光る雷鳴に親の仇を見た時
とある大きな屋敷である。
その日は朝から激しい雨が降り続いていた。梅雨入りと発表されてからもう久しい。落雷の音によって、少女が目を覚ます。
「……うん?」
中学三年生の、女の子である。天蓋付きの豪奢なベッドから起きた彼女は、ボサボサした明るいブラウンの髪を掻き回しながら、ライトを持って自分の部屋から出た。
「お父ちゃん……まだ帰ってへんのやろか?」
時計は深夜0時を過ぎている。
彼女の父が、仕事で帰りが遅くなること自体は、珍しいことではなかった。だが、今日は特別な日である。少女がとあるオーディションに合格したのだ。念願の夢が叶う、第一歩を踏み出せたのである。
「そうか、そうか」
夕方にそのことを電話で報告した時、この古風を好む父親が珍しく笑った。
「では、お祝いをしなければならないな。今日は早めに帰ることにしよう」
晩餐は豪華なものだった。ローストチキン、ラム肉のソテー、サーモンのカルパッチョetc.
少女の好物であるチーズケーキがメイド長の手で切り分けられるが、少女はどこか浮かない顔だった。そこに父の姿がなかったからである。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
老齢のメイド長が少女にささやく。
「きっと、何かどうしても外せない仕事ができたのです。しかし、必ず帰って来られますよ。あなたは大事な大事な、ただ一人の跡取り娘なのですから」
そして現在、深夜。
普段は慌ただしく屋敷の廊下を歩き回るメイドたちの姿はない。
「お父ちゃん……?」
少女は父親の寝室を開けてみる。だが、中には誰もいなかった。
「なんやねん。遅くなるなら、そう言うてくれてもバチは当たらん思うけどな」
その時、少女はふと物音を聞いた。
「なんや?」
父の書斎からだ。少女はためらうことなく扉を開ける。そこで見たのは、
「お父ちゃん!?」
彼女の父親の、体だった。
少女の父は口をあんぐりと開け、書斎の椅子にもたれている。だが、その顔に生気はなく、目を見開いたまま硬直していた。そんな父親の顔に、誰かが手をあて、そのまぶたを閉じさせようとしている。
「だ、誰や!?あんた!?」
雷鳴が轟き、その光が、漆黒のドレスに身を包んだ少女の顔を照らす。氷の表情で立ち尽くす彼女の右手には、魔法少女の印である、黒い宝石の付いた金の指輪がはめられていた。
「あんたがやったんか……!?あんたが、ウチのお父ちゃんを……!?」
少女はやがて開きっぱなしの窓に近づき、そこから音も無く跳躍して闇に消える。その背中を追いかけた少女が、闇の中に叫んだ。
「人殺しー!!人殺しー!!うわああああああっ!!」
少女は冷たくなった父親にすがりついて泣く。
「……今に見とれよ。必ず、必ず見つけだして、お父ちゃんの仇を討ったる……待っとれよ……!」
「ハッ!?」
少女がベッドで目を覚ました。あの時と、同じ、天蓋付きの豪奢なベッドで。
(なんや……またあの夢かいな……)
少女が父を失って、すでに一年が過ぎていた。少女もまた、今は高校一年生である。誰かがドアをノックしたので、少女が返事をした。やがて、褐色の肌をした背の高いスキンヘッドの男性が部屋に入り、モノクルを持ち上げながら主人に挨拶する。
「おはようございます、お嬢様」
外国人にしか見えないその執事が、流暢な日本語で続ける。
「早いお目覚めで、なによりです。今日から新しい学校。転校初日から遅刻するわけにはまいりませんからね」
「……なぁ、おっちゃん」
「はい、何でしょう?」
「お父ちゃんも、城南高校に通ってたんやろ?」
「はい、ワタクシもそう聞いております。あえて庶民と同じ学び舎に通い、下々の心を知るのが、あなたの曽祖父の代からの家訓であると」
慇懃に答える執事が、珍しく口数が少ない少女に尋ねる。
「また、夢をご覧になったのですね。お父上が亡くなった日のことを」
「うん……」
執事はそれを聞くと、すぐに部屋から出る用意をした。
「しばらくは、一人になりたいでしょう。朝食はすぐに準備させますので、いつでも……」
執事が退室した後、少女は窓の外で降り続いている雨を眺めた。
