赤く染まる時
セーフハウスが襲撃されてから数日が過ぎた。当然だが、セーフハウスはもう安全ではない。それに、多くの人間がそこで死亡したので、警察が目下捜査中だ。しばらくはビルそのものに出入りすることはできないだろう。
「テロリストによる毒ガス散布事件、ねぇ……」
マグカップに入れたコーヒーを飲みながら、ジュンコは新聞の見出しを読んだ。それが今回の事件の真相を覆う、カバーストーリーなのだろう。トコヤミサイレンスの回復魔法で、死者を含めたあらゆる損壊が修復されたのだから、もうそうとでもしなければ説明がつかないに違いない。
「しかし、これでセーフハウスの計画が終わりになるわけではない。いずれ第二、第三のセーフハウスを準備できるだろう。だが、さしあたって……」
新聞を折りたたんだジュンコは、テーブルに座って一緒にコーヒーを飲んでいたツグミの顔を見た。
「君が住むのは、私の工場だ。まぁ、私と君の仲だ。好きなように使ってくれたまえ」
「ふぁい(はい)」
「……少しは遠慮したまえ」
まるでハムスターのように口いっぱいビスケットを頬張るツグミを見て、ジュンコが苦笑した。
毎朝10時になると、ツバメがやってきた。彼女がお姉ちゃんことツグミを求めて工場にもやってくるようになったのは驚くほどのことでもないが、時間がいつもより遅いのは、おそらく駅前のビルよりもジュンコの工場の方が遠いからだ。
「やはり一文字家から歩いて来ているのかい?たいへんだろう。別に私が車でむかえに行ってもかまわないんだがねぇ?ツバサちゃんはこの事を知っているのかい?」
「うーん……」
ツバメが曖昧に答えないでいると、ジュンコは笑顔で手をふった。
「いや、答えたくなかったら、それでもいいんだ。それが、私たちの新しいルールだからねぇ」
新しいルール。それは、答えにくい事は答えなくてもいい、ということだ。そんなルールができたのは、第一に、ツグミの正体がトコヤミサイレンスだと判明した件がある。事情を根掘り葉掘り聞いてみたくなるのが人情だろうが、アカネの提案で、ツグミが自分から話したくなるまで詮索しないという事に決めたのだ。もっとも、当のツグミも、完全に記憶を取り戻したわけではないらしいが。
「さて!じゃあ今朝はちょっと二人に勉強をしてもらおうかな!」
ジュンコはツグミとツバメをソファーに並べて座らせると、なにやらイラストが描かれたボードを取り出した。
「これ、なーんだ?」
白黒のシルエットだけで描かれたそのイラストを見て、ツグミは赤面しながら抗議した。
「ちょ、ちょっとジュンコさん!朝からなんてものを見せるんですか!?子供の前ですよ!」
「えっ?このコップの絵がどうしたの?」
「えっ?コップ?」
ツバメの言葉にツグミは再び目を凝らす。ジュンコが解説した。
「コップ……というか、くびれた壺だねぇ。ところで、ツグミ君にはどう見えたんだい?」
「その……二人の人が顔を近づけているように……」
ツグミが消え入りそうな声で口にする。
「あ!たしかに、そうにも見えるよ!すごーい!」
「これはダブルイメージ、あるいは隠し絵とも言われるものだ」
ジュンコがそう解説する。
「君たち二人は、ちょうど片方のイメージしか見えていなかった。だけど、違う見方をお互いに教えてもらったことで、絵の見え方が変わっただろう?しかし、かといって前まで見えていたイメージが見えなくなったわけではない。どちらのイメージも、君たちは自由に見ることができる。そこで……魔法についてだ」
ジュンコは本題に入った。
「実はこの目に見える現実の世界は、魔法の世界ともつながっているんだ。まるで隠し絵のようにね。だが、この世界の人間たちは、そのイメージの見方がわからない。でも、一度でもそれを知っている者が教えると、世界の見え方はガラリと変わる。指をさしながら言うのさ。『目を覚ませ!ほら、そこにも、ここにも、あそこにも!魔法があるぞ!』って」
ツバメはジュンコの話に小首をかしげている。
