魔王の娘にこんにちは
『これでツグミに会いに行ける』
そのサナエの言葉がまずかった。以来、ジローは寝ても覚めても、
「それに今すぐ乗せろ!」
「早く動かすんだ!」
「後ろの座席が広いではないか!行け!」
と言ってきかないのである。
だがジローが『ガーネット号』に乗ることに反対するのは、サナエばかりではない。
「魔王様」
忠臣、サー・サンドイッチが頭を下げる。
「どうか今しばらくお待ちいただけますよう、お願いいたします!」
「なぜだ、サンドイッチ!?」
理由はいくつもある。まず、ガーネット号がどこまで安全なものかは、わからない。そしてサナエが言う通り、ジローの世界とツグミの世界では時間のスピードが違いすぎるのだ。
「では、俺様が魔王城の今後の方針を書き残しておく!俺様が戻るまでに、お前らが途方に暮れないように!」
仮に1時間だけでもツグミに再会できれば、嬉しいジローなのだ。それによってジローの世界は1年ほど経過するが、魔王城の政治に致命的な影響を与えるほどの空白ではないはずだ。
「しかし、それでも……」
サンドイッチは心配するのだ。もし仮に、ガーネット号でツグミの世界に行けたとして、その後、無事に帰って来られるのかどうか。もしもガーネット号が片道運行であったり、故障したりすれば、魔王城への政治的なダメージは計り知れない。
「だから、ジロー君……いえ、魔王様には少し待っていてほしいんですよ」
サナエにとっても、ジローを連れて行くリスクはあるのだ。彼をツグミに会わせたいのは山々ではあるが、ツグミとジローが向こうの世界で再会したり、ジローが元の世界に帰れなくなった場合、どんなトラブルが起きないとも限らない。
「だから、事前にワタシがガーネット号に乗って、安全を確認したいのですよ。問題がなければ、きっとジロ……魔王様を迎えに来ますから!」
「本当か?そう言ってサナエ、お前一人で帰ってしまうのではないか?」
「ご安心ください、魔王様」
そう言うとサンドイッチは、手のひらの上に乗せた何かをジローに見せた。それは、とても小さなマサムネリベリオンである。ただのミニチュアではない。サナエの相棒たるスーパーバイクは、サンドイッチの魔法によってミニミニサイズに縮んだのだ。
「サナエさんのご友人は、こうして我々が預からせていただいております。だからサナエさんは、必ずこちらへ一度帰って来られます」
「ぐう……仕方ないです……」
そうしてやっと、ジローを納得させたのだ。それから数日、やっとガーネット号の操縦を理解したサナエは、ついに魔王城を旅立つことにした。
「では、行ってきます!」
サナエが乗るガーネット号を中心にして、魔王城の悪魔たちが見送りに集まる。そこへ、少し遅れて現れたジローが、操縦席のサナエに駆け寄った。
「つ、連れてはいけませんよ!」
「わかっている!」
もう何度も話し合ったことだ。だがジローは、後部座席に飛び込むと、サナエにそっと何かを手渡し、耳元に囁いた。
「これをツグミに渡してほしい」
「え?あ、これは……」
「いいか?絶対にツグミに直接渡してくれよ」
「……わかりました!必ず!」
そうしてようやく、ジローはガーネット号から降りた。その様子に安堵する魔王城の面々をよそ目に、サナエはコンソールのスイッチを入れていく。宝石型のハッチが、戦闘機のコックピットのように閉じた。
「ガーネット号!発進!」
サナエを乗せた赤い宝石が、ふわふわと宙に浮いていく。周りの悪魔たちがどよめくなか、赤い閃光のみを残し、ガーネット号はこの世界から消え去った。
サナエにとっても、一瞬のことであった。眩い閃光に、目をくらませるサナエ。視界が元に戻った時、サナエがガーネット号の窓から見たのは、立ち並ぶビル群であった。
「あ!ここは!」
サナエはすぐさま、ガーネット号のハッチを開け放つ。そこはどう見ても、サナエたちの世界。それも、日本の、どこかの都市であった。
「やった!日本よ、ワタシは帰ってきたー!」
しかし、何かおかしい。
「寒っ!?」
今、サナエたちの世界は9月に入ったばかりである。本当なら、むしろ残暑が厳しい季節なのだ。それなのに、ビルの隙間を吹く、凍えるような木枯らしが、サナエの肌を刺していく。