「こないにザーザー雨が降ったら……やっぱり、思い出してしまうわぁ……」
少女の両目から、涙がこぼれた。
(今日もよく降るわね)
バス停に立っていた女子高生が、無骨なメンズデザインの傘に落ちる雨音に耳を傾けていた。
登校時間である。
バス停には彼女の他に何人もの女子高生達や男子生徒達がいた。それぞれが複数人のグループに分かれ、好きなドラマの俳優や流行しているJPOP、そして今日から来るという転校生について話している。しかし、彼女だけがただ一人、他の学生達からは遠巻きにされていた。どうしても近寄り難い雰囲気があったからだ。
まず背が高い。身長は170cmもある。高校一年生の女子としては破格の身長だ。端正な顔立ちは、美人というよりもハンサムと形容する方が適切に思える。赤みがかったロングヘアを後頭部で結んでいるが、その位置が高すぎるためか、ポニーテールというより、本人の雰囲気も相まって、生まれる時代と性別を間違えたサムライのようだった。
鷲田アカネである。彼女は決して、無愛想というわけではないし、根は親切だが、それを知る者は少ない。いや、もういないと言っていい。彼女の本質に気づいていた親友、糸井アヤはいなくなってしまった。そして、もう一人。
(ツグミちゃん……どこ行っちゃったのよ……)
村雨ツグミ。もう一人の親友もまた、今は行方が知れない。
彼女の正体は暗闇姉妹トコヤミサイレンス。人でなしに堕ちた魔法少女を始末する処刑人だ。過去の記憶に苦しみながらも、偶然出会った不思議な少女、一文字ツバメと打ち解け、つかのまの幸せな日々を過ごしていた。だが、その妹のような存在を、ツグミ自身の手で殺すことになる。暗闇姉妹としての使命を優先した彼女の、幸せな日々は終わったのだ。
(辛いわよね……)
別の親友、和泉オトハは、ツグミが失踪することを予想していたようだ。自分がトコヤミサイレンスであることで、周りを不幸にしていると考え、誰のそばにも近寄らないようになるのではないか、と。
「でも……一人ぼっちは寂しいわよ?」
その言葉が耳に入った男子学生が、信じられないものを見るような目でアカネに振り向く。アカネは「なんでもないわよ」と言って、傘で顔を隠した。
学校に最寄りのバス停から降りると、雨はすでに止んでいた。ぬかるんだグラウンドで朝練をさせられる野球部を気の毒そうに眺めながら、アカネは階段を上がり、自分の教室に入った。名字が、わ行であるアカネは、席順が窓際の最後尾である。その席にどかりと座り、足を組んで窓の外さえ眺めていれば、誰に話しかけられなくても時間を潰すことができた。
「……?」
だが、今日だけは奇妙なことに、アカネ以外のクラスメイトたちも、競うように窓の外を見ている。怪訝な顔で視線を動かしたアカネは、校門の前に一台の黒い自動車が停まっているのに気づいた。
「なによ?あの車がなんだっていうの?」
「アカネさん、知らないっすか?」
話しかけられた男子生徒が熱っぽく語る。
「今日うちのクラスに転校生が来るっすよ!あの車に乗って来たっす!」
「……それで?転校生が来たくらいでみんな目の色変わりすぎなんじゃない?車で通学する生徒だって、珍しくないでしょ」
「ベンツですよ!ベンツ!あの黒い車!いくらすると思ってるっすか!?」
「さあ?」
当然のように首をかしげるアカネを見て、その男子生徒は話す相手を間違えたことを悟り、別の生徒のところへ移動した。
アカネは再び校門前に視線を移す。車から一人の少女が降りた。ボサボサした明るいブラウンの髪を、首の後ろで無造作に束ねている。車の運転手から何か注意されているようだが、少女はかまわず水たまりを踏んで校庭を歩いていった。
「ふーん。ただの箱入り娘ってわけでもなさそうだけど」
アカネは、それ以上の興味はもたなかった。少なくとも、この時までは。
「はじめまして!ウチは立花サクラです!大阪の方から来ました!みなさん、よろしゅう頼んます!」
担任の女性教師に促され、サクラがそう自己紹介をすると、教室がにわかにどよめいた。
「え、関西弁?」
「それに立花って……あの立花財閥か!?すげー金持ちの!」
「しかし、なんか想像していたお嬢様キャラとはちがうというか……」
