だち……ってことでええんか?」
その質問にアカネは思わず笑った。
「なによ。友だちって、宣言しなくたって、勝手になるものでしょ」
「アカネちゃん!」
だが、アカネはすぐにするどい目つきに変わり、どこかへ歩いて行こうとする。
「待ってーなアカネちゃん!どこ行くねん!」
「さすがに、このまま帰るというわけにはいかないでしょう。職員室へ行くのよ」
「なぁ、ウチはどうしたらええ?」
「そうね」
アカネは茂みにつっこんで、今もまだぐったりと動かない神取を指さす。
「保健室に運んでくれない?この人も、放置しておくわけにもいかないでしょう」
「そ、そうか!わかった!」
サクラの返事を聞いたアカネは夕焼け色に染まりながら、その場を後にした。
「アカネちゃ~ん!おおきになー!おおきになー!!」
その大きな背中に手を振ったサクラは、やがて神取の体を軽々と抱えあげてつぶやく。
「なるほど、女子からラブレターをもらうんもわかるわ。とんだ女たらしやでぇ……」
納得するような、呆れているような、あるいは自分自身が惚れているような、そんな声色であった。