「おかしいですね〜……これじゃあ、まるで冬ですよ。どこかの都市だけ異常気象でも起こっているのでしょうか?」
さらにおかしいのは、一見都会のように見えるこの街に、誰一人の影すらも見えないことだ。
「みんな、寒すぎて家に閉じこもっているのでしょうか……?」
ガーネット号は、ゆっくりと道路に着陸した。片側2車線の道路には、通る車さえいない。先ほどまで誰か乗っていたにしても、不自然なほど状態の良い車が数台、路肩に停車していた。
「お〜い!」
ガーネット号から降りたサナエが周囲に呼びかけた。
「誰もいないんですか〜!?いないならいないと返事してくださ〜い!」
その瞬間である。灰色をした何かがサナエの目前に飛び出し、彼女の手を取って走り始めた。
「わ!?わ!?」
わけもわからず、一緒になって走るサナエである。路地裏に飛び込むと、灰色の迷彩服を着た少女が、ライフルを構えながらサナエを叱った。
「何やってるの!死にたいの!?」
「あなたこそ何ですか!?ワタシをどうしようというんですかぁ!?」
「シーッ……!」
迷彩服の少女が、左手の人差し指を口の前に立てる。ライフルを握る右手には、水色の宝石が付いた金の指輪が輝いていた。
(あ、この人も魔法少女)
そう気づいたサナエも、謎の魔法少女と一緒に耳をすました。何も聞こえない。
「ふー……」
安堵した様子の迷彩服の少女は、改めてサナエをまじまじと見つめた。
「見ない顔ね。どこの生き残り?」
「生き残り?」
「大通りであんな大声を出すなんて迂闊な……まあ、いいわ。ついてきて。他の仲間にも紹介するから」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
サナエには、何がなんだかわからない。
「ここ、日本ですよね?」
「は?当たり前じゃない」
「なんで誰もいないんですか?本当に、ここは日本なんですか?」
「……日本だから誰もいないんじゃない」
「え??」
「なに?本当にわけがわからないの?あなた浦島太郎か何か?」
その時、爆発音が街に響き渡った。そう遠くない場所で、瓦礫が崩れる音が聞こえる。
「なんですか!?テロか何かですか!?」
「違う!私たちが仕掛けた爆弾!奴を仕留めたかも!ここで待ってて!」
「ちょっと!」
周囲をクリアリングしながら駆け出す魔法少女の背にサナエが尋ねる。
「あなたは誰なんですか!?」
「ディーバレジーナ!」
「!!」
「もしも私の仲間に会ったら、そう言ったらわかるから!」
ディーバレジーナ。間違いなく、その魔法少女はそう口にした。サナエが知る限り、彼女はすでに死んでいる。偶然、魔法少女としての名前が一致した別人だろうか?
「何かおかしい!何か……!ああ、でも一体、なにが!?」
ディーバレジーナと、彼女が言った仲間たちとやらは、何かと戦っているらしい。すぐにレジーナを追いかけようとしたサナエであったが、背後から強い殺気を感じたサナエは、刀の柄に手をかけた。
「なにやつ!?」
サナエは振り向きざまに、刀を抜き打ちしようとしたのだ。が、その手が止まる。
「え」
サナエの背後に立っていたのは、影のような包帯が、黒いドレスを形づくっている衣装を身につけた魔法少女。当然、サナエも知っている。村雨ツグミが変身する魔法少女、トコヤミサイレンスである。
「ああ、なんだ。ツグミさんですかぁ」
刀から手を離したサナエは、かわりに腰に付いたポーチをまさぐる。
「ジロー君がこれを……」
サナエはたしかに迂闊であった。目の前のトコヤミサイレンスは、まだ殺意をおさめていない。
「ぎゃあああっ!?」
サナエの右手が吹き飛んだ。刃物による攻撃ではない。トコヤミサイレンスの腕から伸びた包帯が鞭のように唸りをあげ、サナエの骨ごと切断したのだ。
激痛と流血に耐えながら、サナエが叫ぶ。
「ツグミさん!?どうして!?なんで!?」
「ツグミ?」
トコヤミサイレンスが、ようやく口を開いた。
「違う……私の名前はチドリ。本郷……チドリ」
2024年2月2日。
中村サナエは、魔王の娘に出会った。
楽園編 了