「はーい!静かに!」
担任がそう言って手を叩く。
「みなさん、いろいろと立花さんのことが気になるでしょうが、授業を始めますよ!」
「あの、先生?」
サクラが質問する。
「ウチはどこへ座ったらええんや?」
「あーそうですねぇ」
担任が教室を見回す。
「とりあえず、一番後ろの席に座ってもらえますか?そう、あの子の隣にでも」
「ほんなら」
サクラは気軽に承諾したが、教室のクラスメイトたちが青ざめる。彼女が座らされるのは、よりにもよってアカネの隣だった。まるで体中にバターを塗った裸の美女が、ライオンの檻の中へ入っていくのを見届けるような視線がサクラに集中する。だが、当のサクラはそんな視線を意に介していないようだ。ニコニコしながらアカネに話しかける。
「立花サクラやで~」
「さっき聞いたわ」
「自分はなんていうんや?」
「鷲田アカネ」
「ほな、アカネちゃんか~」
「……立花さん。授業が始まるわよ」
うんうん頷きながらサクラが黒板の方へ向いたので、それ以上会話は続かなかった。そのことに、クラスメイト一同はホッとしたようである。
正午のチャイムが鳴った。生徒たちが昼食を食べる時間である。
「ねぇねぇ立花さん」
「あん?」
女子生徒に袖を引かれたサクラが振り向く。
「お昼ごはん、私たちと一緒にたべない?ほら、机を移動させて……」
「ああー、ほな、そうしようか」
サクラが自分の机を持ち上げ、すでに同じように固まっている女子グループの中にまじる。
「ねぇ、立花さん……悪いことは言わないから、あんまり鷲田さんと絡まない方がいいよ?」
「え、そうなんか?なんでや?」
「しっ!声が大きい……」
女子の一人が小声でサクラを制する。
「良くない噂をみんな知っているからよ。悪い大人と付き合っているとか、料金以下のマズい飯を食わせるレストランには金を払わないとか……それに最近も、空手部の三年生に試合を挑んでぶちのめしちゃったの。可哀想にその先輩、今も頻繁に病院へ通っているそうよ」
「ふーん。それで、自分らもなんかされたんか?」
「えっ?」
サクラの質問に意表を突かれた女子グループの面々が互いに顔を見合わせる。
「いや、べつにそういうわけでもないけれど、なんというか、近づきがたいというか……」
「不良ってわけでもないわよね。何か聞いたら普通に答えてはくれるし。目が怖いけれど」
「そういえば、隣のクラスのトモコが、ラブレターを鷲田さんの靴箱に入れているのを見たわ!」
「えーっ!?」
そんな女子グループにサクラがニコニコしながら口を挟む。
「なんや~自分ら。食わず嫌いしとるんちゃうか?なんぼ見た目が怖ぁても、話しかけてみたら案外ええヤツかもしらへんで」
「食わず嫌い、ねぇ……」
女子の一人が返答に困っていると、別の女子がサクラに尋ねた。
「ねぇ立花さん。そういえば、あなたの弁当は?」
というのも、先ほどからサクラは手ぶらなのである。弁当を出そうとしないし、そもそもそれらしい包みが見えない。アカネでさえ、飾り気のないアルミの弁当箱を開き、無言で白米と唐揚げをつついているというのに。
「ああ、ウチのはもうすぐ届くと思うで~」
「え、届く?……あっ!」
女子グループがポカンとしていると、教室のドアが開き、スーツを着た背の高い男性が入ってきた。褐色の肌をしたスキンヘッドの男性がクラスメイトたちに会釈する。
「お邪魔いたします。お嬢様、昼食の支度が整いました」
「ああ、おっちゃん!こっちやで!」
サクラが男性に手を振る。その横で、女子生徒がサクラに尋ねた。
「立花さん、あの人は?」
「ウチの執事や」
「えっ!執事!」
執事が後ろを向いて合図すると、メイドたちが銀色の丸い蓋がついたお盆を運び込む。うやうやしくそれをサクラの机に乗せると、サクラが執事に聞いた。
「今日はなんや?」
「冬瓜のコンソメスープにシーザーサラダ。そしてモッツァレラとフレッシュトマトのナポリタンでございます」
執事が銀色のふたをとると、たしかに中からそれらの料理が、湯気を立てて現れた。
「学校での昼食ということですから、このような軽い食事がふさわしいかと思いまして」
「せやな!おおきに!」
(軽い食事……?)