「月を指さすように、魔法に目を開かせる。その仕事をするのは、先輩の閃光少女の時もあれば、魔法世界の住人でもある悪魔がすることもある。けど、最終的には自分自身でそれを見つけるものなのさ。そして、だからといって元の世界が見えなくなるわけではない。二つのイメージを往復することで、この世界を改変していく。それが魔法少女なんだ」
「……ねぇ、お姉ちゃん。おかーさんは何が言いたいの?」
袖を引っ張るツバメに、ツグミは優しく答える。
「うーん、そうだねぇ。きっと、今日も元気に閃光少女ごっこをしなさいって言いたいのかも」
「そっかー!やろやろー!」
ツグミには、ジュンコの気持ちがなんとなくわかった。閃光少女は正義で、魔女は悪。最終戦争が終わった後の世間のイメージは、おおむねそんなところだろう。悪魔である西ジュンコと契約して魔法少女になったツバメは、そういう分類では魔女ということになる。だが、ジュンコが両者の同一性を強調するのは、ツバメに負い目を感じさせたくはないという、彼女なりの優しさにちがいない。もっとも、元気よく工場の裏口から飛び出すツバメを見る限り、ジュンコの杞憂でしかないかもしれないが。
ジュンコの工場の裏手は、草の茂った空き地になっていた。赤錆だらけのスクラップにさえ気をつけたら、少女二人の絶好の遊び場である。
「ふふん……!」
なにやらいい感じの棒を拾ったツグミは得意そうな顔をするが、べつにこれでチャンバラをするわけではない。ツグミは蛇を脅かすために、草むらを棒でバシバシと叩いてまわった。これで準備はOKだ。
「変……身!」
ツバメは特撮ヒーローのように両腕を回すと、魔法少女の姿に変わった。白いグローブとブーツ、たなびく赤いマフラー。漆黒のドレスに身を包んでいるのは、彼女が憧れるトコヤミサイレンス/村雨ツグミにあやかったものだろう。
「お姉ちゃんは変身しないの?」
「私は……いいかな」
「なんで?」
「……なんだかあの服を着ると、暴力の歯止めが効かなくなる気がするから」
「ふーん、じゃあわたしもやめるー」
ツバメは元の姿に戻った。ツグミとツバメがお揃いのジャージを着ているのは、二人の体格がそっくりなので、ツバメがツグミの服をそのまま着られるからだ。
「それじゃあ、いっくよー!」
「うん、いいよ」
草地の上で二人の少女は、まるで子猫の喧嘩のように取っ組み合った。こうしてツグミは、さりげなく組技をツバメに伝授していく。もしも一文字ツバメ/ユウヤミサイレンスが自分たちの戦いに否応なく巻き込まれるのであれば、せめて彼女をうんと強くしてあげたい。
「姉妹か……あの二人の養子縁組を、本気で考えてみてもいいかもしれないねぇ……」
工場二階の事務室から裏手を眺めるジュンコは、そう言いながら目を細めた。もしもそうすれば、ジュンコは本当に二人の母親ということになる。それも悪くないと、彼女は思った。
ふとジュンコの携帯電話が鳴る。相手はサナエだった。
「サナエ君かい?……ああ、前に頼んでいた件だね。うん、頼むよ。忙しいところすまないねぇ」
「かまいませんとも!これもみんなを幸せにする探偵の仕事!ワタシもツバメちゃんが喜ぶ顔が見たいですからね!」
会話を終えたジュンコは、にこやかな顔をした。
「あ、ちょっと待って!ツバメちゃん、動かないで……!」
「うん?」
ツグミはそう言ってツバメを制止し、自身も大きな動きや音を出さないように注意した。ブーンという耳障りな音が二人の少女の周りを飛ぶ。大きな蜂である。
「大丈夫。じっとしていたら、蜂さんは私たちを刺したりしないから」
「…………」
そうしていると、蜂はツバメの顔の前でホバリングを始めた。ツバメはしばらく蜂を見つめていたが、おもむろに中指を曲げた手を顔の高さに構えた。
「ツバメちゃん……!?」
ビシッという音とともに、蜂がツバメの足元に落ちた。苦しそうにもがいているのは、ツバメのデコピンによって叩き落されたからだ。
「…………」
ツバメは無言のまま、ツグミが蛇を脅かすために使っていた棒を拾い、それを蜂に突き刺した。その動きに、ツグミは息を呑む。
(これって……!)