そばにいる女子たちは困惑している。
「そうや!学校で一緒に飯食う時って、みんなでちょっとオカズを交換したりするんやろ?やらへんか?」
「いいえ、その……遠慮しておきます」
「恐れ多くて……」
サクラが食事を終えたら片付けなければならないので、執事とメイドたちは教室の後ろに整列して待機している。その異様な雰囲気の中で、サクラとアカネだけが黙々と食事を口に運んだ。
放課後になった。
結局のところ、サクラもまたアカネとは違う意味で敬遠されるようになっていたが、本人はまるでそのことに気がついていないらしい。ビクビクしている他の生徒に手を振りながら、サクラは鞄に教科書を詰めて、帰る準備をしているアカネに話しかけた。
「なぁなぁ、アカネちゃん」
「なに?」
「この学校にも部活動っちゅうもんがあるんやろ?どこに入ったらえんやろ。アカネちゃんは何部なんや?」
「帰宅部よ」
「へぇ、帰宅部なぁ。それって学校から家に帰る時間でも競うんか?」
「そうじゃなくて、部活をしていないって意味よ」
アカネが呆れたように言う。
「少し歩いて回ってみたらいいんじゃない?きっと部活の勧誘をされると思うわ。あなた、今日はすごく目立っていたから」
「そ、そうかなぁ?ウチそんなに目立っとったかなぁ?」
アカネの言葉を褒め言葉だと解釈したサクラは、恥ずかしそうに頭をかいた。
「じゃあ、アタシは帰るわ。さようなら、立花さん」
「ほな、さいなら!」
アカネの背中を見送ったサクラは、携帯電話で執事に連絡をとる。
「ああ、おっちゃん。ちょっと部活動を覗いていくわ。……うん、なんかウチ目立ってたから勧誘されるらしいで~」
サクラがそう言って電話を切ると、ちょうど先輩らしい女子生徒二人が教室に入ってくるところだった。
(おっ!早速やーん!)
サクラがニコニコしながら待ち構えていると、その先輩の一人がサクラに声をかける。
「立花サクラさん……だっけ?」
「ええ!そうです!」
「ちょっと顔貸してくんない?」
「顔?」
サクラが自分の顔を引っ張ってみる。
「顔貸してくださいゆうて、ウチ、アンパンマンとちゃうからなぁ、どないしても顔だけは貸されへんで」
「ちがう、ちがう。そういうことじゃねーんだわ、お嬢様」
別の一人が言う。
「顔を貸せっていうのは、つまり私らについて来てほしいってこと。ちょっとお話ししようや。校舎の裏で、じっくりと」
「そっかぁ、そっかぁ!なら、いこか!」
サクラがニコニコしながら二人についていくのを、ただ黙って見ていることしかできなかった女子グループが、やっと口を開く。
「さっきの人たちって……」
「間違いない。神取先輩のグループだよ。ガチ不良じゃん」
「ねぇ内田君!」
「えっ?俺っすか?」
女子グループに呼ばれた男子生徒の一人が近づいてきた。
「立花さんが神取先輩のグループに呼び出されたのよ!校舎の裏に!」
「あ~たしかにそれはヤバいっすね。カツアゲされるか、さもなければ焼きを入れられるか……」
「呑気に言ってないで、早く助けを呼んでよ!」
「了解っす!」
内田が職員室の方向へ走ろうとすると、すぐに女子グループが彼を制止した。
「方向が違うわよ!」
「違うって?先生を呼べばいいんじゃあないっすか?」
「先生は役に立たないわ!神取先輩のお父さん、市議会議員だっていうの忘れたの?」
「じゃあ、どうすればいいっすか!?」
女子グループがちらりと時計を見る。まだ、バス停にバスは到着していないはずだ。
「……他にいるでしょ。神取先輩よりも、もっと怖い人が」
「えーっ!?」
意図を察した内田もまた時計を睨む。
「でも、バスが着くまであと3分も無いっすよ!?」
「走りなさいよ!陸上部でしょ!?私たちがなんであんたに声をかけたと思っているのよ!」
「も~しょうがないっすね~!」
やがて内田は、助けを求めるために教室を韋駄天のように飛び出していった。