それは、まるで自分だった。暗闇姉妹トコヤミサイレンスとしての自分。人でなしに堕ちた魔法少女を処刑する時、いつも手持ち槍を延髄に刺して止めをさしていた。その動きと、どこまでもそっくりだったのである。
「これでもう安心だね!」
ツバメはそう言ってはじけるような笑顔をツグミに向けるが、当のツグミは顔が青ざめていた。
「どうしたの、お姉ちゃん?……あれ?手が冷たいよ?」
ツグミはツバメの手を握り返すと、彼女に懇願するように語りかける。
「ねぇ、ツバメちゃん。あなたが身につけた新しい力、正しく使ってくれるよね?そうだよね?」
「うん、もちろん!」
ツバメは屈託なく答えた。
「この力は、悪いやつらをたおすためにつかうのだ!」
夕方になると、やはりツバメは帰っていった。
「なあ、ツグミ君。まずは君に、話があるんだが」
「?」
ジュンコがツグミとツバメの養子縁組の話をすると、ツグミはひどく驚いたようだった。
「嫌かい?」
そうジュンコから聞かれたツグミは、慌てて首を横に振る。
「そんなことないです!なんというか、今まで思ってもみなかったから……その……家族ができるって……」
「そういえば、家族のことは、まだ思い出せていないんだね」
ツグミはうなずく。
「ツバメちゃんが一文字家の隠し子かなにかは知らないが、冷遇されているようなら、引き取ってもいいと思うんだ。もちろん、最終的には一文字家との話合いが必要だろうし、なによりツバメちゃん本人の希望も聞く必要がある。けど、まずは君の同意を得たいと思ったんだよ」
「私たちが、本当の姉妹に……!」
ツグミの顔がほころんでいく。
「それって、とっても素敵だなって思います」
「そうか」
ジュンコもまた嬉しそうにうなずいた。
市立城南小学校の校舎裏は、夕焼けに赤く照らされていた。焼却炉の傍の影が三つ、東へ長く伸びている。高学年と思しき男子三人が、なにやらそこでコソコソと怪しげな動きをしていた。
「なぁなぁ、早く入れろよ」
一人がそう急かすと、もう一人が焼却炉の蓋を開き、そこへ文房具を投げ入れていった。その文房具はピンク色であったり、ファンシーな絵柄がついている。どうみても、男子が使うそれには見えなかった。
「宝の地図は?」
「これでいいんだろ?」
一人が小さな紙切れをひらひらと見せびらかす。そこには焼却炉を現す位置に、バツ印がついていた。
「じゃあ机の上に置いて行こうぜ。明日どうなるかな?マジで泣くんじゃね、アイツ」
三人が笑いながらその場を後にしようとした、その時である。
「おい、まてよ」
「?」
急に呼び止められた三人組が見たのは、焼却炉の影から姿を現した少女だった。その少女は奇怪な格好をしていた。漆黒のドレスに白いグローブとブーツ。暖かい季節だというのに、首には赤いマフラーがたなびいている。
「なんだぁ、お前?」
「あやまれよ」
「はぁ?」
「今捨てたものをぜんぶひろって、持ち主に土下座してあやまれって言ってるんだよ!」
三人は顔を見合わせた。やがて、一人が少女を罵倒する。
「うるせーよ、バーカ!」
もう一人も続いた。
「いい子ちゃんぶりやがって!」
「ケンカを売りにきたのか?ああ?」
男子の一人がそう言いながら、拳を構えてつかつかと少女に歩み寄っていった。そしてそのまま、少女のみぞおちを殴る。だが、少女はビクともしなかった。
「あれ?」
「おらあっ!!」
逆に少女の放った正拳突きが男子の顔に当たると、ざくろのように裂けて血しぶきが散った。即死である。
「うわっ!?わああああああっ!?」
「ひいいいいいいいっ!?」
あまりの事態に気が動転した二人が、慌ててその場から逃げ出そうとした。
「あ、まて!」
少女はすぐさまその一人の背中を追い、後ろから首を掴む。
「ぎゃっ……!?」
首の骨が折れた男子は、白目をむき、口から泡を吹いて倒れた。そのまま少女は死体をずるずると引きずり、顔が裂けた男子の横にならべる。
「ただの人間ってこんなに弱かったのか……」
少女は二人の体に回復魔法を当てた。パックリと裂けた顔も、折れた首も、元通りに戻っていく。だが、二人が目を覚ますことは二度と無かった。
「うーん?死んじゃったら体を治しても生き返らないんだな。……まぁ、いっか」
少女の心の中で、なにかのタガが外れる。
「こいつらは、ツバサちゃんをいじめていたんだ。死んでトーゼンのやつらなんだ」
そう言ってユウヤミサイレンス/一文字ツバサは、真っ赤に染まった自分のグローブを、興味深そうに眺めた。